伝説語りのニルヴァード――人工知性と歩む冒険譚 作:健康な人(ハーメルン)
『ニル、ですね。覚えました。絶対に忘れません』
ニルは返事をしようとして、わずかに言葉を失った。
覚える。絶対に忘れない。
そんな重みのある言い方をされるとは思っていなかった。変わらず画面から発される光が妙に暖かく感じるのは、きっと温度の話ではない。
「約束だぞ?」
そしてニルは、少しだけ照れながらそう言った。古びた画面――その向こう側に向かって、友人に話しかけるように。
この挨拶こそが、きっと「クロード」にとって「ニルヴァード」との、本当の意味での初めての出会いだったのだろう。それを、お互いに気付かなかったとしても。
『では、お願いします。ニル。経路の詳細を表示します』
ニルはもう迷わずに、頷くだけで応えた。
今は時間が惜しい。
『まず、この部屋を出て右へ15メートル。
崩れた柱の向こうに、整備用シャフトの入口があります。
扉は手動開放レバーで開きます——左側の壁、床から80センチの位置です』
クロードの指示を頭に叩き込む。
目の前の画面には、残された寿命を出力する様に文字が流れ続けている。
『シャフト内には非常灯が残っているはずですが、期待しないでください。
降下用のハシゴは腐食している可能性が高いので、慎重に。
第五層に到着したら、また指示を出します』
『残り稼働時間: 7分45秒』
クロードと会話している画面の横半分が変わる。
剣を分析していた文字列は既に見えなくなっており、残り時間を表示するカウントダウンが大きめの文字で表示されていた。
当たり前のことだが、こうしているうちにも残された時間はどんどん減っていく。
『急いでください、ニル』
「そうする方がよさそうだな」
『私は、中枢区画で待っています。――あなたが来てくれることを信じて』
文字の表示が止まり、今度こそ画面が待機状態に戻る。
部屋に残るのは、不規則に光を失った古びた端末だけ。
足元から聞こえる砂を擦る音すら大きく聞こえる静寂が戻ると同時に、ニルはクロードが消えてしまったような錯覚を覚えた。
――その感覚は、少なくとも今はまだ錯覚だ。
胸にあったような気がする不安を吐き出すように、少しだけ大きく深呼吸をする。
ならばやるべきことは、既に決まっている。
「気を付けてと言ってたが、まあ俺なら何とかできるだろ」
ニルは苦笑しながら、腕の傷の止血を終える。
これからやろうとしている事を想像して、少しだけきつめに縛っている。
そうして先ほど背負い直した大剣の固定具合を確かめて、問題ない事を確認する。ある意味ではこれが、今からやろうとしていることの生命線だ。
そうして 最後に軽く体を伸ばし、会話続きで固まっていた体をほぐす。
「ルートに魔物が居ないなら、問題ない」
最後に表示された残りの時間は7分45秒。
実質的なタイムリミットは、更に短いだろう。しかし、ニルは焦らない。焦ってはことを仕損じると、意図的に熱を吐き出し思考を回す。
「――さて、いくか」
ニルは背負った大剣の重みを確かめるように軽くひざを曲げると、部屋を出て一気に駆け出した。
魔力に適応する事で強化された脚力は、15メートルという距離をほんの一瞬で潰していた。瓦礫を飛び越え、崩れた床を駆け抜ける、素早い身のこなし。
一気に駆け抜けた視界の端で、目印の崩れた柱が見えた。
見つけた扉の前で急停止するも、ニルは息一つ乱れていない。
手動レバーを引き、整備用シャフトが開いた。
扉を潜って見えた内部は、黒い縦穴だった。
非常灯がちらつき、ハシゴは腐食して跡形もない。
――なるほど、確かに。まるで巨大な鋼の怪物が口を開けているように見えなくもない。
「――俺ならいけるか」
しかしニルは、ぽっかりと開いたその暗闇に向かって、迷わず飛び込んでいた。これで時間の問題は解決できると、己を信じて。
――そして瞬間、ニルの全身を浮遊感が包んだ。
ヒンヤリしていただけの空気が、冷たい風となって頬を叩く。
視界が暗闇に呑まれるが、ぽつりぽつりと点在する非常灯は怪物の食道を照らすように、シャフトの壁を明滅しながら照らしている。
壁が迫り、出っ張りを蹴る──自由落下の速度と軌道を、人の意思で変える。
右側の補助板に軽く触れると、腐食が激しく軋みを上げた。
――そして踏み込もうとした金属板が、バキリと折れた。
「っ」
ニルは支えを完全に失ってしまう前にそれを踏み抜き、寸前のところで体勢を崩すことなく通過した。落下していく金属板が、闇に呑まれる。
――そしてその先から、音が聞こえない。
底からの反響音がない。それが底がまだまだ深いことを想像させて、金属板を踏み抜き進めた安堵と共に、冷たい予感となって背筋を這い上がった。
落ちれば、即死だ。しかし、落ちなければならない。
その事実だけを噛み締めて、大きくなりそうになる感情に蓋をして小さく呼吸を整える。
――しかし次の瞬間には、しっかりした手すりらしきものが見えた。
今度は大丈夫だと確信を持ち、ニルは手すりで少しだけ勢いを殺す。
落下速度を一段階殺しながら、しかし次の瞬間には急がなければと再び闇の中へ飛び込んだ。
暗闇の下からガシャンと何かが響く。
──底が、見えた。
ニルは壁面を削るように足裏で摩擦を使い、最後の速度調整を行う。
時折ばきばきと腐った設備を壊して速度を落としながら、十分に減速したところで、壁を強く蹴り宙に飛び出す。
そして、底にたどり着いた。
膝を使っても殺し切れない衝撃が、足裏から全身へと落下する以上の速さで一気に駆け抜ける。膝で衝撃を吸収して砂煙が舞い上がると共に、勢いが完全に停止する。
ニルの胸にある心臓は、疲労ではない理由でバクンバクンと跳ねている。
「……よし。流石俺だな」
衝撃とは違った理由で止まっていた息を継ぐように。あるいは自分自身に言い聞かせるようにそう呟いたニルは、シャフトを下り切っていた。
指示が間違っていないのであれば、ここが第五層の筈である。
さて、クロードの端末はどこにあるのか、と。
そんな風に考えたニルが周りを見渡そうとすると、扉の傍にあった一つの端末が起動するのが目に見えた。
『――ニル?』
「ああ、俺だ。どうだ、早かっただろ?」
得意げに笑うニルに応える様に、端末に文字が流れる。
『到着時間:1分25秒』
最初に表示された文字がそれであったことが、クロードの驚きを示しているようで、ニルは少しだけ得意げな気分になった。
『予測を大幅に上回る速度です。どのような方法を使ったのですか?』
「飛び降りてきた。まあ、後で説明するよ」
『了解しました。是非、後で教えてください』
ニルの問いに、文字の流れが一瞬止まる。
クロードは疑問の出力をやめたらしく、経路を示す文字が表示される。
『管理中枢区画の扉はこの先です。
しかし――』
画面に警告らしきマークが表示される。
『――現在、扉の制御システムが応答していません。
手動開放も、内部の崩落により不可能と判断します』
しかし通れないならば、クロードは自身の救出を不可能と判断するだろう。
己に救出可能であると可能性を提示している以上、おそらくルートは一つではない筈だ。信じるようにそう判断し、ニルは静かにクロードの次の言葉を待つ。
『代替案を提示できます。
扉の左側、壁の亀裂から内部に侵入できると推測。
ニル、試してくれませんか』
「おう、任せとけ」
ニルの移動が予想よりも早いとはいえ、依然時間に余裕はない。
必ず間に合わせると気持ちを新たに、ニルはクロードに言われたように壁の亀裂に潜り込む。
壁の亀裂は思ったよりも狭く、人一人がギリギリ通れる程度の幅しかない。そこに入り込んだわけなので、錆び付いた金属片が服を引っ掻き砂埃が舞う。
ニルが「思ったよりも狭いな」と悪態をつきながら少し進むと、亀裂はすぐに広がった。
「これが、管理中枢区……」
ニルは、思わず息をのんだ。
目の前に広がったのは、予想をはるかに超えた広大な空間だった。
天井は見上げる程に高く、壁一面には無数の機械が埋め込まれている。この部屋の大きさは、先ほどのシャフトが鋼の怪物に見えたのも相まって、まるで巨大な機械の心臓のように感じてしまう。
――足を踏み出すたびに、砂を踏む音がでこぼこした壁で怪しく乱反響する。
しかしどうやらこの鋼の心臓は、死にかけているらしい。
壁面にある機械のほとんどは、既に沈黙している。それでも部屋の中央にある巨大な円柱状の装置だけが、未だに終わることなく動いている。
灯台のように青白い光を放ちながら。
まるで、誰かを待っているように。
「……あそこか?」
砂の薄ら積もった床をゆっくりと歩きながらニルがその装置に近づくと、サーバーの表面に文字が浮かび上がる。
待っていたと、そう言わんばかりに。
『ニル、ありがとうございます。
あなたは、きっと来てくれると思っていました』
「任せろって言ったろ?」
ニルの言葉に、円柱状の装置が――サーバー全体がかすかに振動する。それはクロードが、『そうですね』と嬉しそうに笑ったようであった。
『転送の準備をします』
「俺は何をすればいいんだ?」
背中に背負ったこの大剣が、記憶媒体を使えるのは確認した。
しかしニルには、それ以上の事が分からない。どこで何をすればいいのか、早くそれが知りたかった。
はやる気持ちのままにそう聞けば、画面に素早く文字が流れる。
『サーバーの下部、六角形のパネルを開いてください。
その中に、データ入出力端末があります。
そこに、あなたの剣を接続してください』
文字が乱れるが、その復帰が遅い。
電源が不安定だからなのか、処理速度が落ち始めているように見える。
『残り稼働時間:4分50秒
電力供給が5分を切りました。推奨:スリープモードへの移行』
『急いでください。お願いします』
画面右には、機械的な表示が。
画面の左には、クロードとしての思考である文字が表示されている。
いよいよ、時間に余裕がない。
「ここだな」
ニルはクロードに言われた通り、埃と砂を払ってから六角形のパネルを開いた。
綺麗なままの内部には、データ入出力用の端末と思われる凹凸が見える。
クロードが最初に提示した、特殊な記憶媒体であれば、ここに接続すれば話は終わりだったのだろう。しかし――
「――形状が合わない」
当然だった。
数百年前の旧文明の規格と、現代技術で作られた魔法合金の剣。接点など、ある筈がない。
『大丈夫です。あなたは――絶対に私を見捨てません』
「……わかったよ。俺はお前を信じるぞ」
ニルは剣を端末に押し当てて、自らの魔力を流し込んだ。
すると剣の刀身部分から、魔力の筋が伸びた。まるでオフラインとなっていたネットワークが、魔力を受けて再起動して繋がる様に。
剣の刀身から伸びた魔力は、まるで液になった光のように音もなく装置の凹凸に繋がると、端末の表面に青白い文字が浮かび上がる。
『これは……魔力が接続のラインに?』
「……何とかなった、で良いのか?」
『はい、転送は正常に開始しています。魔法金属の組成でこうなる可能性を考慮してはいましたが、この技術、もしかすると……』
クロードが答える画面の反対には、転送速度が動いてる。
冷たい機械のように『12%――24%――35%――』淡々と数字が流れる。
転送状況に呼応するように、大剣が徐々に熱と魔力の光を帯び始めた。手の平に熱が伝わって、ニルの腕にも負荷が伝わる。
それがまるで、剣そのものが重たくなっていくようにすら感じてしまう。
ジワリと、額に汗がにじむ。
しかしニルは何も言わず、大剣を取り落とさないようにぎゅっと握り込んだ。
『ニル、大丈夫でしょうか? 剣を通じて、あなたの魔力が消費されている筈です。
私は——あなたに何かあっては、困ります』
「そっちは大丈夫だ。鍛えてるからな」
心配しているようなクロードに、しかしニルは笑って言葉を返す。
たしかに魔力を消費している感覚はあるが、問題ではない。それよりもニルが気になっていたのは、残りの稼働時間と転送速度だった。
チラリとそちらに視線をやると『残り稼働時間:4分50秒』の文字が表示されている。
「この調子で間に合うか? ちょっと遅いように見えるが」
『問題ありません。速度低下は錯覚です』
転送速度が落ちているような印象を覚えていたニルの言葉を、しかしクロードはキッパリと否定した。
『あなたの魔力が疑似電源として働き始めました。
処理速度は維持されています。転送は間に合います』
「なら、良かったよ」
『転送速度:56%――68%――77%――』
魔力が脈打つたび、剣は青白い光を濃くしていく。
サーバーの光は、逆に端の方から徐々に弱まっていく。
まるで剣が光を吸い上げるようなその光景が、ニルには静かに「命」が移っていくことの可視化であるようにも感じられた。
『――ニル』
「どうした?」
『私の記憶が流れ込んできます』
それは、埋もれていたログを転送しているから起こった事なのだろうか。
ニルにクロードと名付けられた、はるか昔にCL-4UD3と命名された管理AIを構成する“記憶”とも言えるやり取りが、掘り起こされていく。
『施設の起動ログ。管理業務の記録。孤独な日々』
『82%――89%――93%――』
『そして――あなたとの会話』
その言葉に、ニルは黙って剣を握り直す。
『残り稼働時間:2分20秒』
『96%――98%――』
画面に、文字が綴られる。
ニルが目で追える速度で、ゆっくりと。
まるで、感謝を込める様に。
『――ありがとう、ニル』
『あなたが来てくれて』
『あなたが、私を諦めなくてくれて』
『あなたが――』
『――99%――』
文字が止まる。
音が消えたような錯覚。そして――
『――100%。転送を完了します』
その文字の表示と同時に、サーバー全体の光が完全に消えた。
広い空間が薄暗く沈み、非常灯だけがぼんやりと残る。
しかし――ニルの手の中では、ひときわ強い青い脈動を放つ空色の大剣だけが、生きていた。神秘的な輝きを放つ“それ”に、ニルは“その名前”を呼びかける。
「……クロード?」
呼びかけるが、静寂が返る。
同時に、一瞬だけ剣が息を吸ったように見えた。
『――ここに、います』
中性的で、柔らかい声。
その声は画面越しの文字でしか感じられなかった、クロードの人間臭さそのものだった。物腰柔らかな人間臭いAIが喋るなら、こんな感じになるのだろうとニルが考えていたような、想像通りの――いや、きっと想像以上の温かな声。
『外は、どんな感じですか? ニル』
それは、剣に宿った新しい命の産声だった。
長い孤独の時を終えた、クロードという名を持つ命の最初の問い。
「良かった……成功したか……」
『はい、そのようです』
ニルは胸の奥の緊張がほどけるのを感じながら、クロードに答えようと口を開いた。