「龍神英雄譚 靈皇 第一部 地の劫/天の殤 」 ――一人の少年が運命に抗い、運命を超え、虫より龍へと至る神話叙事詩――   作:八神 アキト

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第二話 追撃

夜風が林を裂くように吹き抜け、枝葉が震えた。

 

蒼白い狐火が闇を照らし、その中心に一騎の影が疾走する。

 

 

 

銀狐(ぎんこ)は三尾の霊狐に跨り、面の奥から鋭い眼差しで前方の黒影――阿虫(あむし)を睨みつけていた。

 

 

 

「逃げ足だけは……一人前ね」

 

 

 

霊狐が跳躍する。

 

三本の尾が同時に振り下ろされ、蒼い狐火が三条の斬光となって闇を裂いた。

 

 

 

阿虫は林の影を縫うように走り、落ち葉一枚踏み鳴らすことなく地を滑る。

 

鍛えられた技によるものではない。

 

ただ――生き残るための本能がそうさせているだけだ。

 

 

 

飛来する狐火が炸裂し、木々が弾けた。

 

 

 

――ドンッ!

 

 

 

火光が夜空に咲き、阿虫は転がるようにして再び影へと消える。

 

 

 

「隠れたつもり?」

 

 

 

銀狐は冷たく笑う。

 

 

 

「ならば――暴き出すまでよ」

 

 

 

右手をそっと持ち上げる。

 

澄んだ光が掌に集まり、無数の粒子となって空気へ溶けていった。

 

 

 

次の瞬間。

 

 

 

光の粒が舞い散り、数万の蝶となって林に広がった。

 

半透明の羽――魂に触れるようなざわめき。

 

 

 

万花蝶(まんかちょう)。

 

 

 

「探しなさい」

 

 

 

蝶たちは風とともに木々の隙間へと溶け込み、周囲の“神”の波を探知していく。

 

 

 

精は根、気は力、神は識。

 

術を扱うには“神”を触れさせる必要がある。

 

万花蝶は術者の神識を写し取った存在――

 

空気に触れるだけで生命の精神波を捉える。

 

 

 

阿虫は枝葉の影に身を潜めながら、空気がぞわりと逆立つ感覚を覚えた。

 

 

 

「……やっかいだな」

 

 

 

その直後、霊狐の三尾が同時に振り上げられた。

 

 

 

――轟ッ!

 

 

 

狐火が網のように広がり、木々を焼き穿つ。

 

阿虫は炙り出され、地面を転がりながら別の影へと逃げ込む。

 

 

 

「よく動くわね。なら――もっと追い詰めてあげる」

 

 

 

阿虫は高木へ跳び移り、銀狐を見下ろしてニヤリと笑った。

 

 

 

「おい銀面。そんなに俺のこと気に入ったのか?」

 

 

 

「……はあ?」

 

 

 

霊狐の尾火がさらに燃え上がる。

 

 

 

阿虫は肩をすくめる。

 

 

 

「いや、だってさ。全然俺を捕まえられないし?」

 

 

 

「……言ったわね」

 

 

 

銀狐も高枝へ跳躍し、対峙する。

 

 

 

「――万花蝶」

 

 

 

再び蝶の群れが炸裂し、夜空へと舞い上がった。

 

 

 

その光景を、阿虫は焦る様子もなく見つめる。

 

 

 

手のひらに青い火が灯る。

 

 

 

深淵の色をした、冷たい火。

 

 

 

「魂網(こんもう)」

 

 

 

阿虫の周囲に迫った万花蝶は、触れた瞬間に青い糸に絡め取られた。

 

火の糸は生き物のようにうねり、蝶を絡め、凍らせ、砕く。

 

 

 

そして――

 

その糸は蝶の源へと逆流する。

 

 

 

「――っ!」

 

 

 

銀狐の身体に青い火糸が絡みつき、腕、腰、脚を拘束した。

 

 

 

「なっ……!? この冷たさ……っ」

 

 

 

霊魂を媒介とする青い火は、見た目こそ炎だが、触れれば刺すような冷気が走る。

 

 

 

「動くな」

 

阿虫は軽やかに地へ降りた。

 

 

 

「ちょっとしたお仕置きだ。俺たちの邪魔をした罰、な?」

 

 

 

「あなた……っ! 離しなさい!!」

 

 

 

「へえ? そのままでもいいぞ? それ、触れてるだけでどんどん冷えるから」

 

 

 

銀狐の呼吸が乱れる。

 

 

 

阿虫が歩み寄る。

 

 

 

その声音にはからかいよりも、どこか危うい優しさが混じっていた。

 

 

 

「大人しくしてろ。別に傷つける気はねぇからさ」

 

 

 

「う、うるさい……!」

 

 

 

その瞬間――

 

 

 

轟ッ!!

 

 

 

霊狐が暴発するように突進した。

 

三尾が一斉に阿虫を狙う。

 

 

 

無茶な攻撃。

 

このままでは銀狐自身も巻き込まれる。

 

 

 

「お前……馬鹿かよ!!」

 

 

 

阿虫は魂網を即座に解除し、拘束の反動でぐらついた銀狐を抱きしめるように引き寄せ、そのまま木々の影へ飛び込んだ。

 

 

 

二人は高所から転がり落ちる。

 

 

 

阿虫は銀狐を庇う形で地面に叩きつけられ、息を飲んだ。

 

 

 

銀狐は目を見開き、阿虫の顔と至近距離で向き合った。

 

 

 

――呼吸。

 

――体温。

 

――心音。

 

 

 

面具が外れ、白い頬が露わになる。

 

 

 

阿虫は一瞬、言葉を失った。

 

 

 

銀狐もまた動けない。

 

 

 

なぜか胸がざわつく。

 

初めて見るはずの顔なのに、どこか……懐かしい。

 

 

 

「……ど、どきなさい……! 重い……っ」

 

 

 

銀狐が赤い耳を隠しながら押し返す。

 

 

 

阿虫も慌てて体を起こした。

 

 

 

「いやお前、さっき自分ごと焼かれるとこだっただろ! 助けただけだ!」

 

 

 

「助けろなんて言ってない!!」

 

 

 

「放っといたら死んでただろ!」

 

 

 

「余計なことを……っ!!」

 

 

 

二人が同時に顔を背けた瞬間――

 

 

 

……ドズン。

 

 

 

地面が震えた。

 

 

 

直後。

 

 

 

林を薙ぎ払うような咆哮が響く。

 

 

 

巨影が闇を割って姿を現した。

 

 

 

暴雉獣(ぼうちじゅう)。

 

 

 

巨岩のような胴体に鋼鉄めいた羽毛。

 

頭部は猛禽のような険しい形をしており、退化した翼を叩けば空気そのものが震える。

 

四肢は太く、踏みしめる度に地面が沈む。

 

 

 

その瞳には――怒りしかなかった。

 

 

 

阿虫が顔を引きつらせる。

 

 

 

「……最悪だ」

 

 

 

銀狐も青ざめる。

 

 

 

「な、なんでこんな獣が……!?」

 

 

 

阿虫は顎で示す。

 

暴雉獣の背後――

 

粉々になった巣と、赤黒い殻の破片。

 

 

 

「……お前の狐火が、巣の卵を焼いたらしいぞ」

 

 

 

「――――っ!!」

 

 

 

銀狐の顔色が最悪の意味で変わった。

 

 

 

暴雉獣が咆哮する。

 

 

 

その足が持ち上がり――

 

 

 

大地が砕けるように、振り下ろされた。

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