A社1区 ――A社本社
都市の中心。
26区の中でも特別な区画――1区。
そこは翼の頂点、“頭”の直轄地。
そしてその巣のさらに中心に、
荘厳な建造物は存在していた。
黒曜石のように艶のある外壁。
そこに刻まれた金色のハニカムパターンが、夕陽を受けて鈍く輝いている。
それは威圧ではない。
だが、誰もが理解する。
ここが都市の心臓だと。
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調律者執務室
上層階の一室。
壁一面の書架、整然と並ぶ封印書類、外界を見下ろす巨大な窓。
その中央で、一人のウマ娘が書類を閉じた。
「……さて。書類整理はこれで終わりですね」
静かな声。
黒地に金のハニカム模様のコートを纏う少女――
マンハッタンカフェ。
A社所属、調律者。
中堅ながらも、既に幾度もの禁忌違反を粛清してきた存在。
彼女はマグカップを持ち上げる。
立ち上る湯気。深い香り。
マンハッタンカフェ「……少し、苦いですね」
一口だけ含み、ゆっくりと喉へ落とす。
飲みすぎると腹を壊すことを、彼女は知っている。
そのとき。
コン、という軽いノックもなく扉が開いた。
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アグネスタキオン「邪魔するよ、カフェ〜」
白衣を翻し、栗毛のウマ娘が笑う。
アグネスタキオン。
B社所属、凝視者。
その後ろから、機械化された片腕を鳴らしながら入ってくる。
ジャングルポケット「よう、カフェ。邪魔するぜ」
黒スーツに鋭い目つき。
ジャングルポケット。
C社処刑者。
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カフェは溜息をつく。
マンハッタンカフェ
「……タキオンさんにポッケさん。
よく来ましたね。……まあ、タキオンさんはいつも入り浸ってますけど」
アグネスタキオン
「はっはっは。今日は仕事の打ち合わせさ。
私だってね、真面目に働くときは働くんだよ?」
「本来お前が一番忙しいはずなんだけどな……」
ポケットが肩をすくめる。
「カフェの部屋だけじゃなくてC社にも顔出してるだろ」
「研究に境界線はないのさ!」
「……その境界線を越えると禁忌違反になりますよ」
カフェの言葉に、タキオンはくすくす笑った。
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調律者が動くとき、
多くの場合、凝視者と処刑者が同行する。
* 調律者:裁定
* 凝視者:監視・確証
* 処刑者:実行
それぞれ多数存在するが、
効率のため、顔見知り同士で組まれることが多い。
この三人は、長年の固定メンバーだった。
急な出動命令もある。
だが、兆候がある場合はこうして事前に打ち合わせを行う。
かつて――
伝説の特色フィクサー、
カーリー(赤い霧)に
調律者一名と処刑者二名が討たれた事件以降、
頭は“準備”を徹底するようになった。
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「さて」とタキオンが資料端末を展開する。
「現時点で禁忌違反の兆候はなし。
グレーゾーンはいくつかあるが、調律者と処刑者が苦戦する相手はいないよ」
カフェは静かに頷く。
マンハッタンカフェ
「そうですか……ではポッケさん。
違反が発生した際は、よろしくお願いします」
ジャングルポケット「おう。任せとけ」
金属の指が軽く鳴る。
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タキオンがにやりと笑った。
アグネスタキオン
「それにしても、都市最高戦力たる調律者が入念な打ち合わせとはねぇ。
よほどガリオン氏の死が堪えているらしい」
空気が一瞬、重くなる。
カフェは窓の外を見たまま言った。
マンハッタンカフェ「……あれは大きな損失でした」
ガリオン。
調律者の一人。
不純物に指定されたロボトミーコーポレーションの研究所で死亡し、
後に“ビナー”として回収対象となった存在。
「調律者は強力ですが、その分運用コストも莫大です。
一人失うだけで……頭ですら無視できない損害になります」
ポケットが頷く。
「俺ら処刑者はまだ替えが利く。
特色級相手じゃ手こずることもあるしな」
アグネスタキオン「ジェナ氏も回収に向かったが、結局は図書館を外郭へ追放するだけに留まった……」
タキオンの声が少し低くなる。
カフェは小さく呟いた。
マンハッタンカフェ
「……最近、A社内部でも問題視されています。
一部調律者の職務怠慢について」
ジャングルポケット「カフェは違うだろ」
ポケットは即座に言った。
「お前は真面目すぎるくらいだ」
「そうだねぇ。
だからこそ私たちは、安心して隣に立てる」
タキオンは紅茶の小瓶を揺らした。
アグネスタキオン
「さて、今日はこれくらいにしておこう。
次の仕事も頼むよ、調律者殿」
ジャングルポケット「またな」
二人は去っていく。
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静寂
扉が閉まる。
再び、部屋にはコーヒーの香りだけが残った。
カフェは窓辺に立つ。
都市の夜景。
規則正しく並ぶ光。
その裏に潜む無数の死。
「……私は」
小さく呟く。
「ガリオンさんのように死んだりはしません」
マグカップを持つ指先がわずかに震える。
「タキオンさんとポッケさんが殉職するようなことも、させません」
調律者は感情を排する存在。
だが彼女は、静かに決意する。
壁際に立つ影が、微かに揺れた。
都市の頂点に立つ戦力。
禁忌違反を前にしても顔色一つ変えない少女。
それでも――
彼女は一人でコーヒーを飲み、
静かに願う。
目が見つけ、足爪が裂き、頭が裁く。
その中心で。
マンハッタンカフェは今日も、
都市の均衡を守り続けている。