アニキの『インクルシオ』はこんなもんじゃねえッ! 作:原作改編
暗殺者見習いのタツミは、航海していた。
帝都近郊、大運河の出発点から無事出港した巨大豪華客船『竜船』は、田舎育ちのタツミにとって大きな衝撃を与えた。デカい、とにかくデカいのである。
タツミは甲板に出て、怪しい人物がいないか見回りをしていた。
もう、陸地はかなり離れていた。
そして竜船のどこからか笛の音が聞こえる。
なんとなく緩やかで、肩のチカラが抜けそうな音色。
タツミは、この笛の音が暗殺開始の合図だとは夢にも思っていなかった。
「へー、まだ動けるやつがいるのかよ」
タツミは声のする方へと向く。
金髪顎髭の屈強な大男。黒い礼装、背中には斧の帝具『ベルヴァーク』。
猛獣のような威圧感を持つ骨太な男・ダイダラであった。
「つまりてめえがナイトレイドってことでいいのか?」
「な、なぜわかる!?」
「この『無気力化の演奏』で弱ってるやつから倒れてんだから、動けるやつは強い奴って決まってんだろ。んで、強いやつはナイトレイドの殺し屋の可能性が高いってわけだ。もっとも、オマエの方から白状してくれたもんだがな」
「ぐぬぬ、しまった」
タツミは失言を後悔した。
この無気力化の演奏はタツミから正常な判断力を奪っていたのだ。
「……オマエ、あんまり経験値持ってなさそうだな」
「う、うるせえ!」
「まあいいや、ほれ受け取りな」
ダイダラが投げたのは剣だった。
まだ鞘に収まっているため、攻撃ではない。
一般兵が持つどこにでもあるノーマルソードである。
丸腰だったタツミは怪訝そうに剣を拾った。
「どういうつもりだ」
「オレは別にナイトレイドでもなんでもいいんだよ。ただ強い奴と戦って経験値がほしいんだ。丸腰のやつを斬っても意味ねえだろ? だからこうやって施しを与えたわけだ」
「ああ、なるほどね」
タツミの理解が追い付く。
つまりこいつはおれがナイトレイドであろうがなかろうが、この演奏に耐えた時点で標的になっていたということか。
ただの強者に飢えた野獣だ。
「さぁ、オマエの実力をみせてみろ」
「いいぜ、やってやるっ! ただしお前がみるのは地獄だけどなっ!」
タツミが吠える。
しかし、ダイダラが見たのは地獄でもなんでもない。
ただ無様に、帝具・ベルヴァーグで両断されるタツミの剣だった。
あっという間の出来事だった。
ベルヴァーグの変幻自在な動きを前に、タツミは翻弄されていた。
そして、剣で受けたが、綺麗に切断されてしまったのである。
さらに貫通した刃は、そのままタツミの腹部を抉っていた。
タツミの押さえるわき腹からは、ぽたぽたと血が滴り落ちる。
「なんだ、この程度か。やっぱり無気力化された相手じゃあ満足できねえな」
タツミは驚愕する。
あの投げ斧はおそらく帝具。しかも鋼で出来たノーマルソードをやすやすと貫通してきた。直撃すれば、オレは真っ二つだろう。
このコンディションで、帝具相手に、敵うわけがない。
「もういいや、オマエ、もう死ね」
ダイダラの手から、投げ斧が放たれた。
一直線に首へと飛んでくるベルヴァーグ。
タツミはなんとか身をよじらせて回避する。
皮一枚のところで、斧は通過する。しかし、それだけでは終わらない。
投げ斧は弧を描いて戻って来るのだった。
タツミはかがんでやり過ごそうとする。
そこへ、もうひとつ風を斬る音があることに気付く。
目の前だった。
もう一本の投げ斧が、目の前に迫っていたのである。
あまりにも注意力散漫。もう回避できないところでようやく気付くなんて。
後悔するよりも早く、投げ斧ははげしくぶつかり合った。
終わった、とその場にいた誰もが思った。
そう、タツミを抱える男以外は。
「もうだいじょうぶだぜ、タツミ」
虚ろな目を開ける。
白銀の鎧、黄色い眼光、純白のマントを纏った男がいた。
悪鬼纏身・インクルシオを身に着けたブラートである。
「ア、アニキっ! アニキィ!」
「遅くなってすまん、でも間に合ってよかったぜ」
タツミは、九死に一生を得た。
あのベルヴァーグの挟撃から、インクルシオに救い上げられたのである。
そして、竜船の船首を背にしてお姫様だっこからタツミを下ろしたのだ。
「気を付けてアニキっ! あいつ帝具使いだよ」
「ああ、まかせとけ。オレにかかればあんなやつ……てタツミ! 怪我したのか!?」
ブラートはタツミのわき腹を見て驚く。
すっぱりとした切り口があった。
「ああ、でも致命傷じゃないから、大丈夫だよ」
「……許せねえ」
ブラートの言葉に怒気がこもる。
近くにいるタツミ、そしてはるか後方で様子をうかがっているダイダラの肌を刺すような怒気だった。インクルシオは、ダイダラに向かって叫ぶ。
「タツミに傷をつけやがってッ! お嫁に行けなくなったらどうしてくれるッ!?」
「あ、アニキっ。おれ男だよ」
弱弱しいタツミの訂正も、ブラートは意に介さない。
ダイだラはインクルシオを観察している。
じっくりと舐めるような視線の後、解せぬと言いたげに首を傾げた。
「てめえ、無気力化の演奏を受けたくせに、元気すぎやしねえか?」
「お? なんだ、この演奏にはそういうもんだったのか」
「ははーん。さてはオマエ、笛の良さがわからねえ田舎もんだな?」
「おうよ、こんなお上品な音色でオレの熱い血は抑えらんねえのさ」
「あいつもそうだが、経験値高いやつはなんでこう曲に疎いのかねぇ」
「……あいつ?」
ダイダラはあいつを思い出す。
あいつもエスデス様と一緒にニャウの演奏を聞いていたが、まるで心に響いていなかった。きっと目の前のこいつも同類なのだろう、と。
ダイダラがベルヴァーグを投げるより早く、呼び止められた。
「おしゃべりはそのへんにしておけよ、ダイダラ」
ふたりの男が、宴会場の方から姿を現す。
ひとりは銀髪初老の男。黒い礼装がよく似合う髭をたくわえた男だった。腰には護衛から調達したであろうノーマルソードが携えてある。
もうひとりは金髪小柄の少年。
頭に鬼の角が生えた、愛くるしい猫のような風貌をした少年だった。首に引っかけた紐にはあきらかに禍々しさを帯びた笛の帝具『スクリーム』がぶら下がっている。
「お? もうターゲットは始末したのか。ニャウ」
「それがねぇ、船のどこにもいないんだよね。きっとそこの鎧がどこかに隠しちゃったんだと思うんだよね」
ブラートが遅れた理由だった。
無気力化の演奏で護衛が倒れてくなか、インクルシオの透明化を使ってターゲットの身柄を隠したのである。三獣士のだれかがスキを見て暗殺しないよう手を回していたのだ。
「そういう事だ。ニャウ、ダイダラ、三人で叩くぞ」
「あいよ」
「オッケー、オッケー」
ニャウは首にぶら下げている笛の帝具『スクリーム』に息を吹き込む。
情熱的な曲調、血液の鼓動を早めるような音色。
その音色を聞いたニャウは、変貌した。
ニャウの華奢だった肉体は筋肉で膨れ上がったのだ。ブラートに匹敵する体格と、見た目の屈強さ、丸太のように極太の腕、足、胸板、どれもが接近戦に特化していた。、
タツミはたじろぐ。
アレに掴まったら終わりだ、と直感が叫んでいる。
「エヘヘ、殺し屋さんたちはどんな断末魔を聞かせてくれるのかな?」
歪な笑みを前に、タツミは完全に呑まれていた。
三獣士を同時に相手どる。
タツミが想像していた最悪のシナリオだった。
タツミの動揺を知ってか、ブラートはタツミをかばうように立つ。
「あ、アニキ」
タツミは思う。
アニキのインクルシオはたしかに強い。
けど、明らかに帝具使いがふたり、しかもふたりの態度から見て、あの初老の男も帝具持ちと見てまず間違いないだろう。
対してこちらはアニキひとり。しかもおれというお荷物を背負った状態なのだ。
信じてないわけじゃないが、あまりにも分が悪すぎる。
そんな不安を、ブラートは鼻で笑ってみせた。
「タツミ、お前はオレの戦いをその目に焼きつけるんだぞ」
落ち着いた、男の声をしていた。
タツミは小さくうなずく。
それを合図にしてか、三獣士は同時に動いた。
インクルシオの正面からダイダラの斧、右下方からリヴァの剣撃、左上空からニャウの足技。
一呼吸するより早く、三人はインクルシオに襲い掛かった。
タツミは、思わず目を瞑ってしまう。
そして、轟音とともに、インクルシオと三獣士がぶつかった。
おそるおそる目を開けるタツミ。
すべてが、止まっていた。
ダイダラの正面切った帝具・ベルヴァーグも、リヴァの膝を狙った下段斬撃も、ニャウの顔面に叩き込んだハイキックも、インクルシオを捉えているが、びくともしない。
ブラートは避けなかった。
三人の攻撃を、ただただ『受ける覚悟』をしただけ。
それだけで、三獣士の攻撃をまるでものともしない。
インクルシオに傷も、防御態勢も、ひるみも、なにもない。
『無敵の硬さ』こそインクルシオの姿だった。
三匹の連撃をその身に受けきるさなか、ブラートは呆れたように言う。
「おいおいおい、そんなもんじゃあねえだろうがよォ!」
ブラートの手には、槍型副武装『ノインテーター』
三匹が離脱の思考をよぎるよりも速く、そしてパワフルな槍さばき。
百人斬りのブラートが、猛威を振るう。
瞬間、三獣士は斬り捨てられた。
一振り目でリヴァを脳天から両断し、勢いをそのままに反対側にいたニャウを袈裟斬り、そして最後、身体のバネを最大限使ったノインテーターの投擲がダイダラの心臓を串刺しにする。
一呼吸の内に三回の攻撃。
そのどれもが必殺の威力を持ち、三人とも正確に切り裂く。
殺し屋ブラートのすがたが、そこにはあった。
竜船の壁に磔にされたダイダラ。
甲板左奥で両断されたリヴァ。
その向い側で、宙を舞うニャウ。
みっつの死体が転がる中、ブラートが舌打ちをする。
「チッ、ひとり仕留め損ねた、か」
響き渡るのは、断末魔の叫びだった。
声の主はニャウ。地面を血まみれでのたうち回りながらもまだ息の根があった。どうやらリヴァを真っ二つにした時についた血が槍の威力を削ったらしい。
しかしもう助からない。どうしようもなく致命傷だった。
即死には浅く、生きるには深すぎる傷だった。
ブラートは一度変身を解く。
するとダイダラを壁に縫い付けていた副武装『ノインテーター』は霧のように消滅した。そしてもう一度インクルシオを発動させると、槍はブラートの手の内に出現した。
ブラートは、ニャウの方を向く。
このまま放っておいても死ぬ。ならばせめて一撃で楽にしてやろう。
ブラートの殺し屋としての優しさだった。
血濡れのニャウは、インクルシオを見上げる。
「なんでだッ! スクリームの、奥の手なんだぞッ! なのに、なんで効かないんだよお前ェ!」
聞くに堪えない悲鳴だった。
もう血の色の方が、ニャウの色彩の大半を占めていた。
初めて訪れる避けようのない死に、恐怖しているのだろう。
早く殺してやろう。
ブラートは黙って、ニャウの首を刎ねようとする。
しかし、ブラートの槍は言葉によって遮られたのだ。
「それでも優れた帝具使いだったのだが、いやはやブラートの相手には若すぎたか」
ブラートは、勢いよく振り返る。
さきほど両断したリヴァの死体が喋っていた。ブラートが視線を配ると、リヴァの死体は形を崩し、同程度の質量を持った水が甲板にぶちまけられた。
これは帝具を使った分身だ。
そして、本体ははるか客船の屋根から見下ろしていた。
銀髪初老の男を見てブラートは思う。
たったひとりだけ、心当たりのある人物の名前がよぎる。
それは、かつての上官として仕事をした仲間の名だった。
しかし彼は帝国に歯向かった時、処刑されたと聞いていた。
本人の声をもう一度聞くことで、ようやく確信を得ることになる。
「あいかわらず、デタラメな強さだなブラート」
「リヴァ、帝国に処刑されたと聞いたが……」
「表向きはな、しかし実際はエスデス様に引き抜かれ、従僕として二度目の生を受けた」
言葉も、風貌も、なにもかも違っていた。
決して大臣に賄賂を払わないほど上司に媚びない彼が、従僕などと自分を言うなんて、ブラートはにわかに信じがたかった。
「おれに情熱を教えてくれたあんたが、すっかり冷たくなったじゃねえか。そんなに『ドS雪女』の手元は居心地がいいのか?」
すると、竜船が大きく傾く。
リヴァの仕業だろう、そう確信させるほど、彼の表情は怒りに満ちていた。
「許さんぞブラートッ! あのお方を変な呼び名で汚すなッ!」
何回も怒られたブラートにとって、懐かしい響きだった。
リヴァの怒りにも関わらず、ブラートから笑みがこぼれる。
「その頑固なところは、ちっとも変わってねえや」
リヴァは咳払いをした。
すると、リヴァは冷静さを取り戻す。
さっきまでの形相がウソであったかのように紳士的な態度だった。
「帝具、インクルシオ。ずいぶんと頑丈になったじゃないか」
「……まあな」
「かつて帝国が所有していた時、あまりに利己的な帝具ゆえにだれも呼び出すことさえできなかったインクルシオ。あのブドー大将軍ですら根を上げた帝具をよくぞそこまで着こなした。いやはやお前が私の部下だったというだけで鼻が高くなるものだ」
「いまは敵だけどな」
「そうだな、その通りだ」
リヴァは改めてインクルシオを観察する。
そして、なにかを感じ取ったあと、静かに言うのだった。
「私の知る限り、お前はエスデス様の次に強い……だろうな」
「これでも世界一強いつもりなんだが、やっぱりあの将軍の方が強いか」
「愚問だな、あの方はだれよりも、なによりも強い」
確信というより妄信した発言だった。
それほどまでに、リヴァの心はエスデスへの忠義に染まりきっていたのである。
ブラートは、再び暗殺の意志を固めた。
「おしゃべりはこのくらいにして、始めるぞブラート」
「お? オレの方が強いって認めておきながらやろうってのか?」
「たしかにお前は強い。だが私が勝てない理由にはならないな」
リヴァはタツミへと視線を落とす。
油断すれば、仲間を殺すという彼なりの合図である。
ブラートは今一度、槍を握り直した。
「やらせねえッ! 任務は遂行するッ! タツミも守るッ!」
「欲張りすぎて後悔しないことだなッ! ブラートッ!」
リヴァ将軍は、ドレスグローブを地面に投げ捨てる。
右手には、怪しく光る指輪型の帝具・ブラックマリンが嵌められていた。
かつての帝国将軍、現エスデス直轄三獣士、リヴァ。
革命軍最強かつナイトレイドの一番槍、ブラート。
水の帝具・『ブラックマリン』VS鎧の帝具・『インクルシオ』
帝具使い同士の戦いは、どちらかが必ず死ぬ。
相打ちはあっても、両者生存の可能性はない。
彼らの戦いもまた、例外ではなかった。
こんな感じのアニキ無双が見たかったです。