ベルリク戦記 ー 戦争の生涯 ー 作:さっと/sat_Buttoimars
ヘンバンジュ市の放棄が決まった。
都市に残す食糧は最低限で、後から来る新たな為政者に面倒を見て貰えということになっている。これは大分、住民方に配慮した形だ。昨今の中原情勢に鑑みれば泣いて喜ばれる……というのは大袈裟か。ともかく、節度使サウ・ツェンリーは徳の高さを捨てる気は無いようだ。
放棄する具体案としてはサウ・エルゥ参将発案の本撤退と陽動撤退を織り交ぜた二重撤退作戦。”ゲチク将軍ならばできましょう”と任せられたのは勿論、我々ジャーヴァル軍である。陽動撤退の方をやる。
被害を極小に抑えるのならば、機動性に優れた我々が適当である。理屈では理解できる。本隊の鈍足共に陽動なんかやらせたら追いつかれて殲滅されるのは目に見えている。
我々はその代わり、体を温める意味でも大量の酒や脂気の多い食糧の他、塩に砂糖に辛子も受け取っている。ひもじい思いをしている本隊の兵士からは羨ましがられているらしい。
敵の追撃部隊から逃れるために大砲などの重装備は破壊して放棄し、本隊は身軽になってヘンバンジュを夜間に出発した。
遅れて我々陽動部隊が荷車に大量の空箱空樽を混ぜ、帽子に兜を被せた藁人形を立てて積み、旗も大量に立てて大部隊を演じながら、さも鈍足に撤退を開始する。
追撃してくるのは龍朝に鞍替えした西勇軍である。龍帝と黒龍公主を元首にすると聞けば龍信仰系の過激派盗賊の群れかと思ってしまうが、かっての南朝リャンワン政権から羽化して即死したエン朝の後継である。ともかくそこらの軍閥盗賊とは地力も威光も訳が違う。
西勇軍であるが、並列した縦隊による断続的な猛攻が凄まじく、先頭部隊を撃破しても撃破してもあっと言う間の後方から新手が補充され、撃破された部隊は後方で妖術のごとく再編されてまた新手として現れるという、どうやって訓練したらできるのか良く分からない戦術を実行する精鋭だ。
間隔を広く取って、馬の機動力を用いて広い地形でぐるりと回し続けるというのならば自分でもやれないことはないが、密集した歩兵でやるのだから何とも摩訶不思議。本当に妖術の類?
普通なら新手の補充をするための前後交代など、その段階で大混雑大混乱が起きて戦闘組織が崩壊しそうなものだが、今まで見たことがない。
西勇軍が行う包囲戦は、何度も守備隊に撃退されるが包囲は決して解かずに第二次、第三次攻撃と回を重ねて勝利をもぎ取ってくる。連戦し、未だに無敗と言って良い。
どのような訓練を課したらそのようになるのか分からないが、そんな軍が迫っている。この斥候による報告は中原入りを果たして以来、ひっきり無しに聞く。目の仇にされている。
西勇軍と絶対にまともには、戦いたくはない。第一回遠征時から完璧にやられ続けている記憶の数々、感触にその無敗記録を重ねて考えると頑強な抵抗は無意味と悟るに易い。
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後方に定期的に放つ斥候の報告を受ける。
西勇軍が予定調和のごとく迫って来ている。陽動撤退中のこちらとあちらの移動距離を計算しても、大軍で移動しているとは思えぬ高速で迫っている。
奴等はどれだけの長距離を、休まず進んでも移動速度が鈍化したり、逆に異常に加速したりもしない。悪天候や、橋を落とすような妨害工作が無ければ不気味に安定し続ける。
どんな兵站組織を組んでいるかは知らないが速い。容赦なく道中の市町村から略奪して食糧輸送分を軽くしているのだろうが、彼等の進路上にそこまで奪う分があったか疑問である。
まさか方術で泥雑草を薬草粥にでもしているわけではあるまい。本当にやっていない? 疑わしい。やっていても驚けない気がする。
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北へ進めば進むほどに降雨量が減る中原である。
少し前までは憎んでいた雨が、今では待っていた雨が降ってきた。頃合と見た。
荷車を並べ、空箱空樽に土砂を、そして火薬を詰めて街道を塞ぐ。藁人形はより一層武装させているように見せて決死の殿部隊に偽装する。
道の両脇に塹壕を掘って我々が身を潜める。総数は二千。本隊の方に負傷者や足の遅い奴を送ったので数は少ないのだが、やはり第一回遠征時より酷く消耗した。
他の補助要員も各所に配置する。何度か演習だってしている。伊達に三度もこちらに遠征していない。
雨を待ったのは晴天時の気持ちの良い時だと、多少の被害を受けても追撃を敵指揮官が続行したくなるからだ。環境が意志を変える可能性は常にある。例え僅かな変化でも、我が策に組み込めるのなら組み込むのだ。
敵を待つ。
ケツが痒い。
雨音に皆の呼吸がかき消されている。白い呼気が上がらないように口は演習通りに布で覆っているようなので塹壕に人がいるかは、蒼天の目でも無ければ見えない。だが敵の方術で……考え出したらキリが無いな。
「兄貴兄貴」
「あ、どうした?」
弟分のノグルベイが小走りにやってきた。死んだ妻の従弟だ。こいつは筋力と引き換えに知能を差し出したような奴だ……少々言い過ぎか。
「火、点かないんだよ」
「水中用の薬つけたか?」
「あ!? あーあー、分かった分かったよ」
ノグルベイは小走りで去った。
雨中でも縄や火種に練り込めば着火し、火が絶えなくなる薬品は環境を利用した戦いに必須。
小手先の技術は妖術には敵わない? 試してやろう。
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待ちに待って敵が到着。馬が地面を蹴る音が響く。
敵側の方向、茂みに潜ませた斥候の報告では重騎兵と軽騎兵が混在する騎兵隊が先頭。数千規模だそうだ。そしてその後方に軽装歩兵隊。これがたぶん万を超える。
それにしても不気味な進軍速度だ。小さくまとまった部隊ならまだ分かるが、歩兵騎兵混交の大集団でこれだ。集中力がつく覚醒剤でも常時服用させているのか?
その大集団の後方にはまた重装備の敵がいるのだろう。本当に戦いたくない。
敵の斥候に相当する軽騎兵隊が、こちらが用意した街道を塞ぐ障害物を検分しに来た。そして槍で藁人形を突っついて悪態を吐いている。
笛で合図。
弓兵が一斉に塹壕から身を乗り出して敵軽騎兵等を射殺。
三騎射ち漏らした。騎手は殺したが吃驚して味方の方へ逃げ出した馬もいる。狩るための騎兵を出すためにもう一度、別の音色で笛の合図する。
敵斥候隊を全滅させた。もう少し静かに一瞬で終わると想像していたがやはり駄目だ。アッジャール朝以来の熟練遊牧兵がかなり減ってしまった。この距離でほぼ足を止めている相手に矢を外すような未熟者が増えた。
笛の音は敵に聞こえたようで、それからさしたる時間もかからずに西勇軍は歩兵騎兵混交の戦闘隊形で進んできた。目に見えた時にはその姿。
行軍隊形から戦闘隊形へ、そしてまた行軍隊形に移るというのは時間の掛かるものであり、疲れるものであり、足止めとしては有効である。場合によっては一日を潰させることも出来る。
それなのに何なのだ奴等は? ほとんど時差無く組んだ戦闘隊形を見せ付けている。街道を大きく、両脇にはみ出す程の塊になって前進して来ている。
敵軍の歩調は完璧に揃っている。右足左足、全員の出す引くが同じだ。方術の一形態か? そんなわけはないか。とにかく異質に感じる。
笛で合図をする。
街道の障害物と塹壕で包囲するにはあまりにも敵軍の幅が大きいが、ここで仕掛ける。
弓矢と小銃、手火箭も使って一斉に射掛ける。自分も弓を引いて敵軍目掛けて射る。
撃たれた敵兵は倒れた。刺さった矢を握り締めて叫んで、手火箭に驚いて歩調を乱し、爆発を受けてのた打ち回りもする。異質だと思ったが人間らしい悲鳴を上げたりはしている。しかし倒れた兵を踏み躙って前進を続ける。
尋常ではなく訓練されている。いっそ方術か何かで作った化物だった方が気が楽だ。
笛で合図。今度のは撤退だ!
「逃げろ!」
思惑ではもう少し少数の敵部隊を街道で包囲、拘束するはずだったが、大軍過ぎてどうにもならない。一度斉射を食らわしてやったが動揺もほぼ見られないのだから逃げるしかない。
塹壕を飛び出て、林に隠していた兵が皆の馬を連れて出てきて、それに素早く騎乗して逃げる。
雨天でも火が消えないように水中用の薬品をつけた火矢を、馬上でノグルベイが街道の真ん中で構える。その脇を皆が駆け抜ける。
ノグルベイの横へ並び、馬上に立って逃げ遅れがいないか最終確認をする。
良し。
敵軍が停止し、それから追撃の騎兵隊を別に、続々と繰り出しているのが確認できた。
良し。
頃合を計る。
敵騎兵と罠の位置。
「放て」
「おうよ!」
ノグルベイの引いた五人張りの弓から火矢が放たれ、火薬樽に命中。板を割って点火。
点いた火薬樽が爆裂。爆炎爆風に煽られ他の樽にも延焼、更なる爆発。土砂を詰めた箱と樽が黒い中身を撒き散らして吹っ飛んだ。
大砲を放棄した分、余った火薬を使った。
馬は大きい。人が騎乗すると尚更的が大きい。外れようもない散弾となった土砂が敵騎兵隊を撃破した。
「はっはー! くたばりやがれお粥野郎!」
「引くぞ」
人馬の悲鳴を聞きながら走り去る。まずは中継地点のウラマトイ国へ。
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鋼の統率力を持っていたであろう西勇軍であるが、流石のあの攻撃には仰天して追撃は鈍くなった。何度か後方に斥候を放ったので確かである。
案外、良いところまで追い払ったら追撃は中止するつもりだったかもしれない。まだまだ龍朝の敵は中原の内側にいくらでもいるのだ。
ウラマトイの王都タラハムへ爆破後に危機も無く到着したが、しかし本隊が城門の外で立ち往生して野営している。どうした?
官僚やら高級将校が人垣を作っており、その中に節度使サウ・ツェンリーとウラマトイ王がわざわざ椅子に卓まで広げて門前で話し込んでいる。
丁寧に対応する気はあるが、何かしらの要因で入城は要人ですら拒むという困った状況か。ウラマトイ軍と衝突の危機があるかもしれない、か?
属国ウラマトイがボロボロになった宗主のレン朝を見限り、新たな天と認めた龍朝に味方しても全くおかしくはない。両王朝はサルドイを通じて繋がり、和藩公主との婚姻もあって強く縁戚関係にあるが、力量差は乱世に血よりも濃い。自然の道理である。
部下達には武装を解かずに待機するように命じる。皆が同じ考えで同じ行動を取っていたのでは変化に対応できなくて死ぬ。遊牧民なら肌で理解することだ。だから本隊とは合わせない。
サウ・エルゥ参将に挨拶をしに行く。節度使の身内だ。
前回と違って今回の陽動は大成功だ。陽動というかただの遅滞戦闘だったが、予定と実態が異なることくらいはあるだろう。目的は達している。
「参将、ゲチク以下ジャーヴァル軍帰参しました」
サウ・エルゥは節度使をそっくり男にしたらこうなるというような、女が腰を砕きそうになる美男子だ。
ただ節度使以上に糞真面目で、足手まといだからと妻子を殺してからビジャン藩鎮軍に加わったという話がある程。糞真面目というよりは糞で真面目なんだろう。
「ゲチク将軍、お疲れ様です。損害も無く追撃を防いだとの報せを受けた時は喜びを隠せませんでした」
この男、表情と喋り方が何とも人間味に欠ける。知っている限りではサウ姓の連中は大体、何か人形地味ている。
「想定外の事態には遭いましたが、それがかえって上手くいったかもしれません。して、この有様はどういったことで?」
昨日今日王都前に野営した様子ではない。ウラマトイの商人が小慣れた様子で屋台を出し、広げるのに苦労しそうな大きな天幕で売春宿をやっているあたりはそんな雰囲気がする。
「物資が購入出来ないか交渉を行っております」
「ウラマトイ王殿下と直接? 難しい事態ですか」
「ウラマトイ王が、あの卓上に開封前の龍軍の封書を置かれました」
レン朝という呼称も許さない指導方針なので、龍朝は龍軍か。分かり辛い。
「開封前の封書?」
「封書を開き、読めばウラマトイ王は決断しなければなりませんが、開く前ならば知らぬ存ぜぬと先延ばしに出来ます」
封書の中身はおそらく、龍朝からのウラマトイへの降伏、臣従の勧告。それに加えてビジャン藩鎮軍の足止め要求など、色々想像ができる。
「戦闘隊形も何も整えていないのは? 今襲撃されたら勝てる相手にも勝てませんよ」
だから部下には備えさせている。
「節度使様の判断です」
徳のある判断であろう。現実じゃなくて幽地とやらの向こう? とかその辺でも見てそうだが、武器をチラつかせて交渉すべき時とそうではない時は当然ある。
節度使とウラマトイ王の交渉が終わったようで、門前の集まりが解散となる。
周囲から頭一つ飛び出た節度使サウ・ツェンリーがこちらに早足でやってくる。
「サウ・エルゥ参将」
「は!」
「今より出立する」
「はは!」
「ゲチク将軍」
「は」
「撤退支援ご苦労。これよりエランゴムへ向かいそこで待機せよ」
「は」
は? エランゴム? 王都タラハムより北西の、ハイロウへ繋がる北回り街道より少し離れた場所だが、何の策略か?
全く無意味なわけは無く、反論するには命令がはっきりしているので疑いなく行動する。
軍を集結させて目的に出発する。今は余裕があるので多少の遠出は休み無しでもやる気力はある。
「お前等、休憩したら出るぞ!」
『おーう!』
酒を飲みながらジャーヴァル軍を休憩させ、一息吐いてから出立しよう。
サウ・ツェンリーがこちらに渡した物資、特に酒についてあれこれ言う前に、本隊の連中から余った酒を寄越せと突っつかれる前に出発してしまったのが幸いだ。
やはり酒の大量支給は良い。飲みながら行こう。この辺りは既に草原地帯の一角。空気は乾いて気持ちが良い。
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我々に良い乾いて澄んだ草原の空気を吸いながらエランゴムに到着したら、そういうことかと納得した。
そこには羊や山羊、牛からラクダにロバの群れがいて、そのまま引き渡されたのだ。馬、特に調教された軍馬の類が一頭もいないのは龍朝との微妙な関係を示していると思われる。
代金の支払い方法はどのようにするのかは不明だが、兵隊としては食える物があれば良い。
家畜の群れを受け取った後、トンフォ山脈東側登山口前で本隊と合流。兵達は家畜に荷物を載せて身軽になって山越えに入る。
足取りは軽く、歩いてついてくる家畜を食べるのだから労力は最低限。冬季到来前に旧ベイラン入りが可能な速度が実現出来た。
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水っぽい中原から脱出した後は運を取り戻したように、軽快に退路を進んだ。
負傷や病で体力が足りずに道半ばで倒れた仲間はいたものの、ほぼ無事に旧ベイランに到着した。あの節度使には珍しく虐殺破壊命令を下した都市の跡地で、今では天幕をあちこちに広げるのに良い平地である。井戸やオアシス、果樹園や農地は残っていて新鮮な水と食糧に不足しない。
到着時には杖を突いてようやく歩ける鎮守将軍サウ・バンスが出迎えてくれた。
第二回遠征時に血便と高熱を出して、気力で二の足で歩いていた老人は歳相応にやつれてしまった。今では旧ベイランに司令部を新設し、後方指揮を執っている。
サウ・バンスが声を上げようとして咳き込み、サウ・ツェンリーが駆け寄って背中を擦った。
人間らしいところが見えただけで良い人物だと思えてしまうのが悔しい。