伝説語りのニルヴァード――人工知性と歩む冒険譚 作:健康な人(ハーメルン)
浅い水を湛えた廃村は、人が歩けばぱしゃりぱしゃりと音がする。
しかし現在、廃村の中に響いているのは、そんな軽い音ではなかった。
がしゃり、がしゃりと。
水を踏みしめる音よりも低い、金属がこすれ合う不気味な足音が廃村に静かに響いていた。不気味なその足音は、三人の息遣いを飲み込みながら、静かな水面を緊張で小さく揺らしているようだ。
『――来ました。近いです』
クロードの声に、三人の表情が引き締まる。
今回、最も違うのはその配置だ。
前回はニルがステラを庇う形であり、ガルスが一人離れていた。
しかし今回は、ニルとステラも少し離れている。ステラとガルスが少し近く、ニルが僅かに離れている不等辺三角形の配置だ。
先ほどの推測を踏まえ、まずはゴールが「誰を狙っているのか」を炙り出すつもりの配置。
「いいか、まずは仕掛けずに様子を見るぞ?」
「分かってる、ニルも焦って動くなよ?」
「お前は飛び出せる準備はしとけよ。ステラもだ。危ないと思ったらすぐに奥に逃げろ。建物の中にいるのも危ないから、逃げた次はなるべく早めに建物から出ろよ?」
「了解しましたっ」
ニルは廃屋の中から見繕った投擲武器を幾つか身に着けていて、何時でも飛び出せるように武器の位置を確認しながら長剣を構え。ガルスはステラの位置を目で確認しながら、双短剣を握っている。ステラは建物の入り口で半身になる様に身を潜めているが、そこにいるのは分かるようになっている。
――そして。
廃屋の陰から、鎧姿が現れた。
ゴールは、ゆっくりと歩を進める。
その歩みはニルでも、ガルスでもなく――ステラへと、真っすぐと向けられていた。
「私ですかっ」
「俺じゃなくてステラか」
「嬉しくない方に当たったな」
ゴールは、ゆっくりと歩みを進める。
ゆっくり、ゆっくりと。
ガルスとニルなど目線に入っていないように、何かを求める様に「手」を伸ばしながら、がしゃりがしゃりとゆっくり歩む。
「ゴールさん……」
そんなゴールを見るステラの表情が揺れる。
不安? 恐怖? それとも憐憫で? 胸を締め付ける様な、あるいは胸から溢れる様なその感情に名前を付ける事が、ステラにはできない。
しかし、なぜかは分からないけれど。
頭が何かを考えるよりも早く、ステラは自覚のないまま一歩を踏み出してしまっていて。
「まて、気持ちは分かるがまだ飛び出すな」
そんなステラを、短剣を持ったままのガルスが窘める。
――その動きは、まるで――短剣を使って、ステラを廃屋の奥へと押し込める様にも見えて――
「バカっ! お前ら二人とも、動くなって――」
――ゴールの視界には、果たして何が映っていたのだろうか――
伸ばした伽藍洞の手を阻む、武器を持った男。
暗闇へと押し込まれる、少女の面影。
――それがまるで、奪われるようで――
『ッ! 対象に熱エネルギー反応ですっ!』
――ニルの言葉が、意味になるよりも早く。
焦ったようなクロードの声音が、静寂を切り裂き。
鉛色のゴールの周囲に、チリッ、と火の粉が舞い上がった――
真っすぐにステラに向けられていた兜が、少しだけ動いてガルスを見る。
ステラに向かって伸ばされていた「手」が、音もなく降ろされる。
代わりに、ゴールの周囲に火の粉が舞い始める。
火の粉の正体は、先ほどまでゴールの鎧にこびりついていた錆。チリチリ、チリチリと。空気が弾けるような音と共に、錆が火の粉に代わっていく。
枯れた血管のようだった鎧の罅割れから、鮮血のように真っ赤な炎が吹き上がる。
――まるで抑えきれない激情が燃え上がったかのように、ゴールは無造作に腕を振ろうとして――
「二人とも、そこから離れろ! 絶対なんか来る!」
返事はない。
ニルが言い終わった時には、既にガルスもステラもその場を離脱していた。
そして二人が逃げるの少し遅れて、ゴールの腕が振り抜かれる。
――次の瞬間に具現していたのは、火の粉を纏った赤熱する鎖の振り下ろしだった。
湖畔での遭遇時にニルに振り下ろした、怪力に依った物理現象ではない。
赤熱する鎧から噴き出した真っ赤な炎が、鎖の形で編み込まれている。質量など存在しない筈の炎の鎖が、確かな重さを持って、廃屋の一角を粉砕した。
頑丈に見えた石壁をクッキーのように粉砕し、さらに次へ。
回避行動を取ったガルスに追撃を仕掛ける様に、ゴールはもう一本の腕を振りかぶって――
「させるかっ!」
――腕が振り下ろされるよりも早く、ニルが投げた手斧がゴールの腕を少しだけ押してタイミングをずらした。
それによって生まれた猶予でガルスは鎖の成功に回避し、危険な状況を脱出する。
「助かったぜ、ニル!」
「さっさと構えろ! 次が来るぞっ!」
――ゴールは無言のまま、赤熱する炎の鎖を振り回した。
ガルスへの追撃を阻まれたからか、それとも――ステラが視界から消えたからか。
無言のままに、ゴールは狂ったように炎の鎖を振り回す。
ニルとガルスは回避を続けるが、炎を纏った鋼の連撃が反撃も距離を詰めることも許さない。赤熱する鋼の暴威が、水を湛えた美しい廃墟の一角を瞬く間に無惨な瓦礫へと変えていく。
『これは……熱エネルギーが運動エネルギーに変換されている? いや、運動エネルギー自体が質量を獲得している? 変換ルートが一つではない? エネルギーの保存方法が既存法則とは違う可能性が? しかし、あの鎧にはエネルギー反応はない。大本の熱エネルギーはどこから発生して……』
クロードが目の前の現象を理解しようと高負荷のスキャンを実行しているが、原理が理解できないらしく混乱している。
「クロード、説明は大体魔法だからで済むっ! 何とかして突っ込むから、サポート頼むぞっ!」
『――了解しましたっ!』
「ガルスも合わせろ! 同じことを二回やれるか分からん!」
「というか、長期戦は無理だ! さっさと決めないと俺が死ぬ!」
「そう言ってるうちは大丈夫だ!」
ガルスへの攻撃は執拗だ。
ニルへの攻撃が牽制程度だとするなら、ガルスへのそれは明らかに攻撃頻度が多い。それでもガルスが死んでいないのは、距離があったからだ。ニルよりも回避が得意ではないガルスではあるが、流石に距離が離れている状態での鎖の振り回しには、そうそう当たらない。
しかし一発一発が廃屋の一角を簡単に粉砕する暴威を纏った鋼の旋風の回避は神経を使い、そう長く受けきれるものでもなかった。
「とりあえず、食らっとけッ!」
タイミングを見計らっていたニルは、ガルスに鎖が二本向かったのを確認して、廃屋から回収した投擲武器――
錆が浮かんだボロボロの刃に切れ味など期待できないが、質量任せの衝撃に衰えはいささかも見られない。空気を引き裂く飛翔する二つの錆鋼が、猛威を振るう炎鎖を巻き込み、ぬかるむ地面に縫い付ける。
「もう一丁ぉッ!」
追加で、さらにもう一撃。
「ここにゴールが軸足を持ってこられると、ニルの動きが潰される」場所に向かって前もって刃を投擲しておき、ニル自身は長剣に手をかけながら凄まじい速度で距離を潰す、一人で行う連携攻撃。
――ニルの方を振り向いたゴールに、ニルが放った最後の刃は当たらない。
つまりは、ニルの戦闘センスで対処できる反撃しか来ないという事――
ゴールの動かした炎鎖は、水面に潜んだ大蛇が飛び出すようにニルを襲う。
しかしその攻撃を、ニルは水面すれすれを滑るように体勢を低くして回避する。
いや、それだけでは終わらない。踏み込んだ勢いをそのままに地面を蹴って、倍する速度で鋼の長剣を振り上げる。
「オォ、らぁッ!」
――ギィイン、と。
掌から痺れが伝播するような衝撃と共に、ゴールの片腕が跳ね上げられる。
「ナイスだ、ニルッ!」
作れた隙は僅か。おそらく、1秒にも満たない小さな物。
しかしニルを信じて機を窺っていたガルスにとっては十分だった。ゴールが背を向けた瞬間に
「るおぁぁああアッ!!!」
裂帛の気合と共に、ガルスの剛腕が振るわれる。
ゴールの短剣が歪まないのを良い事に、短剣の取り回しの速さで斧の破壊力に匹敵する一撃を連打する。ゴールが動いたら危険だと言うのならば、動かさなければ問題ないと言わんばかりに。
腕が動く前に、肩を打つ。
足が動く前に、腰に打ち込む。
吐き出される連撃は息継ぎを求めるどころか、爛々と宿る気炎によって衰える事なく天井知らずに回転速度を上げ続ける。しかし――――
――本質的なところで、ゴールにはその猛攻が通じていない。
ガルスの打ち込みは、ゴールの機先を完全に制して一転攻勢の様相を呈しているものの、そのどれもが鎧の防御力を完全に抜く事ができていなかった。
鎧はガルスの攻勢によって歪み、へこみ、切り込まれている。しかし、全ての傷が浅い。炎を拭き出してからのゴールの鎧は、再生速度も目に見えて上がっている。傷はついているが、それで終わりだ。
ここまでやって、ようやく互角。それが現状の全てであった。
そしてガルスの猛攻の前に、ゴールが防御態勢を取った。その瞬間――
『――対象のエネルギー反応が増大!? 二人とも、離れてください!』
「なっ――!?」「――んだとぉ!?」
――ゴールの鎧が、爆発した。
クロードの観測は、しかし猛攻を仕掛けていたガルスには間に合わなかった。
ニルは顔を覆って耐えられたが、攻撃に全力を振り絞っていたガルスは防げない。
ゴールを中心に発生した爆炎が、弾けた空気が。重たい熱風と衝撃となって、ガルスの全身を舐め上げる。
「――ぐぉ!?」
「ガルス!?」
猛攻の隙間に作り出した空白を、ゴールは見逃さなかった。
素早い動きで拳を真横に凪ぐ。
ガルスは双剣を交差させるようにしてその一撃を防ぐものの、体ごと大きく吹き飛ばされて距離を離される。
蒸気を上げながら揺れる水面の中心に立つゴールは、更に姿を変えていた。
鎧の溝から噴き出す炎は更に勢いを増している。
胴体部分を中心に炎を噴き上げるその姿は、まるで炎で編まれたサーコートを着込んだかのようで。肩辺りから足元に向かって噴き出す炎の滝は、爆炎のマントを背ったような、猛々しくも荘厳な威容を示している。
『観測可能な熱エネルギーだけでも、炎の鎖を出現させた際の2、いえ、3倍の出力値です! 上昇継続中! ニル、これは流石にっ……!』
「こりゃ無理だな……」
明らかに焦っているクロードに対して、ニルは一周回って冷静になっていた。
形式上は剣を構えて警戒してはいるのだが、これは流石にどうにかできるヴィジョンが浮かばない。既にニルの思考は勝利を諦め、どうやってゴールから逃げるのかを考え始めていた。
「おいガルス、死んではないだろ! 逃げられるか!?」
「いや、すまん! なんかそれどころじゃねぇ!?」
勝てないと思いつつ、ゴールから視線を切る訳にはいかずにニルはガルスに大声で問いかけた。
「この状況以上にそれどころじゃない事なんか、あるわけ――」
そしてニルは、チラリとガルスの方を向いて。
一瞬で、ガルスの言葉の意味を理解した。
――ガルスがゴールの一撃を受けた短剣が、脈打つように炎を吐き出している。
ゴールの鎧の罅割れから、炎が噴き出した時のように。
ガルスの持つゴールの短剣の溝からも、炎が吹き上がっている。
まるでゴールの一撃によって、消えていた炉に火が入ったように。
「――おいっ、どうなってんだよ!」
「こっちが聞きてぇよ! ゴールの一撃受けたら、いきなりっ!」
ガルスの魔力が、短剣に吸い込まれていく。
ニルには炎が激しくなったようにしか見えなかったが、ガルスからするとそれどころではない。体が軽くなったのではないかと、錯覚するほどの勢いで魔力が減って、重たい短剣に引かれるように、がくりと膝が落ちそうになる。
「おおおおおぉぉぉッ!?」
まるで、脈打つ爆弾だ。
ドクンドクンと血液を拭き出すように炎が震えて、徐々に立ち上りが激しくなる様子が、臨界点を越えようとしていることを物語る。
「ガルス、ゴールに投げろ!」
――ニルの言葉と同時に、ガルスはゴールに向かって二本の短剣を投擲していた。
ニルが行ったように、どこかを狙おうとした訳ではない。
だがニルもガルスもクロードも、この後に何が起こるかの考えは一致していた。
『伏せてください!』
クロードの言葉とほとんど同時に、ニルとガルスは地面に伏せていた。
――瞬間、廃村を揺るがす轟音が響き渡る。
水面が、廃村が。
森が、震えた。
耳をつんざく轟音と衝撃が、崩れかけていた廃屋を揺らして倒壊させていく。
耳鳴りがするほどの轟音と全身を叩きつける衝撃は一瞬で収まると、ニルは顔を上げた。
頬には熱い熱風が残り、視界は舞い上がった粉塵と蒸気で悪いままだ。しかしそんな状況でも、爆発の煙の中からは鉛色の威容が音もなく現れているのはすぐに分かった。
あれほどの爆発を至近距離で受けたにもかかわらず、その鎧に目立った傷一つない。
――ゴールは、揺るがない。
村を揺るがす爆発の中から当たり前のように無傷で飛び出して、ニルとガルスとの距離を詰め――――
『ニルッ!』
――クロードの悲痛な叫びを無視するように、ゴールはニルの横を通り過ぎた。
ゴールの視線は、ニルを映していない。
ゴールは、ただ一点――崩れかけた廃屋を見ていた。
「ステラッ!?」
ニルたちが戦闘をしていた間に、移動していたのだろう。
ステラは崩れかけた廃屋のすぐそばに隠れていたらしいが、先ほどの爆発で廃屋が崩れかけていた。積まれた石積みがぐらりと揺れて倒れかけ、今まさにステラが押し潰されそうになっている。
「逃げろっ!」
咄嗟に声をかけるも、ステラも揺れの衝撃で座り込んでしまっている。その姿からでは即座の回避が不可能だと、ニルの感覚が告げていた。
――終わった。
誰もがそう思った、その瞬間。
そんなステラを庇うように、ゴールが崩れ落ちる瓦礫の前に立ちはだかった。
小さな少女など簡単に押し潰してしまえる量の瓦礫がガラガラと重たい雪崩となってゴールの背中を打ち付ける。鉛色の鎧は鈍い音を立てながら衝撃を受け止めており、手を広げたゴールはまるで足が杭にでもなっているように小動もしない。
「ゴール……さん……?」
へたり込む様な格好になりながら、ステラはゴールを見上げた。
見上げるゴールの鎧からは、既に炎が消えかけていた。
再生も、ゆっくりとしたものになっている。
瓦礫の雪崩を受けてへこんだ鎧は再生を続けているが、その速度は先ほどまでとは比べ物にならない程の、緩やかな物で。
「――――――」
ゴールは、ステラの言葉に何も返さない。
ただ、「手」を。
無骨な鉛色の「手」を、差し出していた。
出会った時から。あるいは、ステラという少女を一目見た時からずっと、そうしていたように。
「ゴールさん。これ……」
服の汚れも気にせずに、立ち上がったステラが、懐から神の酒を差し出した。
そしてゴールが差し出した「手」に握らせるように、神の酒と共にゴールの手を握り込み。ステラの掌に包まれた鎧の手が、小瓶を包む。
――同時に、静かになっていく。
赤熱していた鎧が、鉛色に冷えていく。
鮮血のように真っ赤な炎が、消えるようにゆっくりと凪いでいく。
「……ゴールさん」
ステラの声に。兜が少しだけ、上を向いた。
「私は――」
何故だか、言葉が続かない。
胸が詰まって仕方ない。
それでも、彼女は口を開く。つんとする鼻筋と瞳から流れた一滴と共に、透明な言葉が零れていた。
「お疲れ様……ありがとう、ございます」
少女の言葉と共に、重たい鎧が膝をついた。
鉛色の鎧はもう、動かない。
安らかに、眠るように。
長い任務を、ようやく終えたように――――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――ああ、これが。これが、探していたもの。
主は。主が。
微笑んでいる。
無事な、元気な姿で。
――良かった。
最後の熱が抜ける。
軋みが止まる。
果たされた。
――いつかの、約束が。