ベルリク戦記 ー 戦争の生涯 ー 作:さっと/sat_Buttoimars
聖都で娘の力を借りて標的をほぼ特定したのは良いが、これからエグセンに戻るのも一苦労である。敵地と戦場を長々と突破しなくてはならない。行きより帰りは、敵に逆行して進まない分だけ紛れやすいが。
得意の修道女に変装して移動する。エマリエに指摘されるまで忘れていた――意図的に忘れようとしていたかも――アブゾルが乗るための馬を買った。犬みたいに後ろを走ってついてくるのがオツだったのだが仕方が無い。
聖都を去る時、エマリエは流石に人生経験があるので澄ましたものだったがポルジアはグズった。まだ八歳だ。服を握って離れない娘を引き剥がすのは友人のヤーナと違って辛い。だがこちらは普通の母ではない、許せ。
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聖都から船でペシュチュリア市へ戻る。チラっと覗いたがあのジャーヴァル料理店は相変わらずの満席状態だ。今後の状況次第では店舗を拡大させるという噂を聞いたのが幸いなような、敵の勝利を喜ぶような、何とも言えない感じだ。
金を出せば香辛料は手に入るだろうが、それを料理として活かすとなると話が違う。自前でそれに精通した料理人を揃えるのは難しい話だ。生きている内にもう一口でも食べられるだろうか? あの悪魔の香りは忘れられない。
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ペシュチュリアからウルロン山脈中央越えの縦断街道を目指す。
荷馬車の通行量が多い。戦時でそうとなれば、それだけ敵が暴れ回っている証拠だろう。
魔神代理領から運ばれて来た武器の情報か何かを得られないかとは思ったが、そういう物資は妖精が隙無く見張っていたので諦めた。
道中では良く神聖公安軍の巡回部隊を見かけたが、正体を隠して行けたのでむしろ旅を助けて貰った印象の方が強い。
行き会った聖職者とは聖典、その解釈書籍、古代や異国の哲学を利用し、聖典教義であっても字面のままを鵜呑みにせず、論理的思考で理解して矛盾や空想的記述を整理する哲学論議も行って信頼を得た。
修道誓願した身であるという証明が学識からできれば教会側の人物と見做されれば、敵中に旅路が快適になるし、高位聖職者と既知になって困りごとを相談できるようになれば様々な障壁を突破できる。戦時に発行される臨時通行手形なども入手できた。
その中でも神聖教会得意のママラ哲学で昨今猛威を振るいつつある共和革命派の意図するところを解き明かせそうだと言っていたご老人はかなり手強かった。聖典教義以外に聖典解釈用の哲学を持ってきて多角的に理解してみようという試みであった。
共和革命派の社会を上下逆転させる暴力的行為は、社会福祉の向上に集約されるような純政治的意図を理想にするが、新しい上流階級になってしまった者達がまた逆転されかねないことから生存のため、本能的に理想から遠い無用の暴力で瀉血ですらない自決的な粛清を革命後に行い始めるのではないか? という論議を始めにした。
それから、共和的に限らず革命思想とはある境界に止まるものではない。一度これが可能と民衆層にまで知れ渡ったら、今まで何等かの境界で止まっていた論理が越境し始め、無数の亜種を伴って成長。それぞれが異端のような思想と見做され、淘汰される向きになっても擬態による意識的、そしてなにより無意識的な潜伏によって絶滅せず、諸文明の意識に変革が起こり、古代から中世から現代の上が下を圧する普遍的な体制が一般的ではななくなるのではないか、という話もした。
反する論を二つ以上立て、ぶつけ合って矛盾を解消していく手法をするには二人以上いた方が良い。それから無用な仮定を乱立させてはいけないと事前に取り決めておくことで話が逸れないようにもした。これはママラ哲学を論じる時に、何日も、あるいは年数を掛けずに論じない時に用いられる。一時のために言葉の”針山”を立てても仕方がないというのは良く言われる。
”ママラ”。フラル語リゲロニア方言に残る古語で、ある問いかけに対して”しかし私はこう考える”と返す際に使う言葉。
その老聖職者とはつい話し込んでしまって、つい道から外れて宿泊所を共にして深夜まで話し合ってしまった。
旅の目的を忘れるところだった。アブゾルは付き合い切れずに不貞寝をしていた。
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ウルロン山脈を北進縦断。聖戦軍の旗を掲げるフラル諸侯の軍勢が列を成して山を越えていた。歴史的にも暖かで豊かな南方から、未開で寒い上に山越えをしなければならない北へとわざわざ進軍することは稀である。古代には対蛮族闘争で頻繁にあり、聖王カラドスの諸遠征はそれの代表だが、有名であるからこその例外事項でもある。
あの悪魔の軍勢が切り開いた道をフラル生まれ、育ちの彼等は悠々と進んでいる。彼等の士気は高いだろうか? 聖戦軍指揮官たる聖女の恐怖に背中を押されているだけではないか?
人の心理であろうが、自分達が居た方角から来る者に対してはほとんど警戒心が無い。自分達と同じ方向へ進む我々二人を仲間だと信じて疑わない。アブゾルに至っては神聖公安軍の兵士と見分けるべきところは一つも無い。
山道の途中でアンブレン修道院には寄る事ができたが、目的が果たせていないということでアブゾルは拒否した。少し日程を変えるだけで済むのに律儀な奴だ。やはりワンコの才能がある。尻尾が無いか直に触って確かめなければならないだろう。
それにろくに稼ぎ方も知らないアブゾルを傭兵に、銃も持たせず今時用途の限られる”だんびら”一本で外に出していたあの修道院だ。口減らしの意図はあっただろう。捨て犬は拾った。
聖戦軍、神聖公安軍、そういったものに紛れて進むのは容易に過ぎた。
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ウルロン山脈を越えて北麓の、遂に占領されたエグセン地方南方に出た。行く道で聞いて集めた情報で目標の位置は分かっている。あと一歩だ。
その一歩が精神的に険しくなった。修道女の格好ぐらいでどうにもならなそうな連中と遭遇した。
「ぼっくらは正義の保安隊ぃー! 悪ーい奴等をやっつけろ! 構え、狙え、撃て! ドーン!」
並べられ、怯えて震えている農民が歌と共に銃殺される。その後は銃剣でトドメが刺された。
人間ではない、妖精の兵士達だ。保安隊らしいが。
妖精達は魔神代理領の共通語で喋る。間違いなく悪魔将軍の虐殺部隊だ。急速に拡大した占領地域の治め方がこれか!
征服者にとって占領地で発生する民衆暴動は天災のような凶事だが、そもそもその民衆が存在しない”砂漠”であれば何の憂いも無い。税収産物に期待しないのならそれが一番簡単だとも言える。全方位から嫌悪される悪評、そこから生じる不利益さえ気にしないのならば。
神聖公安軍相手なら自分の口八丁で適当にあしらえるが、こいつらは話がまるで通じなさそうだ。
銃殺されたのは抵抗力がある男達で、その後の女子供老人は家に押し込められて火を点けられた。特に小さい子供達は井戸に押し込められてから石で蓋をされた。
遠巻きに、望遠鏡でその様子を観察しながら林に潜み、虐殺部隊が去るのを待つ。村が皆殺しにされて焼かれるのを待った。
アブゾルが嘔吐しながら義憤に燃えていたが何とか抑えた。「人間じゃない」と非難していたが、まあ冗談で言ったわけではないだろう。そういう表現だ。
良くも悪くも自分は慣れているので平気だったが、これがキトリン、ファイルヴァインまで来るとなればどうだろうか。
絶対敵として奴等を討伐しなければとも思うし、あんなのに逆らうくらいなら降伏してしまった方が良いとも思う。そして降伏さえすれば以前の生活がそのまま維持されるという事実をユーグフォルクとニレキアで知っている。
安全で安心な逃げ道があるというのに抵抗するのは馬鹿げているようではないか。
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標的が居ると推定できるオルメン市を目指す。神聖公安軍など何程も無い連中である。道中行き違っても挨拶するだけで済む。
妖精による保安隊が活動している現場を嫌でも見る事はある。
堂々と街道を通り過ぎれば疑われる事も無いとは思うが、あのアンブレン修道院で遭遇した、人を解体して装飾にしていた連中のような恐ろしく鼻の利く連中がいるのではないかと思うと安易に堂々ともしていられない。
何故お前が今、その方向からやってきた? と顔を覚えられている状態で問われたらどうもしようがない。
生気の無い、木製の農具を持った人間の作業員が集まっている光景があった。工事現場のようでその周囲にはいくつも穴が掘られている。
そして悪魔の軍勢の、妖精の兵士が作業場を囲んでいる。それぞれ腕には腕章を巻いている。そして人間の民兵も同じ腕章を巻いて囲んでいる。
兵士の代表らしき者――服装が違っておそらく士官――が演台に立って馬鹿に明るい声を出す。
「皆さんおはようございまーす! 今日も一日溌剌と攻勢的勤労精神を遺憾無く継続発揮し、革新的模範労働者を目指しましょう!」
その脇にいる修道士がエグセン語に通訳して喋る。翻訳は良くできているが、単語が何やら聞きなれない……共和革命派の語彙か?
ラッパが鳴ると人間達、作業員が散らばって穴を掘り始める。
この作業が直ぐに終わるわけはない。いつまで隠れて、隙はどの程度のものを狙うか、判断に困る。堂々と通れば良いのかもしれないが……せめて目標に接触する機会があるまでは命を懸けたくない。
様子を窺っていると、体力が尽きたか気力が尽きたか、穴掘りの手を止めた者がいた。保安隊の士官が笛を鳴らす。
「あ、反動的勤務怠まーん! ダメなんだー!」
手を止めた者が兵士に指差され、「違う違う!」と叫ぶ。
言い訳は無用で、その人間は連行され、演台の上に立たされる。
「皆さん、労働基準量を暫時突破しながら聞いて下さーい! この悪い人がいけない事をしました! 皆さんが労働に対して英雄的に闘争しているのに一人だけ消極的破壊活動を行ったのです! 労働者失格の姿たるや正に汚い負け犬、悪辣なる唾棄すべき反乱分子です!」
修道士が――こいつも目が死んでいる――が反射的に行っているような感じで通訳。
「引き回し始め! ごめんなさいをしろー!」
その人間は両足首を縄で縛られ、そこを馬に繋がれて工事現場の周囲を引き摺られる。掘り返された土は柔らかいかもしれないが、それ以上に砂利が散乱しているのでその人間は削られる。
最初は悲鳴を上げていたが、直にただ引き摺られる死体になる。
作業員達は目線を引き摺られる者にやったりはするが手は止めなかった。
こんなものを見ていてもどうにもならないので迂回する道を探す。余り外れた道を進むのは怪しまれるので避けたいが。
迂回しようとした方角から上着で目隠しをされて縄で繋がれた、上半身裸の老若男女の捕虜の列が、腕章巻きの妖精と人間の民兵に連れられてやって来た。まだ動くに動けないのでまた様子を見ることになる。
成されたのは単純な事であった。その捕虜達は掘られた穴に突き落とされ、そして埋められるのだ。生きたまま。
埋められる捕虜達は目隠しがされているので何が起こったかわからない様子で騒いでいる。だが騒いでいるだけ。
神経が麻痺させられているのだろう、民兵も作業員も騒がずに生き埋め作業をこなしている。
作業員達が今後解放されるかどうかは知らないが、民兵達は自分の家に帰ってからこの事を、控えめな表現で話す事もあるだろう。
恐怖で占領地域が席巻されている。これは民衆暴動を簡単に期待して良いものではない。
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以前のエグセンとは、小競り合いに強盗、貴人同士の自力解決が絶えない悲惨な地であったがそれは一変していた。
治安はおそらくすこぶる良好に保たれている。以前ならもう三度は強盗が現れているような距離を進んでいるが、規律正しい神聖公安軍の兵士がいて、行商人に農民の移動を保護している姿が見られる程だ。
彼等と擦れ違っては一礼。敬虔な信者らしくうやうやしく挨拶を返してきた。
そんな道中、油断していた心算はないが妖精の保安隊と擦れ違う。
冷静に、当たり前のように一礼した。可能性は低くとも、生きた心地がしない。
そんな不安を妖精達は知らず、少年少女のように無邪気に笑って手を振ってきたので振り返した。
「ごきげんよう!」
と、できるだけ愛想を良くして笑顔を作ってみたら。何者にも邪念を抱いていない者のように『きゃっは!』と揃って破顔で返してきた。これが、あの?
「これあげるー!」
そうしたら苺で作ったお菓子を貰った。
「これもあげるー!」
とワインも貰った。
東から来た遊牧騎兵とも擦れ違った。こちらにも一礼をしたら照れたみたいに笑顔で返してきた。
皆少年で、片言のフラル語で一人が「カミノ、お、お、お、ゴカゴ? ヲ」と言ってきた。
「あなた方にも神のご加護を。道中の安全をお祈りしています」
と丁寧に礼をして返事をしたら。嬉しいやら照れたような顔で、抑えきれないようにもじもじしていた。何とも可愛らしい反応をすることか。
去り際に言葉が通じていないと思ってか。
「あの美人の姉ちゃん嫁に連れて帰りてぇな」
神のご加護を、と言った少年が遊牧諸語のいずれかで喋る。セレード語に近いと思うが、とりあえず聞き取れる。
「何で頭領、手も口も出すなって言ってんだ?」
「お前あれ、聖職者ってのは神さんにチンポもケツも捧げて一発もヤらねぇらしいぞ」
「えー勿体ねぇ」
「あいつらから金貰ってんだから……ダメなもんはダメだ」
「だよなぁ、でも農民は嫌だなぁ。馬も乗れねぇの連れても邪魔だしよ、羊みてぇに走りゃいいけど」
末端はとても、恐ろしいまでに良くも悪くも純粋な奴等が多そうだ。そいつらの上に残虐な指導者が現れると容易に惨劇が繰り広げられる。
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焼かれた村、焼かれたが復興作業が進められる村を横目にオルメン市へ到着する。
勿論警備は厳重だ。以前見た時より要塞化されている。周囲には塹壕が多重に複雑に掘られ、土塁が築かれ、馬防柵が立てられ、砲台も増設されて川にも向けられ、オルメンを見下ろせる位置にあった丘が掘り崩され、隠れられるような森が焼かれている。
聖戦軍の旗は当然だが、エデルト=セレード連合王国の旗も立って、エデルト軍の兵士が守備についている。
エデルトからオルメンまでの縦断回廊でも形成されたとかと一瞬思ったが、あいつらはアソリウス島嶼伯軍だ。魔神代理領軍との共同作戦もこなしていて、指揮官はセレード人のシルヴ・ベラスコイ、没落した名門の出だ。魔族化したという噂だが。
アブゾルに馬と荷物を預け、服装を貴族の物に整えてからカツラと付け髭無しで正面から会いに行く。ここで命を懸ける。
「アブゾルくん。話をしに行って、その後の扱いがどうなるかは全く不明だ」
「はい」
「ここに至って君は逃げようとはしないと思うが、ならば自害する覚悟はできているか」
「そうなれば一人でも多く道連れにします」
「拷問を甘く見ていないか? きっと君の知らない事を吐かせようとするのだから死ぬまで続くぞ」
「待っています」
「そうか」
ワンコめ。
あの人間を解体して装飾した妖精を探す。神聖公安軍やエデルト兵相手では話が面倒になるだろうが、妖精ならば真っ直ぐ繋がりそうだ。
重要な地域にあの妖精はいると思われる。市の公館付近へ行けば居た。
顔を覚えていたようで、あっと言う間に囲まれた。両手を上げる。
「キトリン男爵フィルエリカ・リルツォグトだ。そちらのジルマリア殿にお会いしたいのだが都合はつくだろうか?」
妖精の中の指揮官らしき人物の目配せ一つで公館へ一人が走って行く。
自分を囲む彼等は何も喋らない。こちらに銃口と銃剣を向けるか、周辺を警戒するかだ。余裕があったら軽口でも効いてみたいが。
公館に入った一人が戻って来る。
「お会いになります」
「案内して貰えるか?」
妖精の包囲はそのまま、案内されるままにオルメンの公館に入る。ここで騎兵大尉を引っ掛けたのと、宴の主催者を階段で転ばせて失神させ、こっそり首を折って暗殺したのを思い出す。良い仕事だった。罪もその大尉に被せたし、完璧だった。
今日はその完璧ぶりが発揮されるかは全く自信が無い。生きて帰れるだけで成功と見たい。
公館の一室に案内される。そこには広い机に書類を山と積んだ席に座る、修道服姿で、黒い植物の刺繍入り白いスカーフを頭と首に巻いた、灰色の恐ろしげな瞳の女。眼鏡をかけている。髪の色は剃っていて確認出来ないが、これは改めて見れば間違いない。
「お久し振りです。キトリン男爵フィルエリカ・リルツォグトです」
「ご用件は?」
口の中が乾いて舌が痺れている気がする。ここまで緊張するのも久し振りだ。頭が浮いて耳が遠くなっている気がする。何やら底知れぬ目付きで監視している妖精の兵士達に気圧されてではない。眼前の机仕事が忙しそうな女一人のせいだ。こんな人物に育ってしまったか。
「クロストナ・フェンベル様、エグセンの世俗諸侯達が聖王のご帰還をお待ちです」
「都合の良い時にお待ちして、悪ければ弾き出す。私ももう良い歳ですよキトリン卿。乙女でも素直でもありません。意地の悪い年増です」
どう見てもブリェヘム王が期待した、この世に絶望して意志を無くして操り人形になっている姿ではない。期待自体、希望的過ぎて馬鹿らしい。
「しかし皆が認める聖なる王たる血を受け継ぐのは貴女しかおりません」
「カラドスは聖なる神の教えに目覚めエグセンを統一した。この一般的な解釈をキトリン卿はどう思いますか」
答え一つで首の上げ下げが決まりそうだと思っているのはここでは自分だけだろう。
「結果そうなった野心家だとは思っていますが」
「そうですね。では今エグセン諸侯が求めるカラドスとは何ですか?」
「エグセンを纏め上げて内憂外患を治め、古代の栄光を取り戻す英雄です」
「どうぞこれをご覧ください」
クロストナから手渡された書類は二つ。ある村の抹殺命令書と、その村の土地の売買契約書。同じような書類が広い机に山積みになっている。
墨なのに血生臭さすら感じる。紙の擦れる音が悲鳴とすすり泣く声に聞こえてくる。昼なのにここだけ暗がりに堕ちたような気さえしてきた。
この書類が示す事柄、傭兵が一つ二つ村を略奪するのとはわけが違う。一体何万人を殺し、殺し合わせている? 今までの道中で見てきた非道が彼女の指示によって行われていたということが書かれている。
「これを貴女がやっているのですね。ご自分の為さっている所業は自覚されておいでですね?」
「リルツォグト家は新参なので違和感がおありでしょう。今の親衛隊以前の猟犬であるペンツェルク家、アンベル家、シュライゼンビュール家とファイルヴァインで記録を遡ってみてください。歴代親衛隊の記録を見るだけじゃ分からないものが見えてきますよ」
「故郷に荒廃をもたらしているんですよ」
クロストナが、さあ見ろ、と書類の山へかざすように手を振る。
「これこそ現代に蘇ったカラドスの姿です。父祖カラドスがエグセンを統一した方法がこれなのです。神聖教会へ改宗するかどうかで敵味方の色分けをし、人口を減らして管理し易くして、収奪した土地を使って臣下を増やした。敵に敵を殺させた。
今は聖女ヴァルキリカに従うかどうかで色分けをし、収奪した土地を分け与えて反乱分子を抑える。違いがあるとすれば父祖カラドスなんかより圧倒的にグルツァラザツク将軍の軍が強力であるということぐらいでしょうか。一季節過ぎる前にフラル北部を征服してウルロン山脈を越えて橋頭堡を確保、ガートルゲンにナスランデン地方まで征服するなんて事は”森の蛮族”上がりのカラドスごときにはできませんからね」
カラドスは神聖教会の権威を借りてエグセンと周辺を統一した聖王。決してエグセン王ではなかったという事実は指摘されないと中々気付けない。統一時に一体どれだけのエグセン、ロシエ、バルマン、ヤガロ、ザーン、ククラナ、フラル人が虐殺されたか記録は定かではないが、だが今はそれが薄っすらと見えてくるようだ。
クロストナが立ち上がって――背は彼女が低い――上目に見てくる。
「幼少期に不運を使い果たしたと最近は思っています」
存在は知らなかったとはいえ、彼女の両親に召使いを殺したのは自分だ。それは間違いなく不運の範疇。
「なるほど」
ツケが回るとはこの事か。幻想の聖王は怪物に成長していたか。
「そちらは都合の良いカラドスをお求めでしょうが、それはもう作り上げるしかありません。間に合えばですがね」
「そうですか」
「折角の機会ですから恨みのある貴族など居ましたらお名前をお聞かせ下さい。友人に頼まれたのでこいつは殺してくれとグルツァラザツク将軍に言えば結構望みはありますよ。彼、信用できるぐらいに頭がおかしいですから」
親の仇にそれを言う。言っているのに遠回しな脅迫なんてちゃちなものは感じない。本当に言ったら親切でこの女はやってくれるだろう。
もしや、だが今の境遇を喜び、この状態に追いやった自分にねじくれた感謝をしてすらいるのではないか?
「それをする時は己が手で行います」
「そうですか。私にはそのような腕はありませんので羨ましい限りです」
「血がお望みのようならば如何なる誘い文句も無意味ですね」
「はい。今となっては復讐なんて焦がすようなものはありません。両親の死も今日この場に至る為の架け橋の一つだったと思えば何程の復讐も生まれませんよ」
憎悪も超越しているのか。
ジルマリアが首飾りを胸元から出す。筒が下がっており、振ってカラカラと音を鳴らした。
「両親の指の骨が入っています。貴女が致命傷を与えた後、私が止めを刺して二人共川へ入れました。召使いは自殺したように見えておりましたか」
「はい」
殺せずに仕損じていたか。
「小さいなりに成功していたようで安心しました」
仕事は完全に失敗していた。ご老公にブリェヘム王、謝罪と恨み言を同時に言いたい。墓の下の先代メイレンベル伯め、棺桶に犬の死体を詰めて抱かせてやる。
「去る前に一つ、優しいリフカお姉ちゃんは本物でしたか?」
「アンブレン修道院は良いところでしたが、力を手に入れる前の私には長く耐えられる場所ではありませんでした。間違いなく偽物ですよ。あそこに留まるしか無かったのならばこの歳になる前に耐え切れず自害していたでしょう」
あの時点で既に人ではなくなったか。
「アブゾルが外にいますが、何か伝えますか」
「思い出は綺麗なままにしてあげてください」
「分かりました。語る事はもう無いようです。失礼します」
一礼をし、部屋を出ようとする。
「誘拐はされないのですか?」
「まさか。勇敢な心算ですが命知らずではありませんよ」
「そうですか」
公館から無事に外へ出る。途中で遊牧民に口説かれたが、言葉が分からないフリをして袖にした。歳を言えばあっさり引き下がるような気もしたが。
今日は空が青く、気温は涼しいほうで空気が美味い。何だか出獄した気分だ。
待たせていたアブゾルのところに戻る。こんな街で宿泊なんかしていられない。
「どうでしたか?」
「年寄りが馬鹿なせいで若い連中が苦労する」
「駄目でしたか?」
「もう何をどうしても駄目だという気がするな」
「そうですか」
「全て手遅れだ。自分がその年寄りの一人だと思うと泣けそうだ。もう発つぞ」