都市の外には
人が踏み入れてはならない場所がある。
外郭。
都市を囲む壁の外側。
そこには異形の生物や理解不能な現象が満ちている。
だが――
その外郭の中でも
特に危険視されている場所がある。
都市最南部。
外郭と都市の境界に広がる
巨大な水域。
「大湖」
地図にも完全には記録されない湖。
その深さは不明。
広さも不明。
そしてそこには
人間の理解を超えた存在が生息している。
それを人々はこう呼ぶ。
鯨。
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エイト協会本部
協会長室。
第8協会。
エイト協会。
彼らの役割はただ一つ。
外郭および大湖の調査。
外郭と大湖は都市でも屈指の危険地帯だ。
当然ながら殉職率も高い。
数ある協会の中でも
エイト協会は特に人が死ぬ場所だった。
その協会の頂点。
協会長の机には
大量の報告書が並んでいた。
その一枚を
ゆるい姿勢で眺めているウマ娘がいる。
セイウンスカイ。
エイト協会長。
彼女は椅子の背もたれに体を預けながら
資料をぱらぱらとめくっていた。
そこに書かれているのは
大湖で確認された脅威。
その中でも最悪の存在。
五大災害。
セイウンスカイは
その資料を見て小さく笑う。
セイウンスカイ「ふーん?」
足をぶらぶらさせながら言う。
「相変わらずあいつら暴れてんだね〜」
ページを閉じる。
そして
楽しそうに呟いた。
「にゃはは、釣り上げたら面白いかな?」
その言葉に
机の向かいに立っていたウマ娘が
青ざめた顔になる。
シュヴァルグラン。
エイト協会本部長。
彼女は慌てて言った。
シュヴァルグラン「きょ、協会長……!」
声が震える。
「まさか本気じゃないですよね……?」
恐る恐る続ける。
「五大災害も……今は三大災害に減りましたけど……
その脅威は変わってませんよ……」
セイウンスカイは
軽く手を振った。
セイウンスカイ「分かってる分かってる、冗談だよ」
そして
少しだけ目を細める。
「でもさ、うちのフィクサーもあいつらにはまあまあやられてきたし」
椅子を回す。
窓の外を見る。
遠くに広がる海のような湖。
「お礼参りの一つくらい
してもいいんじゃない?」
シュヴァルグランは
小さく肩を落とす。
シュヴァルグラン「……確かに」
報告書をめくる。
「ここ数年、大湖の鯨の動きがかなり活発になっています。殉職率も……依然として高いままです」
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鯨。
それは大湖に生息する怪物の総称だ。
湖の深部に存在する
正体不明の存在。
その中でも
人間を宿主とする存在がいる。
それらをまとめて
「鯨」と呼ぶ。
そして。
鯨が人間を材料として
生み出す存在。
それが
人魚。
元は人間だったもの。
だが鯨に浸食され
別の存在へと変わったもの。
エイト協会のフィクサーが
最も多く戦う相手でもある。
そして。
その鯨たちの頂点。
五体の巨大存在。
五大災害。
だが現在は――
二体が討伐されている。
討伐したのは
ある特色フィクサー。
藍色の老人。
都市でも伝説に近い存在だった。
現在残る災害は
三体。
それでも
人類にとって十分すぎる脅威だった。
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セイウンスカイは
腕を伸ばして背伸びする。
セイウンスカイ「ふふ、久しぶりに私が出張ろうかな?」
シュヴァルグランは
椅子から立ち上がりそうになる。
シュヴァルグラン「きょ、協会長自らですか!?」
セイウンスカイは
ケロッとした顔で言う。
「だってさ、久しぶりに大湖に行きたいし。いいでしょ別に?」
シュヴァルグランは
必死に首を振る。
シュヴァルグラン「だ、ダメです!」
声が裏返る。
「もし協会長に何かあったら……僕たちはどうしたら……!」
セイウンスカイは
あっさり答えた。
「そんときはシュヴァルが継げばいいじゃん、本部長なんだし」
シュヴァルグランは
完全に固まった。
「えっ、で、でも……僕は協会長って柄じゃないし……」
俯く。
「本部長だって……」
小さく言う。
「スカイさんに流されて
就いたみたいなものですし……」
セイウンスカイは
少しだけ真面目な顔になる。
セイウンスカイ「……シュヴァル」
ゆっくり言った。
「私はね、シュヴァルの実力
ちゃんと認めてるよ」
シュヴァルグランが顔を上げる。
セイウンスカイは続けた。
「南部1課にいた頃、シュヴァルって鯨にも人魚にも
一歩も引かなかったでしょ?」
少し笑う。
「しかもさ人魚って
元は同僚だったりするじゃん」
指をトントン叩く。
「それでも容赦なく倒した、普通は出来ないよ」
シュヴァルグランは
俯いた。
「……僕は、そんな強いウマ娘じゃないんです」
手を握る。
「昔から……自分の意見も言えなくて、流されるまま生きてきて……」
震える声。
「強くなりたいと思って
フィクサーになりましたけど……」
目を閉じる。
「結局友人や同僚を守れないことの方が多い」
セイウンスカイは
少しだけ笑った。
「……シュヴァル」
優しい声。
「シュヴァルは優しいよ、私が本部長に選んだのもそこだから」
そして付け加える。
「まあ、フィクサーやるなら割り切りも必要だけどね」
軽く肩を叩く。
「辛かったら言いなよ」
シュヴァルグランは
少しだけ笑った。
「……ありがとうございます」
セイウンスカイは
いつもの調子に戻る。
「にゃはは、じゃあ今度ヴィルシーナさんとヴィブロスちゃんにも連絡しとくか」
シュヴァルグランは
目を見開いた。
「え!?姉さんとヴィブロス!?ていうかいつの間に連絡先を!?」
セイウンスカイは笑う。
「いや〜二人って今北部センク協会でしょ?ヒシアマゾン協会長経由で連絡欲しいって来てさ」
ニヤニヤする。
「シュヴァルの様子
めっちゃ聞いてくるんだよ。愛されてんじゃん」
シュヴァルグランは
顔を真っ赤にした。
「うう……恥ずかしいからやめてください……」
セイウンスカイは
少しだけ真面目な顔になる。
「家族は大事だよ」
窓の外を見る。
「都市じゃあ明日死んでても不思議じゃないんだから」
シュヴァルグランは
小さく頷いた。
「……そうですね」
セイウンスカイは
パンと手を叩く。
「よし辛気臭い話はここまで!仕事戻ろっか」
シュヴァルグランも
姿勢を正した。
「はい」
そして思い出す。
「そうだ協会長、セブン協会に依頼していた調査が終わりました」
セイウンスカイが振り向く。
「お、早かったね。どうだった?」
シュヴァルグランは
資料を見ながら言う。
「協会長が気にしていたエイハブさんの動向ですが……」
ページをめくる。
「色々あってN社に拾われたみたいです」
セイウンスカイは
少し驚く。
「N社?」
シュヴァルグランは続ける。
「現在はN社の新九人会という組織に所属しているようです」
セイウンスカイは
少し考えてから笑った。
「そうなんだ、元気そうなら良かった」
窓の外を見る。
「蒼白の鯨と戦って消息不明になってたからさ、最近目撃情報出てて気になってたんだよね」
シュヴァルグランは
苦い顔をする。
シュヴァルグラン「僕はあの人苦手でした……普段はまともなんですけど……」
少し震える。
「蒼白の鯨の話になると豹変するし……人を操るカリスマが強すぎて」
セイウンスカイは笑う。
セイウンスカイ「私は嫌いじゃなかったけどね、唯我独尊って感じでさ。都市じゃ珍しいよあそこまで我の強い人物は」
肩をすくめる。
「まああの人は善人じゃない。むしろ悪人だけど、羨ましかったんだよね」
シュヴァルグランは頷く。
「……確かに、熱量は凄まじい人でした」
セイウンスカイは資料をめくる。
セイウンスカイ「そういえば、南部6課は?」
シュヴァルグランは答える。
シュヴァルグラン「スルーセブンシーズ部長の報告では新人の半数が殉職か退職しました」
少し間を置く。
「ですが、生き残ったフィクサーは素質があると」
セイウンスカイは
あっさり言った。
「まあそんなもんだよね〜」
シュヴァルグランは続ける。
シュヴァルグラン「4課はオーシャンブルー部長が鯨の一体を狙っています、
1課もパンサラッサ部長が三大災害討伐の準備を、
他の課も問題なく活動中です」
セイウンスカイは
満足そうに頷く。
「おっけー、じゃあ引き続きよろしく」
シュヴァルグランは
深く頭を下げた。
「分かりました、協会長」
大湖の空は青く染まり、その水面は今日も静かに揺れている