西部センク協会支部 ―― オフィス
白い羽根飾りのついたハットが整然と並ぶ執務室。
ペン先の走る音と、書類をめくる乾いた音が規則正しく響く。
その中で、ひときわ静かな机があった。
白地に水色のラインが入ったコートを纏った鹿毛のウマ娘
特色フィクサー――
水色の女王 アーモンドアイ。
その眉間に、珍しく皺が寄っている。
アーモンドアイ
「ふぅ……少し面倒なことになったわね……」
「どうしたんですか、アイさん? 珍しく難しい顔をして」
彼女は書類を閉じる。
アーモンドアイ
「今からしばらく南部に行ってくるわ」
「南部? ……まさか」
アーモンドアイ「ええ。12区」
空気が凍る。
「12区って……旧L社の区ですよね!? なんでまた……」
アーモンドアイ「人材派遣よ」
淡々とした声。
アーモンドアイ
「2年半前の“残響楽団”と図書館の一件で、南部の協会支部は大打撃を受けた。質が足りないそうよ」
――図書館。
あの異様な建造物が消えたあとも、南部は未だ傷跡を引きずっている。
アーモンドアイ
「それに12区は翼が不在。治安は相変わらず悪化。五本指同士の小競り合いも増えているみたい」
「センク南部支部も……」
アーモンドアイ
「ええ。残響楽団の被害で大分弱体化したわ。だから私が出る」
きっぱりと言い切る。
「でも大丈夫ですか……? 12区は未だにきな臭いって……」
アーモンドアイは立ち上がる。
アーモンドアイ「安心して。油断はしない」
一瞬だけ、瞳の奥が冷たく光る。
アーモンドアイ「……いざとなれば、私も本気で相手をするわ」
「本気って……まさか」
若いフィクサーが声を潜める。
「アイさんのE.G.O……“無窮”ですか?」
空気がさらに重くなる。
アーモンドアイはわずかに視線を逸らした。
アーモンドアイ
「それは本当に最後のとっておきよ。
普段はセンクのレイピアで十分。……ロボトミーの一件の後に手に入れたけれど、私はあまり使いたくないの」
「え? でもE.G.Oって特色でも滅多に獲得できないものですよね?」
アーモンドアイ「……色々あるのよ」
短く切る。
アーモンドアイ「話が長くなったわね。それじゃあ行ってくるわ」
白いコートが翻る。
「お気をつけて!」
彼女は振り返らない。
残されたフィクサーたち。
「……誰か見たことあるのか? アイさんのE.G.O」
「一度だけ」
一人が手を挙げる。
「任務帰りにトラブルに巻き込まれて……裏路地の夜を過ごすことになったんです」
「午前3時13分から4時34分……掃除屋の時間か」
「はい。もう死んだと思いました」
掃除屋の群れ。
無尽蔵の数。執拗な追跡。
「センクはタイマンには強い。でも数の暴力には弱い」
「それで……?」
「アイさんがE.G.Oを使ったんです」
息を呑む。
「レイピアでした。水色と白の装飾。普段のレイピアと合わせて二刀流」
「二刀流……?」
「動きが速すぎて見えなかった。掃除屋が、まるで止まって見えたんです」
開花E.G.O「無窮」
――加速。
正確には、周囲の時間を引き延ばす。
自分だけが通常速度。
世界だけが鈍化する。
一瞬が永遠になる。
掃除屋の刃が空中で止まり、
血飛沫がゆっくりと舞い、
その間を、水色の軌跡が駆け抜ける。
終わったときには、
掃除屋はすべて沈黙していた。
「あれは本当に凄かったですよ...流石特色フィクサーだと思いましたね」
「レイピアのE.G.Oか、長年センク協会にいるアイさんらしいといえばらしいが...使いたがらない理由は分からないな」
「何か複雑な事情でもあるんですかね...」
「...俺、前に1回デュランダル本部長に聞いたんだが、アイさんのE.G.Oを発現した経緯っていうのがアイさんの母親が関わってるそうなんだ」
「アイさんの母親って確か翼の元社員の...」
「フサイチパンドラさんですよね、数年前から入院してると聞いています」
その頃アーモンドアイは12区に向かう列車に乗っていた
窓の外を流れる灰色の景色。
アーモンドアイは静かに目を閉じる。
アーモンドアイ「……無窮」
呟きは小さい。
アーモンドアイ「あれは使えないわ」
指先がわずかに震える。
アーモンドアイ「あれは私の誇りに反する武器」
完璧主義。
常に自分を律し、努力で積み上げてきた強さ。
だが無窮は違う。
それは“限界を超えた先”で得た力。
――完璧ではなかった自分の証。
アーモンドアイ「……私は完璧だもの」
2年前 ―― M社13区 病院
消毒液の匂い。
アーモンドアイ「お母さん、見舞いに来たわ」
ベッドに横たわるウマ娘が笑う。
フサイチパンドラ。
フサイチパンドラ「あらアイちゃん。わざわざありがとう」
アーモンドアイ「当然よ。娘が親の見舞いに来るのは」
果物を剥きながら、彼女は言う。
アーモンドアイ「もうすぐ特色に昇格できそうなの」
フサイチパンドラ「そう……凄いわね」
パンドラは娘を見る。
フサイチパンドラ「無理してない?」
アーモンドアイ「大丈夫。西部センクの誇りとして、常に完璧でいるわ」
一瞬、言葉が詰まる。
アーモンドアイ「……そうでないと、私は……」
パンドラはそっと手を伸ばし、頭に触れた。
フサイチパンドラ「アイちゃん」
その声は優しい。
フサイチパンドラ「もし大きな失敗をしてもね――」
ゆっくりと。
フサイチパンドラ
「アイちゃんだけは、自分を信じてあげて、
自分を見失わないで」
沈黙。
アーモンドアイ「……分かってるわ」
母の入院、そしてその治療費を稼ぐ日々
責任。
焦燥。
完璧でいなければならないという強迫。
過労。
決闘での敗北。
思うようにいかない現実。
そのことを口にするのは、アーモンドアイの誇りが許さなかった
面会を終えた帰り道。
夜は深い。
午前3時を過ぎている。
――裏路地の夜。
気づいた時には遅かった。
掃除屋。
無数の足音。
刃の光。
(しまった)
センクは一対一に強い。
だが数は――
刃が肩を裂く。
血が流れる。
足が鈍い。
(負けた)
(倒れた)
(母にも心配をかけて)
(私は……完璧じゃない)
その瞬間。
世界が静まる。
音が遠くなる。
暗い水面のような空間。
そこに“声”があった。
甘美な対話
「もういいでしょう?」
柔らかい声。
「あなたは十分頑張った」
「完璧でなくていい」
「周囲のせいにすればいい」
「体が限界だったから」
「相手が卑怯だったから」
「母のせいで忙しかったから」
甘い。
とても甘い。
(楽になる)
(誰かのせいにすれば)
視界の端で、掃除屋の刃が迫っている。
「さあ」
声が囁く。
「こちらに来れば、痛みは消える」
それは、ねじれへの誘い。
自分を守るために世界を歪める道。
だが。
その時。
別の声が重なる。
優しい声。
フサイチパンドラの声。
「失敗しても、自分を信じて」
胸が痛む。
涙が滲む。
(私は完璧じゃない)
(でも)
(だからって)
(他人のせいにする私にはなりたくない)
掃除屋の刃が目前。
血が滴る。
息が荒い。
「……私は」
声が震える。
「完璧じゃなくても」
歯を食いしばる。
「完璧であろうとする私を、信じる」
世界が裂ける。
光が走る。
発現
右手に、感触。
見慣れない重み。
水色と白のレイピア。
同時に、空気が歪む。
掃除屋の動きが遅くなる。
否。
世界が遅くなる。
血飛沫が空中で止まり、
刃が静止する。
彼女だけが動いている。
心臓の鼓動が一つ、二つ。
永遠の一瞬。
「……無窮」
自分でも知らない名が、口から零れる。
踏み込む。
斬る。
斬る。
斬る。
すべてが終わった時。
時間が戻る。
掃除屋は崩れ落ちていた。
その後
路地裏に、静寂。
彼女は膝をつく。
手に握られた水色の刃。
震えが止まらない。
(これが……私のE.G.O)
勝った。
生き延びた。
だが、それは努力の延長ではなかった。
挫折の果てに掴んだ力。
「……最悪ね」
自嘲が漏れる。
完璧であろうとする自分が、
不完全さを認めた瞬間に手に入れた刃。
皮肉。
それでも。
立ち上がる。
「私は……私を信じる」
水色の刃は、静かに消えた
数週間後、アーモンドアイは特色に認定され、
そして二度と――
無窮を軽々しく振るうことはなかった。
現在
列車が減速する。
12区の荒廃した街並みが見えてくる。
アーモンドアイは目を開ける。
アーモンドアイ「……私は完璧であり続ける」
それが水色の女王の役目。
けれど心の奥で、
母の言葉が微かに響く。
――失敗しても、自分を信じて。
彼女は剣を握る。
南部は荒れている。
五本指も動いている。
そしてもし。
本当に追い詰められたなら。
世界を引き延ばし、
無窮の一閃で切り裂くしかない。
列車の扉が開く。
「……行きましょう」
水色の女王は、
再び戦場へと足を踏み出した。