魔法少女?いえ、 魔 王 少 女 ですが 作:そうだ人間、辞めよう
笹山は憤っていた。
ここ数週間、彼の完璧だったはずの計画に狂いが生じていたからだ。
原因はたった一人の小娘――神田のところの娘であるマオ。
笹山にとって、彼女は取るに足らない、いつでも踏み潰せるネズミのような存在のはずだった。だが、そのネズミが今、彼の築き上げた城の土台をかじり、崩そうとしている。
笹山は『異能者』である。
彼が持つ能力は
他者の感情を読み取り、それを何倍にも増幅させる力だ。
この力は極めて実用的で、かつ支配に向いている。
ただし、この能力には制約がある。「ゼロをイチにはできない」ということだ。
全く抱いていない感情を植え付けることはできない。だが、ほんの僅か、砂粒ほどでもその感情の欠片があれば、それを場合によっては山のように巨大化させることができる。
不安、恐怖、欲望、信仰心、そして怒り。
どんな感情も、芽生えてさえいればその思いを肥大化できる。
笹山がこの力に目覚めたのは、後天的なものだった。
かつて彼は、暴力こそが全ての裏社会に生きていた。だが、ある抗争で死の淵を彷徨い、引退を余儀なくされた時、病床で悟ったのだ。
――最前線に立って暴力を振るう者は、所詮使い捨ての駒に過ぎない。
――真の強者とは、安全な場所から駒を動かし、盤面を支配する者だ、と。
その渇望に応えるように、駒に過ぎなかった彼の中で異能が覚醒した。
彼はこの力を使い、金と権力を手に入れるための舞台装置として『信仰宗教』を選んだ。
彼の異能との相性の良さも決め手の一つだった。
自分はあくまで一番安全な所で、支配していきたい、表立って前にでる教祖などにはなりたくない。表立つという事はそれなりのリスクが生じるからだ。自分はそこから最も近いが、リスクをあまり負わない所がいい。
そこで目をつけたのが、たまたま出会った御堂という男だ。
御堂は、事故で両親を亡くした幼い
最初の頃の御堂は、決して哀れな男ではなかった。凪葵を実の娘のように愛し、笑顔の絶えない家庭を築いていたのだ。
だが、人間誰しも心の奥底には「もっと楽をしたい」「もっと金が欲しい」「誰かに認められたい」という欲がある。
笹山は御堂に近づき、親身な友人を装いながら、その小さな欲の種に水をやり続けた。
『御堂さん、あなたの娘には特別な才能がある』
『凪葵ちゃんのためにも、もっと良い暮らしをさせてあげるべきだ』
囁きと共に異能を発動し、御堂の承認欲求と金銭欲を極限まで肥大化させた。
結果、良き父だった御堂は、娘を歪んだ愛情で束縛しそれを金に変える『教祖』へと変貌した。
次に必要だったのは、熱狂的な信者だ。
これも簡単だった。悩みを持つ人間に近づき、凪葵を「神の子」として紹介する。そして裏から異能を使い、彼らの縋りたいという気持ちが芽生えた瞬間を逃さず、それを「盲信」へと増幅させていった。
さらに、凪葵が触れた瞬間に信者の「治った気がする」「救われた気がする」という高揚感を爆発的に増幅させることで、偽りの奇跡を演出した。
仕上げは、神子である凪葵自身のコントロールだ。
凪葵に関しては効かないと事はなかったが、異能が効きづらくはあった。
なのでより確実性を持たせるため、別の方法でゆっくり丁寧に時間をかけて行った。
父である御堂には凪葵を束縛するように仕向け、逃げ場をなくす。
その一方で、笹山自身は「唯一の理解者」として優しく接し、飴と鞭で精神を絡め取った。
結果、凪葵は完全に心を閉ざし、言われるがままに奇跡を演じる金儲けのための人形へと成った。
――はずだった。
ここ数週間、壊したはずの凪葵の精神に、回復の兆しが見え始めたのだ。
死んだ魚のようだった目に、微かな光が戻っている。
調査の結果、一人の少女が頻繁に凪葵の部屋に出入りしていることが判明した。
神田真緒。
笹山は当初、すぐに排除できると考えていた。
あの小娘にも『
恐怖や不安、あるいは信仰心。何でもいい、心の隙間にある負の感情を増幅させて、精神を崩壊させてやろうとした。
だが――効かなかった。
いや、正確には「増幅させるべき負の感情」が見当たらなかったのだ。
あの娘の心は、異常なほどの強固な謎の信念で埋め尽くされており、他者が付け入る隙が一切なかった。
『1』がなければ、倍率を掛けることはできない。増幅させる種火すらない完全燃焼した魂。笹山にとって、あのような手合いは初めてだった。
そうこうしているうちに、凪葵の心は癒やされつつあった。
このままでは、人形が意志を持ってしまう。
焦った笹山は、強硬手段に出ることにした。
自分の築き上げた「優しい笹山さん」という仮面が剥がれるリスクはあったが、背に腹は代えられない。
彼は御堂に告げ口をした。
あることないこと、毒をたっぷりと混ぜ込んで。
「凪葵さまは、外部の人間にそそのかされて、教団を……いえ、あなたを裏切ろうとしています」
そしてそこで芽生えた御堂の「疑念」と「怒り」を、限界まで増幅させることに成功した。
◇
数日後。
凪葵は、いつものようにマオを待っていた。
約束の時間。窓の外を見て、少しの物音にも耳を澄ませる。
けれど、その日、マオは来なかった。
最初は、体調でも崩したのかな、程度に思っていた。
だが、翌日も、その翌日もマオは現れない。
一週間が過ぎ、二週間が経った。
今までは、どんなに忙しくても顔を見せてくれていたのに。
(マオちゃんに、何かあったのかな……)
不安が募る。
凪葵は、珍しく勇気を出して、ふらっと現れた父・御堂に聞いてみることにした。
できるだけ何気ない調子を装って。
「あ、あのさ、お父さま。……神田さんの娘さん、最近見ないけど……元気にしてるのかな? 神田さんご本人も見かけないし」
その名が出た瞬間、御堂の手が止まった。
彼はゆっくりと凪葵を見下ろした。その目には、どす黒い感情が渦巻いていた。
「……あぁ、神田の娘か」
御堂は吐き捨てるように言った。
「あの娘は、なんと恐れ多いことに、神の子であるお前に私に無許可で近づき誑かそうとしていたらしいじゃないか!!……本当にあり得ん娘だ」
「え……?」
「だから、神田の母親には一時的に出禁を言い渡した。そして、その娘に至っては永久出禁だ。二度とここを跨がせることはない」
ここに来ないという事は、ここに居るしかない凪葵にとって一生会えないことを意味していた。
さっき、「――らしいじゃないかと」御堂は言っていた。まるで誰かに聞いた口ぶりだった。
「そ、それ……誰が言ったの? 誰がお父さまにそんなことを……」
「笹山さんだ。彼が報告してくれた」
「――――ッ」
凪葵は息を呑んだ。
笹山さん。
あの優しかった、理解者だと思っていた人が。
その時、部屋の入り口に気配があった。
いつの間にか、笹山がそこに立っていた。
「さ、笹山さん……!」
凪葵は縋るように彼を見た。
嘘だと言って欲しかった。父の誤解だと、庇って欲しかった。
「私の味方をしてくれるんじゃなかったの!? マオちゃんは悪い子じゃない、ただの友達で……!」
しかし、笹山の口から出たのは、氷のような言葉だった。
「お言葉ですが凪葵さま。あのような素性の知れぬ者を招き入れるなど、神子としての自覚が足りません」
抑揚のない、事務的な声。
そこに、あのココアを淹れてくれた時の温かさは欠片もなかった。
「あいつは凪葵さまに危害を加え、教団の規律を乱そうとした不届きものです。あなたをお守りするためにも、教祖様にお伝えする必要があったのです」
「う、うそだ……守るなんて……あなたがチクったせいで、マオちゃんは……!」
凪葵の中で、絶望が怒りに変わろうとした。
彼女は立ち上がり、笹山に食って掛かろうとした。
その瞬間。
「黙りなさいッ!!!」
空気が爆ぜるような怒号が飛んだ。
御堂だった。
彼は鬼のような形相で、凪葵の目前に迫っていた。
「いい加減にしろ凪葵! 笹山さんはルールを守っただけだ! お前を思っての行動に、何という口を利くんだ!」
ドゴォッ!!
御堂の拳が目の前にあった壁を叩いた。
「ひっ……!」
凪葵はその迫力に気圧され、腰を抜かし、床にへたり込んだ。
恐怖で喉が引きつり、声が出ない。
父の顔が、見たこともない化け物に見えた。
「……チッ」
御堂は怯える娘を見て、舌打ちをした。
そして次の瞬間、様子が一変する。
「……ああ、すまない凪葵。俺もお前を怒りたくはないんだ」
御堂の声色が、気味の悪い猫撫で声に変わった。
彼はしゃがみ込み、震える凪葵の肩を優しく、しかし逃げられない強さで抱いた。
「お前は神子なんだ。特別な存在なんだよ。決まった時間に私達が指定した人物以外の下賤な人間と関われば、お前の清らかな魂が汚れてしまう。分かるね?」
「……」
「今後はこんなことにならないよう、自制するんだぞ。……お前は本当はいい子なんだから」
御堂は満足そうに凪葵の頭を撫でると、部屋を出て行った。
笹山もまた、一瞥もくれずに後に続く。
バタン、とドアが閉まる。
部屋に残されたのは、壊れた人形のように動かない凪葵だけだった。
信じていた友を奪われ、信じていた大人に裏切られた。
マオが繋ぎ止めてくれていた心の糸は、無残にもプツリと切れてしまった。
(……もう、いいや)
凪葵の瞳から、光が消えた。
期待するから辛いのだ。信じるから裏切られるのだ。
最初から何も感じなければ、心なんてなければ、こんなに痛むこともない。
凪葵は、心を殺した。
◇
翌日。
『久遠の明かり』のメインホールは、いつものように熱気に包まれていた。
数百人の信者たちが、祭壇に座る「神の子」の奇跡を待ちわびている。
祭壇の椅子に、凪葵は座っていた。
豪華な衣装に着飾られ、化粧を施されたその姿は、確かに神々しい。
だが、その瞳はガラス玉のように虚ろで、何も映していなかった。
祭壇の脇で、笹山はほくそ笑んだ。
(完璧だ)
昨夜のあれは効果覿面だった。凪葵は以前に戻るどころか、さらに従順で、無機質な「操り人形」になった。
邪魔なネズミも排除した。
(これでもう、俺が築き上げたこの城を揺るがすものは何もない……)
「さあ、悩める子羊よ。神子さまの御手により、救いを受け入れるがよい」
御堂の厳かな声が響き渡る。
一人の信者が、涙ながらに祭壇へと進み出た。
「神子さま……どうか、どうかお救いください……」
凪葵はゆっくりと立ち上がった。
何も考えず、何も感じず。ただプログラムされた機械のように、右手を信者の頭へと伸ばす。
(これをやれば終わる。今日も、明日も、明後日も。死ぬまでずっと、この繰り返し)
凪葵の手が、信者の額に触れようとした、その時だった。
ガシャァァァァァァァァンッッ!!!
突如、ホールの静寂を切り裂く轟音が響き渡った。
天井近くにある、明かり取りのための巨大なステンドグラスが、外側から粉々に砕け散ったのだ。
「な、なんだ!?」
「ガ、ガラスがッ!?」
信者たちが悲鳴を上げ、ホールは大混乱に陥る。
砕け散った硝子の破片が、外から差し込む光を乱反射して、まるで星屑のようにキラキラと舞い落ちる。
そして、ぽっかりと空いた窓枠の向こうには――
視界を覆い尽くさんばかりの、巨大な『満月』が鎮座していた。
その黄金色に輝く月を背負い、一つの人影が立っていた。
逆光で顔は見えない。
だが、月をバックライトにして浮かび上がるそのシルエットは異様だった。
漆黒の軍服に身を包み、肩には金色の装飾。背中には、夜の闇を切り取ったような長いマントが、侵入してきた夜風に煽られてバサバサと翻っている。
重力を無視するように、その影はふわりと宙を浮いている。
凪葵は、呆然とそれを見上げた。
美しい満月と、舞い散るガラスの破片。そして、その中心に君臨する黒い影。
時が止まったかのようだった。
人影は、軍帽のつばに手をかけ、ゆっくりとそれを持ち上げた。
月明かりに照らされて現れたのは、不敵な笑みを浮かべた少女の顔。
そして、その瞳は獰猛な肉食獣のように、祭壇の上の凪葵を真っ直ぐに射抜いていた。
「――もうやめたまえ」
よく通る、凛とした声がホールを支配した。
マイクも使っていないのに、その声は数百人のざわめきを圧倒した。
「己で己の心を壊すことなど、やってはならぬ。
お前はお前の生きたいように生きるが良い」
少女はニカッと歯を見せて笑った。
背後の満月よりも眩しく、この澱んだ空気を一瞬で吹き飛ばすような、強烈で、傲慢で、そして最高に頼もしい笑みだった。
「そうだろう? ――我が同志よ」
凪葵の虚ろだった瞳に、強烈な色彩が戻ってきた。
「……マオ、ちゃん?」
そこにいたのは、追い出されたはずの友人。
しかし、普段とは様子が違う。
月を背に降り立ったその姿は、かつて凪葵が言った『国を統べる女王』を体現して――いや違うこの表現は的確ではない。
そこにいたのは圧倒的な威厳を備えた『魔王』だった。