W社23区 裏路地
W社23区。
都市に存在する数多の区の中でも、ここは「底」に近い場所だと囁かれている。
裏路地は元来巣に比べ治安が悪いが、それでも人が暮らすための空間だ。
水道は通り、電力も最低限は供給され、商売も成立する。
——だが、23区だけは例外だった。
瓦礫と錆びた鉄骨に囲まれた通路。
空気は重く、湿り、鼻腔にまとわりつくような血と油の臭いが漂っている。
時折聞こえるのは、笑い声とも悲鳴ともつかない音。
それらはすぐに、何かを噛み砕くような鈍い音にかき消される。
それでも、この地を訪れる者は後を絶たない。
理由は単純だ。
ここは“都市のグルメ通り”と呼ばれている。
希少な肉。
奇妙な調理法。
他区では決して口にできない“素材”。
その中には、
本来、食材として扱ってはならないものも当然のように並ぶ。
——人間。
——ウマ娘。
客として入ったはずが、
いつの間にか“仕込み中の肉”になっていた、という話も珍しくない。
そんな裏路地を、
青紫の衣を纏った一人のウマ娘が、静かに歩いていた。
腰には太刀。
背筋は真っ直ぐで、足取りに迷いはない。
クリフジ
「……噂通りですね。
飲食店の数だけは、確かに多い」
淡々と呟きながら、クリフジは視線を走らせる。
吊るされた看板、店先に並ぶ不自然な肉塊、
そして、彼女を値踏みするように眺める無数の目。
——何度か、殺気が走った。
路地の影から、
あるいは屋根の上から。
だが、その度にクリフジは懐へ手を伸ばし、
彼岸花の意匠が刻まれた身分証を一瞬だけ見せる。
途端に、殺気は霧散した。
誰もが目を逸らし、
誰もが何事もなかったかのように去っていく。
23区の住民とて、
命は惜しい。
クリフジ
「……ここで“まともな昼食”を探すのは、
さすがに無理がありますか」
小さく息を吐いた、その時だった。
クリフジ
「……?」
路地の一角。
比較的整った外装の飲食店の前で、
一人のウマ娘が店主と話しているのが目に入った。
23区の飲食店経営者
「いやぁ、助かったよ、タクトちゃん。
これで今週も店を回せる」
デアリングタクト
「いえいえ!
私は依頼を受けただけですから!」
明るく、よく通る声。
23区の空気には似つかわしくないほど、朗らかだ。
デアリングタクト
「出来るだけ鮮度を落とさないように処理しましたので、
食材としてはかなり良質だと思いますよ!」
店主は喉を鳴らすように笑う。
経営者
「おお、さすが“空色の狩人”だ。
君と卸売契約できたのは、本当に運が良かった」
そう言って、
店主はタッパーを差し出した。
経営者
「良ければ、これ。
心付け代わりだ。賄いの余りだけどね」
デアリングタクト
「本当ですか!?
ありがとうございます!」
両手で丁寧に受け取るその仕草は、
礼儀正しいウマ娘そのものだった。
デアリングタクト
「それでは、私はこれで!」
軽く頭を下げ、
彼女は路地の奥へと歩き去っていく。
その背中を、
クリフジは無言で見送っていた。
クリフジ
「……空色の、狩人」
先ほどの受け渡し。
包まれていた“食材”。
そして、彼女の纏う気配。
(若い……ですが、間違いなく実力者)
(それに、今の肉は——)
クリフジは、
音を立てずに後を追った。
だが。
角を曲がった先に、
彼女の姿はなかった。
クリフジ
「……いない?」
その瞬間。
キラン——!
頭上から、鋭い金属音。
反射的に太刀を引き抜き、
刃で受け止める。
デアリングタクト
「あら?」
軽やかな声。
空から降り立つように、槍を構えたウマ娘。
クリフジ
「……ふぅ。
いきなり何をなさるのですか」
デアリングタクト
「それはこっちのセリフです」
笑顔のまま、
だが足先は一歩も引かない。
デアリングタクト
「さっきから、私の後をつけてましたよね?
何か御用ですか?」
空気が張り詰める。
敵意は薄い。
だが、警戒ははっきりと伝わってくる。
クリフジは太刀を収め、
懐から身分証を取り出した。
クリフジ
「私は特色フィクサー、
『青紫の孤独』——クリフジ」
一瞬、
デアリングタクトの目がわずかに見開かれる。
デアリングタクト
「あっ……特色の方でしたか」
すぐに槍を下ろし、
丁寧に一礼する。
デアリングタクト
「私はB社2区、華彩事務所所属。
特色フィクサー『空色の狩人』、デアリングタクトです」
クリフジ
「……なるほど。
それで、先ほどは何を?」
デアリングタクト
「依頼ですよ。
この辺のお店から“食材”の調達を頼まれてまして」
クリフジ
「……人間や、ウマ娘を?」
デアリングタクト
「ええ、そうです」
あまりにも自然な肯定。
クリフジ
「……抵抗は、ないのですか?」
デアリングタクト
「抵抗、ですか?」
首を傾げ、
少し考えるような素振りを見せる。
デアリングタクト
「うーん……特には」
クリフジ
「理由を、伺っても?」
デアリングタクト
「だって、生きたまま食べるわけじゃないですし」
あっさりとした口調。
デアリングタクト
「食材にした時点で、もう死んでますよね?
死んだら終わりな都市で、
死者に価値なんてありません。
それに都市では殺しは日常茶飯事ですし、どんな依頼でもするのがフィクサーですから」
槍を肩に担ぎ、
淡々と続ける。
デアリングタクト
「少なくとも、死んだ瞬間に“人”じゃなくて“物”です。
だったら、有効活用した方が良いじゃないですか」
クリフジ
「……なるほど」
デアリングタクト
「もちろん、誰でもいいわけじゃありませんよ?
フィクサーの同業者は避けてますし」
肩をすくめる。
デアリングタクト
「最近は裏路地の住民が中心ですね。
ハナ協会に目をつけられるのは嫌なので」
クリフジ
「……それでも、黙認されている?」
デアリングタクト
「所長が、毎回必死に謝ってますから。
あれはあれで大変そうですよ」
くすっと笑う。
クリフジ
「……そうですか。
引き止めてしまい、失礼しました」
デアリングタクト
「いえ、こちらこそ」
軽く会釈し、
彼女は裏路地の奥へと消えていく。
その背中を見送りながら、
クリフジは小さく息を吐いた。
クリフジ
「……あんな特色も、いるのですね」
23区の空気が、
より一層重く感じられた。
クリフジ
「……ここで腹ごしらえは、やめておきましょう」
彼女は踵を返し、
ワープ列車のプラットホームへと向かう。
都市は広く、
そして、思っていた以上に——歪んでいる。