ベルリク戦記 ー 戦争の生涯 ー 作:さっと/sat_Buttoimars
ラグト、オルフ東西両面征服業が完遂した。
二正面作戦だと馬鹿にする者もいるが、両面共に攻撃であり防御であった。どちらかに攻撃を集中すれば、隙有りと見て違う方向から攻撃される可能性があったのでその可能性を潰した。
それに二正面ではなかった。留守の軍隊とは、野心ある者に率いられる限り潜在する内敵である。ならば留守にさせず外敵と対峙させ続けなければならない。これが三面目。
野心ある者を全て排除することは出来ない。もし出来たのなら、その時は人材が払底した時だ。
この三正面作戦で終わったわけではない。やっと準備が整ったという段階で、歴史的にも我々の覇道は常に下り坂である。
敵を倒して攻め取った土地の隣には新たな敵がいる。
戦争で失われる人と金と物は常に攻め取って奪い続けなければ、拡大した軍勢に足りない。
止まると窒息する怪物。下手に止ると転んで死んでしまう。だから駆け下り続けなければいけない。
父王イディルは必ず新しい敵を示すだろう。
オルフを一時離れ、東へと広大な草原砂漠をひたすら進む。馬と船の両方を使う。
草も枯れ始めて秋の様相。積雪前には折り返したい。
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空気は冷えだしている。積雪はまだ。万年雪を被らない山には雪が積もっている。行き帰りの便を考えるとギリギリか。
到着した目的地、レーナカンドは我々アッジャール朝の都である。世祖アッジャールの勢力立ち上げの地である。
元は関門で、険しい山脈に通る交通路を管制するのが目的の山城だ。そして警備対策として門前町が作られていないので都市としての発展性は無い。取水に問題がある。
東西には岩盤を利用した分厚い城壁がそびえ立つ。南側の崖には魔都様式の霊廟と備蓄食糧を自給するための段畑へ繋がる道があり、北側の崖には巨大な極東様式の宮殿と天文台が張り付いている。南北共に城内からしか通り道が無い。
ここを攻略するには東西両門を封鎖して包囲し、略奪する物も無い高地と、その厳しい気候に長期間耐えなければいけない。
傍に川は流れているが、冬は凍結し、その前後となれば雹や割れた氷に土石が混じった洪水が起きる。今は、雹が交じって増水している最中。急流の轟音が鳴っている。
名産品は数刻山を登れば取れる切り出し氷だ。夏には低地の方で中々良い値で売れ、飲み水にも転換出来る。氷を略奪して包囲を頑張れる軍などいないだろう。
城壁とその土台は分厚い岩盤で、素手で掘れたものではない。発破解体するには軍を餓えさせなければいけない量の火薬が必要である。要するに難攻不落で、落とすには事前に城内へ兵を潜入させておくしか方法が無いと研究結果が出たほど。絶対ではないとは思うが。
今では威容ある宮殿に象徴的な価値があるだけで、集会場ぐらいの意味しかない。初代アッジャールの貧しい時代、世界が狭かった時代ならば実際的に東西貿易の中心地であった。
領土拡大によりもっと経済的に望ましい都市が手に入った。もっと効率の良い南回りの交易路も拓けた後は精神的な中心地というだけになった。
そんな程度だから道は険しく、大勢を集めるのには不向きなところだ。今回のように各地から子たる王、弟に婿たる王、王子、将軍、族長、属国の代表が集結するのならば特に不向き。
とにかく渋滞で動きが鈍い。何より、西方の一番遠いオルフから来たのだから最後尾だ。途中で飽きて馬車に移って昼寝をしたところでようやく正門が肉眼で確認できるようになった。
正門と通用門が東西一つずつ。通用門は警備上開放されておらず、ここを出入りできるのは伝令だけである。同行していたシビリは既に伝令扱いで優先的に入城した後。子たる王ごときは道で待ちぼうけ。
子たるラグト、オルフ王の発表はあっさりしたもので、門前広場でお触れの者が美声を時折張り上げている程度。それも数多あるお触れの一つで特別扱いではない。誰かが寄ってきて大袈裟にお祝いの言葉をかけてくることは無く、偶然挨拶することになったら「おめでとうございます」と次いでに言われる程度だ。
やっとのことで入城する。その城下街は、周囲が険しい環境である反発のように人口過密。発展性こそ無いが、都市としての規模が小さいわけではない。区画は整備されている。
昔より衰退したらしいが、アッジャール行政を支える製紙工場は一区画を丸ごと占めているし、レーナカンド織は訪問客相手に盛況。世祖アッジャールが各地から集めた職人の子孫が技術を保っている。
宮殿の門を潜り、通常ならそのまま父王へ帰還の挨拶をするのが道理だが、今回は省略すると宮内官僚からお達しが来た。忙しいからというよりは、特別な日故の演出に思える。
複数ある後宮の一つ、その中でも懐かしの青宮へ向かう。各宮の屋根は色分けがされているので、その色がそのまま建物の名前になっている。
後宮の造りは面白く、敷地全体から水を集め、中央の庭園に流す溝が地面に掘られている。短い雨季には庭園に池が出現し、その時だけ咲く花が水面に浮かぶという凝ったもの。今は空。
これはアッジャール以前の支配者が東方の宗教である、幽地の思想を参考に設計させたからである。なんでも”無為有転たる現中を色とし、還水を受け繋ぎ、乾期不変の幽地へ注ぐ”らしい。
この表現には宗教的に厳格な意味合いが含まれており、平易な言葉にしてしまうと理解不能な程に長い、らしい。
東方哲学を追究しだすとキリが無く、大袈裟だが言葉一つで身の丈の論文が積めるとか何とか。たぶん、権威を気取ろうとして大袈裟に言っている。
その昔は混乱を防ぐ為に、青宮には若い女はいなかった。他の王子もおらず、顔を出す中で一番若いのは王子の教育で後宮を回っていた時期があるシビリだけ。後は老いた宦官、目や耳が悪くなった老下女、友イリヤス、師オダル。
記憶も定かではない頃の青宮では、若い下女がよく殺し合いをしていたらしい。母もそれで死んでいる。
物心つく前の魔性の目と泣き声は、それはもう人心惑わすことこの上なかったそうだ。お守りをしようと女達が争って殺し合った程で、危険な化物と良く始末されなかったものだ。ある程度成長してからは殺し合わせるような能力も無くなったらしいが。
今では青宮には見知らぬ弟達がいて、その母達がいて、他のところと同じように普通の若い下女が仕事をしている。
一応、声は出さぬよう、目線は床に下ろして目を合わせぬように部屋へ静かに進む。要らぬ騒ぎは要らぬもので、途中、自分が誰であるか気づいた下女が顔を下げて礼をするやら逃げるやらの姿勢で素早く物陰へ行く。あれが正しい対応だ。
わざわざ皆が遠回りをしてまで近寄らない部屋の前に着く。床の磨り減り具合まで違うのが分かる。
垂簾を分けて覗けば、家具は全く昔と違うが、部屋の形は勿論同じ。
記憶より中が薄暗い。室内からは庭園が良く見えるはずだが、花が咲く蔓が窓を覆い尽くしている。洒落た封印だ。これが子供の頃からの部屋だ。
自分が寝るために、最近になって手が入れられたようで、壁と家具の褪せ具合が全く違う。
発狂した者達の死体が積み重なって以来、近寄る者を呪い殺すという噂が立っており、それが風化している様子は無い。
”怨霊が守ってくれるからこの部屋は護衛要らずだな”とオダルが軽口を叩いたことがある。
”何かここの空気辛ぇよな。変な香水つけた女でも入れたか?”と何も考えていないイリヤスですら言った。
唯一自力で手に入れたと確信出来るのがこの部屋の空気だ。
蔦の封印の隙間からわずかに覗ける庭園を眺める。確か毎年のように土を入れ替えていた果樹園があったと思うが、撤去されたか?
しかし覗き見とは、日陰者根性が芽生えそうだ。
来客の気配。今ここに訪れる者といえばシビリだけだ。世話係か何かであれば、警戒したような足取りで来るだろう。
「私は使い易いか?」
「そう言われると身も蓋も無い感じですね。でも逆に思ったことはありませんか?」
「シビリを私が使っているだと?」
「言葉より雄弁なものはいくらでもあります」
シビリが窓を覆っていた蔓を手で引き千切り始める。
「くぬぅぅ……! おわ、この」
しかし腕の力が足りず、思うようにいかない。
シビリの肩を抑えて下がらせ、刀で切り落とす。部屋が明るさを増し、懐かしの風景が甦った。庭園にいた女達が慌てふためくやら、こちらに礼をするやら、弟達が首を傾げるやらで面白い。
「イディル様に取り次ぐ協力をしてくれたのは母君です。アッジャールの慣わしを教えて下さったのもそうです。本当に良くしてくださいました。そして今際の折にイスハシル様のことを頼まれました。私は恨みを忘れることはありませんが、ご恩も忘れません。それに……」
「それに?」
「言わなくても分かってくれているといいなぁって、思います」
正直に口に出してはいけない言葉は、身分に肩書きが積み重なると増えてくる。
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青宮で一夜を過ごした。お化けは見かけなかったが、勘違いはされた。悲鳴を聞いて武装した女達が集まり、こちらの目を見てまた別の騒ぎになったりと、長く滞留はしたくなくなった。
明くる朝には、気を利かせたかイリヤスが「地栗鼠!」と言いながら、オルフにはいない齧歯類の尻に刀を差して丸焼きにした物を持ってやってきた。
彼はもう成年も過ぎた男なので昔のように後宮へ来ていいものではない。終始下女達と言い争っていたが、それ以上の騒動は起きなかった。
そして夕方にはアッジャール支配領域全土の有力者が集まる宴が大広間で開かれた。堂々と席についている者が大半であるが、中にはアッジャールに送還した兄弟王子達のような肩身が狭い者達も着席している。
塩で水分が抜けたアッジャール統の兄弟王子も着席していて、ラグト統の貴人も似たような状態だ。水分が抜けた上に頭の無い彼等の兄弟貴人が、生きている者の隣に座っている。
加えて太祖統ではない、最も貴くない新たな征服地で捕虜になった貴族等も檻の中から出席している。
まだ生きている各自には特別な杯が用意されている。下顎を外した頭蓋骨、髑髏杯だ。
自分の手元の盃は旧ペトリュク王ご本人で、かの王は頭が大きいので結構な量の酒が注がれてしまった。一息に飲み干すのが難しそうだ。咽ないようにしなければ。
こんな様子なのによくもまあ自分の部屋に呪い話を作ったものだ。あれで呪われるのなら亡者の軍団が沸き出てくる場所をいくつも知っている。
列席者にはアッジャール統とラグト統ではないが、しかし太祖統に連なる最も高貴な王達もいる。皆、父王イディルに忠誠を誓っているのだが、しかしこれでもまだ二代目の統一皇帝を名乗ることは出来ない。
太祖皇帝はバラバラだった遊牧民族を統一したから皇帝になったのではない。統一した後に最大の敵を撃破し、異郷に大版図を広げ、周囲に並び立つ者は無いと認められてからの王の中の王、王を超えた皇帝となった。
統一まではあくまでも身内のしのぎ合いであり、内輪の論理に留まる。統一した後にその結束の強さを示してこそただの王ではないことを証明できる。
”砂鉄ではない鋼鉄だと証明するには叩いて砕けぬこと。狩られる者ではない狼だと証明するには勝って奪うこと。砕けぬ狼こそが皇帝である”。
これが太祖皇帝の初めの宣言であり、記録の少ない時代であるから子孫の我々には遺言である。この言葉があるからこそ統一皇帝目前と言われた何人もの英雄が、所詮は目前で終わった由縁である。二代目が死後何百年経っても現れなかった理由である。
これから王で終わるのか、そうではないのか、父王が試される。
父王イディルが立ち上がり、皆が一斉に続いて立ち上がる。
「ラグト及びオルフの征服ご苦労。両地を獲得したことにより、夢想が現実となる。世界へ打って出るからこそ帝国であるのだ。狩れぬ獲物がいる狼はただの狼である。世界で一番の巨獣、魔神代理領を狩れぬ狼はただの狼であろうか? 狐やも知れぬ。だから世界最強の獣に食らいつく。我が牙が鋼鉄であるならば、必ずや砕けず食い破れる。
”砂鉄ではない鋼鉄だと証明するには叩いて砕けぬこと。狩られる者ではない狼だと証明するには勝って奪うこと。砕けぬ狼こそが皇帝である”。
今こそ証明する時が来た。父と祖父、その父と祖父、祖先、第一の太祖統一皇帝バルハギンの子が一人、第二の世祖たるアッジャールの若き頃からの夢、宿願、この黒鉄の狼と呼ばれたイディルが叶える。
叶える力を得た。太祖皇帝を敗死せしめた、砕けぬ狼を砕いた獅子いや竜いやそれすらも超えた異形の化け物、魔神代理領に勝つことこそが、狩ることこそがこの時代の最強であると証明できる唯一の手段と皆が認めるところであろう。
あの日より、太祖皇帝の子等の王朝は魔神代理領に挑むことすら稀で、挑んでも地方勢力に追い返されるのが常だった。狐のように追い立てられることすら少なく、ゴミを漁る野犬のように追い払われた。
我々の血には復讐の言葉が刻まれている。父や祖父を殺されたからではなく、侮辱されたことに対する復讐だ。侮り、とどめを刺さなかったことを後悔させてやる。
土地と財宝が欲しい者もいるだろうが、それは女子供にでも拾わせておけ。男の仕事はひたすら殺すことだ。
捕虜を取るな、身代金を払う者も殺すから無駄だ。
奴隷も取るな、戦争の邪魔だ。
女も取るな、無駄飯食らいだ。
建物は焼け、我々に持って歩けない寝床は不要だ。
畑は焼け、我々は農民ではないから不要だ。
攻撃は一度じゃない。時に攻めるのが困難になる日もある。そこから一旦引いた時のために敵に何も残すな。何度も噛み付き、食い千切り、骨にする。玉座はその骨によって作られる。栄光は骨の髄より出でる」
父王イディルがラグト王の髑髏杯を掲げる。子たる、弟や婿たる王も、他の将軍達もそれぞれ有力な者だった髑髏杯を掲げた。
「いずれ魔族共の異形の杯にて乾杯しようぞ。乾杯!」
『乾杯!』
飲み干すまで時間が掛かるが、父王に合わせなくてはいけない。これが難しい……合わせて飲み干す。
「むはぁっ!」
父王に合わせ、皆が一斉に髑髏杯を床に叩き付けて粉砕する。