王は窓から広場を見下ろしていた。
そこにあったのはあり得ない光景であった。
悪魔のような翼をはためかせ、王都の中央へ堂々と舞い降りるドラゴン。そしてそのドラゴンに乗っていたのは、かの大罪人、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアと……あろうことか、クリス・ベイ・クラリノであったのだ。
まさか、と思った王はすぐさま兵を派遣したが、それより先にヴァイオリア・ニコ・フォルテシアの演説が始まった。
……そして大罪人の演説の中で、王は知ることになったのだ。
クリス・ベイ・クラリノが敗北した挙句、奴隷にされてしまったという悍ましい結末を。
「……まさか、クラリノ家の秀才までもが、かの大罪人を倒せぬとは……」
王はすぐさま要人達を集め、会議を開いた。だが、会議室を支配しているものは、只々重苦しい空気だけである。
会議室に居る者達全員が、クリスの末路を既に知った。
そして……皆、恐れているのだ。
ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアは、いよいよ『呪い』などではなく、貴族達を明確に滅ぼしにかかっている。
かの大罪人に目を付けられたなら……クリス・ベイ・クラリノよろしく、無様に生き恥を晒させられることになりかねないのだということが、分かってしまった。
……ほんの半年前までは、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアは『呪い』でしか無かった。
そこにあるような無いような、そんな存在。不吉ではあるものの、実害を及ぼしているという確証は無く、何なら生存すら怪しまれる時期すらあった。王国を見舞った不運の数々を『フォルテシアの呪い』などと言いはしたが、それが1人の人間の仕業だとは、思っていなかったのだ。
……それが今や『革命軍』の旗を翻して立ちはだかる、確かな実体を持った巨悪となった。
最早、フォルテシアの娘がもたらすものは『呪い』などではなくなった。
フォルテシアの娘は、確実にこの国を破滅させるつもりだろう。
今思えば、フルーティエ家もホーンボーン家も、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアが裏から手を回して何らかの工作を行い、没落させていったのではないかとさえ思えてくる。
そして……国王も他の者達も、もう分かっている。
『最早、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアを止める手立てはない』と。
「……どうすればよい。どうすれば、この国は……」
「父上、お気を確かに」
「そうですわ、お父様。どうかお気を強くお持ちになって……」
王子王女達は国王を慰めるが、彼らもまた、この国の終焉しか見えていない。どう足掻いても、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアの魔の手から逃れられる気がしない。
最早、ここまでか。
会議室の全員がそう、思った。
「……お父様。では、いっそのこと、亡命する、というのは……」
遂に、第六王女スコーラがそう発言した。
元々控えめであった性格の彼女は奴隷騒動に巻き込まれた後、更に控えめで怯えがちな性格となり……だからこそ、彼女の発言は衝撃的なものであった。
「う、うむ……しかし……」
「あの人達からは逃げられません。殺されてしまったり、クリス・ベイ・クラリノ様のように……奴隷にされて、酷い目に、遭わされたりするくらいなら……!」
亡命、といういわば王家にとっての最終手段を口にしたスコーラ王女は、やがて声を震わせて涙を零し始めた。
それほどまでに、彼女にとって『奴隷にされる』という事は恐ろしい事なのだ。実際に奴隷の首輪を嵌められて無体を働かれたスコーラ王女からしてみれば、迫りくる未来は恐怖以外の何物でもないのだ。それこそ、控えめな性格でありながら、会議中の発言を決意するまでに、『奴隷落ち』を恐れているのだ。
「お父様……スコーラの言う通りです。最早、この国は正しい政治を受け入れることすらできないでしょう。ならば私達から、この国を捨ててやるべきです!」
「そうです、父上。幸いにも、友好国は幾らかございます。そこへ亡命すれば、革命軍とて流石に追ってはこないでしょう」
やがて、スコーラ王女の発言に他の王子王女達も賛同し始める。
王はそれらを聞いて、いよいよ亡命しかないか、と決意を固めはじめ……。
「お待ちください、父上。我々が亡命したとしても無駄なことでしょう」
そこへ水を差すかのように発言したのは、第七王子ダクターであった。
「ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアの目的は、この国の転覆ではありません。きっと……我々への、復讐です」
「既にフルーティエ家、ホーンボーン家、そしてクラリノ家までもが没落しました。この3家は、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアの罪の証人として、あの日の玉座の間に居た者達ですね?」
ダクターが語り出した恐るべき内容に、国王は耳を塞ぎたくなった。だが、王としての立場がそんなことは許さない。
ただ、王はダクター王子へ頷き返し、話を進めるよう促すことしかできない。
「……ならば次は、我々です。オーケスタ王家こそが、彼女の最後の復讐相手なのでしょう。そして彼女ならば……我々が地の果てへ逃げようとも、必ずや、追ってくるでしょう」
「そ、そんな馬鹿なことがありまして!?たかが小娘1人、糾弾しただけではありませんの!それだけなのに名家を滅ぼし、この国も……私達王家をも手に掛けようだなんて……気が狂っていますわ!」
「そうだ!そんなことがあってたまるか!我々は王族だぞ!?フォルテシアの娘と言えどもこの国に住む者なら、我々の決断に従うのが道理というものではないか!一体何が復讐だ!そんなことが許されてよいはずがない!」
「地の果てまで追ってくるだと!?そ、そこまで執着が強いなんて……そんなはずは、そんなはずはないだろう!流石に!流石にそんなことは!」
ざわめく会議室を見回して、第七王子ダクターは唇を噛む。
……国王には、分かっている。
若くして聡明な第七王子ダクターの言う事こそが、正しいのだろうと。
他の王子王女のように、現実から目を背けることはたやすい。だが……国王にも、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアの真意は見えてきていた。
彼女の動機は、拍子抜けするまでに単純明快。
『復讐』。
無論、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアはただの復讐にしては明らかに度を越した事件を連立させ続けている訳だが、それでも、かの大罪人の心の内にある意思は、ただ『復讐』その1つだけなのだろう。
革命など、その建前に過ぎないのだ。そう。ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアは、この国などどうでもいい。
国が潰れようとも、民が死のうとも、どうでもいいのだろう。
ただ狂気めいて、復讐の為だけに、革命などを起こそうとしている。それだけのことなのだ。
「……ダクターよ」
「はい」
国王は重々しく口を開いて、ダクターへと視線を向けた。
途端、ざわめていた会議室は静まり返る。皆が国王とダクターへ視線を向け、国王の言葉がこの後に何と続くのか……『ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアが他国まで追ってくるなどあり得ん』と続くのか、はたまた、『やはり亡命するべきだ』と続くのか、と、待ち続ける。
そして、国王は、問う。
「もし、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアがどこまででも追ってくるというのならば、お前には何か策があるのか?我々が亡命するでもなく、身の安全を確保し、更にかの邪悪なる大罪人に脅かされずに名誉を保ち、復権を待つことができるような……そんな策が、あるのか?」
国王の言葉は、誰もが予想しなかったことだっただろう。
この期に及んでまだ希望を見出そうとするなど。最早、王家の未来はヴァイオリア・ニコ・フォルテシアによって断ち切られる寸前だというのに。
……だが、ダクターは、言ったのだ。
「あります」
「そ、それは……!」
会議室がどよめく。
あり得ないことに、ダクターは『ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアに対抗する策がある』と言ったのだ。この絶望的な状況を前にして、まだ、ダクターは希望を失っていない!
「言うのだ、ダクター。それはどのような策か?」
国王が一縷の望みを託してダクターへ言葉を向けると、ダクターは堂々と答えた。
「まだ、我々は大聖堂の信頼を失ってはいないでしょう。人狼については黙認することとし、大聖堂の決断を優先した」
「そ、それはそうだが……?」
「ならば今こそ、王家は大聖堂と手と手を取り合うべきです。大聖堂としても、この国が戦火に呑まれることは避けたいでしょう。大聖堂の協力を取り付けられれば、まだ、民意を1つにする望みはあります」
「戦うのです。こんなところで屈するべきではありません!今こそ、この国の為、民の為に……ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアと戦うべきです!」
ダクターの勇ましい言葉に、国王は胸を打たれた。
国の王である自分が亡命などを考えている場合ではない。まだできることはある。逃げ出すのはその後でもいい。
出来ることを全て行い、その後でどうしようもなくなったなら、その時こそ亡命しよう。その時ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアが追ってきたとしても、その後のことはその時考えればよいのだ。
今は只、できることを。
「……分かった。至急、大聖堂へ連絡を取ろう」
国王は大臣へ、大聖堂と連絡を取るよう言づける。早速、できることから始めていかなければならない。
国王の決断に、王子王女達はざわめいたが……彼らとて、敵を前にして逃げ出すことの恥は理解しているだろう。
命は惜しいが、名誉も惜しい。ならば、どちらも守り抜く手段を講じるまでのことだ。
早速動き出した家臣達や貴族達を見送って、国王も会議室を後にしようとする。
その時だった。
「……父上。もし、大聖堂との協力が上手くいかなかった場合ですが……」
ダクターが遠慮がちに声を掛けてきた。
だが、その不安そうな表情を見て、国王は首を横に振る。
「そのような事を考えるな。今はただ、成功だけを考えよ。よいな?」
「……はい」
ダクターは何か言いたげであったが、国王の言葉に思い直したか、潔く頷いてそのまま一礼し、会議室を出て行ったのだった。