ウマ娘×ProjectMoon   作:桜餅 ステラ

99 / 197
貴公子

A社1区 A社本社

 

都市を支配するA社の本社の中でも、とりわけ音が死んだように消える区画がある。

廊下を歩く足音は柔らかな絨毯に吸い込まれ、空調の低い駆動音すら遠くに霞む。

 

――五級調律者執務室。

 

そこは、都市において“判断を下す側”の人間にだけ許された静寂だった。

 

室内には、黒を基調とした簡素な調度品が整然と並び、

壁際の書架には禁忌関連文書や理事会通達が、無駄なく収められている。

 

その中央、窓際の机に腰掛けているのは――

黒地に金色のハニカムパターンが織り込まれた調律者服を纏う、一人のウマ娘。

 

栗毛の髪を後ろで緩くまとめ、穏やかな眼差しを持つその姿は、

血の匂いと鉄の規律に満ちたA社の中では、あまりにも柔らかだった。

 

「…ふぅ」

 

湯呑みから立ち上る湯気を静かに見つめながら、彼女は一息つく。

 

「今日は体調もいいし…こうして落ち着いて過ごせるのは、ありがたいね」

 

口をつけた緑茶は玉露。

舌に広がるまろやかな苦味に、彼女は小さく微笑む。

 

このウマ娘――クモハタ。

A社において極めて稀少な存在である第五級調律者。

 

一般的な翼で言えば、

五級職員とは一級フィクサー相当の実力と判断力を持つ、正真正銘のエリート。

 

それ以上は経営陣、理事会と直結する役職のみ。

つまり彼女は、現場に立つ者としての最上位に位置していた。

 

クモハタ「…やっぱり、緑茶は玉露が一番だね」

 

その穏やかな独り言を遮るように、控えめなノック音が響く。

 

コン、コン。

 

ジェナ「失礼します」

 

続いて、もう一つの声。

 

オルフェーヴル「失礼する」

 

扉が開き、姿を現したのは二人。

 

一人は、金色のハニカム模様を刻んだ黒いコートを纏う調律者――ジェナ。

もう一人は、白を基調とした豪奢なフィクサー装束のウマ娘――オルフェーヴル。

 

クモハタ「おや、ジェナ。どうしたのかな?」

 

ジェナ「少し、目を通していただきたい書類がありまして…こちらです」

 

差し出された書類を、クモハタは丁寧に受け取る。

その指先には、慣れと余裕が滲んでいた。

 

クモハタ「どれどれ…」

 

目を走らせる速度は速い。

だが決して雑ではなく、一文ごとに確実に内容を咀嚼している。

 

クモハタ「…うん、問題ないね。少しだけ待ってて」

 

ペンを取り、要点だけを的確に書き込んでいく。

その所作は流れるようで、迷いがない。

 

クモハタ「はい、これでいいかな」

 

ジェナ「ありがとうございます。休息中のところ、お邪魔してしまい申し訳ありません」

 

クモハタ「別に構わないよ」

 

そして、ふと視線をオルフェーヴルへ向ける。

 

クモハタ「…君が、オルフェーヴルかな?

A社と専属契約を結んだ特色フィクサーだと聞いているけど」

 

オルフェーヴル「ああ、そうである」

 

一歩前に出て、堂々と応じる。

 

オルフェーヴル「貴殿のことはジェナから聞いた。

A社でも数少ない五級調律者――クモハタ、であろう?」

 

クモハタ「そうだね。…まあ、五級なんて肩書きはついてるけど」

 

軽く肩をすくめ、穏やかに続ける。

 

クモハタ「やっていることは他の調律者と大して変わらないよ。事務仕事と、禁忌違反の処分。この二つさ」

 

オルフェーヴル「ふむ...だが」

 

オルフェーヴルはその場の空気を測るように、わずかに目を細める。

 

オルフェーヴル「貴殿の佇まいを見れば分かる。

マンハッタンカフェやジェナとは、明らかに格が違う」

 

ジェナ「…オルフェ?それはつまり、私を貶していると受け取っても良いかしら?」

 

低い声音でジェナがオルフェーヴルを問い詰める

 

オルフェーヴル「図書館での失態を、もう忘れたとは言わせぬぞ」

 

淡々と告げる。

 

オルフェーヴル

「無駄な長話で隙を晒すなど、愚行もいいところだ」

 

クモハタ「それは僕も同意だね」

 

くすりと笑い、紅茶ならぬ緑茶を口に運ぶ。

 

クモハタ

「慢心で死んだガリオンよりはマシだけど…

相変わらず、長話と舐めプ癖が抜けてない」

 

ジェナ「…っ」

 

ジェナが珍しく言葉に詰まる。

 

ジェナ「ク、クモハタさん…

今のわたくしは、しっかり勤務態度を改めていますので…」

 

クモハタ「ははは、冗談だよ」

 

柔らかな声で制しながら、続ける。

 

クモハタ「でもね、長話をするのはいい。

ただし――ガリオンみたいに死なれると、理事会の人たちが困るから」

 

ジェナ「…もちろんです」

 

クモハタは、今度はオルフェーヴルへと向き直る。

 

クモハタ「オルフェーヴル。

君はフィクサーだけど、A社専属になった以上は、調律者と同じ心構えで仕事に臨みなさい」

 

その言葉には、命令でも威圧でもない。

だが、拒む余地のない重みがあった。

 

クモハタ「期待しているよ」

 

オルフェーヴル「…分かった」

 

短く、しかし確かな返答。

 

ジェナ「それでは、失礼いたします」

 

二人は一礼し、静かに執務室を後にする。

 

扉が閉じ、再び静寂が戻った室内で――

クモハタは小さく息をついた。

 

クモハタ「...ふふ、中々いいコンビじゃないか」

 

湯呑みの中身を飲み干し、ふと天井を見上げる。

 

クモハタ「…それにしても、緑茶だけじゃ少し物足りないね。お団子、買っておけばよかったかな」

 

穏やかな呟きが、

都市の最上層に許された静けさの中へと溶けていった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。