どうせ死ぬなら、かっこよく死にたい   作:川に揺蕩う論理の箱

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三話 いつもの日常にすこしばかりの偶然を(下)

 

 

 騎士がいける酒場は、ごくわずかしかない。というのも、騎士は酒場や快楽街といった娯楽に手を出すことを禁じられており、それを破れば、風紀係による罰則が下されることになっていたからだ。そのことは、騎士であれば誰もが知っている。とはいっても、そのような規則をバカ真面目に守るものは、第一師団ぐらいしかいない。王や貴族を守護することに対する誇りを持ち、自身の血統を誰よりも愛する、あの第一師団は、騎士道を貫くことに夢中になっているのだ。

 ほかの騎士団は、上手い具合に変装したり、自室に酒を持ち込んだりするなどして、娯楽を楽しんでいた。騎士道よりも、辛い日々を紛らすものが何よりも大切だから。

 ところで、グレゴールが誘われた歓迎会は、非公式のものだった。新兵が入ったことで生じる熱が冷めた、そのあとにひっそりと行われる類の集まりだ。騎士と悟られぬよう服装も改められ、場所もまた、騎士と顔見知りのオーナーが営む酒場が選ばれ、そこには、あらゆるものが集まっている。騎士、労働者、そのほか諸々の職業人が。山々のように連なる客の頭の上を浮動する煙草の煙。その煙でわずかにぼやける黄色い光。太陽が届くことはないので昼間だと薄暗く、汗、香水、酒、煙草、これらの匂いが織り交ぜとなった場所。

 なるほど───彼らが足を運ぶ酒場とは、たいていこのような場所なのだ。

 そして、ここもまた、そんな騎士たちのあいだで密かに名の通った酒場のひとつだった。

 

「おーい、こっちよ、こっち、ベアトリス」

 

 カウンター席の呼び声に導かれるままに、人ごみを掻き分けて進んでいく。

 すでに泥酔し、床に突っ伏し寝ている輩。

 話に興が乗り、身振り手振りを加えて、口という歯車に油が足された、煤で汚れた酔っ払い。

 踏まないように、当たらないように、慎重に歩いていくと、赤髪にそばかすができた女が見えた。彼女は氷とウィスキーが満たされたコップを持ち上げて、ベアトリスに「ここ座りなよ」とすすめた。グレゴールは、ベアトリスの横に座った。煙草と酒の匂いに満ちていて、この酒場にいる女性の香水がたまに香ってきた。

 

「すまない。遅れた」

「何をいっているの、ベアトリス〜私とあなたの仲じゃん?

 別にいいわよ。普段、クソ真面目なあなたがこんなところに来るだけでもありがたいんだから」

「はは、なるほど真面目な騎士というのは、友人の頼みで規則を破るほどなのか、キャサリン。

 では、第一師団の騎士団はなんだ? 黄金の道に守るために操を立てる神職者か?」

「ふふふ、そうよ、神職者。金と名誉のために、堅苦しい生活が大好きな、貧乏人。息抜きもできない人は、はたして豊かって言えるのかしら?」

「その話はのちの機会にしよう。ここはそんなことを話すところじゃない。君がいうように息抜きなんだ。楽しもうじゃないか、キャサリン。

 さあ、きみにひとつ奢らせてくれ」

「そうねえ、そこまで言うなら、もらおうかしら。いい、ベアトリス。これであなたが遅刻したことはチャラだから、変な気がかりを抱えないでね」

「承知した」

「もう、またそんな堅苦しい返事をして、……ま、いいわ。マスター、同じやつちょうだい」

 

 マスターは頷いた。お代わりをもらった。

 と、キャサリンは、酒を飲むと、グレゴールを指差し、ベアトリスにキラキラした瞳に意地悪そうな笑みを浮かべた。

 

「で、ずっと気になってたんだけど、その子だあれ? もしかしてあなたのアレなの? だとしたら嬉しいわ。あなたにも淡い恋の花が咲いたのね」

「俺はべつに隊長とはそんな───」

「悪いが、わたしと彼は君が期待しているような関係ではない」

「あら、じゃあ、どんな関係なのかしら」

「上司と部下、言葉にしてみればひどく冷たく聞こえるものだが、これが適切だろう。友と呼ぶには、わたしたちは互いのことを知らないし、付き合いもまだまだだ」

「そ、……ねえ、ベアトリス、あなたの後輩、可愛いじゃない。いい子に恵まれたじゃない、ふふ」

「あの、キャサリンさん? ですよね、あなたはいったい何をしているんですか?」

 

 グレゴールは頭の中で、彼女がゲーム内にて登場していたか、記憶を遡って考えていた。赤髪。そばかす。きだるげな、眠りに襲われているかのような瞳。口紅を塗った唇。これらの特徴に当てはまるキャラはいなかった。

 

(どうやら、………本編と関わりがないキャラのようだな)

 

 キャサリンは、グレゴールを眺めながら、指先だけで持っていたコップを置き、その縁をなぞった。そして笑った。

 

「そうねえ、まあ、答えてもいいけど、それはまずはあなたが誰なのかを教えてから、それからお酒を頼んだあとね。たしかに喋る場でもあるけど、お酒を楽しむところなんだから、ね?」

「そうですね……ベアトリス隊長、何を飲みますか?

 俺はあなたが頼んだものにします」

「む、そうか、じゃあ、マスター、すまないがワインで頼む」

「俺もそれで」

「…………」

 

 マスターは無言で頷いた。コップにワインを注いだ。その一切むだのない行動は、どうにも人間味を感じなかった。

 

「じゃあ、後輩ちゃんの名前を教えて?」

「後輩、ちゃん……? はあ、まあ、グレゴール・ダンカンですが」

「グレゴール・ダンカン、覚えたわ。なにしろ、ベアトリスが連れてきたはじめての男。すくなくとも、悪い子ではなさそうね」

「それは、どうも。これで、あなたの番です。教えてください」

「そうね、約束は約束だもの。───あたしはキャサリン。第四師団に努めてるわ、一応ね。

 いっとくけど、よく言われるような職務だけが、第四師団がやるわけじゃないわ、それだけはよろしく」

「……キャサリンさん、そんなことを言っていいのですか?」

「え? いいわよ、だいたい、わたしはんな誰かバレたらヤバいなんて仕事はしてないわよ。軍の特殊部隊に所属しているでもあるまいにし」

「たしかに、そうですが………」

「安心してくれ、グレゴール。きみが思っていることはもっともだが、彼女は優秀だ。線引きがしっかりとしているからこそ、言えるものある。そうだろう?」

「まあ、それは……。でも、どうやって出会ったんですか?」

「出会いね〜。んー、ベアトリスはどう?」

「あれを話すには、………ある程度酒の力に頼りたいな」

「そうねえ、まあ、のちのち話すかもしれないから、そのつもりでよろ〜」

「わかりました」

「見かけによらず素直でいいわね〜、あたし、こういう子好きよ、あなたが気に入るのも無理がないわ」

「ほう? たしかにかわいいとこもあるが、芯の髄まで素直なのか、といったら疑問だな」

「ベアトリス隊長?」

「なんだ、なにきみが入ってわずか1ヶ月で先輩にたてついたことは今でもよく覚えているさ」

「えっと、もしかして………まだ怒ってますか」

「いや、全く………?」

 

 笑顔を浮かべているが、どうにもその仮面はヒビが入っていて、その割れたところからは怒りが見えている。グレゴールは、慎重に言葉を得る必要がある、と思った。

 ベアトリスはおそらく先輩にたてついたこと自体は起こっていなかったはずだ。彼女は、そういう上と下の関係というものはある程度重視するが、絶対視はしていない。上が下に何かしらいうことがあるように、下もまた上に進言すべきだと思っているのだ。

 だから、この瞬間まで引きずるほど怒っているのは、もっと別のことだ。

 もしここで間違えた言葉を言ったことを想像する。───ぞくっとしない。

 グレゴールは唇を舌で湿らせ、ワインを飲んだ。

 

「あれは、その、────」

「その?」

「いやあ、まあ、─────」

「まあ?」

「なんというか」

「………君、わたしの体に苔が生えるまでそんなつまりなのかね?」

「いや、違うんですよ。えっと、その、────わ、若気の至りってやつですよ、ハハ」

「……………」

 

 またあの笑み。今度はその笑みの半分は崩れ落ちていたが。グレゴールは悟った。なるほど、俺はどうやら最悪の手を打ったらしい、と。

 

「君は、……どうやら反省というものを知らないらしいな、ああ、なるほど、わかったよ、だんだんと君のことがわかってきたよ。

 なるほど、なるほど、では、今から話すことをよく聞いてみるといい? わかったか? グレゴール・ダンカン。この世には、一度完全に自身の手元から離したほうがいいことがあるからな。返事は?」

「はい……」

「よろしい、では、話そう。

 その日、君は仕事をしていた。君の友人とともにね。君は仕事を終え、あとは報告書を書いて、それを事務局に提出するだけだった。そこに第三師団が来た。彼らは警備だけでなく、死体処理も任務に含まれている。その対応だった。

 君は、その師団に接触することになる。君たちは、すれ違った。と、その際、その師団のひとりが、耳打ちをした。『よお、狂犬』とね。安い挑発だ。無視したらよかった。争っても、メリットはない。いや、デメリットしかないだろう。違う師団同士の喧嘩は、いささか面倒なことになるからな。ところが、君は─────」

 

 ベアトリスは、目を細め、グレゴールをみつめた。ワインを揺らした。これ以上、言葉にする気がないのだろう。ベアトリスはワインを飲んだ。

 

「あとは、まあ想像通りの出来事になった。おかげさまでわたしは、執務室で固い椅子と友達になれるほど、長く過ごすことになった。

 まったく、争うとしても、もっとマシな理由があって欲しかったものだ。君、そんな短気の方ではないだろう? それともわたしの勘違いだったのか」

「……あっあははは」

 

 反論なんてできなかった。自身に非があるということは、呼吸していることを認識しているように明瞭だった。思わず早口になった。

 

「すいません。だから、そのワイン瓶を下ろしてくれませんか。俺はまだ吸血鬼が好むワインになりたくないんで。……あ、これっていわゆるボトルネックってやつですよね。ワイン瓶だけに、ははっ……いや、冗談です、冗談ですから」

「ボトルネック、いいジョークじゃない。ねえ、面白くない? ベアトリス」

 

 彼女は、愉快そうにバンバンとベアトリスの肩を叩いた。ベアトリスはというと、ぶるぶると体を震わせ、顔を落としていた。

 それに気づいたグレゴールは、悪寒が走った。グレゴールはキャサリンにいった。

 

「あの、キャサリンさん、俺そろそろ帰ります………」

「何を言っているの、あなた。まだまだ夜は長いわよ。」

「俺はもうこれで───」

 

 立ちあがろうとする。が、手首を掴む彼女の手。状況が違えば、彼女のことを想うグレゴールの心臓は早鐘を打っただろう。が、今回、心臓の脈が早いのは、そんな理由ではない。グレゴールは冷や汗が流れてきた。

 キャサリンは、そのことに気づいた様子はなく、口を尖らせた。

 

「どうしてよ、冷たいわ。べつにいいじゃない。ねえ、ベア───あら? ベアトリス、あなたどうしたの、こんな体を震わせて。それにあなた、なんでグレゴール君の手を握ってるの? 寒いの? それとも、もしかしてだけど、怒っ────」

「き、貴様あああ!!」

 

 ガラスが壊れる音と頭を叩かれる音が響いた。葡萄酒とガラスの破片が、飛び散る。グレゴールは、っーーーー! と叫び、頭を抑え床へ倒れ、ベアトリスは顔を真っ赤にして、バカ、と罵倒しながらグレゴールの肩を蹴り、周りの客は、彼女たちを見て、おお、修羅場か、と面白がる。喧騒に満ちていた酒場は佳境に入り、ワイワイと騒ぎ始める。

 キャサリンはそのさまから目を逸らし、マスターを見た。

 マスターは彼女を見つめ返した。レモン一切れと塩とテキーラを彼のテーブルにすうっと音ひとつなくおいた。

 キャサリンはマスターをみた。

 マスターは彼女をみて、飲むようにとジェスチャーで示した。

 

「本来はライムだが、手に入れなかった。これで我慢しろ」

 

 キャサリンは、塩を手の甲に乗せてなめ、テキーラを一気に飲みこんで、レモンをかじった。

 

「マスター。どうやらわたしはテキーラが嫌いになりそうだわ」

「そうか。嫌いになってもいい。酒なんか飲んだところで何にもならない」

「あたし、今日は本当に何もしてないわよ」

「……………」

「本当よ」

「…………」

「あたしはただ楽しく話してただけよ」

「………そうか」

 

 それっきりマスターは黙ったのだった。もはや仕掛けを終えた機械人形のように。

 

 

◻︎

 

 

 違和感を感じていた。ガブリエル議員は、事務所の戸口に立てかけてあったシルクハットを手にかぶり、一度振り返ると、杖を地面叩き、じっと佇んだ。それから口を開いた。

 

「君、なぜここにいるのかね」

 

 答えはなかった。

 

「悪ふざけはやめたまえ。君は私のことを知らぬはずがないだろう」

「───さすが、と言ったところでしょうか。

 あっしがいることに気づくなんて」

 

 ガブリエル議員の耳に革靴で歩く音が響く。止まる。そして澱んだ暗い世界に明るい光が差した。男のシルエットが見える。だが、それだけだ。ガブリエル議員の目が知覚できるのは、それが限界だった。男の輪郭は、歩き、客室へ消えた。

 ガブリエル議員は、再び杖を叩き、客室へ進むと、男がソファに身を沈めていた。黒い棒状の何かを膝に置いていた。

 

「座ってくださいよ、あ、それとも、あっしが立つべきですかね」

「黙れ」

 

 ガブリエル議員がソファに座ると、男は前屈みになり、両手で組んだ指の上に顎を乗せた。

 

「さあ、あっしに詳しいことを───」

「まずはその気色悪い話し方をやめたまえ。そんな話しかたをしていなかったはずだ」

 

 被せるようにガブリエル議員は、言った。杖を持つ手が苛立ちを隠せないように忙しなく動いていた。

 男は考え込むように顎に手を当てた。そして飄々とした声から低い声に変わる。

 

「なるほど、たしかにあなたならこの口調がいいだろう。そうだな、あなたはこっちのほうが慣れているはずだ」

「よろしい。では、言いたまえ」

「────ふむ」

「なんだ、言いたまえ」

「あなたは、どうやら自身の立場というのをわかっていないらしい」

「何が言いたい」

「もうすこし落ち着いたら、どうだ? 

 そのほうがよほど威厳がある。らしくない」

「おまえが私の何がわかるというのだ」

「ひとつだけわかる」

「言ってみろ」

「あなたが、私のことを恐れていること」

「……………」

 

 図星だった。ガブリエル議員にとって、いやこの男について知っているものにとって、この男は死以外のなんでもなかった。

 男は、いつのまにか用意された紅茶をローテーブルから取って飲んだ。

 しゅるる、と何かが唸る声がした。

 

「なんの声だ」

「あなたが気にすることではない。

 さあ、飲みなさい、なーに毒なぞ入れるはずがない」

 

 さあ、とガブリエル議員に紅茶を勧める。

 ガブリエル議員は、紅茶に目を落とし、男をみた。シルエットしか見えないが、笑顔を浮かべてにいるに違いない。唾を飲み込む。心臓の鼓動が、早まるのを感じる。

 だが、断るわけにはいかなかった。ガブリエル議員は、決心を決めると、紅茶を慎重にこぼさないように手に取って、飲んだ。美味しいはずの紅茶の味は灰のようであった。

 そして目を閉じ、毒が回ってくるのを待ち、────

 

「今日はあなたを殺しにきたわけでもない」

 

 ………何も起こらない。ガブリエル議員は、目をひらく。苦虫を噛んだように表情を歪め言う。

 

「では、なんなんだ」

「それはもちろん、あなたが依頼した内容についてだ」

 

 ガブリエル議員は、盲目のまぶたを撫でてて、懐に手を入れた。煙草を手に取った。それからゆっくりと火をつけ、それを吸った。どこかから「ガブリエル議員? ガブリエル議員」と彼の名前を呼ぶ声がする。時間は、あまりないだろう。口を開いた。

 

「………何の話だが。わたしは依頼などしてない」

「知らないはずがない」

「知らん」

「………やはりあなたは自身が置かれている状況のこと知らないようだ」

「それなら知っているとも」

「何を?」

「目の前に立つお前が言葉にも憚れるクズということだろうな」

「………ふむ、なるほど。

 あくまで知らないふりということか」

「…………」

「なら、紙でもいい。あなたが私に計画を丸投げというバカな真似はしないはずだ。さあ、紙を持っているはずだろう」

「なんの話だが、まったくわからないな」

 

 沈黙が生まれた。男は、足を組み、膝に置いていたものを手に取り、ゆっくりと撫でた。

 

()()()()()()()

 

 と、男が突然言った。

 

「はっ?」

「胸の内ポケットにあなたにとって隠したいものがあるはずだ」

 

 ガブリエル議員は、冷や汗を流した。だが、その動揺を顔には見せずに答える。

 

「どんな根拠の上にそんなことを言っているのかね」

「……あなたについての認識を改めないといけないようだ」

 

 かぶりを振ると、まあ、これも仕方がないことか、といい、「わかった、諦めよう」と、いった。

 ガブリエル議員は安堵をし、一応胸ポケットを探り、ついでにハンカチを取ろうとすると、気づく。

 

「っ────」

「あなたに交渉したのが無駄だった。これ以上時間を無駄にするつもりはない」

 

 いつの間にか立ち上がっていた男の右手に持っているのは、手紙だった。厳重に蝋で封をさせていて、その蝋には、ガブリエル議員のイニシャルが刻まれている。

 寒気がたった。

 

「き、きさま!」

 

 ガブリエル議員は、立ち上がるのと同時に杖に仕込んであった剣を抜こうと手にかけ、この死神を切り裂かんとする。

 が、喉元に感じる冷たい硬いもの。

 ガブリエル議員は、ぴたりと止まった。

 覗き込むようにみている男の声は平坦で、世話話をするような調子で語る。

 

「あなたのその目。名誉の傷だろう。かの戦争でできたものなのだから尚更だろう。自身は、英雄だと思っているだろう。たしかにその通りだ。

 しかし、それもずいぶん前の話。あなたは衰えた。今のあなたは、穏健派の政治家に過ぎない。私に勝とうなど思わないほうがいい。それにあなたがこの依頼を出したのだろう。それもだ。私を騙せると思わないほうがいい。

 いまあなたはいくつも道を違えた。これ以上は逸れないほうがいい。あなたは王と、いや次期王の彼と仲良くしておきたいのでしょう、そうでしょう?」

「────」

 

 声にもならない音をあげたガブリエル議員は、杖から片手を離した。そしてソファーに体重を預け、帽子を目深にかぶり、言った。

 

「ひとつ言いたい」

「なんだ」

「………地獄へ堕ちろ」

「手垢まみれの言葉だな。もはやその本体がわからなくなるぐらいのな」

 

 男はテーブルに置いた紅茶を手に取り飲んでいると、戸口から「ガブリエルさま、どこにいるのですか?」という声が聞こえた。

 まずい、とガブリエル議員は、「待って!!」と、叫ぼうとするが、遅かった。かちゃりと、カップが置かれる音がした。

 

「ああ、そこにいたのですか。さあ、早くいかないと遅れますよ。あれ? そこに横にいる方は───」

 

 銃声。光。

 何かが飛び散る音がした。そしてばたりと倒れる音がした。

 男は、硫黄の煙がもうもうと出る銃先に息を吹きかけ、排莢した。宙を舞う空の薬莢は地面に甲高い音を出しながら落ちた。そしてしゃがみそれをポケットにしまうと、歩き出した。

 歩く音が響く。しゅるる、と何かが唸る声がした。ふと、止まる。ああ、そうだった、と言った。

 

「後始末、どうかお願いしますね。あっしはこれで」

 

 そして男は、消えた。

 静寂。

 ガブリエル議員は、しばらくソファーに身を沈めていたが、やがて立ち上がり、よろよろと千鳥足に近い足取りで自身のテーブルまで行き、ベルを乱暴に叩き、鳴らした。

 

「なんでしょうか?」

 

 数十秒後にきた部下に、半ば八つ当たりで声を荒げて言った。

 

「やつが来たんだ。はやく片付けてくれ 早く!!」

 

 それだけで通じた。

 

 男は、坂道となっている道を歩き出した。

 露店で瓶に入ったりんご酒と串焼きを購入し、道中のこの街を一望できる高みにあるベンチに腰を下ろした。

 そこから夜のなかで近代化しつつある街を眺めた。うねる路の端がぼんやりと光っているさま。眠りにつき夜の色に染まった家々。遠くの森に覆われた山地の腹。そしてその連なりの隙間からは、数多の星を抱える夜空を支えるように、真っ黒の海が地平線の果てまで広がっていて、その海面には月の像が揺らぎながら映っていた。

 静かだった。

 串焼きを食べた。瓶の蓋を開けた。りんご酒を口を直接つけてわずかに啜った。

 手紙を取り出す。その封を破り、中身を取り出した。

 白紙だった。

 

「ま、そう見えるだけですかね」

 

 その白紙を月光にかざすと、魔術で刻まれた文字が浮かび上がり、読めるようになる。そこにはこのように描かれていた。

 

『ついに準備は整った。かの忌々しい血族のベアトリス隊長及び不穏因子、館にて排除する。そのため、貴公に証言を整えてもらう。館内に偵察を一名送り込め。そして魔の存在を確認したことにせよ。真偽は問わぬ。さすれば、我らが、要請を出す。また、その手足として盗賊を雇え。この計画が我々によって行われたことは知られてはならぬ。盗賊は役目を終え次第、一人残らず始末せよ。………これ以上の詳細の計画は、ここでは話せぬ。例の場所にて集まろう。何度もいうが、これは大いなる大義に基づくものだ。どうかいらぬことを胸の内に抱かなぬよう願う。この老婆心が無駄に終わることを、我は望む』

 

 男は、読み終えると、笑ってしまった。手に抱えていたりんご酒がこぼれるほど腹を抱えて笑って、やっと笑いを止めると、手紙をぐしゃぐしゃに握りつぶした。

 

「いや〜ほんと、悪い方たちだ。こんなことを計画しているなんて、……おお、怖い怖い」

 

 そしてその手紙を燃やし、捨てた。手紙は、小さな炭となって、消えていった。

 しゅるる、と唸り声がした。

 

◻︎

 

「そろそろ、閉店の時間だ。帰れ」

 

 泥酔し、眠ったものは、店長が外へ放り投げた。敷石の溝に手を突っ込んだものがいたが、それは彼の目覚めにはならなかった。

 グレゴールたちは外を出た。真ん中に眠っているベアトリスがいた。その両肩をグレゴールとキャサリンが支えていた。

 無言。彼女の穏やかな寝息だけが聞こえる。

 夜の寒気と闇。両端に聳える家並み。グレゴールは頭を撫でていた。コブができているのを感じた。頭に血が出ることはなかった。

 キャサリンは、帰る前に寄り道をして帰ろうと言った。グレゴールは承諾した。

 夜の街を渡り歩く猫や犬がゆったりと歩いていたが、彼らが近づくと、駆け足気味に彼らは路地裏の闇に消えていった。東路から通ずる、煌びやかな光を放って、くらっとさせるような刺激臭が漂う快楽街へ、へべれけに酔った男どもが、肩を組んで千鳥足で向かって、怪しく微笑を浮かべる娼婦に蛾のように吸い寄せれていく。

 やがて彼らは、噴水が中央に佇む広場についた。その噴水のなかでコインが投げ込まれていた。それは、この街の迷信のひとつで、雨が降った直後にここにコインを投げると、ささやかな願いが叶うものだった。

 ベンチに座る。

 そしてくだらないことをまた話した。そんななか、あるとき彼女はこういった。

 

「今日は、嬉しかったわ」

「嬉しかった?」

「ええ、だって彼女、本当に男を連れていかないもの。別に男が嫌いなわけではないんだけど、恋愛とかそんなことは興味がないのよ。だから、今日は嬉しかった。気に入った子ができた、それだけでも嬉しいことじゃない」

「それは、ありがとうございます」

「………ねえ、グレゴール君」

 

 声のトーンが、変わった。グレゴールは彼女をみた。

 

「頼んだわよ、彼女を」

 

 そのことが何を意味するか、グレゴールはわかっていた。グレゴールはまた頭にできたコブを撫で、この言葉を受け取った。

 

「それじゃあ、帰りましょう?」

「そうね、彼女をいつまでもここに置くのはかわいそうだし、じゃあね」

「ええ、また」

 

 グレゴールは途中で別れることになった。最後の伝えたいことをいい、負傷兵を運ぶような影法師を家の壁に投げる彼女たちの背を、彼女たちが家へ消えてしまうまで眺めた。そしてグレゴールも歩き出した。

 さようなら、は言わなかった。また、その言葉がいいと思った。たとえ、その言葉が嘘になろうとも、グレゴールは、もう迷いはなかった。

 

 

 そしてひと月が経った。第三騎士団に要請が来た。吸血鬼が、現れた。滅せよ、と。その対処は、ベアトリスを筆頭とした部隊と、あと二つほどの部隊で応戦することになった。グレゴールは、ベアトリスの部隊に配属することになった。原作通りにことは進んでいた。

 

 

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