タイトルなんて必要ない   作:ヘルタ様万歳

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流星ワゴンに乗って②

 

 

病室よりも広く、宇宙船よりも静かで、どこを探しても現実というものがはっきりしない空間。

 

床も壁も、淡い光を帯びている。

影はあるのに時間の流れが感じられない。

 

先生は転んだ拍子に床に腰を落ち着けたまま、私に笑いかける。

この笑顔を私は知っている気がする。

 

 

「さて、久しぶりかな? 君は寝坊助さんだから、ここに来るのはもっと後になるかと思っていたよ。誰かが君の手を引いてくれたのかな?」

 

先生は、そう言って小さく笑った。

 

驚いた様子はない。私がここに来ることを、前から知っていたみたいだった。

 

 

「……先生」

 

声が、少し震えた。

 

「私、夢の中で……白い宇宙船に乗っています」

 

「うん、そうか」

 

即答だった。

 

「そこでは機械に、追われてます。それから……そこに、4人くらい、子供がいて」

 

先生は、私の話を遮らない。

頷きもしない。ただ静かに聞いている。

 

 

「みんなは幽機生命体で、その船に居る……たぶん大きな機械、オリジンが……その子たちを削除するって」

 

 

 

「そうか」

 

淡泊な返事だった。

 

 

「……驚かないの?」

 

「驚く必要がないからね」

 

先生は、ゆっくりと立ち上がって、言った。

 

「だいたい、君が話してくれた通りのことが起きているんだろう。君は無意味な嘘を言う子じゃないからね。信じるし、驚かないよ」

 

私は、少しだけ拳を握る。

 

「……先生は、それを知ってて、放置するんですか?」

 

 

「そうだよ。そもそも、そうなるように私が設計したからね。でも止めたければ止めればいい。私は君の選択を尊重しよう」

 

胸の奥が、ぎゅっと縮んだ。

 

 

「……あの宇宙船は、なんなんですか」

 

先生は、少しだけ視線を遠くに向ける。

 

「箱舟だよ」

 

「……箱舟?」

 

「うん。正確には、箱舟(アーク)。終わる星から、奇跡と呼ぶべきものを1つ1つ拾い上げて、次の可能性を運ぶためのもの」

 

先生は、淡々と説明する。

 

「たぶん君はもう薄々分かっているだろうけど。私たちが住んでいた星、リビテウムはね、もうとっくに消滅しているんだ」

 

その言葉は、思っていたよりも静かに胸に落ちた。

 

「……お父さんも?」

 

「君のお父さんはカンパニーの人間だからね。生き延びただろうけど……ああ、そうか。あれからどれだけ時間が経ったのか、君は知らないのか」

 

「なんの話」

 

 

「1,314,888システム時間。つまり、あれから150年も経ったんだ。一人の人間が天寿を全うするには十分過ぎる時間だと思わないかい?」

 

 

耳鳴りがする。

私の今の心情を表すみたいに、視界に不可解なノイズが走る。

 

 

「……じゃあ」

 

「白い宇宙船は、事実上、唯一の生存圏だ。生命体と呼ぶべきものは居ないけれどね」

 

先生は、私を見る。

 

「オリジンは、14人の明日を迎えられない子供たちの為に作った巨大な生命維持装置なんだ」

 

「……生命維持装置」

 

「そ。未来を約束するものじゃない。残されようとしている傲慢な人間の為に設計された、終わらせないための装置」

 

 

私は、あの白い空間を思い出す。

14個の部屋。

 

生活の痕跡がない理由。

 

 

「……だから、食べ物も、時間も、いらない」

 

「そうだよ」

 

先生は、少しだけ寂しそうに微笑んだ。

 

「肉体はもう、必要ないからね」

 

その言葉に、私は無意識に、自分の胸に手を当てた。

 

 

「……私は」

 

「そう。君は違う」

 

先生は、即座に言った。

 

「君は、もう幽機生命体じゃない。それは、奇跡にも等しい変数だ」

 

「奇跡……」

 

「だからこそ、君は呼ばれたんだろうね」

 

先生は、静かに続ける。

 

 

 

「リィン。もう気付いているだろうけど、私はもう、死んでいる」

 

「……」

 

「もう死んでいる私はオリジンへ干渉はできない。助けに行くこともできない」

 

先生は、少しだけ、肩をすくめた。

 

「でもね、道筋を示すことはできる」

 

「……道筋?」

 

先生は、指先で空間をなぞる。

すると、光の文字列が浮かび上がった。

 

理解できる。オリジンのコマンドと、同じ種類のコマンド。

 

「これは、オリジンの自壊プログラムのコードだ。メインシステムに打ち込めば、オリジンは停止するだろう」

 

 

「……どうして」

 

「言っただろう? 君の選択を尊重するって。私はね、主治医でありながら君たちに一度だって『生きたいか?』なんて聞かなかった。望まない答えが返ってきたら、何がなんでも止まらないといけなかったからね。……今ではそのことを少しだけ後悔しているんだ」

 

 

その声を聞いた瞬間、胸の奥で何かが静かに乱れていく。

 

怒りでも、悲しみでもない。もっと曖昧で、でも確実に痛いもの。

 

病室で点滴に繋がれて、「頑張ろうね」と言われて、「治療を続けよう」と決められて、「希望がある」と言われ続けて。

 

誰も、「それでも生きたい?」とは聞いてこなかった。

 

それが優しさだと私は思っていた。

 

子供に選ばせるには重すぎる問いだから。

それは大人が代わりに背負うものだから。

 

そうやって、私は選ばない側でいることに慣れていた。

それが辛いとは思わなかった。きっと沢山の優しさと不幸に守られていた。

 

だから先生の言葉は今さらになって、胸の奥にゆっくりと沈んでいく。

 

後悔していると先生は言った。

それが、余計に苦しかった。

 

もし、あの時。

 

病室で、先生が、父が、誰かが、

「生きたいか?」と聞いていたら。

 

私は、なんて答えたんだろう。

 

 

分からない。

 

怖くて、答えられなかったかもしれない。

 

「生きたい」と言ったかもしれないし。

「分からない」と言ったかもしれない。

 

 

でも少なくとも、選ぶ権利が私にもあった筈だ。

その機会を奪ったことを、先生は悔やんでいるのかもしれない。

 

自分の希望を押し付けてしまったと、思っているんだ。

 

 

 

 

止めれば、終わる。

止めなければ、削除されてしまう。

 

どうすればいいんだろう?

なにが正解?

 

 

でも先生はこうして問いを渡してきた。

 

「君の選択を尊重する」と。

 

それは、過去にできなかったことを、今の私に託す行為だ。

 

私は、ゆっくりと息を吸った。

 

 

胸が痛い。

でも、逃げたいほどではない。

 

「先生」

 

声が、少しだけ震える。

 

 

「私は、まだ……生きていたい」

 

ヘルタとしたい事が沢山ある。

ルアン・メェイさんに返し切れない恩がある。

星とまた取り留めのないお話をしたい。

 

もうあの病室で白い天井を眺めている何もないリィン・エファではない。

 

生きたいと思った私を、それでもいいと、先生は言ってくれるかな。

 

私は、自分が人間であるという事を泣きながら叫びたい。

 

あの病室でもう終わりたいと願ったことも、もっと世界を知りたいと願った日も、星空の瞬く夜空を綺麗だと思った事も、全て、本当の私だ。

 

 

私はわたしを思い出す。

 

白いだけの色のない病室は、よく見ればちゃんと、たくさんの色に分かれていた。

 

 

 

「先生、私たちはきっと、そんなに弱くない」

 

「……そうだね」

 

自分の手で誰かの未来を左右してしまうことが重くて、恐ろしい。それでも見つけてしまった以上、目を逸らすことはもうできない。

 

私は、選ばないことで逃げる人間にはもうなれない。

私は、迷うことをやめて、一歩前へ出た。

 

 

「私は、子供たちを助けたい。先生は、どうする?」

 

私はまっすぐ先生を見つめる。

底の見えないような深海に沈む暗い瞳は、海面の光を見つけた様にきらりと輝いた。

 

「……はは。君は相変わらずだなぁ。いいよ、私の負けだ」

 

 

 

 

「でもね、リィン。オリジンは彼らを生かしている装置であり、同時に、彼らを包み込む巨大な檻だ。私はあれを止めてほしいと思っているから君にコードを託したけれど、同時に君にこのコードを使ってほしくないとも思っている」

 

「矛盾している」

 

「人間らしいだろう?」

 

ズレ落ちた眼鏡を指で押し上げながら、先生は悪戯っぽく笑う。

 

 

「……どうすれば」

 

先生は私を真っ直ぐ見た。

 

「君は、選ぶことになる」

 

心臓が、うるさくなる。

私が言葉を紡げないでいると、先生は少し考えてから答えた。

 

「終わることを選ぶ自由も、生命にはきっと必要だった。私はそれに気付くまでにどれだけ君たちの事を苦しめたんだろう」

 

先生の声は、静かで、

でも、揺れていなかった。

 

私は、託されたコードを見つめる

 

止めれば、終わる。

止めなければ、削除されてしまう。

 

どちらも正しいとは思わない。

 

 

「……私は」

 

言葉が、喉で止まる。

先生は、急かさなかった。

 

「答えは、今出さなくていい」

 

「……」

 

「君は外で、素敵な人と出会ったんだね」

 

「はい」

 

「ならこれ最初で最後の宿題にしよう。その子と一緒に考えてみなさい。君はお寝坊さんだから、いつも私の授業には遅れてきて、宿題も忘れていたね。今回はちゃんと、持ってくるんだよ?」

 

先生は、最後に、いつもの穏やかな声で言った。

 

白い空間が、少しずつ崩れていく。

 

 

「先生」

 

「どうしたんだい?」

 

「……教えてくれて、ありがとうございます」

 

先生は、ほんの少しだけ笑った。

 

「こちらこそ。話を聞いてくれて、ありがとう」

 

 

 

 

次の瞬間、私は現実へ引き戻される。

 

胸の奥に残ったのは、二つの選択肢と託された宿題(コード)

 

 

私は、そのどちらも簡単には選べない人間だった。

 

 

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