ぼくのかんがえたさいきょうのあいどる 作:モモジャン箱推し
ある日の夕暮れ時のことだった。
下校途中にばったり出会った幼馴染と一緒に帰っていたとき、赤信号の横断歩道で立ち止まっていたところ、近くの茂みから出てきた子猫が俺たちの足元をくぐって道路に飛び出したのが見えた。どうやら、母猫が目を離したタイミングで飛び出してしまったらしい。
「危ない!」
自宅では犬を飼い、学校では飼育委員を買って出て……つまるところ、幼馴染───花里みのりは、動物が大好きで…子猫を捨て置ける人間ではなかった。道路に向けて走り出したみのりの背中が視界に入った瞬間、俺も一拍遅れて走り出す。
俺よりも一歩だけ先に子猫の元にたどり着いたみのりが、両腕で子猫を抱きかかえた。
そのすぐ側に迫るのは、突然飛び出した中学生に驚いた大型のトラック。赤信号だからと完全に油断しきっていたところに飛び込んできたその光景に慌ててしまって、ブレーキを踏むことすらできなかったのだろう。
元から、こうなることを見越してみのりの一歩後ろをついていったんだ。小さい頃からサッカーで鍛えていた健脚は、予想と完全に同じタイミングでみのりの元へと運んでくれた。
悩む暇などなかった。みのりのセーラー服の首根っこを掴んで、投げるような勢いで思いっきり後ろに引っ張る。いくら異性で自分よりは軽いとはいっても、数十キロある物体を引き寄せたのだから、俺の身体は引っ張られるように前に出て……つい先程までの彼女の立ち位置と綺麗に入れ替わった。
「────え?」
みのりの声が聞こえたと思った次の瞬間には、体が宙を舞っていた。縦ではなく、横に。
自分が撥ねられたことを理解したときには、硬いコンクリートに身体が打ち付けられて、身体中が痛くって………頭の中も真っ白になってきたから……重たくなってきた瞼を閉じようとして………
「だ、め……だめ…!いや…やだ、やだやだ!!」
そんな声が聞こえてきた。声と一緒に視界に飛び込んできたのは、茶髪を揺らしながらぼろぼろと涙を溢す二つの灰色の瞳。
「………みの、り……」
腕の中に抱いていた子猫はどうしたのだろうかと思ったら、視界の端で母猫に咥えられているのが見えた。よかった……けど…これに懲りたら二度と目離すなよ。
「……な、く………」
空を背に、ぼろぼろと涙を溢すみのりに向けて、ほとんど感覚のない手を持ち上げる。彼女に似合うのは、その名の通り花のような笑顔。今の彼女も、未来の彼女がなっているであろう『希望を届けるアイドル』も、涙で歪んだ顔は似合わないから。
「あい……ど、……な…て…」
涙を拭おうとみのりの頬に指を這わせたら、透き通るような白い肌に一筋の赤が走った。涙を拭おうとしたのに、手についていた血でかえって汚してしまったらしい。
「──!─────!」
……ああ…ここまでかな。遠くなっていくみのりの声を聴きながら、今度こそ本当に瞼を閉じた。
▲▼
わたし、花里みのりの家のお隣には、椎名紡くんという同い年の男の子が住んでる。サッカーが誰よりも上手で、将来の夢はサッカー選手、なんて語ってたこともあった。そして、周りも紡くんなら実現できると信じちゃうくらい紡くんは強かった。
……でも、わたしにとっては、サッカーが上手なことよりも人一倍優しい男の子だという印象の方が大きかった。
新しく買ったばかりの帽子が風で飛ばされたときにキャッチしてくれたり。お気に入りだった靴に車の跳ねた泥がかかりそうだったときも、咄嗟に手を引いて泥が当たらない位置まで引っ張ってくれたこともあったかな。リレーのアンカーでバトンを落としちゃったときも、励ましてくれて……運が悪いと思ってしまうようなことが起きる度に、紡くんは嫌な顔ひとつせずに助けてくれた。
一度だけ、こんな自分に付き合わせられて大変じゃないのか聞いたこともあった。
『俺が好きでやってることだから。みのりと一緒にいると一人じゃ体験できない色んなことがあって楽しいよ!』
そのときは、そうやって笑い飛ばしてくれた。まだ遥ちゃんに憧れる前だったわたしにとって…紡くんのその言葉がどれだけ支えになったか。
小学生の頃から、ほとんど毎日を一緒に過ごして、なにかあっても笑って手を差し伸べてくれた男の子のことを好きになるのに時間はかからなかった。
家がお隣同士で仲がよかったことに加えて、わたしに運が悪いことが起きるたびに助けてくれる紡くんのことを見て、『カップルみたい』なんてからかわれたこともあったけど………実は、ちょっとだけ嬉しかった。
遥ちゃんに憧れてアイドルを目指し始めてからも、まだアイドルになってすらいないのに、『卒業まで待っててくれるかな』なんて考えたりもしてた。
中学校は別々になったから、ちょっとだけ距離は開いちゃったけど…それでも、帰り道の途中で会ったら一緒に帰るような仲ではあった。
『………みの、り……』
そんな紡くんが、わたしを庇ってトラックに轢かれた。
「みのりちゃん」
連絡を受けてやって来た紡くんのお母さんが、病室から出てきた。
紡くんのお母さんは、お医者さんから聞いた話をわたしにも教えてくれた。全治数ヶ月の大怪我、正確なことは紡くんが起きてからでないと言えないけど現状では脳にも損傷は見られない。その点に限っていえば、スピードを出した大型のトラックに撥ねられた割にはだいぶ運がよかったらしい。
「ただ、続きがあって…………前もって言っておくけど、これはみのりちゃんのせいじゃないからね」
紡くんのお母さんがそう言ったとき、『聞いちゃダメ』と頭の中で誰かが叫んだ気がした。でも、聞かなくちゃ。わたしのせいで紡くんは怪我をしたんだし…なにがあっても……。
「脚の方は確実に後遺症が残るって…リハビリをすれば日常生活程度なら送れるようになるけど…サッカーみたいな激しい運動は二度とできないって」
その言葉を聞いたとき、世界から色と音が消えた。
サッカーができない………じゃあ、紡くんの夢は、もう二度と叶うことは………。
「……わた、しの………」
「…っ!それは違う。あの子は自分でみのりちゃんたちを助けることを選んだの。だから────」
紡くんのお母さんがなにかを言っているが、聞き取れなかった。
……だって、どう考えてもわたしのせいだ。わたしの運の悪さがなければ、子猫が飛び出すこともトラックが来ることもなかったかもしれないのに。それ以前に、わたしが飛び出さなければ………わたしが、紡くんを殺しかけて…昔から大切にしてた夢まで奪ったんだ。 紡くんだけじゃない……紡くんに夢を託したであろう、たくさんの人たちの分も……将来、紡くんが見せるはずだった分も。
そのことを自覚した途端、胃の中からなにかが込み上げてきた。
「…うっ………おぇ…」
慌ててお手洗いに駆け込んで、喉奥にあった不快感を口から吐き出す。
びちゃびちゃと音を立てて溜まっていく吐瀉物を見ながら考える。
『ごめんなさい』なんて言葉じゃ足りない。紡くんも含めて何十、何百いや、何万の夢を…希望を壊してしまったんだろう。
「…………うっぷ…」
再び不快感が込み上げてきた。これ以上考えるのはよくない。でも、たくさんの人の夢を奪ったわたしが、『希望を届けるアイドル』になんて、とてもじゃないけど…………。
「……わたし、だけ……」
死んじゃえばいい、今、ここで。紡くんを殺しかけて選手としての命も奪って、大勢の人の夢まで壊しておきながら自分だけがのうのうと立っている事実に耐えきれない。
そこまで考えて、ふと紡くんが意識を失う直前を思い出した。
『あい……ど、……な…て…』
声は掠れていたが、トラックに撥ねられて気を失う直前の紡くんは、口の形からして、確かに『アイドルになって』と言っていた。
それなら、なんとしてでもならなくちゃ。
奪った分の……
「…………夢も…希望も届けるアイドルに」
なによりも、紡くんに報いるために。
紡くんを殺しかけて、たくさんの人の夢を壊したのがわたしの罪なら、紡くんの願いに応えることがきっと贖罪になるから。そのためには……
「もっともっと………もーっと…がんばらないと…」
▲▼
俺が入院してから退院する数ヶ月の間に、みのりがアイドル事務所に受かってソロデビューして、人気もうなぎ登り中だという旨を聞いた。事務所が全面的に売り出していることを加味しても、近年でもほとんど類を見ないスピード出世だとか。
アイドルとして忙しくなったからか、お見舞いに来る頻度が減ったみのりの代わりに来るようなったみのりの両親に話を聞いてみたが、やけに渋い顔をしていたのが印象的だった。……なんだか、そのときのみのりの両親の様子がやけに気になって、家に帰ってからすぐにお隣にある花里家までやってきた。
「……家族でも部屋の中には入れてくれないから…私はリビングにいるわね。…………それと…先に謝っておくわね。こんなことを頼むのは酷だと思うのだけど…みのりにちゃんと休むように言ってみてくれない?…紡くんが言っても変わらないなら……」
みのりの両親に案内されて、固く閉ざされた扉の前にたどりついた。
現在のみのりは、アイドルとして体型維持に関する最低限の食事以外には一切手を付けず、部屋にも誰も入れないらしい。かといって病んでいるのかと思ったらそれも違うらしい。仕事がない日はきちんと学校に通うし、サモちゃんのお世話もする、入浴なんかもちゃんとしているせいで、みのりの両親もどうするべきか困っているらしい。
「……みのり、俺だけど…入ってもいいか?」
『……紡くん?ちょっと待って…………どうぞ』
退院してから初めて訪れた彼女の部屋は、それまでと比べて随分と様変わりしてしまっていた。大切に飾られていたASRUNのグッズだけを避けるように、自室の壁中にびっしりと貼られた付箋と、床中に散らばったメモ帳やルーズリーフ。
俺が中に入ったらすぐに扉を閉めたみのりは、映像を流したスマホと手元に開いた本との間に視線を行き来させ、何かをブツブツと呟きながらノートに書き込んでいく。淡々と作業を続けるその姿は、壊れた機械を彷彿とさせた。
病んでいない?……馬鹿なことを。病んでるどころか、これはもう、どう見たって………。
どうして、こんなことになってしまったのか。確かめるように、喉の奥から絞り出すように声を発する。
「…………み、のり」
声をかけたところで、みのりはきょとんとした顔を向けてきた。灰色の瞳からは、かつてのような希望に満ち溢れた輝きは失われており…代わりに、そこにあるのは得体の知れない濁った感情だけだった。
とても、嫌な予感がした。
「紡くん?どうしたの?」
「……一旦、休もう?倒れたら…よくないから」
「うん!
その言葉で、全てを察した。
みのりの中では、俺なんてただの幼馴染であってそれ以上でも以下でもないと思っていたけど…どうやら俺は、自分の存在の大きさを見誤っていたらしい。
俺が『アイドルになって』なんて言ったから、今のみのりは命を削ってでも自分の理想のアイドルになろうとしているんだ。
誰よりも純粋な希望を届けられるアイドルになって…いつか必ず、祝福されながら大空に羽ばたく日が来るはずだったのに……。今際の際だと思って彼女に言った俺の言葉が、彼女の祝福を呪いへと転じさせてしまった。
▲▼
後に分かったことだけど、あのときのみのりは、どうすれば理想の『夢も希望も届けるアイドル』になれるのかを徹底的に分析していたらしい。
自分の動きをスマホで撮影して見直しては理想との差を修正して、再び撮影しては修正して……ようやくオーディションに合格してアイドルデビューするところまで漕ぎ着けたそうだ。
その後も、何千何万と寝食すら惜しんで同じことを繰り返した果てに、みのりがたどり着いたのは、自分を取り巻く環境ごと客観的に見ることだった。いわゆる、”離見の見”。能楽の礎を築いた天才、世阿弥が説いた俯瞰の極致……に近いなにか。
才能のある人間が経験を積んで体得できるようなものを、みのりは量と質を兼ね備えた命を削りかねない努力と、執念だけで再現したという。
自分自身すらも俯瞰して、みのり自身が魅せたい『
実際に会場に集まっているファンに自分を魅せながら、ステージに置かれているカメラの位置を全て把握して、そこに映る自分自身を調整する。
……一度だけ、みのりにダンスのお手本を見せた時にコツを聞かれたことがあった。
『自分と周りを俯瞰して見るんだ。自分になにができて、なにができないのか。逆に、周りの人にはなにができるのか…客観的に』
『???』
『あー…ごめん、分かりにくいよな……とにかく、自分を俯瞰して見るんだ。それで、理想と実際の動きにどれだけ差があるかを確認しながら修正する。…俺のは根本的にサッカーに向けて最適化してあるやつだからダンスにはあんまり応用できないけど』
俺がサッカーをしていたときにやっていたこととは違うが、みのりの”離見の見”は、俺の言葉から着想を得て考えついたらしい。ここでまた、過去の俺の余計な一言がみのりをぶっ壊すトリガーになってしまっていたらしい。昔の自分に会うことができたらとにかくぶん殴ってやりたい。
(……これだけじゃ足りない。希望を届けるには…)
次に、アイドルとして希望を与えるのなら、そこにいるのは誰の目から見ても綺麗に映る天使だけではダメだということに気付いたらしい。自分は
ステージを降りていても、カメラの向こう側にダイレクトで感情をぶつけられるようになるためには……。しかし、みのりに芝居の経験はほとんどない。アイドルとして必要な要素に特化させた俯瞰を使えば、ある程度は補うことができるが、それはあくまでも表面に限った話。純粋な演技だけで全てを表現することは不可能。
だから、そちらは
─────数えきれないほどに希望をもらって
─────同じくらい幼馴染が死に瀕している情景を見た。
それがどれだけの負担になるのかは、俺には分からない。
確かなことは、みのりはそれを使って『夢も希望も届けるアイドル』として活動するための、二つの仮面を作り上げてしまった。
ステージ上では、上下左右360°どのタイミングで切り取っても、『
ステージから降りているときは『
ライブや配信、テレビ番組の放送が終われば、逐一SNSや掲示板を使ってエゴサーチを行う。全ては、大衆と自分の『花里みのり』の認識に差異が生じてしまっていないかを確認するために。自らとファンの間に少しでも誤差が生じてしまっていれば、ライブの振り付けやMC、番組での立ち回りを利用して、逐次修正をかける。
当然、そんなことを続けていれば、いくらみのりのメンタルが強いといっても狂うのは時間の問題だった。………いや、狂ったことに家族が気付けるのなら、いっそのことそちらの方が良かった。
運が悪かったのは、自分と作り上げた仮面との境界を曖昧にしながらも、周りからどう見えているのかを把握する術がみのりにはあったこと。俯瞰を併用しながら感情を再現することで、家族から見ても普通の『いつも通りの花里みのり』すらも演じることを可能としていた。
だから、俺が退院する頃には、とっくにみのりは壊れていた……いや、正確には壊れかけていた、と言った方が正しいのかもしれない。
みのりの両親には、このことを伝えようか悩んだがやめておいた。今のみのりが、『夢も希望も与えるアイドルとは思えない行動をしていたのが知られた』ということに気付いてしまえば、今度こそ本当に壊れてしまうと思ったから。
「ただいまー!」
玄関のオートロックが開く音と元気な声が聞こえてきた。
考え事と
国民的アイドルといわれるくらいにまでは成長したみのりは、高校に入学すると同時に防犯や諸々の観点から、今俺がたっている、都内にあるこの高層マンションに引っ越すことになった。いくら必要なこととは言っても、あの状態のみのりを一人にしておけないといえば、『じゃあ一緒に暮らす?』なんてみのりに言われて……勘違いをした母さんたちに手を回されて同じ部屋で過ごすことになってしまった。
”『夢も希望も与えるアイドル』ならきっとこうする”。そんな理由で、芸能活動に悩んでいた仲の良かった三人に手を差し伸べ、新たなグループを結成したのもちょうどみのりと一緒にここに引っ越した頃だ。
「おかえり、みのり。ご飯はもうすぐできるから、先にお風呂入っちゃって」
「……すんすん、この香りは…」
「鮭の幽庵焼き。お風呂上がる頃にはできるから、二人で一緒に食べようか」
「やったー!お風呂入ってくる!」
……彼女を壊したことが俺の罪だというのならば、どれだけ歪な形であっても、彼女を此岸に繋ぎ止める楔になろう。それが、俺に与えられた罰なのだから。
▲▼
「…前の跡、だいぶ消えてきたね」
「……明日は体育あるから、できれば手加減して欲しいんだけど」
「だめ」
そう言うと、紡くんは困ったような顔をした。
いつものかっこいい表情も素敵だけど、こうやって困った顔をしてるときはかわいいなぁ。
「…わかったよ……ほら」
紡くんが差し出してきた右肩に、そっと歯を立てる。
もうどこにも行っちゃわないように。誰かが見てもすぐにわたしのものだって分かる跡をつけるために。
「…ぃっ!」
じんわりと、鉄の味が口の中に広がり始めたのと同時に、耳元で小さな声が聞こえてきた。
ごめんね、痛いよね。でも、やめられないんだ。
アイドルのわたしと普段のわたしの壁はぐちゃぐちゃになって、本物と偽物の境目もどこにあるのか分からなくなっちゃって………お母さんたちにもそのことは言えなかったけど………………紡くんと一緒にいるときに湧き上がってくるこの感情だけは、昔から変わらないから。
だからね、紡くん。紡くんはわたしを引き留める楔になんてならなくてもいいんだよ。わたしは……紡くんがいて、みんなに夢と希望を届けるアイドルさえ続けられれば…どこでもいいんだから。
紡くんのサッカーは、他作品で例えると糸師冴です。割と本気で国宝レベルだったので、紡くんにかけられたものも少なくはないです。それらも全部まとめて潰したことを自覚した瞬間、みのりちゃんはぶっ壊れた。
モモジャンの皆はもれなく最強アイドル花里みのりに脳を焼かれてます。