タイトルなんて必要ない   作:ヘルタ様万歳

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あなたに花を

翌日。

 

研究室の空気は、まだ少しだけぎこちなかった。

 

 

昨日の朝、ヘルタさんは疲れたと言ってそのまま自室へと帰ってしまった。

すぐに話しをするのかと思っていたのに拍子抜けで、同時にらしいなとも思ってしまう。

 

つまりは、ヘルタさんにとってこの出来事はなんてことないのだ。

たったこれだけで、まるっきり何かが変わってしまうとは思ってない。

 

もちろん、きっと良い意味で。

 

 

昨日まで張りつめていたものが完全に消えたわけじゃない。

 

例えるなら、深く息を吸ったあと、ゆっくり吐き切る前の状態のようなもので。痛みは残っているけれど、呼吸は、もう止まっていない。

 

あれ……かえって分かりずらい言い方をしてしまった気がする。

私にとってはぴったりな言い回しだったんだけど。

 

 

私とヘルタさんはいつも通り向かい合わせで座っていた。

 

位置は、2日前のあの時と同じ。

椅子の角度も、机の配置も、何ひとつ変わっていない。

 

 

会話はある。

必要最低限の確認や、作業に関するやり取り。

 

沈黙も、ある。

長く続く、無音の時間。

 

でもその沈黙は、昨日までの「居心地が悪い沈黙」でもない。

 

 

言葉にするにはまだ準備が足りない。

でも背を向けるほどでもない。

 

言葉に表すことが出来ない、不思議と自然体で居られる空間。私は端末の画面を睨みながら計算結果をスクロールする。集中しているつもりなのに、どこか意識が散っているのは仕方のないことだろう。

 

彼女が、そこにいるだけで注意の一部が、どうしても引き寄せられてしまうんだから。

 

 

「そこ、計算式、ひと桁ずれてるよ」

 

「え、どこ」

 

「ここ」

 

椅子ごとくるっと回る音。

気配が、近づく。

 

顔を上げると、ヘルタさんがいつもの距離より、半歩分ぐらい近くに立っていた。

覗き込むように私の端末を見ている。

 

肩が、ほんの少しだけ触れている。

布越しの感触。一瞬で、離れる程度の接触。

胸の奥が、きゅっと鳴った。

 

私は、あえて何も言わず、平静を装う。

 

「近いです」とも、

「ありがとう」とも。

 

離れないことも、突っ込まないことも。

どちらも私が選んだ選択。

 

この距離を壊したくなかった。

 

 

「ほんとだ。ありがと」

 

声が、思ったより普通に出たことに少し安心する。

 

 

 

 

 

 

 

昼休憩の時間。

 

私は端末を閉じて、立ち上がる。

 

 

「休憩」

 

ヘルタさんはまだ画面を見ていた。

 

 

「もう少しデータを整理してから行く」

 

「じゃあ、待ってる」

 

言葉が、思ったよりも自然に出る。

いつもは先に昼食を取りに行っていたのを思い出す。

 

 

「先に行ってて」

 

顔は、相変わらず画面のほうを向いたまま。

声も淡々としている。

 

 

「待ってる」

 

言ってから、少しだけ恥ずかしくなる。

けれど特に撤回はしない。

 

昨日までの私ならきっと慌てて言い直していた。

でも今日は、そのままにしてても良いかな、なんて思う。

 

 

ヘルタさんは、一瞬だけこちらを見た。

ほんの数秒、視線が重なる。

 

それから、何も言わずに手元の作業を再開した。

 

 

……いや、再開した、というより。

 

作業速度が、明らかに上がった。

 

指の動きがちょっと速い。スクロールも、切り替えも、何処か無駄がない。

さっきまでのペースと、はっきり違った。

 

私は、思わず、乾いた声が漏れる。

 

……ヘルタさんって、こんなに分かりやすかったっけ?

 

 

 

私は椅子に座ったまま、しばらく彼女を待った。

無言の時間。

 

でも以前にあった不安はない。

 

むしろ静かな信頼みたいなものが、培われた気がする。

 

 

やがて。

 

 

「……終わったよ」

 

「お疲れさま」

 

そう言って立ち上がったヘルタさんに並んで歩き出す。

 

歩幅は、昨日と同じ。

 

でも距離はほんの少しだけ、近い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の終わり、すべての作業が片付いたあと。

 

照明は落とされ、必要最低限の灯りだけが白い床と機材の輪郭をぼんやり浮かび上がらせている。

 

いつもの夜。

何度も過ごしてきた変わり映えのしない時間帯。

 

なのに胸の奥だけが今までとまったく違う熱を持っていた。

 

 

やがて端末を閉じる音、椅子を引く音。

それらがやけに大きく聞こえる。

 

この空間に逃げ道がないことを、

私はちゃんと理解していた。

 

 

「……ヘルタ」

 

名前を呼んだ瞬間、ヘルタさんの指が、ぴたりと止まった。

 

キーボードの上で、ほんの一瞬、宙に浮いたまま。

 

 

「なに?」

 

振り返らずに返ってくる声。

 

静かで、いつも通りのトーン。

 

けれど、わずかに混じった緊張の気配を私は聞き逃さなかった。

 

私が、作業以外の用件で名前を呼ぶことが、何を意味するのか。

 

彼女はきっと分かっている。

 

私は、深呼吸を一回して、自分の胸に手を当てた。

 

心臓が信じられないくらいうるさい。

機械の駆動音より、ずっと、ずっと。

 

 

「この前は、ごめんなさい」

 

 

言葉にすると、喉に針が刺さった様に少しだけ痛んだ。

 

 

「謝罪はもう十分よ」

 

そんな私に、ヘルタさんはいつもの声で返してくれた。

 

振り返りもしない。

それは終わった話題だと示す仕草のようにも思えた。

 

それは困る。

 

 

「それとこれとは別」

 

私がそう言うと、ヘルタさんは何かを感じ取ったのか完全に手を止めた。

 

次いで沈黙。

無言で私に続きを促している。

 

 

「……あの時の事を、話したい。聞いてくれる?」

 

 

「えぇ」

 

短い肯定。

当たり前に許されたのが嬉しくて、少しだけ勇気が湧いてきた。

心臓がまた一段とうるさくなる。

 

 

 

「私、ヘルタの事が――」

 

そこで一度、言葉が止まった。

 

一瞬。

本当に、一瞬だけ。

 

言葉を探す。

 

けれど、気の利いた表現も、物語みたいな比喩も。いくら探しても、私の中にはなかった。

 

かつての私が、どうしていたかなんて知らない。

 

夢の中でどんな言葉を選び、どんな顔をしていたのかも未だ思い出せない。

 

 

本当は最初から分かっていた。

 

あの星の瞬く夜空の夢で、私の隣にいたのはきっと、ヘルタさんだった。

 

彼女が、何気なく空間に星を振らせて、鼻歌でも歌うように楽しそうに笑っていたのを見た瞬間から気づいてしまっていた。

 

あの夢はヘルタさんの夢なんだ。

 

 

だから今の私として一番正直で、一切の誤解のないような単純な言葉を選ぶ。

 

 

「好き」

 

 

飾りも、詳細な説明もきっと必要ない。

 

ドラマ性なんてどこにもない。

ロマンの欠片も見当たらないような陳腐で普遍的な言葉。

 

でも、これ以上ないくらい、私の本音。

 

 

 

ヘルタさんの瞳が、ゆっくりと見開かれる。

 

驚き。

安堵。

隠しきれない、喜び?

 

感情を制御しきれなかった時の、何処か困ったような困り顔。

 

 

「……自分から言うって、こういうことだったんだ」

 

ヘルタさんは、気の抜けた様に少しだけ笑った。

 

照明に照らされて、その笑みがやけに柔らかく見える。

 

 

「うん。こういうこと」

 

私も、つられて笑う。

 

 

笑いながら、胸の奥が、じんわりと熱くなる。

その後で、ヘルタさんはほんの少しだけ、視線を逸らした。

 

いつもの、考え込むときの癖だ。

 

 

「……あなたはもう少し、遠回しに言うかと思ってた」

 

「考えたけど、やめた」

 

「どうして?」

 

「遠回しにして、喧嘩したのが、私たちだから」

 

その言葉にヘルタさんはほんの一拍だけ間を置いた。

 

それから小さく、息を吐く。

 

 

「……本当に」

 

低く、自嘲気味な声。

 

 

「……あのときの誤接続さえなければ、もう少し綺麗な順序で進んだ気がするのだけれど」

 

「誤接続?」

 

聞き返した私に、ヘルタさんはすぐに答えなかった。

 

 

「あなたは、気にしなくていい」

 

声音的に、過去の話を、ここで広げるつもりがないことが分かる。

 

ヘルタさんは、ゆっくりと、私のほうへ一歩近づいた。

距離が、殆ど0になる。

 

 

 

「私からも、ひとつ」

 

「ん」

 

過去の私の話をされる予感がして、少しだけ身構えてしまう。

 

けれど彼女の言葉はその予感を裏切った。

 

 

「あなたが、何を思い出して、何を忘れたままだとしても」

 

頬に手を添えられ、何か言おうと開きかけた唇に指が添う。

もう片方の手はいつの間にか腰に置かれていて、突然の事に驚く私に、ヘルタさんの瞳が悪戯っぽく細められた。

 

 

「今ここにいるあなたが、全てだよ」

 

その声はとても穏やかで、いつも通り淡々としていた。

けれど、瞳は真剣そのもので、ギャップに酔いそうだった。

 

 

「私の助手で隣にいて、私のことを好きだと言ってくれるあなた。どちらも本物のあなた」

 

 

アメジストの瞳が、穏やかに綻んだ。

 

 

「それ以上の条件は必要ないよ」

 

 

ヘルタさんなりの最大限の返事なのかな。

 

直ぐに好きとは言ってくれない。簡単な肯定もしない。

 

代わりに、条件をすべて捨てて、今の私を選ぶと、静かに宣言してくれた。

今はそれで十分だと思えた。

 

 

「……そっか」

 

そう言うのが精一杯だった。

 

 

照れてしまったのは、言うまでもない。

 

 

 

けれど胸の奥は不思議なくらい静かだった。

 

やっと、ここに辿り着いた。そんな気がして。

 

 

 

研究室の夜は相変わらず静かで、変わり映えのしない光景の筈なのに。

 

私の世界だけが、少しだけ、確実に変わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夜。

 

研究室の片隅で、私は通信機を見つめていた。

画面には、見慣れた名前。

 

 

 

【星】

 

 

 

嫌な予感しかしない。

私は一度だけ深呼吸してから、端末を耳に傾けた。

 

 

『やっほーリィン。元気?』

 

「ほどほどに」

 

『ヘルタも?』

 

 

……横を見る。

 

 

ヘルタさんは、いつも通り端末を操作しているけれど、明らかに聞いている。

 

 

 

「いるよ。よくわかったね?」

 

『で?』

 

 

星の声が、妙に弾んだ。

 

 

『言った?』

 

一瞬、思わず咽そうになった。

 

「……なんの、話」

 

 

『それ』

 

短い。

でも何となく理解してしまって気まずくなる。

 

私は、随分と迷いながらも。

 

 

「……たぶん?」

 

という、史上最悪に曖昧な返事をしてしまった。

 

『たぶんって何!?』

 

 

「……言った、ような……言ってない、ような……」

 

 

『告白って量子状態なの!?』

 

その時だった。

 

私の背後から、やけに冷静な声が割り込んだ。

 

 

「観測された時点で、結果は一意に収束している」

 

『え、本人だ!?』

 

「……はぁ」

 

ヘルタさんは、私の肩越しに通信機を覗き込みながら続けた。

……まって、吐息が耳にかかるからもう少し離れてほしい。

 

 

「彼女は明確に私を選んだ。これは変えようのない事実だし、あなたはこれ以上引っ搔きまわすのはやめなさい」

 

その単語をあらためて第三者の口から聞くと、今すぐ逃げ出したくなるほど恥ずかしくなるからヘルタさんこそやめてほしい。

 

 

『うわ、マジじゃん』

 

「マジも何も、事実よ」

 

『で、返事は?』

 

 

私は、ほんの一瞬だけ迷ってから、横目でヘルタさんを見る。

彼女は、なぜか、少しだけ顔を逸らしていた。

 

「……それは、まだ、です」

 

『へー?』

 

星の声に、完全に愉快な色が混ざる。

 

 

『じゃあさ』

 

一拍。

 

 

『もう、付き合ってるの?』

 

私は、今度こそ言葉に詰まり、ヘルタさんはほんの僅かに咳払いをした。

 

 

 

「……実験継続中、とだけ答えておくわ」

 

『恋愛を実験にしないでよ』

 

正論すぎて何も言えない。

私だってそう思った。

 

 

『ま、いっか』

『二人が幸せそうで安心した』

『良かったね。リィン』

『ヘルタも』

 

 

 

「……はい」

 

一瞬の沈黙。

けれど星は満足したらしい。

 

 

『よし!』

『じゃあ今度二人でどっか行きなよ!』

『出張でも観光でもデートでも何でもいいから!』

 

 

「……デート」

 

思わず、私が復唱してしまう。

ヘルタさんが、ちらりとこちらを見る。

 

 

『ご馳走様でした』

 

星は楽しそうに言った。

 

『じゃ、私は次の惑星に行くから』

『進展あったら報告よろしくー』

 

ぶつっ、と通信が切れた。

静寂が戻る。

 

 

「嵐みたい」

 

「……はぁ、本当にね」

 

 

私たちは、なぜか、ほとんど同時に小さく笑ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後。

 

ヘルタステーションから少し離れた、観測ログ上では重要度が低いと分類されている小さな観測用の星へ二人で出張することになった。

 

仕事だ。あくまで、仕事。

 

そう自分に言い聞かせながら、私は小型船のシートに身体を預ける。

 

船内は、最低限の広さしかない。操縦席と作業スペース。簡易的なベッドとソファ。

 

私とヘルタ、二人分でほぼ埋まってしまう空間。

 

……二人きり、という言葉が、やけに胸に残る。

 

意識しないようにすればするほど、意識してしまう距離。

 

エンジンの振動が微かに身体を揺らす。

 

無重力に近い感覚の中で、普段よりも自分の鼓動だけがはっきり分かる。

 

 

「緊張してるの?」

 

前を向いたまま、ヘルタが言う。

 

「……少し」

 

正直に答えた。

 

「あなたはステーションの外に出た事はないからね、緊張するのも仕方ない」

 

「でも……」

 

続きを言いかけて、私は言葉を飲み込む。

代わりに小さな窓の外へ視線を移した。

 

群青色の宇宙。静かに広がる闇の中に、小さな星がぽつりと一つ浮かんでいる。

 

あの星に降りる。

これから二人で。

 

 

「でも?」

 

ヘルタが詰めるように促すから、つい言ってしまった。

 

「何だか、デートみたいだなって……」

 

ヘルタは、ほんの僅かに間を置いてから答えた。

 

 

「みたいではなく、事実その通りだよ」

 

彼女はとびきり意地悪に微笑んだ。

 

 

 

 

 

やがて星に降り立つ。

 

低重力の感覚が足元を少しだけ不安定にする。

 

多少よろけながらも、観測装置の点検は驚くほどあっさり終わった。

 

想定通り、異常なし。

 

 

「少しだけ羽目を外しても、統計的な誤差の範囲」

 

そう言ったのは、ヘルタの方だった。

 

それは彼女なりの「寄り道しよう」という提案だった。

 

惑星の地表は、夜だった。

大気は薄く、音はほとんど反響しない。

 

その分、足音や呼吸がやけに近くに感じられる。

 

低重力の所為か、私の足取りは少しだけ軽い。

 

遠くに、ぽつりと小さな光が灯っている。

 

 

 

「……あれは?」

 

「自動観測の光ね。観測データの信頼性を確保するため、常時稼働するよう設計されている」

 

「……誰も見る予定のない光」

 

「正確には観測される可能性を考慮されていない光だよ」

 

私は、しばらくその光を見つめた。

 

 

「綺麗」

 

「私より?」

 

「もちろん、ヘルタの方がずっと綺麗だよ」

 

 

ヘルタは、まさか反撃されるとは思わなかったのか、小さく咳払いをした。

 

数秒。

星の光だけが私たちを照らす。

 

「本当はもっと早く来たかった。ここはあの夢の原典だったから」

 

 

言われて気付く。

確かによく似ていた。

 

星の瞬く夜空や、冷たい石畳の地面。

 

この惑星には朝や夜なんていう概念はないらしい。

常に辺りを星々が照らし、青白い輝きが降り注いでいる。

 

肩と肩の距離。

呼吸の間隔。

 

手は、触れそうで、触れない距離。

ヘルタの指が、ほんの少しだけこちらに寄る。

 

 

 

 

「愛してる」

 

その言葉に、私は思わず足を止めた。

 

 

 

 

 

 

「え」

 

「何」

 

いや、何、じゃなくて。

 

 

「……遅すぎるよ。ビックリした」

 

 

「ここ数日、考えていたの。あなたの言葉にどう答えるか。この感情の表し方を」

 

 

「それで今、答えが出たということ?」

 

 

「そう」

 

 

唐突極まりない。

そもそも、好き、に対して私も、ではなく。

あ、愛してる……なんて返されるとは思わなかった。

 

ヘルタらしいといえば、らしいけど。

 

いや、全然らしくない。

ここ2、3日でヘルタの意外な面を連続で見ている気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰りの船の中。

私は、窓の外を眺めながら、静かに口を開いた。

 

 

「不思議」

 

「何が?」

 

「夢の中を歩いていた私は、現実に、こんなふうに誰かと並んで歩く未来なんて、想像していなかった」

 

少し前までは管だらけの白い病室だけが私の世界だった。

 

 

ヘルタは、少し考えるように視線を伏せてから答えた。

 

 

「私は夢の中のあなたと出会わなければ、誰かと並行して生きるなんて発想自体を、思考モデルに組み込むことはなかった」

 

視線が、ほんの一瞬交差する。

 

 

「……じゃあ」

 

私は、静かに続けた。

 

 

「私たちは夢と現実で、お互いの人生を、少しずつ分け合ったんだね」

 

ヘルタは、その表現を吟味するように一瞬だけ黙ったあと、小さく笑った。

 

 

「価値の高い取引だった」

 

私はその言い方につられて笑ってしまった。

ヘルタは意外に冗談を言い、ノリが良いというのは最近知ったことだ。

 

そうしている内に宇宙船は静かに加速する。

この先の未来に、夢の続きが必要なくなるほど穏やかな夜が、何度も訪れることを願いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数年後。

 

私は今も、ヘルタステーションにいる。

肩書きは相変わらず助手。

 

それを聞いて、変わっていないと思う人もいるかもしれない。

 

でも私にとっては、随分意味の違う言葉になった。

 

研究室の窓の外には、相変わらず星が無数に浮かんでいる。

 

光の密度も配置も、昔と変わらない筈なのに、私は今もそれを見て「夢みたいだ」と少し思う。

 

 

「リィン」

 

「なに」

 

「そのデータ、逆」

 

いつものやり取り。

声の距離。

呼ばれ方。

 

 

「わかってる。わざと」

 

「どういう意味? 説明して」

 

「確認テスト」

 

「……その確認のために余計な工程が増えている」

 

「でも、ちゃんと見てくれた」

 

私がそう言うと、ヘルタは一瞬だけ言葉を失い、ほんの少しだけ視線を逸らした。

 

その癖は、もう何年も見てきた。

 

論理で返せない時、彼女は必ず視線を逃がす。

こんなに分かりやすいのに、どうしてあの時は気付かなかったんだろう。

 

 

あの閉鎖された病室の中より、私の世界はずっと広くなった。

 

 

 

すべての作業が終わり、二人で並んで窓の前に立つ。

 

無数の星、重なり合う光。

 

 

「綺麗だね。ヘルタの方がもっと綺麗だけど」

 

「会話のテンポを崩さないで」

 

「でもやっぱりちょっと星が多すぎる気がする」

 

 

「宇宙の基本仕様だよ。個体数削減の予定はないみたい」

 

「広告みたい」

 

「あなたの父親の会社と同列に扱わないで」

 

私は、くすっと笑った。

こういう、どうでもいいやり取りが好きだ。

 

研究データにも論文にも、一切残らない時間。

 

でも私にとっては、どんなものよりも奇跡の様に残り続けると思う。

 

 

「ねえ、ヘルタ」

 

「なに」

 

「私、もう、夢には入らない」

 

彼女は、一瞬だけ目を瞬かせた。

予想外の入力に対する、ほんの僅かな遅延。

 

 

 

「それは、現実における精度が、夢の完成度を上回ったということ?」

 

「そう」

 

 

自分でも穏やかな声で、私は続けた。

 

 

「少し寂しくて……少し、嬉しい」

 

 

そっと、ヘルタの指先に触れる。

 

触れられる世界に、私は、もう、ちゃんといる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜、研究室の端末がやけに軽い音を立てて起動した。

 

 

 

【星】

 

表示名を見て、既知感が襲う。

私は、画面を開いた。

 

 

 

【星】

『やっほー』

『元気?』

 

「うん。そっちは?」

 

【星】

『元気元気』

『その後どう?』

 

私は、咳払いを一つしてから答える。

 

「ぼちぼちかな」

 

【星】

『ところで』

『いつになったら孫を紹介してくれるの?』

 

 

……。

 

ほんの数秒、宇宙でも測定不能な静寂が流れた。

 

私は、ヘルタを見る。

ヘルタはの顔にはうんざりした様な表情を浮かべていて、私の端末を睨み付けている。

 

 

「……いつから、あなたは、そんな語彙を習得したの?」

 

【星】

『列車の教養』

『で、いつ紹介してくれるの』

 

私は、端末に向かって、極めて冷静に答える。

 

「星。私もヘルタも同じ性別。子供ができる訳ない」

 

 

 

【星】

『ヘルタなら作れそうだけど』

 

 

その瞬間、横からヘルタの手が伸びて来て、持っていた通信機が取り上げられてしまう。

 

ぐしゃりと、金属がひしゃげる音がして、おや、と思う。

 

私の端末、壊れちゃった。

 

 

 

 

「ヘルタ?」

 

 

「はぁ……、あまり干渉が過剰なら、彼女との関係性も見直しが必要だね」

 

「でも、元気そうでよかった」

 

 

 

 

 

 

 

夢の中でしか生きられなかった少女は出会った天才により現実に引きずり出され、記憶を失い、恋をして、そして現実の星を眺めながら生きている。

 

 

天才は、不自由を味わいながらも、合理的に切り捨てられない感情を1つだけ手に入れて、大切に抱えた。

 

 

開拓者は今日も、どこかの星から、余計な通信を飛ばしてくる。

 

 

少女はもう夢を見ない。

現実が、少しだけ、夢より優しくなったから。

 

 

 

 

 

 

 

──完




途中失速するかなとか思ってたんですけど、無事書ききることが出来て良かったです。
自己満足に付き合っていただけた方々、ありがとございました、。



ところで四話で終わるとか言ってなかったっけ?
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