O社15区 裏路地
都市の裏側。
光の届かない場所に、ねじれの残滓はなおも澱のように残っていた。
黒い霧が、壁に、地面に、空気そのものに絡みつく。
都市悪夢級——
それはもう形を失い、ただ「死の名残」だけを残している。
クリフジとセントライトは、
その中心を抜け、静かに歩いていた。
足音だけが、路地に反響する。
クリフジ
「……終わりました、セントライト」
淡々とした報告。
戦闘を終えた者の声とは思えないほど、平坦だった。
セントライト
「ええ。ご苦労さまでした、クリフジ」
二人は、消えゆく黒い霧を振り返る。
恐怖に飲み込まれ、理性を失い、ねじれとなった存在。
都市では、珍しくもない結末だ。
セントライト
「……帰りましょうか」
クリフジ
「はい」
短い返答。
そこに、迷いも、疲労も、達成感もない。
クリフジの歩き方は正確で、無駄がなく、
その姿はまるで“よく出来た道具”のようだった。
セントライトは、横目でそっと彼女を見る。
——生きてはいる。
だが、生きている実感が、どこにもない。
セントライト
「……クリフジ、疲れてはいませんか?」
クリフジ
「大丈夫です」
即答だった。
セントライト
「……わたくしはハナ協会で報告書を書きます、
先に帰っていてくださいな」
クリフジ
「承知しました」
二人は交差点で別れた。
セントライトは北部支部へ。
クリフジは、一人でP社16区へ。
背中を見送りながら、
セントライトは胸の奥に、小さな違和感を覚えていた。
——このままで、本当にいいのだろうか。
ハナ協会 北部支部
エクリプスは、デスクに肘をつき、
紅茶を片手にセントライトを迎えた。
エクリプス
「おかえりなさい」
「無事に終わったみたいね」
セントライト
「ええ。都市悪夢は鎮圧しました」
書類を整えながら、メジロラモーヌが口を挟む。
メジロラモーヌ
「で、クリフジはどう?」
セントライトは静かに腰を下ろし、
カップに視線を落とした。
セントライト
「……生きる意味は、確かに受け取ってくれました
ですが……」
言葉を探すように、一拍置く。
セントライト
「……その代償が、“考えることの放棄”とは、
……人の心は、ままならないものですわね」
エクリプス
「……自分の意志で動くことが、ほとんど無い?」
セントライト
「はい、
判断も、選択も、すべて他人に委ねています。
……生きてはいますが、思考は止まっているように見えますわ」
メジロラモーヌ
「……それって、生きてるって言えるのかしら」
沈黙。
セントライト
「……わたくしは、クリフジに生きてほしい
でも、考えることをやめた彼女は……
本当に“生きている”のでしょうか」
エクリプスはカップを置き、腕を組んだ。
エクリプス
「……難しいわね
生きることを選ばせた結果、生きる力を奪ってしまった可能性もある」
セントライトは顔を上げ、静かに言った。
セントライト
「……だからこそ
彼女には、過去を見つめてほしいのです。
どれほどの恐怖でも、苦痛でも……
考え、選び、未来を作れるようになってほしい」
メジロラモーヌ
「……それ、どこかで聞いた言葉ね」
エクリプス
「旧ロボトミーコーポレーションの社訓じゃない?『恐怖と向き合い、未来を創る』」
セントライトは、ほんの少し照れたように微笑んだ。
セントライト
「ええ……Face the fear, build the future。
調べていたら、胸に残ってしまって」
メジロラモーヌ
「皮肉ね。あれほど多くの悲劇を生んだ会社なのに」
エクリプス
「……でも、言葉だけは本物かもしれないわね
クリフジを導けるかどうかは、あなた次第よ」
セントライト
「……ええ、必ず」
数時間後
P社16区 セントライトの家
セントライト
「ただいま帰りましたわ」
リビングでは、クリフジが静かに待っていた。
クリフジ
「おかえりなさい、セントライト」
感情の揺れは、やはり見えない。
セントライト
「すぐに夕飯の支度をしますわ。
……それと、食後に大事なお話があります」
クリフジ
「承知しました」
夕食後
リビング
柔らかな照明。
二人は、向かい合ってソファに座っていた。
セントライト
「……クリフジ
私が与えた“生きる意味”は、大丈夫ですか?」
クリフジ
「はい
貴女が悲しまないよう、私は生きています」
セントライト
「……そこに、貴女自身の意志はありますか?」
クリフジ
「……ありません
もう、疲れましたから」
即答だった。
セントライトは、深く息を吸う。
セントライト
「……こちらへ」
クリフジは無言で隣に座る。
セントライトは、彼女の手を包むように握った。
セントライト
「……私は、貴女に生きてほしい
ですが、考えることをやめたままでは……
それは、生きているとは言えません」
クリフジ
「……無理です
私は、自分で意味を作る勇気を失いました
……貴女だけが、私を委ねられる存在です」
セントライトは、手に力を込めた。
セントライト
「……違いますわ」
「貴女は、まだ過去を見つめられます」
「恐怖から目を逸らさずに、考えることができます」
クリフジ
「……未来を見て、いいのでしょうか
……あの人がいなくなって
……何も感じられなくなった私に……」
セントライト
「大丈夫です
わたくしが、共に歩きます
……でも、貴女自身を捨てないでください
自分を定義できるのは、貴女だけです」
長い沈黙。
やがて、クリフジは顔を上げた。
その瞳に、かすかな揺らぎが宿る。
クリフジ
「……今は、まだ分かりません。
……でも、
いつか、過去と向き合えるでしょうか」
セントライト
「……ええ、きっと。
彼も、貴女が苦しみ続けることを望んでいませんわ」
クリフジ
「……どうして、そこまで私を?」
セントライトは、静かに微笑んだ。
セントライト
「……友人だから。
それ以上に、貴女が大切だからですわ」
クリフジは、初めて声を震わせた。
クリフジ
「……ありがとうございます
……怖いですが、
……いつか、考えることを、選びます」
セントライト
「ええ。ずっと待っていますわ」
青紫の孤独は、
まだ彼女の中にある。
だが今、
それは“終わり”ではなく、
未来へ向かうための影となり始めていた。
恐怖と向き合い、
考え、それでも歩く。
その選択こそが、
彼女が“生きている”証なのだから。