冷たい風が大通りへと吹き下ろしていた。雲が太陽を覆い、深い影が建物と建物の隙間に沈む。昼であるはずなのに、日の光がほとんど届かない裏路地は、夜に近い静寂を湛えている。
その路地裏に、突如として“それ”は座り込んでいた。
石畳の感触が、意識の底へゆっくりと染み込んでくる。
両面宿儺はゆっくりと目を開けた。目の前に見慣れない土と木で建てられた家が、遠くには荒く削られた岩肌のような城塞の壁、路肩に生える名も知らぬ雑草が揺れている。近くで人の喧騒が聞こえていた。
(……なんだこれは)
違和感が、彼の思考を覚醒させた。
平安と平成、世代と文明を跨ぎ、同じ国で異なる時代を生きた。
しかし今、彼が触れているのは、あまりに異質な石の匂いと土埃の混じった世界だった。
思い返す。
最後に見たのは、黒々とした循環の道。共に時を渡った従者――裏梅と手を繋ぎ歩いていた。
光のない、ただ魂だけが流れてゆく暗い通路。
あれが“終わり”だった筈だ。
だが気がつけば、ここにいた。
自身の内側に意識を沈める。だが、そこにあるべき"伏黒恵"の魂はどこにもない。
(肉体だけ……。なぜこの器なのか)
あの循環の道から転生したなら、最後に受肉した肉体の情報に引きずられたのか。理由はどうあれ、少年の魂は無い。
(……)
宿儺がゆっくりと立ち上がろうとしたそのとき――
路地裏の入口、わずか二、三メートル先。
日の光を背に、ひとりの少女が立っていた。
二つに結んだ白い髪。白い異国の服。
手には古びた杖。
その姿は光を受けて淡く輝き、その瞳は真っすぐ自分を捉えていた。
「ねぇ、きみは何者?」
フリーレンは足を止めた。
大通りへ入ってすぐ、彼女は胸の奥に微かなざわめきを覚えた。
長い時の中で幾度も感じ取った魔力とは質が違う。
もっと深く……根源そのものが歪んでいるような気配。
(魔族じゃない。けれどこれは…)
それを辿って歩いた先に、奇妙な男がいた。
黒い髪、四つの目、肌には黒々とした模様が刻印のように張り付いている。
身体から立ち上る魔力の流れが魔法使いと一線を画していた。男のそれは聳え立つ針のようだ。尋常ではない速度で回転し、静止する細く鋭い針。
杖を軽く構え、静かな声で問いかけた。
宿儺は少しだけ目を細めた。
少女の姿に違和感を覚える。その顔つきが見た目に反して堂々とし過ぎている。かつて受肉した自分を見ているような感覚に覚えた。加えてこの呪力に似た"なにか"。
(生き方…か)
魂の通り道で、呪霊に零した言葉が脳裏に蘇った。
"次があれば"
ただの戯れ言だったはずだ。
だが、今この瞬間、何かが偶然にも宿儺の舌を緩ませた。
そして、初めて出会う異世界の魔法使いに、彼は静かに答える。
「考えていたところだ」
フリーレンの眉がわずかに揺れた。
宿儺はゆっくりと立ち上がり、四つの目で彼女を観察する。
陽光と影の境界で、ふたりは対峙した。
ひとりは千年以上の時を生きる魔法使い。
ひとりはかつての呪いの王。
「そう。名前はある?」
「…宿儺」
中央諸国リーゲル峡谷 城塞都市ヴァール
勇者ヒンメルの死から28年後。