ウマ娘×ProjectMoon   作:桜餅 ステラ

60 / 197
朱色の十字

南部ハナ1課 オフィス

 

夜明け前。

ハナ協会南部1課のオフィスは、相変わらず薄暗かった。

 

天井の照明は必要最低限しか点いておらず、長机の上には未処理の書類と報告書が、かつてよりは減ったとはいえ、まだ整然とは言い難い量で残っている。

それでも――数日前までと比べれば、明らかに“前に進んでいる”空気があった。

 

それはひとりの応援者が来てからの変化だった。

 

マージは束ねた書類を棚に収めながら、感嘆混じりに息を吐いた。

 

「……凄いですね、クリフジさん。本当に。

 あの“山脈”みたいだった書類が、ここまで減るなんて……」

 

机の向こうでは、栗毛の髪を揺らしながら、クリフジが静かにペンを置く。

書類に書き込まれた端正な文字は、まるで機械が書いたかのように正確だった。

 

「慣れているだけです。

 事務所に所属していた下積み時代は、こういう仕事が大半でしたから」

 

淡々とした声。

だが、その言葉の裏には、長い時間と積み重ねがあったことが滲んでいる。

 

エナスはデスクに手をつき、ゆっくりと息を吐いた。

 

「ああ……正直、助かったよ。

 君が来てくれなければ、私たちはまだ書類に溺れていた」

 

「いえ。私はあくまで手伝っているだけです」

 

そう答えながら、クリフジの視線は自然とエナスへ向けられていた。

その顔色。目の下の隈。わずかに震える指先。

 

――休んでいない。

 

「……協会長から、少し話を聞いています」

 

クリフジは、慎重に言葉を選びながら切り出した。

 

「エナス部長。最近、ほとんど休まれていないそうですね。随分と無茶な仕事の仕方をしていると」

 

エナスの肩が、びくりと跳ねた。

 

「うっ……。

 し、しかし……1課を再建するというのに、部長の私が休んでいては示しが……」

 

言い訳めいた声。

それを、マージは苦しそうな表情で見つめていた。

 

クリフジは静かに首を横に振る。

 

「それで倒れてしまえば、本末転倒です。

 貴女は部下からの信頼が厚い。……だからこそ、上司が無理をすれば、部下も無理をします」

 

「……」

 

「休むべき時に休めない上司の背中を見て、安心して休める部下はいません。

 仕事には、メリハリが必要です」

 

理詰めの言葉だった。

だが、責める響きはない。

 

エナスは言葉を失い、視線を落とす。

 

「……う、うう……」

 

クリフジは一歩、距離を詰めた。

 

「……エナス部長。

 貴女は、何をそんなに恐れているのですか?」

 

その問いに、エナスは思わず顔を上げた。

 

「……分かるのか?」

 

「人を見る目は、多少鍛えています。

 ……眠れない、のではありませんか?」

 

一瞬、空気が凍った。

 

エナスの唇が震え、やがて絞り出すように言葉が零れる。

 

「……あの日から、一瞬も忘れたことはない」

 

その声は、低く、重かった。

 

「残響楽団に襲われて……仲間たちが、次々に死んでいく光景……

 青い残響の、あの狂った笑み……」

 

マージが、拳を強く握る。

 

「……そして、生き残った私たちを逃がすために……

 朱色の十字が、ひとり残った……」

 

エナスは目を伏せた。

 

「寝ると、必ず夢に見るんだ。

 あの日の続きみたいに……だから……もう、寝たくない。

 でも、休むと眠ってしまう……だから私は、仕事をするしか……」

 

「部長……」

 

マージの声は、震えていた。

 

クリフジはしばらく黙り込み、やがて静かに口を開く。

 

「……ひとつ、聞いてもよろしいでしょうか」

 

「……なんだ?」

 

「朱色の十字とは、どのような方でしたか。

 私は資料でしか知らないので……」

 

エナスは、わずかに目を細めた。

 

「ああ……朱色の十字か。

 ……あの方は、本当に素晴らしい特色だった」

 

マージも頷く。

 

「ハナ協会と合同の仕事が多くて……

 いつも頼りになるベテランでした。信頼も厚くて」

 

「資料では、巨大な熱せられた十字架の剣を使う、と」

 

「ああ。初めて見た時は、正直、度肝を抜かれたよ」

 

エナスは、懐かしむように微笑んだ。

 

「だが、剣を振るえばすぐに分かる。

 あの人の剣さばきは、本物だった……

 どんな都市災害相手でも、真正面からねじ伏せるような強さだった」

 

「……特色に相応しい方だったのですね」

 

「ええ。

 ただ……無口な方で。プライベートではあまり話さなかったです。本名も、最後まで名乗らなかった」

 

クリフジは、資料庫で見た一文を思い出す。

 

「……残響楽団との戦いでは、

 幹部“血染めの夜”の眷属を一掃し……殿を務めた、と」

 

マージは静かに頷いた。

 

「“各自、任された仕事をするだけだ”……

 そう言って、私たちを逃がしました」

 

「……だから、貴女方は生きて帰れた」

 

「……ああ」

 

エナスの声が、かすれる。

 

「……だが、朱色の十字は帰って来なかった。

 ……私たちは生き残れたのに……!」

 

顔を歪めるエナスを、クリフジは真っ直ぐに見つめた。

 

「……最期、どんな様子でした?」

 

「……いつもと変わらない顔だった。

 青い残響を前にしても……恐れなんて、微塵も見えなかった」

 

「……そうですか」

 

クリフジは静かに目を閉じた。

 

「……素晴らしい方だったのでしょう」

 

「……ああ。

 それに比べて、私は……部下も守れなかった……情けない部長だ……」

 

その言葉に、クリフジの声が鋭くなる。

 

「……それは、朱色の十字への侮辱ですか?」

 

「……え?」

 

「朱色の十字は、自分よりも貴女方が生きることを選んだ。

 それは、貴女方を信頼したということです」

 

静かな、だが強い言葉。

 

「……その信頼を否定するような自己卑下は、

 彼の選択を無意味にする」

 

エナスは、息を呑んだ。

 

「……私は彼を知りません。

 ですが、少なくとも彼は“最適だ”と判断した。

 だからこそ、貴女方を逃がした」

 

クリフジは一歩引き、柔らかく続ける。

 

「……だから、エナス部長。

 まずはご自身を整えてください。体調管理も、仕事の一部です」

 

「……青紫の孤独……」

 

「……貴女は、自分を見つめ直すべきです。

 かつて1課を率いていた頃、貴女はどんな部長でしたか?」

 

その問いに、エナスの脳裏に、かつての1課が蘇る。

笑い声。軽口。支え合う仲間たち。

 

「……」

 

「同じでなくてもいい。

 新しい自分には、なれるはずです。1課の部長に相応しい人物に」

 

マージが、力強く頷く。

 

「……はい。我々は、部長について行きます」

 

「……マージ……」

 

「……今すぐでなくていい。

 いつか、自分を赦してあげてください」

 

エナスは、深く息を吐いた。

 

「……私は……1課の部長に、相応しいのだろうか……」

 

「ええ」

 

クリフジは、はっきりと答えた。

 

「少なくとも、生き残った人員は全員、

 “エナスさんが部長だ”と思っていますよ」

 

「……そうか……」

 

残響は、まだ消えない。

だが――

 

「……私も、いつか……前を向けるだろうか……」

 

「……きっと」

 

静かな確信を込めて、青紫の孤独はそう告げた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。