朝、いつもよりかなり早く家を出た。空条家に寄って上着を取ってこなければ。
訪ねるには早すぎる時間だけど、仕方ない。登校時間だと先輩に合わせて誰かがこの家の周りに来たりするし、先輩の家に出入りするのを目撃されたらすごい騒ぎになるのは間違いない。それはちょっと勘弁してほしい。
玄関のインターフォンを鳴らすと、ホリィさんが出迎えてくれた。
「あら晶ちゃん、おはよう。どうしたの?」
「おはようございます、ホリィさん。昨日はごちそうさまでした。朝早くにすみません。上着を忘れてしまったので、取りに伺いました」
「ああ、食堂の隣の部屋にあるわ。こっちよ」
ホリィさんの後に続く。
「昨日は賑やかな食卓だったわ。承太郎ったら近ごろはちっとも学校の話もしないし。晶ちゃん、またいつでも来てくれたら嬉しいわ」
ホリィさんは朗らかに話しているけど、なんだろう、なにかが……。
顔色が悪くない?色白だからとかじゃない、血の気がないって感じだ。
「あの、ホリィさん、もしかして…、」
体調が良くないんじゃ、と声をかけようとした時だった。
目の前でホリィさんがふらつき、そのまま崩れ落ちた。慌てて抱きとめる。
「ホリィさん!大丈夫ですか⁉︎ ジョースターさん!空条先輩!誰か来てください‼︎」
抱えた体は驚くほど熱い。――すごい熱だ。それだけではない、なにか植物のようなものが背中に生えている。でも、触れない……スタンドなんだ。
「一体なんの騒ぎだ⁉︎ 君は、柏木?――ホリィさん!」
「今、急に倒れたんです!それに、熱があります!」
駆けつけたのはアヴドゥルさんが最初だった。続いてジョースターさん、そして先輩も現れる。
「ジョースターさん、ホリィさんの背中に植物みたいなスタンドが」
「何ッ!」
ホリィさんは意識がない様子だったが、小声でジョースターさんに伝える。ジョースターさんは顔が真っ青だ。
きっとこれは、なにかとても良くないものなんだ。
* * *
ホリィさんの寝室の前の廊下に座り込んだ。
ジョースターさんたちの話は信じがたいものだった。自分のスタンドが毒になってホリィさんの命を蝕んでいるだなんて。
ジョースターさんもアヴドゥルさんも、その可能性には気がついていた。でも、そうならないことを祈っていた。
助ける方法はたった一つ、DIOを倒すことだけ。
先輩の顔には怒りと悔しさが滲んでいる。目の前で家族が苦しんでいるのに、見ていることしか出来ないのだ。
手に添えるようにスタンドの手を顕現させてみる。頼もしい相棒だと思ってきた。こんな話を聞いてさえも、それは変わらない。
……スタンドって、一体なんなんだろう。
ジョースターさんはDIOの姿を何枚も念写しているが、全て暗闇の中にいて、場所を特定できるものは何もないのだそうだ。
「それを早くいえ。ひょっとしたらその闇とやらがどこか…わかるかもしれねえ!」
そう言うと、先輩は一枚の写真をスタンドで観察し、何かをスケッチし始めた。肉眼でもコンピュータの解析でもわからなった何かを見つけたらしい。
それは、1匹のハエだった。
このハエを知っていると言うアヴドゥルさんが、図鑑を調べ始めると――あった。
ナイル・ウェウェ・バエ
エジプト・ナイル河流域のみに生育するハエ
とくに足にシマ模様のあるものは、アスワン・ウェウェ・バエ
「エジプト! やつはエジプトにいるッ!それもアスワン付近と限定されたぞ‼︎」
「やはりエジプトか……。いつ出発する?わたしも同行する」
まだ包帯を巻いたままの花京院くんが言った。花京院くんは三ヶ月前のエジプト旅行でDIOに出会い、肉の芽をうめこまれた。DIOはなぜかエジプトから動きたくないらしい。
当たり前のように同行すると言う花京院くんに、先輩が何故だと問うと、
「そこんところだが……なぜ同行したくなったのかは、わたしにもよくわからないんだがね……おまえのおかげで目が覚めた。ただそれだけさ」
花京院くんは昨日の先輩の言葉をそのまま返した。
今はまだ背中だけだが、あのシダ植物のようなスタンドは、やがてホリィさんの全身を包むようになる。高熱やいろいろな病気を誘発して苦しみ、昏睡状態に入って二度と目覚めることなく死ぬ。
ジョースターさんが手配した医師たちが到着したが、スタンドの見えない者には何が起こっているかもわからず、どんな名医にも治すことはできない。
アヴドゥルさんは自分のスタンドが害になって死んでいった人間を見たことがあるそうだ。
でも、ホリィさんにはまだ希望がある。そうなるまでにはおよそ五十日の猶予がある。
それまでにDIOを倒し、DIOの体から発するスタンドのつながりを消せば助かるのだ。
目指すはエジプト、カイロ。
「私も行きます、ジョースターさん」
「何じゃと⁉︎」
「柏木、我々はそれぞれDIOとの因縁がある。君までそれに踏み込むことはない」
きっと反対されるだろうとわかってた。でも、引かない。
そっとホリィさんの寝室を見やった。恐くないわけじゃない。だけど、それでも行きたいと思った。
「残ったところで気になって仕方がないですよ。私だってホリィさんを助けたいんです。何もせずに後悔したくありません」
「わしの娘のために昨日会ったばかりの君を危険に晒すわけにはいかん」
「因縁…なら、もう私にもあります。DIOの容赦のなさを考えたら、私を放っておかないでしょう。肉の芽付きになった私をあなた達にけしかけるくらいはしますよ」
ジョースターさんたちの顔が強張った。多分、同じようなことを想像したんだろう。
「必ずそうなるとは限らねえ。やめとけ、柏木」
空条先輩の声は硬い。
「いや、承太郎、彼女の言う通りだ。一人にするのはかえって危険だ」
アヴドゥルさんは静かに頷いた。
先輩は眉間に皺を寄せる。ジョースターさんはしばし目を閉じ、深く息をついた後で私を見つめた。
「……すまない、柏木くん。改めて言わせてもらう。危険な旅になる。わしは君の安全を保証してやることも出来ん。だが、共に来てホリィを救って欲しい」
笑って頷いた。不敵な笑みってやつに見えてるといいな。
「もちろんです。行きましょう、一緒に!ホリィさんを助けましょう!」
深呼吸し、背筋を伸ばした。未知の世界へ踏み出す期待と緊張が、混じり合っている。子供の頃から側にいる自分の相棒、スタンド。いつか同じものを見られる人とも会えると思っていた。こんなかたちになるとは予想外すぎたけど。
私はこの人たちと一緒に行く。あの優しい人を助けるために。
私は自分で行くと決めた。
忘れえぬ旅の始まりだった。