A社1区 ― A社本社
都市の中心。
そのさらに中心に存在する建造物。
A社本社。
都市の住民にとって、それは実在するのかさえ曖昧な場所だった。
巨大企業「翼」の一つでありながら、同時にそれらすべてを見下ろす存在。
頭。
都市の法律を定め、
禁忌を決め、
特許を管理し、
都市そのものの秩序を保つ者。
その意志に逆らう者は――
調律される。
都市では「粛清」という言葉すら生ぬるい。
頭の用いる言葉はただ一つ。
調律。
それを実行する者たちが
調律者だった。
彼らは都市最高戦力。
だが滅多に表舞台には出ない。
通常、違反者を処理するのは
C社の処刑者――
足爪。
足爪で対処できない場合。
あるいは翼規模の禁忌違反が確認された場合。
その時初めて
調律者が出動する。
つまり――
都市の均衡が崩れる瞬間だ。
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A社資料庫
A社本社の地下深層。
そこには都市の歴史が収められていた。
書庫などという言葉では足りない。
棚は果てしなく続き、
年号、企業、禁忌違反、都市災害、特許記録、処刑記録……
都市で起きたほぼすべての出来事が
分類され、記録され、保存されている。
その静寂の中。
紙をめくる音が響いていた。
マンハッタンカフェ
「……ふぅ」
黒髪のウマ娘が小さく息をついた。
マンハッタンカフェ
指先で書類の束を整えながら言う。
「資料庫の整理も、なかなか骨が折れますね」
彼女の向かいでは
もう一人のウマ娘が箱を閉じていた。
豪奢な白い衣装。
黄金の装飾。
尊大な気配。
オルフェーヴル
「この程度、大した作業でもない」
少し不機嫌そうに言った。
「……しかし、特色フィクサーたる余に雑用をさせるとは、A社も随分と贅沢だな」
カフェは淡々と書類をまとめながら答える。
「ええ、あなたはあくまでフィクサーです」
「本来ならA社には不要な戦力ですね」
オルフェーヴルの目がわずかに細くなる。
カフェは続けた。
「A社には既に調律者と足爪がいます。都市最高の戦力が揃っている以上、フィクサーは必要ありません。ですが……」
書類を棚に戻す。
「15年前の事件がありますから」
オルフェーヴル
「……赤い霧か」
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カフェは静かに頷いた。
「ええ、15年前調律者ガリオンが赤い霧に討たれた事件。」
A社でも語り継がれる戦闘だった。
調律者。
都市の絶対戦力。
それを
フィクサーが相打ちで倒した。
頭にとってそれは
前代未聞の損害だった。
カフェ
「A社は莫大な損失を被りました。当初はその損失はいずれガリオンさんを回収することで補うつもりだったのですが、図書館の放逐と共にその目途も立たなくなった。そこで上層部は判断したんです、フィクサー協会に補填させると」
オルフェーヴル
「……」
カフェは淡々と言う。
「つまり、あなたは人質です」
資料庫の空気がわずかに冷えた。
しかしオルフェーヴルは笑った。
「気に食わぬが、興味深いA社の内部事情を知れるならこの程度は我慢してやろう」
カフェ
「……もちろん他言無用ですよ」
カフェの声は柔らかい。
だがその瞳は冷たい。
「外部に一言でも漏らせば調律対象になります」
オルフェーヴル
「分かっておる、余が選んだ契約だ」
カフェは少し目を細めた。
「そもそも、A社がどの特色フィクサーを雇うか迷っていた時。あなたが先に交渉に来たんですよ」
オルフェーヴル
「……」
オルフェーヴルは小さく舌打ちした。
「……余にも事情があるからな」
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その時だった。
資料庫の扉が開いた。
足音。
そして女性の声。
「オルフェ、ここにいたのね」
入ってきたのは一人の女性だった。
黒いコート。
金色のハニカム模様。
調律者。
ジェナ
ジェナ
「ふふ、天下の特色様が雑用してるって聞いてね。様子を見に来たの」
オルフェーヴル
「……見世物ではないぞ」
ジェナは肩をすくめる。
「意外と真面目に働いてるじゃない」
カフェは軽く会釈した。
「お疲れ様です、どうしましたか?」
ジェナ
「オルフェの回収よ、私は彼女の連絡窓口だから」
カフェ
「了解しました」
オルフェーヴルは箱を置いた。
「もう終わった」
ジェナ
「そう、じゃあ次は私の仕事を手伝って」
オルフェーヴル
「……何だ」
ジェナ
「ちょっとAI規制の禁忌に関わる資料が必要になったから持ってきてちょうだい。763年7月の棚にあるはずよ」
オルフェーヴル
「763年か……」
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資料庫の奥へ進むオルフェーヴル。
棚は迷宮のように続いている。
都市の歴史が
層のように積み上がっている。
やがて彼女は
数冊のファイルを持って戻ってきた。
オルフェーヴル
「AI禁忌なら、これだろう」
ジェナ
「正解」
ファイルを受け取る。
「助かったわ。資料作成に必要だったのよ」
オルフェーヴルは周囲を見回す。
「それにしてもこの資料庫……もはや書庫ではない、図書館だ」
カフェ
「ええ、都市の全てがここにあります。調律者の過去の仕事も」
オルフェーヴル
「ほう、貴様はどんな調律をしてきた?」
カフェは少し考えた。
「旧Q社の案件は覚えてますね、愚かにも他所の翼の特許侵害をした上に派遣した処刑者にも激しく抵抗したので私が担当責任者として調律しに行きました
ジェナは笑った。
「あの調律は見事だったわ。一切の不備もなく終わらせてたもの。ガリオンも紅茶を飲みながら褒めてたわよ。」
そして声を真似する。
「“飲料の趣味以外は素晴らしき少女である”って」
カフェは微妙な顔をした。
「嬉しくありませんね」
ジェナ
「確かにガリオンは紅茶過激派だったからね、コーヒー派のあなたとは相性悪かったわ」
カフェは小さく肩をすくめた。
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ジェナがファイルを閉じる。
「さて、戻りましょうか。A社の仕事に休む暇はない」
オルフェーヴル
「……分かった」
カフェ
「私も仕事に戻ります」
三人は資料庫を出ていった。
そして。
巨大な資料庫に
再び静寂が戻る。
都市のすべてを記録する場所。
その書棚の奥には
まだ誰も読んでいない
未来の調律記録のための
空白のファイルが並んでいた。
そこに次に記される名前が
誰なのかは
まだ――
頭だけが知っている。