ハナ協会 南部1課 オフィス
南部1課のオフィスには、かつての荒廃した空気はなかった。
人の気配がある。
紙の擦れる音、端末の起動音、低く交わされる業務連絡。
それらは決して賑やかではないが、“止まっていない”という事実を雄弁に物語っていた。
オフィスの入口付近で、マージが深く頭を下げる。
「クリフジさん……本当にありがとうございました。
おかげで、1課の再建もようやく目処が立ちそうです」
その言葉には、社交辞令ではない重みがあった。
エナスもまた、机から立ち上がり、ゆっくりと頭を下げる。
「ああ……本当に、ありがとう。
君が来てくれなければ、私たちはまだ足踏みをしていた」
クリフジは、少し困ったように肩をすくめた。
「大したことはしていませんよ。
ほんの少し、横から手を添えただけです」
視線をオフィス全体に向ける。
「……ここまで来たのは、皆さん自身の力です。
いずれ、ちゃんと再建出来ますよ」
エナスは静かに息を吐き、頷いた。
「……ああ。
私たちも、いずれは――
かつての1課を、取り戻す」
その言葉は、かつての焦燥とは違い、地に足のついた決意だった。
クリフジはその表情を見て、僅かに微笑む。
「そうですか……」
一歩近づき、穏やかに言う。
「エナス部長も、ずいぶん健康そうになりましたね」
エナスは、少し戸惑ったように目を瞬かせた。
「そ、そうか……?
自分では、あまり分からないんだが……」
マージがすかさず頷く。
「ええ。
顔色も良くなりましたし、目に力があります」
「……そうか」
エナスは小さく笑い、照れたように視線を逸らした。
マージは改めてクリフジを見る。
「部長のことも含めて……
本当に、ありがとうございました」
「いいえ」
クリフジは静かに首を振る。
「私はただ、話を聞いただけです」
一歩後ろに下がり、軽く一礼する。
「それでは……私は、これで失礼します」
エナスは、少し迷った後、はっきりと口にした。
「青紫の孤独……
今回は、本当にありがとう」
マージも微笑みながら言う。
「また、いつか会いましょう」
「もちろんです」
クリフジはそう答え、扉に手をかける。
「……では」
扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。
しばらく沈黙が流れた後――
エナスは、背筋を伸ばした。
「……さて」
机に向き直り、静かに言う。
「私たちも、仕事に戻るとしよう」
マージは即座に応じる。
「はい、部長」
南部1課の歯車は、再び回り始めていた。
ハナ協会 協会長執務室
執務室に戻ったクリフジを、スピードシンボリは穏やかな笑みで迎えた。
「ご苦労さまだったね、クリフジ。
これで、少しは1課も元通りになりそうだ」
クリフジは静かに首を振る。
「私は、きっかけに過ぎません。
成果は、あの方たちの努力の結果です」
「ふふ」
スピードシンボリは楽しそうに笑った。
「それなら……そういうことにしておこう」
少し間を置いて、クリフジが切り出す。
「……それでは、私は旅に戻ります」
スピードシンボリは目を細める。
「ほう」
「まだ、都市のほとんどを見ていませんから。
知るべきことも、考えるべきことも……たくさんあります」
「そうか……」
スピードシンボリは頷き、柔らかく言った。
「気をつけてね」
「はい」
短いやり取りだったが、そこには十分な理解があった。
クリフジは一礼し、踵を返す。
扉が閉まった後、スピードシンボリは独り言のように呟いた。
「……ふふ、クリフジ。
旅の果てに、君は何を想うのかな?」
都市・ハナ協会前
ハナ協会の建物を背に、クリフジは都市の風を感じていた。
雑踏、ネオン、遠くで鳴る警報。
相変わらず、都市は騒がしく、冷たい。
だが――
彼女の足取りは、以前よりも確かだった。
「……さて」
空を見上げ、独り言のように呟く。
「次は……どこに行きましょうか」
答えは、まだない。
だが、探すこと自体が、今の彼女の旅だった。
青紫の孤独の放浪は、まだ終わらない。