「龍神英雄譚 靈皇 第一部 地の劫/天の殤 」 ――一人の少年が運命に抗い、運命を超え、虫より龍へと至る神話叙事詩――   作:八神 アキト

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第三十一話 蛇姫と七殺編 其ノ十一 処刑

柴小屋の中で、は壁際にもたれていた。

彼は本当に眠っていたわけではない。

それは、意識がまだ許してもいないのに、身体のほうが先に限界を迎え、短い闇の中へ落ちていったようなものだった。

手首の布は自分で巻き直してあった。だが、その巻き方はひどかった。ある部分はきつすぎて、皮膚が白く締めつけられている。ある部分は逆にゆるみ、掻き破った血口が覗いていた。乾いた血が皮膚に張りつき、硬く、痒い。その痒みは表面に留まるものではなく、肉の奥に潜り、何か小さなものが神経に貼りついて、少しずつ噛んでいるようだった。

彼の手の中には、まだが握られていた。

強く握っていた。

掌は鎧魂萃の縁に裂かれ、血は掌紋を伝って滲みこみ、冷気の中でゆっくり乾いて、彼の手とその暗紅色のものを一つに貼りつかせていた。

七殺鎧魂萃は光っていなかった。

音もなかった。

けれど、それは死物には見えなかった。

むしろ、目を閉じた獣のようだった。

獣は眠っていない。

ただ、血がもう少し増えるのを待っている。

痛みがもう少し深くなるのを待っている。

今にも切れそうなその糸が、ついに自分の前で切れるのを待っている。

阿虫の肩が、かすかに震えた。

寒さではなかった。

痛みでもなかった。

雪の音を聞いたからだった。

ぎしり。

ぎしり。

誰かが積もった雪を踏んでいるような音だった。

目の前は、一面の白になった。

氷と雪の世界。

風は遥か遠くから吹きつけ、細かな雪粒を巻きあげながら顔を掠めた。それは風というより、刀の背に似ていた。天地のあいだに泰城はなく、もなく、油煙も、酒の匂いも、人の声も、腐った木の湿った臭いもなかった。あるのは白だけだった。清潔すぎる白。息が詰まるほどの白。

阿虫は雪の中に立っていた。まるで、自分がまた八歳のあの日に戻ったかのようだった。

遠くに、一人の人影が立っていた。

その人は近づいても来ない。去ってもいかない。

衣の裾が風雪に揺れ、顔は白い雪に霞んでいた。けれど阿虫には、それが誰なのか分かっていた。

芙蓉。

見間違えるはずがない。

どれほど年月が過ぎようと、血と、夢と、憎しみと、逃避を隔てようと、その後の彼がわざと自分を腐らせて他人に見せつけてきた日々を隔てようと、それでも彼には分かった。

芙蓉は何も言わなかった。

若様、とも呼ばなかった。

責めもしなかった。

この何年、なぜそんな有様になったのかとも問わなかった。

ただ、彼を見ていた。

その目はとても静かだった。

静かすぎて、阿虫の胸が詰まった。

彼女が罵ってくれたほうがよかった。

恨んでくれたほうがよかった。

悪夢の亡魂のように飛びかかり、彼の喉を掴み、あの時どうして何もできなかったのかと問い詰めてくれたほうがよかった。

だが、彼女はそうしなかった。

ただ彼を見ていた。

それはどんな呪いよりも重かった。

阿虫は口を開こうとした。

しかし喉は雪で塞がれたようで、一文字も出てこなかった。

風が不意に強まった。

芙蓉の顔が、風雪の中で少しはっきりした。

そしてその瞬間、血の気が引き始めた。

まず唇。

次に目尻。

皮膚の下から一点の青斑が浮かびあがった。白紙に水の跡が滲むように、あるいは毒蛇が血肉の中に影を残したように。その青は少しずつ濃くなり、頬を這い、首へと伸びていった。

阿虫の呼吸が、はっと途切れた。

芙蓉の輪郭が風雪に吹き散らされる。

その内側から、別の顔が浮かびあがった。

古銅色の肌。

暗い紅紫の短い巻き髪。

朱紅色の瞳。

額の両側から覗く夜叉の角は、雪明かりの中でひどく孤独に見えた。

がそこに立っていた。

顔じゅうを青斑に這われて。

彼女も何も言わなかった。

ただ彼を見ていた。

芙蓉と同じように。

阿虫には、雪の中に立っているのが、過去に死んだ芙蓉なのか、今日刑台に押し上げられる辛夷なのか、もう分からなくなった。

あるいは、この二つの顔は最初から、彼の心の中で一つの顔に重なっていたのかもしれない。

どちらも、彼が救えなかった人だった。

どちらも、彼を見ている人だった。

どちらも、彼が目を閉じれば、闇の中からふたたび歩いてくる人だった。

辛夷の唇が、かすかに動いた。

阿虫には声は聞こえなかった。

けれど、彼女が何を言ったのかは分かった。

来るな。

とても軽く。

雪が血の上に落ちるように。

来るな。

阿虫ははっと目を見開いた。

柴小屋は柴小屋のままだった。

雪はない。

芙蓉もいない。

風の中に立つ辛夷もいない。

あるのは冷えた灰、壊れかけた壁、湿った柴の黴臭さ、そして自分の、人のものとは思えない荒い息だけだった。

彼は自分の手を見下ろした。

七殺鎧魂萃は、まだ掌にあった。

血はもう乾き、皮膚と魂萃を貼りつけている。少し指を動かしただけで、乾いた血のかさぶたが裂け、新しい血がまた掌紋から滲み出た。

暗紅色の魂萃は、なお静かだった。

だが今度は、少し熱を帯びているように思えた。

火の熱ではない。

血の熱だった。彼の次の決断を、鼓動のように促していた。

清晨の銅鑼が鳴ったのは、その時だった。

どん——

一つ目の音は重かった。

まだ目覚めきっていない泰城の胸を、鉄槌で叩いたようだった。

阿虫は目を上げた。

二つ目の銅鑼が落ちる。

どん——

阿虫は指を一本ずつ、ゆっくり握りしめた。

そして、もう止まらなかった。

彼は身を返し、戸を押し開けた。

木戸が、ごく小さな音を立てた。

庭はまだ冷えていた。

朝霧が地面に貼りつき、壁際や水甕のあたりに溜まっている。

阿虫は裏庭の出口で、一息だけ立ち止まった。

振り返らなかった。

誰も呼ばなかった。

まるで最初から、これからすることは誰とも関係がないと決めていたかのようだった。

彼が一歩踏み出したところで、表の方から、とても軽い声が聞こえた。

「阿虫」

だった。

阿虫の足が止まった。

振り返らなかった。

阿橙は廊下の下に立っていた。

いつからそこにいたのか分からない。身には素色の上着を羽織り、髪は簡単にまとめている。まるで一睡もしていないようだった。顔色は平静だった。平静すぎて、疲れに近かった。

彼女は阿虫の背を見ていた。

そして、彼の掌から覗く暗紅色も見ていた。

血に貼りついた七殺鎧魂萃も見ていた。

阿橙の目がわずかに動いた。

彼女はすべて分かっていた。

昨夜、柴小屋で起きていた気配。

阿虫が巻き直した、ひどい手首の布。

銅鑼が鳴ってから、ほとんど迷わず裏門へ向かったこと。

そして今、彼が一言も悪態をつかない沈黙。

それだけで十分だった。

それでも阿橙は問わなかった。

どこへ行くのかとは聞かなかった。

辛夷を救いに行くのかとも聞かなかった。

「行くな」とも言わなかった。

言っても無駄だと知っていたからだ。

阿虫はしばらく待った。

彼女が罵るのを待っているようだった。

止めるのを待っているようだった。

いつものように冷たく鋭い声で、また発狂しているのかと言われるのを待っているようだった。

だが阿橙は何も言わなかった。

彼女は数歩近づき、小さな布包みを裏庭の石台の上に置いただけだった。

「中に止血薬が入っている」

彼女は言った。

声は高くなかった。

余分な感情もなかった。

阿虫の指が、かすかに強ばった。

彼はなお振り返らなかった。

「散歩に行くだけだ」

阿橙は彼を見ていた。

「道中、気をつけて」

その一言を落とすと、彼女はもう何も言わなかった。

祝福ではない。

許可でもない。

賛成でもない。

ただ、姉として、もう止められない場所で、最後にできることを道端に置いただけだった。

阿虫は長いあいだ沈黙した。

やがて手を伸ばし、その小さな布包みを取って懐に入れた。

礼は言わなかった。

彼女も見なかった。

ただ、低く一文字だけ吐いた。

「うん」

声はひどく掠れていた。

ほとんど彼のものとは思えなかった。

阿橙はその場に立ち、彼が裏門へ向かうのを見ていた。

門の外の路地は朝霧に呑まれ、灰白色に沈んでいた。まるで、行くべきではない場所へ通じているようだった。

阿虫が踏み出した瞬間、足がまた止まった。

路地口に人がいた。

一人ではない。

が壁に凭れ、腕を組んでいた。いつものような腹立たしい得意げな顔ではなかった。片足を壁際にかけ、口元は笑おうとしているようで、結局笑えなかった。

「よ」

彼は声を低くして言った。

「早起きだな、臭虫」

阿虫は眉をひそめた。

まだ何も言わないうちに、反対側の影から、の鳴き真似のような冷たい鼻息が聞こえた。

欧陽梟がそこに立っていた。

捕快服はきちんと着ておらず、上着だけを羽織っている。だが腰にはすでに刀があった。顔は普段よりさらに冷たく、目の下には寝不足の青さがある。阿虫が出てくると、彼はまず阿虫の掌の血を一瞥し、眉を沈めた。

「やはりな」

彼は言った。

「死にに行く気か」

西門鼎がすぐに振り返って睨んだ。

「言い方ってもんがあるだろ。死にに行くって何だよ。これは……これは……」

途中で、自分でも適切な言葉が見つからないことに気づいた。

もしかすると今日の後、阿虫は泰城全体の敵になるかもしれない。

だから彼は苛立たしげに頭を掻いた。

「とにかく、一人で行かせるわけにはいかねえ」

阿虫は二人を見た。

目が少しずつ冷えていく。

「誰が来いと言った」

西門鼎はようやく、少しいつもの調子を取り戻したように鼻を鳴らした。

「お前、自分がうまく隠せてると思ってるのか?」

彼は阿虫の手を指した。

「昨夜からずっと、墓でも掘りに行くみたいな死人面してたぞ。誰が見ても分かる」

阿虫は冷たく言った。

「消えろ」

西門鼎の顔が固まった。

だが欧陽梟は、その言葉に怒らなかった。

彼はただ阿虫を見て、声を低くした。

「やるなら、せめて身元を隠せ。自分の素性を晒すな」

阿虫は黙っていた。

欧陽梟は続けた。

「お前自身のためでなくとも、一笑楼や阿橙たちにどんな累が及ぶかくらい考えろ」

阿虫の目が、そこでようやく動いた。

欧陽梟は黒い外套と覆面布を阿虫に投げた。

「今日、には見物人が集まる。太守府も衛兵を配置している。俺たち捕快は人の流れを誘導し、現場の秩序を維持する役だ。普通の人間では、刑台に近づくことすら難しい」

西門鼎が続けた。

「だから、ちょっと考えた」

阿虫は彼を見た。

西門鼎は珍しく自慢しなかった。

ただ鼻の頭を撫で、阿虫の目を避けた。

「勘違いするなよ。お前のためじゃない」

彼は言った。

「あの蛇女は口が悪いが、あんなふうに訳も分からず死ぬべきじゃねえと思っただけだ」

少し間を置いて、さらに付け足した。

「こういう白黒つかねえことを見て見ぬふりしたら、泰城の臥虎として、これからどうやって威張ればいいんだよ」

欧陽梟が冷たく言った。

「無駄口はいい」

西門鼎はすぐ不満げに言い返した。

「お前、いちいち捕快ぶるなよ。今は俺が大事なことを言ってるんだ」

「お前の大事なことは、だいたい無駄口だ」

「てめえ——」

阿虫がふいに口を開いた。

「どんな方法だ」

二人は同時に止まった。

路地が一瞬静かになった。

西門鼎と欧陽梟は目を合わせた。

欧陽梟はすぐには答えなかった。

彼の視線は阿虫を越え、一笑楼の裏門へ向かった。

阿橙はまだそこに立っていた。

近づきもせず、止めもしない。

ただ遠くから見ているだけだった。

欧陽梟は何かを確認したように、阿虫へ視線を戻した。

「道すがら話す」

阿虫の目は冷たかった。

「連れて行くとは言ってない」

西門鼎が即座に噛みついた。

「誰が連れて行けって言った? こっちにはこっちの足がある」

欧陽梟の声はさらに低くなった。

「今は意地を張っている時ではない」

彼は阿虫を見据えた。

「成功させたいなら、考えられる準備はすべてしておけ」

その言葉は釘のように刺さった。

阿虫の顔色が、はっきりと一瞬険しくなった。

彼はこういう言葉が嫌いだった。

特に、正しい言葉が嫌いだった。

西門鼎も珍しくふざけず、持ってきた猟弓を叩き、背負った矢筒を担ぎ直した。

欧陽梟はそれ以上多くを語らず、二人を手招きした。

三人の影は路地口の深い霧の中へ沈み、声は朝風と遠くの銅鑼にかき消された。

聞き終えた阿虫は、目を閉じた。

再び開いた時、目の奥にあったわずかな迷いは消えていた。

「足を引っ張るな」

彼は言った。

西門鼎はにやりと笑った。

その笑みには、ようやく少し普段の色が戻っていた。

「安心しろ。足を引っ張るのは、たいていお前の役だ」

阿虫は冷たく睨んだ。

「今ここで死にたいのか」

西門鼎はすぐ両手を上げた。

「悪かった悪かった。行こうぜ、行こう」

「今話した通り、分かれて動く。事が済んだら決めた場所で合流する。欧陽鶯には途中で接応するよう手配してある」

欧陽梟はすでに背を向けていた。

三人は何か計画を決めたらしく、それぞれ別の方向へ散っていった。

阿虫はもう振り返らず、欧陽梟から渡された外套を羽織り、覆面布をつけた。

それでも彼は、阿橙がまだ裏門のところに立っているのを知っていた。

呼び止めない。

止めもしない。

彼が朝霧に入る直前、ただとても軽く言った。

「気をつけて」

阿虫の足が半息だけ止まった。

そして、そのまま前へ進んだ。

返事はなかった。

朝霧が彼らの影を呑み込んだ。

一笑楼の裏門前には、阿橙だけが残された。

袖の中で、彼女の指先は少しずつ握り締められていった。

彼女は、阿虫が何をしに行くのか分かっていた。

そして、自分には本当に彼を止めることができないとも分かっていた。

しばらく考えたのち、彼女は熊伯に一声かけ、自分も城南門の様子を見に行くことにした。

玉蓮はまだ、負傷した草芳と香菱の世話をしている。阿橙が表へ戻ると、水仙が淡い色の外套をまとって待っていた。

「水仙お嬢様……」

「阿橙さん、城南へ行くのなら、私も同行させてください」

「ただ……このまま座視することはできないと思ったのです……」

阿橙は多くを言わず、わずかに頷いただけだった。

太史邦が長い酒臭いげっぷを一つし、のろのろと重剣を肩の後ろへ担ぎ上げた。

「お嬢さん方、こんな朝早くから見物かい?」

彼は目を細めて笑った。

「あそこは人も多いし、何かと物騒だ。ちょうど老夫は今日は暇でな。一度くらい護衛をしてやろう」

太史邦のその酒臭いげっぷは、表の間に残っていた最後の重い空気を少しだけ緩めたようだった。

けれど、誰も本当に笑わなかった。

阿橙は彼を一瞥しただけだった。

水仙も黙認したが、何も返さなかった。

「行くぞ」

三人が一笑楼を出た時、城南門の方角から、また銅鑼が一つ鳴った。

どん——

そしてその時、太守府の地牢の奥で、辛夷もその銅鑼を聞いていた。

厚い石壁を抜けて届いた音は、もはや銅鑼には聞こえなかった。

遥か遠くで、誰かが空の棺を一つ一つ叩いているようだった。

辛夷は牢壁にもたれていた。

両手は鉄環で拘束されている。鉄環には錆が浮き、縁も滑らかではない。少し手首を動かすだけで、粗い鉄が皮膚に食いこみ、昨夜ようやく塞がりかけた傷をまた磨り開いた。

彼女はもがかなかった。

痛くないからではない。

痛みというものに、もうあまりにも慣れていたからだ。

肩には、まだ赤蠍が残した毒痛があった。

蠍紅針の毒は、人を殺すためのものではない。人に痛みを覚えさせるためのものだった。それは細かな虫のように皮肉の中へ潜み、しばらく静かになったかと思えば、また突然経絡に沿って広がり、慣れたと思った瞬間に、ふたたび人を引き戻す。

辛夷は目を閉じていた。

呼吸は浅い。

地牢は湿っていた。

壁の隅から水が滴り落ちる。

ぽたり。

ぽたり。

その音を聞いているうちに、辛夷はふと人界の小川を思い出した。

大きな川ではない。

ただ、城外を流れる普通の小川だった。

初めてそこで阿虫を見た時、彼女はその小川がうるさいと思った。

水音が清らかすぎた。

清らかすぎて、慣れなかった。

魔界の水は、そんなものではない。

魔界の水にはいつも鉱屑、毒滓、腐臭が混じり、時には血も混じっていた。飲める水は奪わねばならず、殺さねばならず、死体を積んでようやく手に入るものだった。だが人界の小川は、ただ石のそばを流れていくだけだった。誰も気にせず、そのためにその場で誰かの喉を裂く者もいなかった。

あの時、彼女は思った。

人界は、本当に違うのかもしれない、と。

だが今、彼女はここに座っている。

銅鑼を聞きながら。

城南門外の処刑台へ引き出されるのを待ちながら。

外の人間たちは、今も彼女を魔女と呼んでいるのだろう。

辛夷は低く笑った。

その笑いは短かった。

形になる前に、乾いた喉に削られて消えた。

牢の外から足音が聞こえた。

看守ではない。

看守の足音は重く、腰の鍵が鳴る。

この足音は軽かった。

まるで蛇の腹が湿った石面を擦るように。

辛夷の笑みは瞬時に消えた。

彼女は目を開けた。

鉄扉の外の油灯が、人影に一瞬遮られる。

やがて、錠が開いた。

ぎい、と音がした。

よく知った陰冷な気配が、扉の隙間から滲みこんできた。

厳白蟒が入ってきた。

遮毒面が下半分の顔を覆い、細長い目だけが露出している。その目にはたいした感情はなかった。だが、感情があるよりもなお恐ろしかった。

彼の後ろには、黒衣の者が一人続いていた。

黒衣の者は細長い木箱を抱えている。

木箱には装飾がなく、黒い紐で巻かれている。開けてはならないもののようだった。

辛夷はその木箱を見た。

身体が、意識より先に強ばった。

厳白蟒は彼女の前まで来た。

すぐには言わなかった。

まず、彼女を見た。

顔から、額の双角へ。手首、肩、衣にこびりついた血汚れへ。

その目は人を見るものではなかった。

逃げた弟子を見る目でもなかった。

むしろ毒師が薬材を眺め、干し具合は適切か、まだ鍋に入れられるか、最後の価値を搾り出せるかを確かめている目だった。

辛夷はその視線を避けなかった。

声は掠れていた。

「ずいぶん暇なのね」

厳白蟒は、彼女が口を開いたことに怒らなかった。

むしろ、その反応はまだ悪くないとでも思っているようだった。

「まだ話せるか」

彼は言った。

「思ったより良い」

辛夷は口端を歪めた。

「がっかりした?」

厳白蟒は低く笑った。

面の下から漏れる笑いは湿って鈍く、腐肉のそばにとぐろを巻く毒蛇が舌を出すようだった。

「いや」

彼は言った。

「死ぬ前に少し精神が残っている方が、効果はよい」

辛夷の目が冷えた。

「効果?」

厳白蟒は答えなかった。

ただ手をわずかに上げた。

背後の黒衣の者がすぐに木箱を脇の石卓に置き、黒紐を解いた。

箱の蓋が開く。

中には、極細の銀針が並んでいた。

違う。

銀針ではない。

針身は冷たい青を帯び、まるで寒毒が金属の中に凝ったようだった。一本一本の尾には小さな蛇紋が刻まれ、針先には淡い液光が浮いている。皮膚に近づけるだけで、自ら潜りこんでいきそうだった。

辛夷の呼吸が、わずかに乱れた。

厳白蟒はそれを捕らえた。

「見覚えがあるか」

辛夷は黙っていた。

厳白蟒は一本を取り上げた。

油灯の下で、その針は青藍色の光を放った。

「」

彼は軽く言った。

普通の薬材を紹介するように。

「本来、お前のために用意したものではない」

辛夷はその針を睨んだ。

「それは光栄ね」

厳白蟒は彼女を見た。

「お前は、そういう言い方で自分がさほど怯えていないように見せるのが、昔から上手い」

辛夷の指が締まった。

鉄環が傷口を擦る。

彼女はうつむかなかった。

厳白蟒は一歩近づいた。

「惜しいことに、身体は口ほど嘘が上手くない」

彼は手を上げた。

辛夷は肩背を強く強ばらせた。

次の瞬間、黒衣の者が後ろから彼女の肩を押さえた。

動きは素早かった。

辛夷は本能的に抗おうとしたが、鉄鎖と傷のせいで、身をほどく隙間はほとんどない。力を込めた途端、肩に残った蠍紅針の余毒が目覚めたように筋脈に沿って炸け、視界が黒く揺れた。

厳白蟒は急がなかった。

むしろ、とても辛抱強かった。

まだ使える器具を壊したくないように。

「動くな」

彼は言った。

「ずれる」

針が辛夷の首筋に刺さった。

軽い。

まるで拷問ではないほど軽かった。

だがその一瞬、辛夷の瞳孔がぎゅっと縮んだ。

冷たい。

外の冷たさではない。

血の中へ直接入り込む冷たさだった。

青蛇針が刺さっても、すぐに激痛は来なかった。その毒は一本の氷線のように、皮膚の下の血脈に沿ってゆっくり広がる。裂かない。焼かない。ただ、変える。無数の極細い冷たい手が、彼女の血の色を少しずつ別の方へ捻じ曲げていくようだった。

辛夷は歯を食いしばった。

喉から声は漏れなかった。

厳白蟒は一本目の針を抜いた。

針先に一滴の血がついてきた。

その血は最初、まだ暗紅色だった。

だがすぐに、縁が青く滲み始めた。

墨が水に落ちるように。

少しずつ、色が変わっていく。

厳白蟒はその滴を見つめ、目にようやく満足に近い色を浮かべた。

「まだ足りない」

彼は二本目の針を取った。

彼女の反対側の肩首に刺す。

今度は、辛夷の身体がはっきりと跳ねた。

鉄鎖がじゃらりと鳴る。

食いしばりすぎた唇の端から、わずかな血が滲んだ。

厳白蟒は彼女を見下ろした。

「人間が最も信じるものを知っているか」

辛夷は荒く息をしながら、冷たく彼を睨んだ。

厳白蟒は答えを待たなかった。

「目だ」

彼は言った。

「彼らはお前の弁解を信じなくてもよい」

「毒を理解しなくてもよい」

「青蝕とただの疫病の区別もつかなくてよい」

「だが、自分の目で見たものは信じる」

彼は二本目の針を抜いた。

その針先の血は、もう明らかに青みを帯びていた。

「お前が流す血が赤くないと見れば、それだけで彼らはそれ以上考えなくてよくなる」

辛夷の指先が震えた。

痛みのせいではない。

彼が何をしようとしているのか、ようやく理解したからだった。

厳白蟒は彼女を苦しめに来たのではない。

少なくとも、それだけではない。

彼は彼女を、より魔女らしい姿へ加工しているのだ。

処刑の前に。

すべての人間の前で。

彼女の血を、彼女が人ではない証拠にするために。

辛夷は胃の奥が冷えていくのを感じた。

彼女は魔界から逃げた。

腐敗獄から逃げた。

毒池から逃げた。

奴隷を材料としか見ない者たちから逃げた。

それなのに結局、人界の刑台の上で、彼女はなお厳白蟒の手によって別の「材料」に加工されようとしている。

彼女は低く言った。

「本当に気持ち悪い」

厳白蟒の動きが一瞬止まった。

それから、彼は軽く笑った。

「違う」

彼は言った。

「これは気持ち悪さではない」

「理解だ」

彼は三本目の針を取った。

「私は人間を理解している」

「彼らには単純なものが必要だ」

「一目で善悪を分けられるものが必要だ」

「考えずに信じられる証拠が必要だ」

針が辛夷の鎖骨下へ刺さった。

今度は、冷気が直接心臓へ注ぎこまれるようだった。

辛夷はついに耐えきれず、喉から極低い呻きを漏らした。

厳白蟒は彼女を見下ろした。

「見ろ」

彼は言った。

「青くなった」

「これは彼らを安心させる色であり、同時に彼らを恐れさせる色でもある」

安心。

その二文字が、針のように辛夷の耳へ刺さった。

彼女は目を上げた。瞳にようやく怒りが浮かんだ。

「泰城で、あなたたちは何をしたの」

厳白蟒は答えなかった。

辛夷の声はさらに掠れた。

「あの青斑の症状……やっぱり、あなたがやったのね……」

厳白蟒の目が、かすかに弧を描いた。

「今、あの人間たちは、お前がやったと思うだけだ」

辛夷は彼を睨みつけた。

「なぜ——」

「お前が相応しいからだ」

厳白蟒は遮った。

彼は三本目の針を抜いた。

今度、針先に付いてきた血は、はっきりと青かった。

油灯の下で、それは冷えきった夜の一滴のようだった。

彼は彼女を見下ろし、平静な声で言った。

「辛夷、見ろ。お前は最初から、あそこへ押し上げられるのに最も適していた」

「魔界から人界を害しに来た魔女としてな」

辛夷はふいに黙った。

牢内には水滴の音だけが残った。

ぽたり。

ぽたり。

彼女は曼陀羅を思い出した。

魔殿で、七殺鎧魂萃を挟んで沈黙していたあの夜を思い出した。

あの時、二人とも知っていた。

逃亡は失敗するかもしれないと。

厳白蟒が彼女を見逃すはずがないと。

索命蛊が釘のように命に打ち込まれていると。

それでも逃げた。

そこに残っていても死ぬだけだったから。

ただ今になって、彼女は分かった。

魔界から逃げ出せば終わるものばかりではないのだと。

厳白蟒は最後の針を箱へ戻した。

それ以上刺さなかった。

彼は手を上げ、黒衣の者に離すよう示した。

辛夷の身体は支えを失い、石壁へ寄りかかった。額には冷汗が浮かび、唇の色はさらに浅く、顔の青斑はむしろより鮮明になったように見えた。

厳白蟒は袖から小さな磁器瓶を取り出した。

透明な液を少し垂らし、石卓の血滴のそばへ落とす。

その青い血は液に触れると、さらに鮮やかに色づいた。

厳白蟒は青く変わっていく滴を見つめ、ようやく満足に近いものを目に浮かべた。

「私は元々、お前を最高の傑作にするつもりだった」

辛夷の目が微かに動いた。

「五毒弟子の中で、お前が最も毒に似ていた」と厳白蟒は言った。「赤蠍のように自分を証明したがる毒でもなく、百足のように噛み裂くことしか知らぬ毒でもない。お前は静かで、耐え、観察を知り、いつ牙を隠すべきかも知っていた」

「だから私はずっと、もう少し磨けば、お前は彼らよりも私の望む形へ近づくと思っていた」

彼は少し止まった。

「惜しい」

「制御を失った毒は、収蔵できない」

「廃棄するしかない」

「人界へ逃げれば、魔界から離れたことになると思ったか」

厳白蟒は低く笑った。

「辛夷、お前はまだあまりに甘い」

「魔族が人界に張った根は、お前の想像よりずっと深い。お前はたまたまその隙間の一つへ逃げ込んだだけで、それを出口だと勘違いしている」

「七殺も、も、別に調べる」

「それと、曼陀羅姫だが……」

辛夷の目が、そこで初めて変わった。

厳白蟒はその反応を見て、まるで廃棄寸前の材料に最後の毒性を見つけたような目をした。

「魔界はすでに人手を出して追わせている」

「心配しなくていい」

「安心して逝け」

辛夷は低く笑った。

「本当に、抜かりがないのね」

厳白蟒は彼女を見た。

「人間は魔族よりも儀式を好む。せいぜい、人界での最後の時を味わうがいい」

彼は身を返し、出ていこうとした。

牢門のところまで来た時、また少し止まった。

振り返らなかった。

「辛夷」

彼が彼女の名をこう呼ぶことは、滅多になかった。

辛夷は目を上げた。

厳白蟒の声が面の下から届いた。

「お前はずっと、自分は我々のようなものではないと証明したがっていた」

「今日はよく見るがいい」

「人間が、お前が彼らではないというだけで、どれほど心安らかにお前の死を見届けるかを」

牢門がふたたび閉じた。

鎖の音が落ちた。

油灯が揺れた。

牢内には辛夷一人だけが残った。

彼女は、先ほど鉄環に擦られた自分の手首を見下ろした。

そこから一点の血が滲んでいる。

赤ではない。

青だった。

薄い。

だが、もう戻らない。

辛夷はその青を見つめ、ふと人界のあの小川を思い出した。

水が石の上を流れ、底の砂まで見えるほど澄んでいたことを思い出した。

あの時、彼女は思っていた。

人界の水は自由なのだ、と。

今になって、彼女は知った。

人界へ来たところで、血の色でさえ、人は自分たちの見たい色へ変えることができるのだと。

外で四度目の銅鑼が鳴った。

どん——

辛夷は目を閉じた。

今度は、もう「来るな」とは言わなかった。

城南門では、すでに空が明るくなっていた。

だが、その明るさに温もりはなかった。

朝の光は城壁の上に落ち、冷たい白い霜のようだった。城門の上には太守府の旗が掛けられ、風に開いた旗面に官印の紋様が端正で厳粛に浮かんでいる。その旗だけを見れば、その下の木台が、今日人を殺すための場所だとは思いにくい。

刑台は堅固に組まれていた。

木柱、麻縄、刑架、鉄鎖。一つ一つが整えられている。台の下では官吏が文書を確認し、差役が刀を持って並び、捕快が外側で人の流れを維持していた。百姓が立つ場所まで、太い縄で何層にも区切られている。

最前列は、いわゆる「被害の家」だった。

その後ろに、普通の見物人。

さらに外側には、騒ぎを押さえるための人手がいた。

すべてに秩序があった。

すべてが、悪には見えなかった。

それは官府に整えられた祭礼のようだった。

あるいは、最初から結論を書かれた裁きのようでもあった。

人はますます増えていく。

憎しみに押されて来た者がいた。

恐怖に押されて来た者がいた。

近所の人々に巻き込まれて来ただけの者もいた。

太守府が朝から銅鑼を鳴らすほどの魔女とは、一体どんなものなのか、それだけを見に来た者もいた。

群衆の中では、低い囁きが起こっていた。

「毒を撒いたのは、あいつらしい」

「うちの隣の子も、腕に青斑が出てた」

「本当に魔女なのか」

「それなら何を裁く必要がある。殺せばいい」

最後の言葉を口にした者は、自分でも一瞬固まった。

「殺せばいい」という四文字が、あまりにも簡単に口から転がり出たことに驚いたようだった。

彼は思わず周囲を見た。

誰もおかしいとは思っていなかった。

だから彼も、別におかしくないのだと思った。

群衆とはそういうものだった。

一人の心に突然湧いた悪意も、誰も止めなければ、常理だと思えてくる。

そして三人、四人と頷く者が増えた時、その悪意はもう悪意とは呼ばれなくなる。

民意という名を与えられる。

城門の下に、が立っていた。

彼は座っていなかった。

太守府の者は椅子を用意していたが、彼はそれを退けさせていた。

こういう時、座っていては官に見える。

立っていてこそ、百姓と共にこの災厄を担う者に見える。

彼の官袍はきちんと整っていた。黒い裾が朝風の中で軽く揺れる。顔には怒りも、焦りも、勝利を前にした快意もなかった。

少し疲れて見えた。

その疲れは、ちょうどよかった。

城中の混乱を夜通し処理し、百姓のために夜明けまで奔走した太守の疲れに見えた。

傍らの文吏が低く告げた。

「太守様、時刻が近づいております」

孫人峰はすぐには頷かなかった。

先に群衆を見た。

その一つ一つの顔を見た。

とても真剣に見ていた。

まるで、本当に彼らの痛みを記憶しようとしているようだった。

古い衣を抱いた老婦が最前列に立ち、唇を震わせていた。声を上げて泣いてはいない。ただ、その衣を強く抱きしめている。手を離せば、息子の最後の痕跡まで消えてしまうかのように。

その隣には若い女がいた。腕の中には空の産着を抱いていた。産着はとてもきれいに洗われている。その清潔さが、かえって目に痛い。中に子はいない。小さな布が一枚あるだけだった。女はうつむいており、目は見えなかった。

孫人峰の視線は彼女たちの上に一息だけ留まった。

それから彼は一段、石段を下りた。

その動きは軽かった。

だが、群衆はすぐに少し静まった。

太守が下りてきた。

高所から訓示するのではない。

官吏を隔てて百姓に語るのでもない。

彼は彼らに近づいた。

その一歩が、多くの者の心をわずかに動かした。

よい官とは、こうであるべきだ。

災厄の前では、百姓の近くに立つべきだ。

孫人峰は麻縄の内側で止まり、声を高くせずに言った。

「諸君」

城南門前の雑音が、少しずつ低くなっていった。

彼は話す前に、まず皆へ軽く頭を下げた。

大礼ではない。

けれど、それだけで多くの者がはっとした。

「この数日、泰城は安からぬ状態にあった」

彼は口を開いた。

声は落ち着いており、かすかに疲れを含んでいた。

「青斑を患う者がいる。家人が日に日に冷えていくのを、この目で見た者がいる。夜に子が咳をしただけで、眠ることもできぬ者がいる」

群衆の中で、誰かの目が赤くなった。

彼の言葉が、あまりに正確だったからだ。

まるで本当に一軒一軒の家に入り、床に横たわる病人を見て、夜半に声を潜めて泣く声を聞いたかのようだった。

「本官は知っている」

孫人峰は少し止まった。

「諸君は怖いのだ」

彼は「怖がるな」とは言わなかった。

「官府が守るから恐れるな」とも言わなかった。

それは虚しい。

空々しい。

恐怖を操る術を知る者は、急いで恐怖を否定しない。

まずそれを認める。

そうすれば人は思う。

自分の恐れは臆病ではなかったのだ。

自分は理不尽に騒いでいるのではなかったのだ。

太守は自分を分かってくれているのだ、と。

孫人峰は続けた。

「怖れることは、人の常である」

「魔禍を前にして怖れるなと言う者がいれば、それは安全な場所からものを言っているだけだ」

その言葉に、前列の誰かが低く応じた。

「そうだ……」

とても小さな声だった。

だが、一つの石が水に落ちるように、波紋は広がっていった。

孫人峰はその者を見た。責めなかった。

むしろ頷いた。

「怖れることは、恥ではない」

「家人が害されるのを目にし、答えを求めることも、恥ではない」

「諸君が今日ここへ来たのは、残忍だからではない」

彼は人々を見つめ、声をさらに低くした。

「背後にいる者たちを守りたいからだ」

多くの人の緊張していた肩が、この瞬間、少し緩んだ。

恨みを手放したのではない。

恨みに別の名が与えられたからだ。

家人を守る。

それは復讐より響きがよい。

恐怖よりも響きがよい。

一人の中年男が、急にしゃがれた声で言った。

「太守様、弟は……弟は無念で死にました……」

孫人峰は彼に向き直った。

差役に止めさせなかった。

遮ったことも咎めなかった。

「本官は知っている」

彼は、男の方へ半歩近づきさえした。

「弟の名は?」

男は怔えた。

太守がそんなことを問うとは思っていなかったのだろう。

「陳……陳二橋です」

「歳は?」

「三十二」

「家には誰が残っている」

男の目が一気に赤くなった。

「嫁と……子が二人」

孫人峰は一息だけ沈黙した。

その沈黙は、ちょうどよかった。

まるで、彼の心もまた一人の普通人の死のために重くなったようだった。

「記せ」

彼は傍らの文吏に言った。

文吏はすぐに頭を下げ、冊子に陳二橋の名を書き込んだ。

群衆の中で、多くの者がその一幕を見て目の色を変えた。

太守が記した。

彼らの死は、無駄ではない。

彼らの痛みは、ようやく官府に見られた。

だが誰も気づかなかった。

その名が書き込まれた瞬間、陳二橋という実際に死んだ人間もまた、孫人峰が敷いた火の中へ入れられたのだ。

死者は話せない。

だから生者は彼の代わりに恨むことができる。

官府は、その恨みに向きを与えればよい。

孫人峰は改めて人々を見た。

「本官が今日ここに立つのは、諸君に私怨を晴らさせるためではない」

声は平穏だった。

「もし私怨を晴らすだけでよいなら、官府は牢を閉ざし、密かに処理することもできた」

「だが本官はそうしなかった」

「魔禍は本官一人の事ではない」

「太守府という一つの役所だけの事でもない」

「それは一戸一戸の家の前に落ちている」

「夜ごと眠れぬ者の心に落ちている」

その言葉はあまりにも正しかった。

正しすぎて、ただ見物に来ただけの者でさえ、思わず背筋を伸ばした。

自分たちは一人の女が殺されるのを見に来たのではない。

泰城を守る公義に参与しているのだ、とでもいうように。

孫人峰は目を上げ、刑台を見た。

辛夷はまだ押し出されていない。

刑台は空だった。

人がいる時よりも、空の刑台は、埋められるのを待つ口のように見えた。

「諸君は見る必要がある」

孫人峰は言った。

「官府が逃げていないことを」

「泰城が魔物に頭を垂れていないことを」

「そして——」

彼の声が少し沈んだ。

「境を越えてきたものどもは、裁けぬものではなく、斬れぬものでもないことを」

ものども。

その言葉は軽かった。

けれど、全員の心に重く落ちた。

人ではない。

ものだ。

先に人でなくしてしまえば、その後のすべては容易になる。

前列の誰かが低く言った。

「そうだ、あれは魔女だ」

「魔族が人を害したなら、必ず誅せねばならん」

「太守様の言う通りだ」

道理がある。

時に、最も恐ろしい二文字は賢者の口から出るのではない。

すでに悪をなす準備を終えた群衆の口から出る。

彼らがいったん自分に道理があると思えば、自分に悪があるとは思わなくなる。

孫人峰はその怒声に乗って一気に進めはしなかった。

むしろ手を上げ、静まるよう示した。

「諸君」

「今日は乱れてはならない」

その言葉に、人々はわずかに怔えた。

孫人峰は続けた。

「死者には公道が必要だ。生者にも規矩が必要だ」

「もし今日、ただ叫び、ただ打ち殺し、皆で一人の魔女を引き裂くだけなら、それは魔と何が違う」

この言葉は、あまりに美しかった。

この一句だけを聞けば、誰でも彼が正しいと思うだろう。

人は魔になってはならない。

処刑にも規矩が必要だ。

だが、まさにその規矩が、この後のすべての残酷をより受け入れやすいものにする。

孫人峰は先に彼らのために一本の線を引いた。

線の内側にいる限り、諸君は悪ではない、と告げた。

諸君は囲んで殺すのではない。

私刑を行うのではない。

ただ官府の法の執行を見届けるだけなのだ、と。

「ゆえに」

孫人峰は言った。

「今日の場は官府が取り仕切る」

「諸君には、ただその目で見届けてもらいたい」

「被害の家で、胸中に問いがある者は、前に出て問罪してよい」

「ただし、勝手に線を越えてはならない。刑場を乱してはならない。他人を傷つけてはならない」

そこまで言って、彼は一息置いた。

「我々は人である」

「人の行いには、人の法がある」

群衆は沈黙した。

やがて、誰かが深く頷いた。

「太守様の言う通りだ」

「人は乱れてはならん」

「俺たちは魔族とは違う」

「俺たちには法がある」

その言葉が百姓の口から出た時、刑台脇の幅広い刑刀が、朝日に鈍く光った。

その刀は「人の法」という二文字で軽くなったわけではない。

むしろ、重くなった。

孫人峰はついに身を返した。

「犯人を連れてこい」

二文字が落ちた。

太守府の地牢の方角から、鉄鎖の音が遠く聞こえてきた。

じゃらり。

じゃらり。

群衆はすぐに首を伸ばした。

先ほどまでの温和で荘重な公義の言葉は、その瞬間、より清潔な期待へ変わった。

彼らは殺しを見に来たのではない。

そう自分に言い聞かせた。

官府の法の執行を見届けに来たのだ。

だからもう少し真剣に見てもよい。

もう少し近くに立ってもよい。

あの魔女が引き出された時、もう少し大きな声で罵ってもよい。

これは悪ではない。

人の側に立つことなのだから。

鉄鎖の音が近づく。

辛夷は二人の差役に引かれ、城門脇の道から引き出された。

足取りは遅い。

歩きたくないからではない。

身体のあらゆる傷が、彼女を引き止めていたからだ。

額の双角は朝日に晒されていた。

青斑は顔の側面から首へと這っている。

背の奴隷烙印は、あえて露出させられていた。

最も目を刺したのは、手首だった。

鉄環に磨られた傷口から、血が滲んでいる。

その血は赤ではない。

青藍色だった。

群衆がその一滴を見た時、声が一瞬、同時に掴まれたように止まった。

次の瞬間、恐怖と興奮が混ざって爆ぜた。

「青い!」

「血が青い!」

「やっぱり人じゃない!」

「魔女だ! 本当に魔女だ!」

さきほどまで少し不安そうだった商人が、その時、ようやくほっとしたような顔をした。

彼の恐怖は証拠を得た。

彼の立場は理由を得た。

彼の悪意は、もはや隠す必要がなくなった。

なぜなら、目で見たからだ。

彼女は我々とは違う。

孫人峰は刑台の脇に立ち、静かにその声を聞いていた。

笑わなかった。

思惑通りだという顔もしなかった。

ただ目を伏せ、まるでこの結果に胸を痛めているかのようだった。

「諸君も見たであろう」

彼は言った。

声は軽い。

だが、すでに裂けた群衆の隙間に、刃のように差し込んだ。

「本官も、これが誤解であってほしいと思っていた」

「彼女がただ巻き込まれただけであってほしいと思っていた」

「今日、泰城が血を見る必要などなければよいと願っていた」

その言葉は仁慈に満ちていた。

仁慈すぎて、ほとんど残酷だった。

彼が希望を一つ口にするたび、人々の目の前にある青藍色の血が、その希望を自ら殺していく。

「しかし——」

孫人峰は顔を上げた。

「事実は、諸君の目の前にある」

群衆は完全に静まった。

辛夷は刑台の中央に立っていた。

彼女は顔を上げ、孫人峰を見た。

彼が具体的に何者なのかは知らない。

このすべての背後に何層の手があるのかも知らない。

それでも感じた。

この人は、公道を主持しているのではない。

人心を操る魔だ。

彼女の認識してきた魔よりも、さらに高次の魔だ。

ここに立つ者すべてが、後日今日を思い返した時、自分にこう言えるようにしている。

私は悪くなかった。

私は見た。

彼女の血は青かった。

彼女は人ではなかった。

城南門の外から風が吹いた。

孫人峰の官袍を揺らし、辛夷の顔の青斑を撫でていった。

孫人峰は振り向き、官吏を見た。

「罪状を読め」

文書が開かれた。

紙の音は清らかだった。

まるで一枚の白い紙が、ようやく血の重みを受け入れようとしているようだった。

そして群衆の中で、阿橙と水仙もまた、その紙を見ていた。

二人はどちらも外套をまとい、帽子の縁を低く下ろしていた。太史邦は、二人のすぐ後ろに寄り添うように立っている。

周囲の人々の注意はすべて刑台に向いていて、こんな時に隣の人間を真剣に見る者はいない。誰もが台上の「魔女」がどれほど人でないかを確認したがっていた。そして、自分がここに立っていることが残忍には見えないと、他人の顔から確認したがっていた。

水仙は辛夷の手首から滲む青藍色の血を見ていた。

同時に、百姓たちも見ていた。

自分はまず怒るのだろうと思っていた。

だが実際に群衆の中に立つと、最初に込み上げたのは怒りではなく、より息苦しい窒息感だった。

なぜなら、その人々は皆が皆、醜い顔をしていたわけではないからだ。

ただ怯えている者がいた。

本当に家族を失った者がいた。

隣が叫んだから、一緒に叫んでいるだけの者もいた。

辛夷の青い血を見て、まるでようやく安堵したような顔をした者さえいた。

彼女が人ではないと確認できさえすれば、これから自分たちが見たいものについて、恥じる必要がなくなるとでもいうように。

水仙の指が、外套の縁をそっと握った。複雑な思いに、彼女の目は定まらない。

阿橙は彼女の隣に立ち、視線を刑台に向けていた。

さらに外側では、欧陽梟が数名の捕快を連れて秩序を維持していた。

顔は冷たく、普段と大きく変わらない。麻縄を越えようとする者がいれば、前に出て押し戻す。人混みに揉まれて口論が起きれば、ただ冷たく一喝する。他人から見れば、職務に忠実な捕快にしか見えなかった。

だが彼の視線は、決して目の前だけに止まっていなかった。

人の流れを見ていた。

差役の位置を見ていた。

太守府の衛兵が交代する隙を見ていた。

刑台から群衆までの、あの数歩の距離を見ていた。

城南門の周囲で、人が隠れられる高所も見ていた。

やがて、彼の目は刑場に最も近い一棟の楼閣を掠めた。

それほど高い楼ではない。

だが刑台の一角を見下ろすには十分だった。

楼上の窓の隙間がわずかに開いている。

晨光の中で、弓弦の極細い反光が一瞬だけきらめき、すぐ消えた。

欧陽梟は長く見なかった。

一瞥しただけで目を逸らし、目の前で押し合う百姓を叱りつけ続けた。

何も気づかなかったかのように。

楼閣の影の中で、西門鼎はすでに伏せていた。

普段は大げさで騒々しい泰城の臥虎も、この時ばかりは彼らしくないほど静かだった。猟弓は窓辺の下に横たえられ、矢はすでに弦にかかっている。だが、まだ引き絞られてはいなかった。

彼は刑台を見つめていた。

額には汗が浮いている。

恐れているからではない。

手の中のこの一本の矢が放たれれば、それはもう街での喧嘩でも、混混同士の意地の張り合いでも、自慢話の材料でもなくなると、初めてはっきり理解していたからだ。

この矢が出れば、太守府の眼前で処刑を乱すことになる。

もし露見すれば、一笑楼に関わる者すべてまで巻き込まれかねない。

矢先は、刑台の方角から離れていなかった。

下では、官吏がすでに罪状を読み始めていた。

孫人峰は台側に立ち、沈痛で端正な表情を浮かべていた。

辛夷は鉄鎖で刑柱に繋がれている。

群衆は息を潜めていた。

群衆の中、楼閣の上、捕快の列。その本来なら並び立つはずのない者たちは、同じ一つの隙が現れるのを待っていた。

官吏の声が、城南門外に響いた。

「魔族の妖女、辛夷」

「泰城に潜入し」

「身分を隠し」

「魔物と結託し」

「青斑の妖毒を撒き」

「民心を乱した」

「罪、許すべからず」

一条読み上げられるごとに、群衆は一分ずつ静まった。

彼らが本当に案情を聞いていたからではない。

罪名の一つ一つが、彼らの心の中で乱れきった恐怖を、形あるものへ刈り揃えていったからだ。

元はただ怖かった。

青斑が怖かった。

家族が理由も分からず死んでいくのが怖かった。

夜、目を覚ました時、自分の腕にも青い斑が浮いていたらと思うのが怖かった。

だが今、その恐怖には名がついた。

辛夷。

元はただ怒っていた。

医者が見抜けないことに怒っていた。

官府がなかなか説明を出さないことに怒っていた。

自分には何もできず、身近な者が日に日に冷えていくのを見るしかなかったことに怒っていた。

だが今、その怒りにも向きができた。

辛夷。

群衆は、安定し始めた。

奇妙な安定だった。

頭上に長く吊られていた刀を、ようやく誰かが下ろし、彼ら自身の手に握らせたような安定だった。

前列で古い衣を抱く老婦が顔を上げた。

彼女はずっと震えていた。

だが、官吏が一条一条罪状を読み下していくうちに、逆に震えが止まった。

彼女は刑台上の辛夷を見た。彼女の額の角を見た。彼女の腕から流れる青藍色の血を見た。濁った目の中に、ゆっくりとあるものが生まれた。

清醒ではない。

確認だった。

息子の死は、何も意味もなくどこかの隅で腐ったのではない。

運が悪かったのではない。

病に手がなかったのでもない。

天が人を奪ったのでもない。

何かが彼を害したのだ。

その何かは、台の上にいる。

鉄鎖で縛られている。

罵れる。

打てる。

自分の前で死なせられる。

老婦の唇が動いた。

最初は声にならなかった。

やがて、しわがれた声で一言を絞り出した。

「息子を返せ……」

とても軽い声だった。

風に吹き散らされそうなほどだった。

だが、隣にいた者が聞いた。

誰かがすぐに続けた。

「命を返せ!」

「魔女、命を返せ!」

「殺せ!」

声は一度誰かに受け取られると、もう最初の一人のものではなくなる。

他人の口の中で大きくなる。

荒くなる。

理直气壮になる。

孫人峰は刑台の側に立ったまま、それを止めなかった。

ただわずかに目を伏せた。老婦の悲しみを見るに忍びないように。

その姿勢はあまりに適切だった。

彼女を知らない者でさえ、太守様は仁厚だと思った。

彼は乱民が台へ押し寄せるのを放任してはいない。

苦主を冷たく叱りつけてもいない。

ただ、彼らに言わせている。

叫ばせている。

心の奥にあるものを吐かせている。

すると、より多くの者が、自分も言っていいのだと思い始めた。

「うちの子も手に青斑が出ている!」

「隣の趙の爺さんも、死ぬ前に全身が冷えていた。あれもこいつのせいだろう!」

「前から言ってたんだ。よそ者はろくでもないって!」

「魔族は皆死ぬべきだ!」

言葉は一つごとに断定を強めていく。

多くの者は昨日まで辛夷が誰かも知らなかった。

多くの者は青斑がどこから来たのかも説明できない。

だが彼らは群衆の中に立ち、ますます多くの人が同じ方向を向いて語るのを聞くうちに、不確かさをゆっくり手放していった。

人は「分からない」を嫌う。

分からないことは怖い。

そして、間違った答えは、しばしば答えがないことよりも人を安心させる。

辛夷もまた、目の前の一幕を見ていた。

老婦が泣くのを見た。

文吏が字を書くのを見た。

周囲の人々が孫人峰を見る目が、恐怖から信頼へ、そしてその信頼が自分へ向かう時、より固い恨みに変わるのを見た。

彼女はふいに、滑稽だと思った。

魔界で人を殺す時、多くの場合、理由など必要ない。

弱ければ死ぬ。

目障りなら死ぬ。

役に立たなければ死ぬ。

だが人界で人を殺すには、先に名前を書き記すのだ。

先に死者を記す。

先に皆に信じさせる。

刀は刀そのもののために落ちるのではない。

冊子に書かれた誰かのために落ちるのだ、と。

そうすれば、殺す者の手はきれいになる。

官吏はさらに罪状を読み続けた。

「この魔女は辛夷を名乗るが、実は魔族蛇姫である」

「魔物の同党と共に城中を出入りした」

「昨夜の一笑楼の乱とも、関わりなきものとは言えぬ」

それは完全な捏造ではない。

しかし、真実として成立しているわけでもない。

最も胸の悪くなる位置に挟まっていた。

きれいには反論できない。

かといって、それだけで真相が確認されたとも言えない。

だが、群衆にはそれで十分だった。

「関係がある」だけでよい。

「無関係ではない」だけでよい。

「彼女が普通の人間ではない」だけでよい。

それだけで、後のすべては容易になる。

子を抱いた男が、ふと子を胸元へ押し込めた。

子が訊いた。

「父さん、あの人、噛むの?」

男は答えなかった。

隣の女が先に言った。

「魔女は噛むに決まってるよ。子どもの魂だって吸うんだから」

子は怯えて父の胸に縮こまった。

そう言った女自身も、一瞬怔えた。

彼女は辛夷が魂を吸うかどうかなど知らなかった。

けれど子が怯えた様子を見た時、心の中に奇妙な満足があった。

自分がふと、より多くを知る大人になったような。

安全な側に立ち、恐怖を使ってより小さく無知な者を脅かせるような。

群衆の中で、誰かが笑った。

その笑いは大きくなかった。

だが耳に刺さった。

「見ろよ、あの様子じゃ本当に子どもを食ったことがあるかもしれない」

その言葉に根拠はなかった。

だが、あまりに言いやすかった。

言いやすかったために、次の瞬間にはもう誰かが続けた。

「魔族なら何をやってもおかしくないだろう」

すると根拠のないものも、いくつかの相槌を経て、本当らしくなり始めた。

水仙は群衆の中に立ち、外套の下で指を強く握っていた。

それらの言葉を聞いていた。

最初は反論しようと思った。

証拠はない、と言いたかった。

魔族だからといって、すべての罪を彼女に押しつけてはならない、と言いたかった。

今の話は想像にすぎず、真相ではない、と言いたかった。

だが、口が開かなかった。

怖かったからではない。

この時の群衆において、「真相」は最も重要なものではないと、彼女は気づいてしまったからだ。

重要なのは、人々がこのままここに立ち続けるための言い分だった。

見続けるために。

憎み続けるために。

あの刀が落ちるのを待ち続けるために。

阿橙は彼女の隣に立っていた。

彼女を見ず、ただ低く言った。

「聞こえましたか」

水仙は答えなかった。

阿橙は刑台を見ながら、さらに低い声で言った。

「多くのことは、こうやって始まるんです」

水仙の胸が、かすかに震えた。

阿橙はそれ以上説明しなかった。

けれど、その目の奥の冷たい痛みだけで十分だった。

水仙には分かった。

阿橙が言っているのは、目の前のこの一件だけではない。

一つの罪名。

一つの噂。

いくつか書き記された死者の名。

安心したがる人々。

そして、誰もが自分は悪くないと言えるようになる。

それは単純な残虐よりも恐ろしい。

残虐は、自分が汚れていることを知っている。

だがこれは知らない。

孫人峰が再び口を開いた。

「諸君」

群衆が静まる。

彼の声には、ちょうどよい疲れがあった。

「本官は知っている。諸君は彼女に問いただしたいのだ」

「なぜ泰城へ来たのか」

「なぜ魔禍を連れてきたのか」

「なぜ諸君の家人を、理由も分からぬ死へ追いやったのか」

彼は少し止まった。

「今日、本官は被害の家に問罪を許す」

群衆が一気にざわめいた。

問罪。

その二文字は美しかった。

「打て」よりも美しい。

「憂さを晴らせ」よりも美しい。

「折檻せよ」よりも美しい。

すでに拳を握っていた者たちは、ふと自分の拳にも礼法があるように感じた。

孫人峰は手を上げ、人声を押さえた。

「ただし一つだけ」

「乱れてはならない」

「他人を傷つけてはならない」

「死者の名を辱めてはならない」

言葉はあまりにも正しかった。

辛夷がより惨く打たれるのを見たい者でさえ、心の中で自分に清潔な衣を一枚着せねばならなかった。

彼らは血が見たいのではない。

問罪したいのだ。

差役が刑台の脇から短い鞭を取ってきた。

重刑用の鞭ではない。

一鞭で骨を折るようなものではない。

それでも傷口を裂き、血を流させ、すべての人に見せるには十分だった。

孫人峰はそれを自分で受け取らなかった。

彼は、先ほど弟の死を訴えた男を見た。

「陳二橋の兄」

男ははっと顔を上げた。

太守が自分を覚えているとは思っていなかった。

「言いたいことがあるなら、前へ出て問うがよい」

男の顔色が変わった。

群衆も彼を見た。

その瞬間、彼は本能的に退きたくなった。

怒りの中で叫ぶことと、本当に刑台の前へ立つことは別だった。

彼は辛夷を見た。

彼女は鉄鎖で縛られている。顔には青斑があり、手首には乾きかけた青藍色の血跡がある。

彼女は告示に書かれた妖魔のようには見えなかった。

少なくとも、彼が想像したような、人を生きたまま噛み殺すものには見えなかった。

だが背後では、もう誰かが彼の背を叩いていた。

「行けよ」

「弟さんが見てるぞ」

「太守様が問わせてくださってるんだ」

「恥をかくな」

恥をかくな。

その三文字は、憎しみよりも力があった。

男の顔が赤くなった。

ついに前へ出た。

差役が短鞭を渡す。

男はその鞭を見つめ、二度手を伸ばしてようやく握った。

孫人峰は温声で言った。

「望まぬなら、問うだけでもよい」

その言葉はまた、彼に退路を与えた。

だからこそ、その退路は封じられた。

今退けば、それは慈悲ではなく臆病になる。

男の喉仏が動いた。

彼は刑台の下に立ち、辛夷を見上げ、半ば絞り出すように一言だけ言った。

「お前なのか」

辛夷は目を上げた。

唇は乾いていた。

青い血の寒毒は、まだ体内をゆっくり巡っている。

違う、と言いたかった。

だが、まだ口を開く前に、脇の官吏が重い声で言った。

「魔族は狡猾で、人心を惑わす。問罪する者は、その言葉を軽々に信じてはならぬ」

男の目が揺れた。

すると、その「お前なのか」は、もう答えを必要としなかった。

官吏が、彼の代わりにもう教えていたからだ。

彼女が何を言おうと、信じてはならないのだと。

男は鞭を握りしめた。

辛夷は彼を見ていた。

命乞いはしなかった。

罵りもしなかった。

それがかえって、男には耐えがたかった。

彼女が罵れば、凶相を見せれば、噂の魔物のように喚けば、彼はもっと容易に振り下ろせただろう。

だが、彼女はただ見ていた。

自分の前へ押し出された一人の人間を見るように。

男の中で、ふいに苛立ちが生まれた。

それはすぐに来た。

辛夷の罪に対する怒りではなかった。

自分の躊躇に対する怒りだった。

彼は自分が躊躇しているのが嫌だった。

皆の前で、十分に憎めていないように見えるのが嫌だった。

だからその苛立ちも、辛夷のせいにした。

一鞭目が落ちた。

ぱしん。

音は高かった。

辛夷の肩口の傷が裂けた。

青藍色の血が肌を伝って流れる。

群衆は一瞬、息を呑んだ。

次に誰かが叫んだ。

「青い!」

「血がまだ青い!」

「やっぱり人じゃない!」

その声は男に勇気を与えた。

同時に、赦しも与えた。

彼は二鞭目を振り下ろした。

今度は、最初より重かった。

痛みに、辛夷の身体がかすかに震えた。

男は見た。

感じもした。

鞭が肉に落ちる感触は、木柱に落ちる感触とは違う。

彼は知っていた。

だが背後で誰かが喝采した。

だから彼は、自分が知っていると認めずに済んだ。

三鞭目が落ちた時、男はもう震えていなかった。

あるいは、その震えは群衆の声に覆い隠された。

三鞭の後、差役が彼の手を押さえた。

「もうよい」

男は短い夢から醒めたようだった。

彼は手の中の鞭を見下ろし、顔色が急に白くなった。

だが群衆は、彼を白いままにはしておかなかった。

誰かが支えた。

誰かが言った。

「陳二橋も瞑目できる」

誰かが言った。

「お前は正しいことをした」

男の目が赤くなった。

彼は頷いた。

自分がさっき振るった数鞭は、自分が打ちたくて打ったのではないと信じるための理由を、ようやく見つけたようだった。

弟が打たせた。

公道が打たせた。

皆が打たせた。

だから彼は群衆へ退いた。

もう辛夷を見なかった。

孫人峰は目を伏せた。

「記せ」

文吏が頭を下げ、文字を書いた。

陳二橋の兄、問罪済み。

数文字が紙に落ちた。

暴力もまた、秩序の中へ書き込まれた。

水仙の顔色はすでに白かった。

彼女はついに前へ動きかけた。

阿橙の手が彼女の手首を押さえた。

とても安定していた。

「水仙お嬢様、落ち着いて」

水仙の声は震えていた。

「でも……」

阿橙には分かっていた。

こういう場所で、善意に相応しい時など、しばしば存在しない。

悪が先に、すべての位置を占めてしまうからだ。

刑台上に、次に上がったのは、あの空の産着を抱いた女だった。

歩みは遅い。

腕の中の空布を強く抱いている。まるで、本当にそこに子がいるかのように。

彼女は鞭を受け取らなかった。

ただ顔を上げ、辛夷を見た。

長く見ていた。

群衆も、だんだん静かになるほどに。

そして、彼女は問うた。

「お前なの?」

さきほどと同じ問いだった。

だが声は違った。

男が問うた時、そこには自分に理由を与えようとする焦りがあった。

彼女が問うた時、そこにはただ、砕けた人間が、その欠片をどこかへ押し戻そうとする音だけがあった。

辛夷は彼女を見た。

今度は、口を開かなかった。

何を言っても、この人の心には届かないと分かっていたからだ。

女の涙が落ちた。

「あの子は、まだ話せなかった」

彼女は低く言った。

「泣くだけだった」

「夜にお腹が空くと泣く。寒いと泣く。抱いてくれる人がいなくても泣く」

語るうちに、声が不安定になっていった。

「あの子は何も分からなかった」

「人の顔だって、まだ全部は覚えていなかった」

「どうして……」

彼女はついに手を伸ばし、鞭を受け取った。

「どうしてあの子だったの?」

一鞭目が落ちた。

彼女は泣いた。

叫びではない。

泣き声だった。

二鞭目が落ちた。

彼女は子の名を叫んだ。

三鞭目が落ちた時、彼女はほとんど立っていられず、鞭は逸れて刑柱に当たり、木片が飛んだ。

差役が前へ出て支えた。

だが彼女はふいに辛夷へ向かって身を乗り出し、答えを掴み取ろうとするように叫んだ。

「どうしてあの子なの!」

「どうして私の方に来なかったの!」

「あんなに小さかったのに!」

群衆の中で、誰かが一緒に泣いた。

罵りがさらに強くなった者もいた。

女の痛みがあまりに真実だったからだ。

それは、ただの見物人でさえすぐに誰かを憎まなければ、その痛みに押し潰されて息ができなくなるほどだった。

辛夷は彼女を見ていた。

目に、ようやくわずかな変化があった。

憐れみではない。

罪悪感でもない。

もっと深い疲労だった。

彼女はその子を殺していない。

その子の名さえ知らない。

それなのにこの母親を前にして、「私ではない」と口にすることすらできなかった。

その言葉は、あまりに軽かったからだ。

目の前の人が抱える、空の産着の重みに耐えられないほど軽かった。

差役が女を扶け下ろした。

群衆は潮のように彼女を受け止めた。

慰める者がいた。

呪う者がいた。

太守が必ず彼女のために正義をなすと言う者がいた。

孫人峰は台側に立っていた。

目に快意はなかった。

あるのは沈痛だけだった。

彼はその沈痛を顔に置いた。まるで群衆の前に一灯を置くように。

皆がその灯へ近づいていく。

誰も灯の背後の影を見なかった。

辛夷は、その女が群衆に扶け戻されるのを見た。

彼女の腕の中の空の産着が、少しずつ他人の手で覆われていくのを見た。

人々は彼女を支えた。

慰めた。

代わりに罵った。

代わりに泣いた。

そして、さきほど辛夷の身に落ちた鞭を、母が最後にできることだったと解釈してやった。

するとあの数鞭は、傷害ではなくなった。

祭奠のようになった。

鞭そのものよりも、そのことのほうが冷たかった。

官吏がようやく文書を閉じた。

孫人峰が手を上げる。

「もうよい」

群衆はゆっくり静まった。

彼は泣く者、震える者、怒る者、茫然とする者を見た。

声には疲れがあり、節度もあった。

「諸君の痛みは、官府が聞いた」

「死者の名も、今日ここに記された」

「これより、官府が刑を執行する」

短鞭が下げられた。

幅広い刑刀が台に運ばれた。

群衆は再び息を潜めた。

今度、彼らは前よりも静かだった。

すでに参与したからだ。

すでに問うたからだ。

すでに打ったからだ。

すでに泣いたからだ。

だから、刀がようやく持ち上げられた時、多くの者はむしろ、すべてが当然の流れであるように感じた。

悪が最も静かになる時は、現れたばかりの時ではない。

すべての人に同意された後だ。

辛夷はふたたび刑柱の前に固定された。

太い鉄鎖が肩と首に回され、傷口を圧迫した。彼女にはもう立つ力もほとんどなく、身体はほとんど鉄鎖に吊られていた。顔の青斑は朝光の中でより鮮明になり、手首から滲んだ青藍色の血は一部乾いて、まるで意図的に展示された証拠のようだった。

官吏が文書を閉じた。

声が落ちた。

「行刑の準備」

差役が刑台へ上がる。

幅広い刑刀が、彼の両手に握られた。

刃は明るくなかった。

むしろ少し鈍かった。

江湖の剣のように鋭さを求めるものではない。清らかさも求めていない。官府の刀は、十分な重さがあり、落ちるところを人に見せられれば、それでよかった。

差役が刀を掲げた。

水仙の指が猛然と強ばった。

阿橙が彼女の手首を押さえた。

今度、阿橙は彼女を見なかった。

ただ刑台を見ていた。

その刀を見ていた。

そして、城南門の外にまだ散りきらない朝霧を見ていた。

霧は薄かった。

だがその一瞬、さらに深いところから何かに軽く押されたように見えた。

群衆はまだ気づかない。

孫人峰もまだ振り返っていない。

ただ、秩序維持に当たっていた欧陽梟だけが、視線をわずかに逸らした。

遠くで、ごく軽い金属の擦れる音がしたようだった。

何かが、霧の中から一歩、また一歩と近づいてくるように。

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