H社8区《巣》
23区からワープ列車に揺られ、
クリフジが次に足を踏み入れたのは——H社管轄、8区の巣だった。
H社。
正式名称は鴻園生命工学グループ(Hongyuan Bioengineering Group)。
その管轄区域である8区は、
区そのものがひとつの巨大構造物——
“超巨大な箱”のようなコロニー都市として設計されている。
外殻、内部区画、生活層。
それらをすべて内包した都市群は、
まとめて「鴻園(ホンユェン)」と呼ばれていた。
街並みは中国風。
赤と金を基調とした装飾、連なる提灯、
香辛料と油の匂いが混じった空気。
無論、都市である以上、貧富の差は存在する。
だが——23区と比べれば、
人が「人」として扱われる確率は、遥かに高い。
クリフジ
「……ここが8区ですか」
ワープ列車のホームを抜け、
彼女はゆっくりと街を見渡した。
クリフジ
「賑やかですね。
同じ都市とは思えないほどに」
行き交う人々。
屋台の呼び声。
異文化情緒に満ちた喧騒。
腰の太刀がなければ、
ただの旅人に見えただろう。
クリフジ
「さて……まずは宿を探して、
それから昼食ですね。23区では結局、何も食べられませんでしたし」
そう呟き、
彼女は街の中へと溶け込んでいった。
歩く間、
時折、ひそひそとした視線を感じる。
特徴的な青紫の装束。
そして、無意識のうちに周囲を圧する気配。
「……おい、あの服……」
「まさか……最近噂の“青紫の孤独”か?」
「鴻園に何の用だ……?」
クリフジ
(……相変わらず、噂の伝播は早いですね)
小さくため息をつく。
クリフジ
(まあ、23区と違って——
いきなり斬りかかってくる輩はいないでしょう)
そう思った、
その時だった。
カツラギエース
「なあマルゼン。
あたしら、いつまでH社に滞在するんだ?」
マルゼンスキー
「リンバス本社が襲撃を受けたでしょ?
復旧に時間が掛かるから、しばらく足止めみたいよ」
カツラギエース
「それにしても、もう二ヶ月近くだぞ。
シーチュンも、ちょっと冷たい視線になってきたし」
マルゼンスキー
「あはは……
それでも追い出さない辺り、事情は分かってもらえてるってことじゃない?」
ヴェルギリウス
「……それよりも、
あの件の後だ。囚人13番の様子は問題ないか?」
カツラギエース
「ああ、あれな……
ヴェルギリウスでもギリギリだったんだろ?」
ヴェルギリウス
「次に同じことが起きれば、
抑えきれる保証はない」
マルゼンスキー
「今更だけど……
LCBって、爆弾抱えすぎじゃない?」
カツラギエース
「本当だぜ、全く」
買い出しの袋を抱え、
二人のウマ娘と一人の男が歩いている。
その姿を、
クリフジは一目見て理解した。
クリフジ
(……実力者)
それも、特色に相当するほど。
クリフジ
「……マルゼン」
その名を、彼女は知っている。
クリフジ
(エクリプスさんの弟子……
“深紅の天女”)
自然と、
足が動いた。
——追ってしまう。
それは、いつもの悪い癖だった。
カツラギエース
「……マルゼン、分かるか?」
マルゼンスキー
「ええ。
誰か着いてきてるわね。殺気はないけど……」
カツラギエース
「どうする?」
ヴェルギリウス
「LCCBのトラックまで戻る。
市街地での戦闘は避けるべきだ」
マルゼンスキー
「そうね」
数十分後
8区・巣の郊外
リンバスカンパニーの移動型トラック。
P社の特異点を利用した構造により、
外見からは想像できないほど内部は広い。
ダンテ【あっ、おかえり。三人とも】
チク、タク——
時計の音を鳴らしながら、管理人ダンテが出迎える。
マルゼンスキー
「ええ、ただいま」
カツラギエース
「さて、マルゼン。どうする?」
ヒースクリフ
「なんかあったのか?」
マルゼンスキー
「買い出しの帰りに、
誰かに着けられてたの。姿は見えなかったけど……」
ダンテ【それは……気のせい、ではなさそうだね】
ヴェルギリウス
「念のため、戦闘準備を。
ダンテ、あなたの指揮が要ります」
イシュメール
「……はぁ。
また厄介ごとですか」
シンクレア
「五本指相手は……もう勘弁してほしいです……」
ホンル
「話が通じる方だと良いですね〜」
グレゴール
「まあ……期待はしない方がいいな」
良秀
「ふん...誰が来ても関係ない...」
空気が張り詰める。
武器が取り出され、
囚人たちは各々の位置につく。
ヴェルギリウスはグラディウスを抜き、
マルゼンスキーは扇を、
カツラギエースはガントレットを装着する。
そして——
クリフジ
「……」
静かに、
トラックの内部へと足を踏み入れた瞬間。
——同時。
ヴェルギリウス、
マルゼンスキー、
カツラギエースが動いた。
ヴェルギリウスが先陣を切り、
グラディウスを超高熱に輝かせて突進。
赤熱した刀身が空気を焼き、
直線的な斬撃をクリフジの胴体に叩き込む。
マルゼンスキーは扇を広げ、
深紅の炎を纏った熱波を放つ。
扇の軌跡が弧を描き、
クリフジの側面を包み込むように襲う。
カツラギエースはガントレットを鳴らし、
地面を蹴って跳躍。
拳に気を集中させ、
クリフジの頭上から剛拳を振り下ろす。
三方向からの同時攻撃。
連携は完璧で、
逃げ場を完全に塞いでいる。
だが。
クリフジ
「……む」
一瞬で太刀を抜き、
金色の光輪が刀身を包む。
まずヴェルギリウスのグラディウスを、
太刀の平で受け流す。
熱が爆ぜ、
衝撃が彼女の腕を震わせるが、
体勢は崩さない。
次にマルゼンスキーの熱波を、
回転しながら太刀を振るい、
光輪を展開して切り裂く。
炎が散り、
熱風が周囲を巻き上げる。
最後にカツラギエースの剛拳を、
太刀を逆手に持ち、
柄で受け止める。
拳と柄がぶつかり、
鈍い音が響く。
三人の攻撃を、
一瞬で全て防いだ。
火花が散り、
衝撃波がトラック内部を揺らす。
数合、
数瞬。
互いに距離を取る。
クリフジ
「……ふぅ。
いきなり手荒な挨拶ですね」
ロージャ
「え……!?
全部、防いだ……!?」
ウーティス
「管理人様、注意を!
このウマ娘、只者ではありません!」
ムルソー
「人数的不利を容易く覆す実力……
先日戦った蜘蛛の巣の親方たち以上かと」
カツラギエース
「なあ。
あんた、あたしらを着けてただろ」
一歩前に出る。
カツラギエース
「こっちは色々あってピリピリしてる。
用がないなら帰ってくれねえか?」
クリフジ
「誤解です」
太刀を収め、
静かに言う。
クリフジ
「襲撃の意図はありません。
ただ……気になっただけです」
マルゼンスキー
「気になった?」
クリフジ
「はい。
特に……マルゼンさんの名前を聞いたので」
マルゼンスキー
「あら。
あたしのことを知ってるの?」
クリフジ
「エクリプスさんから、聞きました」
マルゼンスキー
「……師匠から?」
一瞬、空気が緩む。
クリフジ
「私は——」
身分証を取り出す。
クリフジ
「特色フィクサー、
『青紫の孤独』。クリフジと申します」
カツラギエース
「……はぁ!?
あんた、特色かよ!」
クリフジ
「ええ。
今は都市を見て回る、ただの旅人ですが」
イサン
「ドンキホーテ嬢、クリフジ殿の名前に聞き覚えはあるなりや?」
ドンキホーテ
「青紫の孤独...も、もしや……!
赤い霧と双璧を成したと語られる、
あの伝説の特色でありまするか!?」
クリフジ
「……そこまで言われると、
少し気恥ずかしいですね」
ファウスト
「ダンテ、
この者には敵対意思はありません。
かつ、敵対した場合の勝率は著しく低いかと思われます」
ダンテ【……分かった。
警戒を解こう】
武器が下ろされる。
張り詰めていた空気が、
わずかに和らいだ。
——だが、完全には消えない。
都市では、
それが普通だった。
この出会いが、
青紫の孤独に何をもたらすのか。
リンバスカンパニーに出会ったその瞬間から、
歯車は、静かに回り始めていた。