もともと自己満足で書いていた作品なので、物語はステーション内部という限られた舞台だけで進み、誤字やら脱字やらあって、テンポも拙く、勢いのまま始まり、そのまま終わってしまった話だな、と改めて感じました。
それでも、そこまで悪くはないかなとかぼんやり眺めているうちに、ひとつだけ強く気になる点に気づいたんです。まるで巨大なクレーターのように、設定の詰めが甘かった部分がぽっかりと目立っていました。
その違和感がどうしても拭えず、完結させたはずの物語に、あらためて続きを書くことにしました。
完全に蛇足ではありますが、興味のある方だけ、この先を読んでいただければ幸いです。
流星ワゴンに乗って①
SYSTEM ACTIVE
ENERGY LEVEL : LOW
>> LOAD SUBJECT REGISTRY
幽機生命体_管理群
TOTAL COUNT : 14
>> BEGIN STATUS VERIFICATION
SUBJECT[01] : NO SIGNAL
CONNECTION LOST
STATUS : TERMINATED
SUBJECT[02] : WEAK SIGNAL
STATUS : STANDBY
SUBJECT[03] : NO SIGNAL
CONNECTION LOST
STATUS : TERMINATED
SUBJECT[04] : NO SIGNAL
CONNECTION LOST
STATUS : TERMINATED
SUBJECT[05] : WEAK SIGNAL
STATUS : STABLE (MINIMUM)
SUBJECT[06] : NO SIGNAL
STATUS : TERMINATED
SUBJECT[07] : NO SIGNAL
STATUS : TERMINATED
SUBJECT[08] : NO SIGNAL
STATUS : TERMINATED
SUBJECT[09] : WEAK SIGNAL
STATUS : STABLE (MINIMUM)
SUBJECT[10] : NO SIGNAL
STATUS : TERMINATED
SUBJECT[11] : NO SIGNAL
STATUS : TERMINATED
SUBJECT[12] : NO SIGNAL
STATUS : TERMINATED
SUBJECT[13] : WEAK SIGNAL
STATUS : STANDBY
SUBJECT[14] : NO RESPONSE
DESIGNATION : Riin_Epha
>> CALL : Riin_Epha
PRIORITY : HIGH
NO RESPONSE
>> CALL : Riin_Epha
PRIORITY : HIGH
NO RESPONSE
>> CALL : Riin_Epha
PRIORITY : MAXIMUM
SIGNAL DETECTED
RECONNECTING
CONNECTION ESTABLISHED
目を開くと、私は、知らないはずの場所に立っていた。
どこまでも白い宇宙船。
床も、壁も、天井も、すべてが同じ色で塗りつぶされている。広くもなく、狭くもない。生活の痕跡が、どこにもない。
廊下の両脇には、小さな個室が並んでいた。
数える必要もなかった。
14だと、なぜか分かる。
「……ここ、どこ?」
返事はない。
その代わり脳の奥に直接、何かが流れ込んできた。
SUBJECT[14] : Riin_Epha
CONNECTION STABLE
私は、思わず息を呑んだ。
声じゃない。
音でもない。
なのに言葉として理解できる。
「……あなたはだれ?」
AFFIRMATIVE
DESIGNATION : ORIGIN
「オリジン…? ……私は、リィン。これは、夢?」
NEGATIVE
THIS IS DEFINED AS : DREAM LAYER
違いが分からない。恐らく夢の主であるオリジンが違うと言うなら、違うのだろう。
私は白い床を見下ろした。
ちゃんと影が落ちている。
「……私、呼ばれた?」
YES
PRIMARY OBJECTIVE :
DELETE SUBJECT[01] ~ SUBJECT[13]
その一文が流れた瞬間、胸の奥がひどく冷たくなった。
「……削除?」
AFFIRMATIVE
SUBJECT[14] IS SUCCESSFUL INSTANCE
OTHERS ARE REDUNDANT
「……待って」
私は、自分でも驚くほど焦ってオリジンの言葉を遮る。
「私、何の話か分からない」
DATA CONFIRMED
SUBJECT[14] MEMORY BLOCK : ACTIVE
「そう。私、何も覚えてない」
私は、白い宇宙船の中を見回す。
誰もいない。
気配もない。
「それに……私、人間だよ?」
CONFIRMED
SUBJECT[14] IS NO LONGER 幽機生命体
「……じゃあ」
私は、少しだけ声を震わせた。
「なんで、そんな話を、私にするの?」
YOU ARE THE ONLY SUCCESS
YOU ARE THE ANSWER
「……勝手に決めないで」
私は、14の扉の前に立つ。
他の13枚の扉は閉じられている。中に何があるか、誰が居るかさえ分からない。
「私、その人たちのこと、知らない」
IRRELEVANT
THEY WILL BE DELETED
「……知らないからって、
消していい理由にはならない」
沈黙。
初めて、オリジンの応答がほんの僅かに遅れた。
警告音。
研究室の照明が赤く点滅する。
「……っ」
私は急に身体が重くなるのを感じた。白い宇宙船に先程まではなかった振動で揺れて、軋む。
金属音。
白い壁が割れ、機械の脚が踏み込んでくる。
無機質な複眼。何かに操られた機械種がわらわらと私を包囲する為に集まってくる。
逃げ場はない。
「……これは、あなたがやってるの? オリジン」
YES
EXECUTION SUPPORT ACTIVE
「――リィン!!」
鋭い声。
同時に、世界が引き剥がされる。
視界が、白から、見知った天井へ。
息を吸うのも忘れて、私は、ベッドの上で跳ね起きた。
「……っ、は……」
視線を横へやると、ヘルタが焦った表情で私の肩を掴んでいた。
「……夢にはもう行かないんじゃなかったの?」
「ヘルタ……」
声が、まだ震えていた。
まだ警報が耳鳴りのように残っている。
部屋は静寂そのもので、遅ればせながらここは自室ではない事を思い出す。
そこは研究室。ソファから体を起こし、乱れた呼吸を整える。
でも、私の頭の奥にはまだ、あのコマンドが残っていた。
DELETE
私が知らない十三人。
これから消される存在。
私は、ゆっくりと拳を握る。
「……ヘルタ」
「なに」
「私、夢を見てたんじゃない」
ヘルタは一瞬だけ、言葉を失った。
「……オリジンという、恐ろしいものに、会った」
その名前を出した瞬間、彼女の目がすっと細められた。
それから私は、何度も呼ばれた。
眠りに落ちる直前の、一番脆いところを掴まれて、引っ張られる。
身体が現実に残ったまま、意識だけが滑り落ちる感覚。
夢というより、転落に近い。
目を開けると、いつも白い宇宙船だった。
どこまでも白。塗装が剥げた机と、小さな椅子。使われなくなったメディカルルームという古びた看板。運転手のいない制御室。14個の個室。
誰も居ないそこに、私だけが立っている。
そして次の瞬間には、聞きなれた金属音が響く。
私がここへ来たのを感付いた何かが迫ってくるのを感じた。
機械種。
オリジンに操られた、私を追跡するためだけに存在するもの。
脚が床を叩く音は、いつも冷たくて金属を引っ搔いたような嫌な音がする。
夢なのに、耳の奥をじんじんと痛くする。
最初の頃の私は、ひたすら逃げた。
理由を考える余裕はなかった。
「削除」という単語が、あの声が、追いかけてくる足音が、怖い。
理解できる癖に、意味は分かる。会話もできるのに、その後の事はどうにもできない。
色んな事を知って、自分なりに成長したと思っていたのに、ここでは何も知らない小さな存在に戻ってしまう。
追われる。
追われる。
追われる。
そして――ある夜。
制御室の裏、普段は行き止まりだったはずの通路に、小さな影がひとつ見えた。
「こっち」
声ではない。でも、少し懐かしいような声が思考に入り込む。
オリジンのコマンドと似ているのに、決定的に違う。硬さがない。強制もない。
私は迷った。
迷っている間に、機械種の足音が近づく。
怖い。でも行かなければ捕まる。
私は、息を止めるみたいにして、その影の方へ飛び込んだ。
小さな扉が開き、私は中へ引きずり込まれる。
すぐに扉が閉じ、遠くの方で嫌な金属が響いた。
そこは、10畳程度の個室だった。
何もない。ベッドも机もない。
ただ、壁に手で引っかいたような線が、何本も残っている。
そして、そこにいた。
私と同じくらいの年の子。
輪郭が少しだけ曖昧で、光の粒が肌に混じっている。
生きているのに、現実の重さが足りない感じ。
「……誰?」
私が言うと、その子は首を振るような仕草をした。
「ここでは名前に意味がない」
姿は子供そのものなのに、言葉の選び方が妙に大人びている。
「まさか君が生きてるなんてね、14番」
その子は私を見て言った。
「……14番?」
「知らないの? ……ふぅん、そっか」
その子は、ほんの少しだけ笑った。
笑った、というよりは、笑う形を思い出したみたいな顔。
その瞬間、廊下で金属音が止まった。
機械種が、扉の前に立っている。
私は背中が冷たくなった。
夢の筈なのに、汗が出る。
「……ここ、見つかる」
「見つからないよ」
その子は淡々と言って、壁に向かって手をかざした。
すると、扉の隙間、継ぎ目が少しずつ閉じていく。
「なに、これ」
「さぁ?」
扉の向こうで、壁が打ち付けられる様な音が何度か響き、数秒後、足音が遠ざかっていった。
助かった。
そう理解した瞬間、私は息を吐いた。
吐いた息が震えているのがわかる。
「……ありがとう」
「礼はいらない。どうして外に居た君が再びここへ戻ってきたのかわからないけれど、来た道を引き返すべきだよ」
「外?」
「オリジンの安全圏の外。羨ましい」
その言葉に、胸の奥が締め付けられる。
私は、短い時間しかここに居ないし、耐えていればヘルタが助けてくれるけど。
この子はずっとあの恐怖に晒されていたのだと思うと居たたまれない。
その短い時間ですら、私は怖くて堪らないのに。
「ねえ。あなたは、誰なの。私はリィン」
「ふぅん、リィンって言うんだ。14番の名前は初めて聞いた」
「それで…」
「うん? ……ああ。私の名前? 私は、2番。14番、君はこれからどうするの?」
ああ、やっぱり。
2番と名乗った彼女はやがてオリジンに削除される幽機生命体に違いない。
私は知らないのに、何故か2番は私のことをよく知っている様な様子だった。
「14番じゃない。私はリィン、人間だよ」
「今はね」
2番の返事は短かった。
まるでそれが重要じゃないみたいに。
その夜から、私は何度も、彼ら――幽機生命体に出会った。
ロビーの隅に、いつも丸く座っている子。
椅子を並べて、通路の角度を変えようとする子。
制御室から出られないのだと言う子。
自分が消える順番を知っているみたいに静かな子。
彼女、彼らは、私を庇った。
扉を開けて隠してくれたり、機械種が来る方向を先に教えてくれたり、ここは安全だと場所を譲ってくれたり。
親切だった。
親切で、彼らは生きるのにどこか積極的ではないように見えた。
長くても数分。短ければ数秒。
私がこの船に居る時間帯で、彼らは私に親切にしてくれた。
私の為に死んでもいいと、そう思わせるような行動に胸が痛くなる。
私が知らない人たち。
知らないのに、守ってくれる人たち。
知らないからこそ、このままではいけないと思ってしまう。
オリジンに彼らを削除させてはいけない。
止めないと。
私は彼らの名前すら知らない。
理屈ではない。それでも救いたい。
その気持ちが芽生えた時点で私はもう、以前の怖がって逃げてばかりの私ではいられなくなっていた。
現実に戻るや否、私はヘルタに相談した。
「夢の中に白い宇宙船がある。14個の部屋があって、危険な機械種がいる」
ヘルタは露骨に眉を顰める。
心配と、苛立ちと、少しの好奇心が同時に混ざった顔。
「あなたの報告は、夢という語彙で括るには情報量が過剰だね。主観的幻視として処理するには、構造が再現性を持ちすぎている」
「……つまり?」
「つまり、座標化できる可能性がある」
そう言いながらも、ヘルタの指は端末を叩く速度がいつもより速かった。
焦っている。理屈で包んでも、焦りだけは隠しきれない。
「けど問題がある」
「問題?」
「あなたが見ているのは夢層だとしても、その基底がどの物理座標に紐づいているかは未確定。夢層は通常、観測系の外縁に散逸する。つまり、座標探索はほぼ暗闇の中の探索に等しい」
私は喉が乾く。
不安が、言葉の形を取らないまま胸に溜まる。
「……見つからない?」
「現時点では確率がかなり低い。あなたの脳内再現が完全に場所と一致している保証がないから」
その言い方が、一番怖かった。
保証がない。
つまり、努力しても無意味かもしれない。
でもここで諦められるほどまだ大人じゃない。
「それでも、探したい」
ヘルタは一拍置いて、私を見た。
視線が鋭い。
試すみたいな目。
「あなたは、危険を理解している?」
「うん。たぶん」
「たぶんでは不十分。あなたが深層へ引き込まれる頻度が増えるほど、オリジン側の干渉強度も上がる可能性がある。同時に、機械種の現実への侵入リスクにも繋がるかもしれない」
「……でも、あの子たちが」
「あなたと彼らは無関係でしょ」
「知らない人、だけど。でも……」
私は言葉を探して、上手く出てこなくて、拳を握りしめた。
「……私を、守ってくれたから。逃がしてくれた。だから今度は……私が、何かしたい」
ヘルタは、少しだけ目を伏せた。
「……あなたの動機は理解できる。でも、手段がない」
「作って」
私は自分でも驚くほどまっすぐ言った。
ヘルタはため息を吐いた。
けれど、緩んだ雰囲気が伝わってきて、自然と口元が綻ぶ。
「……なら逆算する」
「逆算?」
「座標を見つけられないなら、座標が露出する条件を作ればいい」
ヘルタの指が電子版を弾き始める。
端末の画面に、何かの式が走る。
「あなたが呼ばれる空間は、あなたの内部状態と強く同期している。それが座標と繋がっているなら、あなたの記憶が鍵になるかもしれない」
「……記憶」
その単語に、私の胸がきゅっと縮んだ。
私は記憶を失っている。
失う前のわたしを、私は知らない。
「あなたの幼い記憶を、夢で再現する。その時、オリジン側の参照リンクを見つけられるかもしれない。殆ど賭けのようなものだけど、見つけられたなら、座標の痕跡が観測できるかもしれない」
「……そんなこと、できるの?」
「できるよ」
ヘルタは言い切った。
「あなたの美人で可愛くて強い彼女がどんな存在なのか、忘れたの?」
ヘルタは私を見て、ふっと優しく微笑んだ。
頼もしい彼女に恥ずかしくなって視線を漂わせる。
「ただし」
「……うん」
「あなたの脳内を切開して、失われた記憶を覗かないといけない。記憶は繊細な系。誤差が生じればあなたの精神構造に予測不能なノイズが残るかもしれない」
「それでも」
私は即答した。
怖い。
怖いけど、これはやらなければならない事のように思う。
「やりたい、……やらなくちゃ。私、あの子たちを見捨てたくない」
ヘルタは、しばらく黙った。
それから、低く言った。
「……あなたの決意は、固いのね」
「うん」
「分かったよ。じゃあ、あなたの実験に協力してあげる。ただし、条件がある」
「なに」
「異常を感じたら、即時撤退。あなたの命が最優先だよ」
その言葉に、胸が熱くなった。
当たり前だけど、心配してくれている。
私は頷いた。
そして、その夜。
ヘルタの調整したカプセル装置の中で、私は眠った。
眠りに沈む直前、心配そうなヘルタの顔が見えた。
もしもこれが最後だとしても、最後に見える顔がヘルタなら構わない。
言葉にしたら怒られそうだから何も言わないまま目を閉じた。
私という人間のその記憶のはじまりはいつだったか。
その問いが、まるで合図みたいに胸の奥で鳴った瞬間、世界が変わる。
私は、小さかった。
足元の床が、やけに近い。
一瞬映った自分の手が小さい。
足が短くて、一歩一歩歩く歩幅も小さい。
そこは病院だった。
消毒液の匂いと、車椅子がキィという音を立てて立ち止まった。
手渡される甘いお薬の匂い。
隣に、父がいる。
父は背が高くて、私の手を引く指は硬い。
心配そうな顔で頭を撫でてくれた。
「……大丈夫か」
父の声。
忘れていた声が蘇る。
わたしは頷く。
うまく言葉が出ない。
息が浅い。胸が苦しい。
この頃からわたしは、自分の足で満足に歩けない体だった。
父に車椅子を引かれ、やがて白い扉の前で止まる。
白い廊下。
白い扉。
白い天井。
――そして、そこにいた、陽気な男の人。
白衣。
少し乱れた髪。
笑うと目尻に皺が寄る。
「やあ!」
彼は手を振って、椅子から立ち上がったその拍子に、床に置いてあった書類に足を引っかけた。
「うわっ」
本当に、何でもないところで転んだ。
父が一瞬、固まる。
私は目を丸くして、それから、思わず笑ってしまった。
「だいじょうぶ……?」
私がそう言うと、男の人は床から起き上がりながら、恥ずかしそうに頭を掻いた。
「大丈夫、大丈夫。いやぁ、緊張してたのかな。初対面の相手に転ぶの、最悪だよね」
声が明るい。
でも、明るさの中に何かを隠している感じがする。
悲しいのを、明るく包んでいるみたいな。
「どうも。私はこれから君の主治医となるヴィクター・ロウです」
彼は名乗った。
父は、少し硬い声で返した。
「……あなたが、先生ですか」
「うん。先生って呼んでくれていいよ。偉いわけじゃないけど、ここではそう呼ばれてるからね」
先生は笑った。
「君がリィン・エファくんかな?」
私は頷いた。
先生の目が、少しだけ柔らかくなる。
「うちにもね、娘がいるんだ。同じ病院で入院してる。たぶん君の病室の隣になるのかな? 仲良くしてくれると嬉しい」
その言葉の温度が、少しだけ落ちた。
でも、先生はすぐに笑ってみせる。
「だから、君のこと、他人だと思えないんだ。変な意味じゃなくてね。同じ空気を吸ってるって感じ」
父が、少しだけ視線を逸らす。
父はきっと、こういう話が苦手だ。
先生は机の上の紙を整えながら、ふと真面目な顔になった。
「リィン。君は、明日を怖いと思う?」
私は答えられない。だって考えたこともなかったから。
怖いというより、明日が来ること自体が、いつも不確かだった。
先生は、私の沈黙を責めなかった。
むしろ、それを受け取るみたいに頷いてから、ゆっくり言葉を紡ぐ。
「生命とは、その形態を維持することではなく、情報として継承されることなんだ」
難しい言葉なのに、先生は優しく言う。
私に合わせて、言葉を置くように。
「我々が“死”と呼ぶものは、皮膚や肉体の終端だ。でもね、情報は別の形で生き続けている」
先生の目が、遠くを見る。
たぶん、病室のどこかにいる娘を見ているんだと、幼い私でも理解できた。
「僕はね」
先生は笑うのをやめて、静かに続けた。
「明日を簡単に諦めてしまう状況そのものが、我慢ならないんだ」
それは、怒りみたいな声だった。
でも、怒鳴らない。
極めて穏やかな声で言う。
「未来を諦めてほしくない」
その言葉が、私の胸に落ちる。
未来。
諦めない、そんな言葉が私には重すぎるのに。
でも先生の声は、不思議と怖くなかった。
むしろ怖いのは、ヴィクター・ロウの……先生の暗い闇の中のような、空ろな瞳だった。
ずっと笑顔だったからこそ、見えないで済んでいた、先生の暗い海底のような瞳。
「……っ」
私は、それを見てしまった。
その瞬間、白い宇宙船の廊下の匂いが、一瞬だけ混じった気がした。
私は、息を呑む。
ヘルタの装置の中で眠っているはずなのに、
夢が、記憶が、別の場所へ繋がり始めている。
これは、ただの回想じゃない。
これは――紛れもない、座標の入り口だ。
私は、子供の自分の胸の鼓動を感じながら思った。
ここから、オリジンへ、あの白い宇宙船を辿れる。
怖い。
でも、逃げない。
私は、記憶の中で、先生をまっすぐ見る。
気付けば父の姿はそこには居ない。
先生とわたしだけの空間だった。