伝説語りのニルヴァード――人工知性と歩む冒険譚 作:健康な人(ハーメルン)
「まず確認だけど、稼働時間は大丈夫なのか?」
管理中枢の静寂の中に、ニルの声が響く。
彼はクロードの問いに答える前に、そんな質問を投げかけた。
手に持った大剣からは、新しく聞かれた事を優先する様に、クロードの声が返ってくる。
『ニルの魔力が電力の代わりになっていると推測できます。現状、稼働時間の問題は解消しています』
クロードはニルの言葉に答えると、一拍置おいてから彼へ質問を投げ返した。
『……ニルはどうでしょうか? 魔力を消費している感覚はありますか?』
「言われてみると減ってるなってレベルだな。俺も問題はないよ」
『具体的にはどの程度でしょうか?』
具体的な言葉を求めるクロードに、ニルは自分の中で言葉を探した。
「うーん…… 仲間を背負って町に帰るぐらいは問題ない。で通じるか?」
『すみません。それだけではどの程度の負担なのか、今の私では推測が難しいです』
「……一食ぐらい飯を抜いても、5時間ぐらいは殆どパフォーマンスが落ちないぐらいか?」
クロードの返答を聞いて、今度は更にざっくり答える。
しかしこのように表現した方が伝わるのではないかと考えて、ニルは言葉を言い換えた。
『それは――驚異的な変換効率です。それとも、ニルが特別優れているのでしょうか?』
「自分で言うのもなんだが、確かに俺は強い部類だとは思う。でもまあ、これに関しては変換効率の問題じゃないかな」
『なるほど……であれば、稼働時間の問題は完全に解決されています。現在の私の推定稼働時間は約15時間。高負荷処理を2時間起動したと仮定しても、稼働時間が5時間を切る事はありません』
その言葉に一安心だとニルが思う。
そしてそんなニルの内心を知ってか知らずか、クロードは更に言葉を続ける。
『また、魔法合金内へ貯蔵されたエネルギーを用いた推定独立稼働時間は、約3時間です。更に待機状態であれば、約30時間はニルからの独立状態を維持できます』
「おお……てことは、もう大丈夫そうだな」
『肯定します。稼働時間の問題は解決されたと判断できます』
クロードからの改めての肯定に、ニルの緊張も解れる。
そして深い息を吐き出したニルは、改めてクロードからの『外はどんな感じなのか』という質問に答える事にした。
少しでも、彼を安心させたかった。
「俺みたいな人間がいる。俺みたいじゃない人間もいる。
そう言いながら、ニルは手に持っていたままであったクロードを転写した大剣をゆっくりと背負った。ただの武器ではなくなったそれを、絶対に落としてしまわないように。
そうして背負い直した背中の大剣から、クロードの声が響いた。
以前の端末越しの文字とは、もう違う。それは冷たい画面の向こう側に見える文字ではなく、直接耳に届く生きた温かい声だ。
ニルは背中の大剣にそっと触れる。
指先から熱が抜けていく感触は「冷たい」ではなく「心地良い」であると、彼はそう感じた。
『ヒューマン――ですか』
『データベースにあった記録では、旧文明は単一の人類種でした』
「そうらしいよな。大破壊より前は、そうだったんだって」
『大破壊、ですか?』
それは何でしょうか、と。
クロードの言葉は、そんな疑問が聞こえてくるような口調での質問だった。
「ああ。クロードが居た旧文明の遺跡からは、オーバードライブによって世界の境界を部分的に取り払って~、みたいな文献が残ってるって聞いた事があるな」
ニルも世界の成り立ちにはあまり興味が無いので詳しい訳ではないが、聞きかじった知識ならば披露できた。
思い出すように口元に手を当て砂を踏みながら、彼は一拍置いてから言葉を続ける。
「で、大破壊っても呼ばれてる。世界の境界が壊れて、色んな種族が混ざった……らしい。俺も詳しくは知らないけど」
『大破壊――
「地形が変わったり、色々あったらしいぞ? まあ俺も詳しくは知らないんだけど、この砂漠もその影響で出来たって聞いたような気もするな」
そして最後に「まあ、あんまり覚えてないんだけど」と笑うニルに、クロードは『では、この質問はもう大丈夫です』と言ってから、言葉を続ける。
『ニル、他にも質問があります』
「うん? なんだ?」
これからどう動くか、と考えを纏め出したニルの背中から、この問いを聞くべきなのか迷っているような少しの間を置いて、クロードの質問が飛んだ。
『外の世界は――明るいですか?』
「うん?」
クロードの質問の意図が分からず、ニルは一瞬首を傾げた。
『私は、太陽と言うものを見た事がありません』
クロードに言われて、ニルはようやく彼が何を言いたいのか気が付いた。
言葉で説明できない、その重さに。
『空は本当に青いのですか? 風は、どんな感じですか? それと――』
少しの間。ゆっくりとした語り口。
『――あなたの仲間は、どんな人たちですか?』
『私を、受け入れてくれるでしょうか?』
クロードの声には、僅かな……しかし、確かな不安が滲んでいる。
ニルが砂を擦る音が、やけに大きく聞こえてしまう。
それが少しだけニルの胸をざらつかせ、彼は自然と足を止めていた。そして静寂が静かに落ちると、薄暗くなった管理中枢の空気が、さっきよりもほんの少しだけ冷たくなったように感じられる。
『剣に宿ったAI、なんて――奇妙に思われませんか?』
そしてそう締められたクロードの問いに、ニルの方が疑問を覚えた。
奇妙であることが悪いことである。クロードの言葉にはそんなニュアンスが含まれているように感じられた。そしてニルには、その言葉の意味が分からなかった。
「奇妙? なんだ、珍しい事を気にするんだな」
――珍しい事は、悪いことなのだろうか?
「いや、違うな。すまん。まず、クロードは間違いなく珍しい。だけど、それで困る事はないぞ」
クロードが何を気にしているのか分からず言葉を口にしたが、ニルはすぐさま謝った。ニルがやるべきなのは、疑問を口にする事ではない。聞かれた事に答えることだ。
少なくともニルは、そう感じた。
「外の世界は明るいよ」
だからニルは、友人に語り掛けるように口を開いた。
あるいは、独白のように。
「見れば分かる」と。自分の好きなものを見せて驚かせてやろうと言った感じの、外に向かった興味を語るような口調で。
「太陽は1つで、気温は温暖って言えば伝わるのかな? 寒い時期もあるし熱い時期もあるけど、まあ普通に過ごしやすいよ。空は青くて、風も吹いてる」
息を継ぎ、言葉を続ける。
安心させるように、ゆっくりと。
少しばかり、おどけながら。いつもの軽い調子で。
「AIが剣に宿ってるってのは初めて聞いたけど、多分問題ないんじゃないか? 少なくとも俺の相棒のガルスなら、それを聞いても「そうなんだ」で終わると思うし、次のやり取りは自己紹介になると思うよ」
ニルの言葉は、多種多様が当たり前になっているが故の言葉だった。
この時点でクロードは、自身の常識――分断と排他が当たり前であった時代とは、全く違う世の中になっているのだという事に気が付いた。
『――そう、なんですね』
クロードの声が、少し震えている。
驚きか。それとも、安堵なのか。
クロードに良い意味で伝わってくれていれば良いと、ニルは静かに答えを待つ。
『太陽が1つ。温暖な気候。青い空』
『データと一致しています。それなのに――聞くだけで、こんなに胸が高鳴るなんて。それに「そうなんだ」で終わる、ですか。嬉しいです』
数秒の沈黙が降りる。
その言葉の意味を、噛み締めるように。
あるいはその言葉の意味で、常識を更新する様に。
『ニル。私は旧文明時代の記録を大量に保有しています』
「ああ、そうだろうな」
『その中には――戦争、差別、排除の記録が山の様にあります』
「……」
戦争。差別。排除。
ニルはその言葉の意味を知っているが、馴染みは無かった。
クロードと消えかけた光の明滅は、きっとその意味を知っている。
『異なるものは脅威とみなされ、理解されないものは破壊されました』
クロードの語る脅威や排除というのは、この施設で対峙したストーンベアが何かを守るためにニルとガルスを攻撃したという事とは、根本的に違った意味があるのだろう。
ニルは、なんとなくだがそれを感じた。
『――ですが、今は違うのですね』
剣の輝きが、穏やかなものになる。
『多種多様が当たり前。自己紹介から始まる。良い世界に、なっていたのですね』
噛み締めるように、ゆっくりと。
そしてクロードは明るい声で、次の言葉を紡いでいた。
『早く、あなたの仲間に会いたいです』
「だな。クロードと話してると、俺もガルスに会いたくなってくる」
本人には、恥ずかしくて絶対に面と向かって言わない言葉。
しかしこの場にガルスは居ない。ニルの何時もの軽口は、この少しの間だけ鳴りを潜めていた。
『それと――太陽も、見てみたいです』
「そうだな。流石に明るさが恋しい」
『では、ここから出ましょう。ニル』
クロードの言葉にニルは「そうしよう」と頷くと、中枢区画に侵入した隙間に視線をやる。
――とりあえず、部屋の外に出るべきだろうか。
『通信網はまだ僅かに生きています。仲間の位置を確認しましょう』
「そうだった、あいつを忘れる所だったよ」
当然、冗談である。先ほどの自分の言葉が恥ずかしくなったから出た軽口だった。
AIにユーモアというものが通じるのか、ニルは知らない。しかしニルは自然に、クロードとは自分と同じ――人種と接するつもりで会話をしていた。
『――ニル、それは冗談ですよね?』
クロードの声に、微かな困惑が滲む。
『心拍数と声のトーンから判断すると――本気で忘れていたわけではない、と。……なるほど。これが、ユーモアと言うものですか』
そう分析されると、少しばかり恥ずかしい。
大剣が小刻みに震えている。もしかすると、笑っているのかもしれない。
「なんだ、もう冗談を言えるのか?」
『データベースには「冗談」の定義はありました。実際に体験するのは初めてです』
つまり、最初から冗談は理解できていたらしい。
振り返ってみると、なるほど確かにと思う部分はある。クロードは、出会った当初から妙に人間臭さを感じさせるやり取りを行っていた。
「そうか? 面白けりゃ嬉しいんだが」
『面白いですね。少し、心臓に悪いですが』
一拍の間。
ニルは一瞬固まって、その間を縫うようにクロードの言葉が続いた。
『――あ、私には心臓がありませんでした』
まるで、ニルの反応が遅れるのを予想していたように。
ニルはやられたと思いながら、クロードが「人」だと思っていたなら返せたと、苦笑を浮かべながら頭をかいた。
『……今のは、私の冗談です。私の冗談は通じましたか?』
どこか誇らしげな声に、ニルは遅れて笑みを浮かべた。
心の底から面白いと感じながら、同時にドキリとした感情も覚えてしまう。矛盾するようなこの機微も、もしかするとクロードには伝わっているのだろうか。
「……次は拾う、とだけ言っとくぞ」
コツン、と。
ニルは敗北を認めて笑いながら、クロードの柄を軽く叩いた。
『では、仲間の位置を確認します』
その言葉と共に、背中の大剣が微かに発光を始める。
スキャンしているのだろうか? それとも、周囲の通信網へのアクセスか。
ニルには判断が付かなかったが、彼はクロードに任せてじっと待つ。
『――検出しました』
『反応C:移動しており、先ほどとは別の扉の前に居ます』
「扉を開けようとしている?」
『肯定します。その推測が可能な動作パターンです』
という事は、やはり反応Cがガルスで間違いないだろう。
『反応B:前回位置で静止しているようです』
こちらは眠ってでも居るのだろうか。
何にしても、動いていないならば不確定要素が減ってありがたい。
『反応AとDは前回位置から移動しています』
「反応Cには近づいてないか?」
『反応Aは反応Bに近づいています。二つの反応が合流する可能性があります。反応Dは施設内を徘徊していますが、反応Cとは移動距離で推定250メートルほど離れています』
クロードの情報を聞き、ニルは素早く思考を回す。
――反応Bが子ストーンベアで、反応Aが己と戦った親ストーンベアと判断するべきか?
――だが、反応Dが施設内を徘徊しているのは気にかかる。
少なくとも、ニルが認識している限りではストーンベアは何かを守っていた。
ストーンベアが守る動きをする“何か”があるのは確定だ。つまり、親子か夫婦かは分からないが、順当に考えるならストーンベアは最低でも2体いる。
「……いや、ちょっと待てよ」
あの時はストーンベアに追いかけられていた。だから、反応は全てストーンベアだと
ニルとガルスがこの遺跡に入ったのは初めてで、ストーンベアが居る事は知らなかった。当然、ストーンベアの方だって、ニルとガルスがこの遺跡に居た事を知っている訳がない。
『どうしましたか?』
「いや、ちょっと思い出してたんだが……」
――思えばストーンベアは、最初から何かを守る様に行動していた。
習性と言われると、そうかもしれない。
しかし、もしかして更に別の存在が居るのではないだろうか。しかも、あの、強靭なストーンベアが警戒するような相手が。
「別の何かが居る……?」
――思いついてしまえば、その可能性を否定する材料が少ない。
嫌な予感に、冷や汗が背中を伝う。
不思議な話、嫌な予感ほどよく当たる。
「反応Dの動作パターンは分かったりするか?」
『反応Cよりもやや早い、ゆっくりとした移動パターンを検知しています。幾つかの扉の前を移動していますが、扉を開けるような動作パターンを示した履歴はありません』
「……反応A、反応B、反応Dが何時からこの施設に居るのかは、確認できるか?」
『前回の管理起動時には、施設内に生体反応はありませんでした。5年前のログです』
「以前から住み着いてる訳じゃない、と」
――要するに、この情報だけでは何も分からない、という事は分かった。
『ニル、どうしますか?』
その問いに答えるため、ニルは一瞬だけ思考を回した。
しかし、すぐに結論を出す。
少なくとも次の行動は、彼の中では最初から決まっていた。
「まずはガルスとの合流するか。何にしてもそれからだ」
一瞬の逡巡の後、ニルはそう結論を出した。
考えるのは後でもできる。クロードを助けた以上、まずはガルスと合流するべきだと結論付けて思考を打ち切る。
『了解しました。推定ガルスである、反応Cとの合流を最優先します。最短ルートを算出します――』
ニルの判断を聞いたクロードの言葉が、実務的なトーンへと切り替わる。
『整備用シャフトは腐食が激しく、
「5分か。思ったよりも近いな」
クロードの言葉に、ニルは少しだけ考え込んでから言葉を続けた。
次の行動は確定しているとはいえ、リスクは下げたい。
「ルート上に生体反応はないんだったよな?」
『肯定します。直線距離で最も近いのは反応Dですが、現在反応Dは第三層に居ます。旧運搬路は第四層から第一層までを繋いでいますが、扉を開ける事が出来なければ独立しています。移動ルートが重なる可能性はありません』
「なら問題ないか」
反応Dの正体が気になる所ではあるが、接触しないのならばそれで良い。少なくとも、今はそう割り切るべきだ。
「一応確認だが、第一層メインホールって所にガルスがいるのか?」
『肯定します。正確には、第一メインホールへ続く通路の一つに反応Cが確認できます』
「了解だ。ならその案で行こう」
正直に言えば区画の名前で言われてもピンと来なかったのだが、クロードが分かっているならそれで良いと判断する。
『――あ、ニル』
動き出そうとしたニルの背中から、少しばかり躊躇うような声が待ったをかけた。
「まだ何かあったのか?」
『いえ。その――一つ、お願いがあります』
「お願い?」
聞き返すニルに、クロードは『はい』と短く答える。
『可能であれば、で構いません。メインホールに到達したら、外が見える場所を見つけてくれませんか?』
クロードの声は、遠慮がちだ。
ニルにしてみると、そんな事かと言ってしまいそうなささやかな願いなのに。しかし同時に、それはクロードにとっては孤独の中で諦めるしかなかった願いであった。
『ほんの少しで良いのです。太陽を見てみたいです』
「勿論OKだ。折角なんだ、一緒に景色の良い場所を探すか」
ニルの返事は即答だった。
驚くほど迷いがなかったその言葉には、何時もの軽口も乗っていない。この新しい友人の、これから「些細になる」今は真摯なその願いに軽口を挟むべきではないと、ニルの心は理解していた。
『ありがとうございます、ニル』
クロードの声が、心から嬉しそうに響く。
『では、出発しましょう』