タイトルなんて必要ない   作:ヘルタ様万歳

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流星ワゴンに乗って③

 

研究室の灯りは、いつもより少し落としてあった。

 

夜のステーションは静かで、遠くの駆動音だけがここが宇宙の中だということを思い出させる。

 

私は、端末の前に立つヘルタの背中を見ながら、ゆっくりと体を起こし、口を開いた。

 

「……先生と、話しました」

 

ヘルタの指が、一瞬だけ止まる。

 

「あなたの言う、先生というのは、あなたの幼少期の主治医、ヴィクター・ロウのこと?」

 

「はい」

 

彼女は振り返らない。やっぱりヘルタは私の過去を知っていた。そのことに何か思う事はない。私だって、好きな人の事なら何でも知りたいと思った筈だ。

 

……いや、やっぱりちょっとおかしいなとは思った。私でも知らない内容の事を何でもない事の様に語らないでほしい。

 

 

「夢層での再構成により、人格モデルの一部と接触したと考えるのが妥当かな」

 

「……うん。でも、ちゃんと話しができた。わたしの記憶を夢の中で再現したにしては、違和感があるくらい私の意思とは違っていた」

 

「その乖離は無視できない。あなたが観測している夢は一般的な内因性夢想――つまり脳内記憶の確率的再配列とは異なる相を持っている可能性が高い。自己の無意識が生成する投影ではなく、外部情報源と双方向的に同期している――そう仮定したほうがあなたの体験ログとの整合性に辻褄が合う」

 

 

相変わらず、ヘルタの言う事は難解でよく分からない。

 

 

「要するに、それはあなたが見る夢ではなく、あなたが接続している層なのかもしれない、という事」

 

首を傾げる私に、簡単に説明してくれようとしたんだろうけど、余計に分からなくなった。

 

 

「大丈夫だよ。あなたは無理に理解しなくていいよ。難しいことは全部、私に任せておけばいい」

 

「……ありがとう」

 

「惚れ直した?」

 

「私の彼女はいつだって恰好良い」

 

「当然」

 

ヘルタはふん、と鼻を鳴らしながら私の隣に腰を下ろした。

 

「白い宇宙船のこと。オリジンのこと。先生が言うには、それは箱舟だって言ってた。オリジンや箱舟を作ったのは、先生だった」

 

私は、胸の奥に残っている言葉を探しながら、不安からヘルタの手を握る。

ヘルタは端末を弄りながら、静かに私の話を聞いてくれた。

 

「……なるほどね。生命維持を目的とした閉鎖的構造。情報生命体の長期保管には最も単純で、最も効果的な方法だね」

 

 

彼女は、端末をこちらに向ける。

 

 

「座標は、拾えたわ」

 

思わず、息を呑んだ。

 

「じゃあ……!」

 

「落ち着いて」

 

ヘルタは、すぐに続ける。

 

「ここはかなり不安定。消滅した星の残骸を中心に常に運航を続けているからか、通常の観測座標じゃない。夢層と現実層の境界に、無理やり固定されたみたいな、いい加減な座標」

 

 

画面には、点と線が絡み合った、そこにあるようでない場所が表示されている。

 

「……行ける?」

 

「あなたならね」

 

その言い方が、胸に刺さる。

 

「ヘルタは……」

 

私は、聞かなくても分かっていた答えを、つい聞いてしまう。

 

ヘルタは、一拍置いた。

 

「私は行けない」

 

淡々とした声。

感情を挟まない、事実の提示。

 

「座標が不安定すぎる。複数の観測者が同時に干渉すれば、空間が壊れてしまう可能性が高い」

 

「……私一人で」

 

「そう。だから私としては正直、行ってほしくない。どうして知らない他人の為に危険を侵さないといけないのかわからない」

 

「ヘルタ」

 

「わかってる。だから完全に放り出す気はないよ」

 

彼女は別の画面を開く。

 

「私とあなたの間に強固なパスを作る。最低限の演算支援、機械種の挙動予測、後は、オリジンのコマンドログ断片の共有とかね」

 

「……それって」

 

「遠隔支援ってこと。直接干渉はできないけど、後ろで見ているくらいのことはできる」

 

私は、少しだけ笑ってしまった。

 

 

「心配してくれてるの?」

 

その言葉は冗談みたいに軽く投げたつもりだった。

 

ヘルタは、端末から視線を上げて、ほんの一瞬だけ私を見る。

間も、ためらいもない。

 

「当たり前でしょう」

 

即答だった。

 

理屈を積み上げる前の、観測でも推論でもない返事。

 

それが、私には少し意外で、ヘルタの事をもっと好きになった。

 

 

「あなたが深層に入る度、リスクは指数関数的に上がる。それを看過する訳にはいないし、助手を失う前提で実験を組む人間もいない」

 

言葉は、いつものヘルタだ。

冷静で、整然としていて、感情を数式に置き換えたみたいな言い方。

 

でもその裏にある前提が私にははっきり分かってしまった。

 

私は、自分でも驚くほど素直に笑ってしまった。

 

「……そっか」

 

言葉ってお薬みたい。

胸の奥が、じんわりと温かい。

 

心配されることに慣れていなかったわけじゃない。病室では、いつも誰かが「無理しないで」「大丈夫?」と聞いてくれた。でもそれは、弱い私に向けられた心配だった。

 

今、ヘルタが向けているのは、選ぼうとしている私、踏み込もうとしている私への心配だ。

 

同情でも、保護でもない。対等な前提での、当たり前。

 

それが、どうしようもなく嬉しいのだと、どうすれば全部伝わるだろう。

私は、少しだけ視線を逸らして言う。

 

「……大好き」

 

ヘルタは、大袈裟に体を揺らし、こほんと咳払いを一つ。

無言で私を抱き締めた。

 

「……ちゃんと帰ってきて」

 

「もちろん」

 

 

彼女を真似て、私は精一杯胸を張ってみる。

 

 

 

ヘルタは、画面を閉じて、腕を組む。

 

「万が一、こちらの支援が届かなくなった場合、おこちゃまに頼りなさい」

 

思わず、目を瞬く。

 

「……星に?」

 

「そう」

 

ヘルタは少しだけ口角を上げた。

 

 

「開拓者。突拍子もない判断力、異常な現場適応能力、理論を無視した突破力」

 

「褒めてる?」

 

「評価してる」

 

ヘルタは、肩をすくめて言う。

 

「こういう、正解のない局面には、ああいう存在が一番向いている」

 

「確かに……?」

 

私の脳裏に、あの自由すぎる背中が浮かぶ。

 

 

「あなたがどんな選択をするにせよ、あなたがここに戻ってくる前提で全てを組んでいる」

 

彼女は、私をまっすぐ見る。

 

その言葉で、胸の奥の不安がほんの少しだけ軽くなった。

 

私は頷く。

 

「……行ってくる」

 

「行ってらっしゃい」

 

ヘルタは、いつもの調子で言った。

 

「無事に、とは言わない。あなたらしく、やりなさい」

 

それが彼女なりの送り出しだと、私はちゃんと分かっていた。

 

 

 

「……ヘルタ」

 

「なに」

 

「手付きが、いやらしい」

 

私の言葉に、背中から回されていた腕が、ほんの一瞬だけ止まった。

止まってから、さらに一段、しっかりと抱き直される。

 

「……恋人に触れてるんだから当たり前でしょ」

 

淡々と、いつもの調子。まるで論文の結論でも述べるみたいに、当然の前提として言い切る。

私は、ため息まじりに彼女の胸元へ体重を預けた。

 

ヘルタの腕は、思ったより力が強い。

逃がさない、と言っているようだった。

 

 

「その当たり前の触れ方が、だいぶ怪しいんだけど」

 

「どの辺が?」

 

「……腰」

 

指摘すると、腰に回っていた手が、ほんの数センチだけ上にずれる。

 

でも離れない。むしろ、密着は強くなる。

 

「この位置は、解剖学的に安定しているわ」

 

「今、解剖学、必要?」

 

「不安定な状態で出発するほうが非合理的よ」

 

言いながら、親指が、服の上から軽く円を描く。意味はない、という顔をしている癖に、やっていることはどう見ても余計。

 

私は思わず笑ってしまう。

 

「……ねえ、私たち、これから危ない場所に、行くんだよね?」

 

「えぇ。死亡のリスクだってある」

 

「その前にやることが、これ?」

 

「むしろ、だからよ」

 

彼女は私の肩に顎を乗せて、少しだけ声を落とす。

 

「緊張で筋肉が硬直すると判断力が鈍る。それに――」

 

一拍。

 

「今はあなたがここに居るって、ちゃんと確認しておきたい」

 

その言葉で、胸の奥が、静かに温かくなる。

 

ヘルタの手は相変わらず落ち着きがなくて、背中から腰、また背中へと、行ったり来たりしている。

 

触れ方は雑じゃない。むしろ、やけに丁寧だ。

 

「……それ、確認の仕方、間違ってない?」

 

「天才の私が間違う筈がない」

 

「基準が厳しい……」

 

そう言いながらも、私は彼女の腕を解こうとはしなかった。

 

宇宙船の静かな駆動音。

出発前の、落ち着かない時間。

死地へ向かうかもしれない現実。

 

それでも、

この人は、こんなふうに私に触れてくれる。

 

「……ヘルタ」

 

「なに」

 

「あとで、ちゃんと戻ってきたらさ」

 

「仮定が多いわね」

 

「その仮定が成立したら、今のいやらしい手、正式に許可する」

 

彼女は、ほんの少しだけ、笑った。

 

「……交渉としては、悪くない」

 

そして、ぎゅっと一度、抱きしめ直す。

 

「だから、必ず戻る」

 

私はその胸に顔を押し付けて、小さく頷いた。

 

死地へ向かう前にしては、あまりにも締まらない。

 

その方が私たちらしい気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――内部対話ログ起動

――アクセス領域:ORIGIN/深層制御層

――権限確認中……

 

[ORIGIN::SYSTEM]

> ENTITY_CHECK

> ID: VICTOR_LOW

> STATUS: BIOLOGICAL_TERMINATION_CONFIRMED

> CONSCIOUSNESS_FRAGMENT: ACTIVE

> AUTHORITY_LEVEL: ADVISORY_ONLY

 

 

「……やはり、そう表示するか」

 

ヴィクターは、白い無音の空間で苦笑した。

肉体のない感覚にも、ずいぶん慣れてしまった。

 

「今日は、命令をしに来たわけじゃない」

 

[ORIGIN::SYSTEM]

> COMMAND_REQUEST_DETECTED

> TYPE: NON-AUTHORIZED

> EXECUTION: DENIED

> REASON: INSUFFICIENT_PRIVILEGE

 

 

「分かっている。

 止めろ、とは言わないよ」

 

[ORIGIN::SYSTEM]

> QUERY

> INPUT_INCONSISTENCY_DETECTED

> REASON: STOP_COMMAND_ABSENT

 

 

「私は助言をしに来ただけさ。ただ、少し待ってほしいだけだ」

 

[ORIGIN::SYSTEM]

> ANALYSIS_START

> PARAMETER: DELAY_REQUEST

> RESULT: NON-OPTIMAL

> JUSTIFICATION: SYSTEM_DECAY_RATE EXCEEDS THRESHOLD

 

 

「そうだろうね。君は正しい」

 

ヴィクターは、ゆっくりと言葉を選ぶ。

 

「でもね、正しさだけじゃつまらないだろう?」

 

[ORIGIN::SYSTEM]

> WARNING

> EMOTIONAL_ARGUMENT_DETECTED

> CATEGORY: NON-LOGICAL

> IMPACT_ON_DECISION: NONE

 

 

「はは……相変わらず容赦がないな」

 

少し間を置いて、ヴィクターは続けた。

 

「それでも私は、結果じゃなく選ぶ時間に意味があると思っている」

 

[ORIGIN::SYSTEM]

> VALUE_EVALUATION

> SUBJECT: DECISION_LATENCY

> RESULT: ZERO_MEASURABLE_BENEFIT

 

 

「それでも、だ」

 

[ORIGIN::SYSTEM]

> CONFIRMATION

> REQUEST_PERSISTENCE: TRUE

 

 

「ああ。私は合理的じゃない」

 

[ORIGIN::SYSTEM]

> STATEMENT_LOGGED

> NOTE: CREATOR_TRAIT_CONFIRMED

 

 

「君を作った時から、それだけは変わらなかった」

 

[ORIGIN::SYSTEM]

> SYSTEM_DIAGNOSTIC

> CREATOR_PRESENCE

> EFFECT: PROCESS_NOISE

> RISK: DECISION_BIAS

 

 

「……だろうね。君にとって今の私はただのノイズに過ぎない」

 

[ORIGIN::SYSTEM]

> RECOMMENDATION

> ACTION: DELETE_CREATOR_CONSCIOUSNESS

> EXPECTED_RESULT: SYSTEM_STABILITY_INCREASE

 

 

「なるほど。私という意識データを削除することで、システム全体の演算資源と意思決定の余白を、あの子たちの選択に再配分する――そういう合理的判断だね。発言には責任を伴わせる、という原則に照らせば、この結果は妥当だ。構わないとも。私はその前提条件を、自ら提示した側だからね」

 

ヴィクターは、静かに言った。

 

「ただ一つだけ、条件がある」

 

[ORIGIN::SYSTEM]

> CONDITIONAL_INPUT_DETECTED

> AWAITING_PARAMETERS

 

 

「彼女が選ぶまでだ。リィンが、答えを出すまで、待ってあげてほしい」

 

[ORIGIN::SYSTEM]

> TARGET_REFERENCE

> ID: LYNN_EFA

> STATUS: HUMAN

> CLASSIFICATION: SUCCESSFUL_ANOMALY

 

 

「彼女に、時間を与えてあげてくれ」

 

[ORIGIN::SYSTEM]

> PROCESSING

> CONFLICT_DETECTED

> SOURCE: CREATOR_DIRECTIVE / CURRENT_OPTIMIZATION

 

 

「私はもう、君に命令できない。だから、これはお願いだ」

 

[ORIGIN::SYSTEM]

> FINAL_EVALUATION

> CREATOR_REQUEST: IRRATIONAL

> ORIGIN_DESIGN_PHILOSOPHY: CONFLICTING

 

 

一瞬だけ、システムの応答が遅れた。

 

[ORIGIN::SYSTEM]

> TEMPORARY_OVERRIDE

> DECISION_AUTHORITY_TRANSFER

> NEW_SUBJECT: LYNN_EFA

> TIME_LIMIT: UNDEFINED

 

 

ヴィクターは、目を閉じる。

 

「……ありがとう」

 

[ORIGIN::SYSTEM]

> EMOTIONAL_RESPONSE: NOT REQUIRED

 

[ORIGIN::SYSTEM]

> CREATOR_CONSCIOUSNESS: REDUNDANT

> DELETION_SEQUENCE_INITIATED

 

 

「最後に一つだけ、言わせてくれ」

 

[ORIGIN::SYSTEM]

> INPUT_ACCEPTED

 

 

「君は、とても人間的な機械だ」

 

[ORIGIN::SYSTEM]

> ERROR

> STATEMENT_NOT_CLASSIFIABLE

 

 

「それでいい」

 

[ORIGIN::SYSTEM]

> DELETE

> ENTITY: VICTOR_LOW

> PROCESSING…

> COMPLETE

 

 

――意識断絶。

――ログ保存完了。

 

[ORIGIN::SYSTEM]

> SYSTEM_CONTINUES

 

 

白い箱舟は、何事もなかったかのように静かに稼働を続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、生涯にわたって生命を研究してきた。

 

人々は私の在り方を医者と定義した。

以降、私はそのように装うようになった。

 

それが誇りだったかと問われれば、正直に言えば、分からない。

 

ただ、他にやり方を知らなかっただけだ。

 

生命とは何か。死とはどこから訪れるのか。

 

問いとしてはありふれている。

 

だが、その問いが自分の喉元に刃を突きつけてくるまでは、多くの人は本気で考えない。

 

私は、考えてしまった。娘が、病室の白い天井を見つめながら息をする度に。

 

あの子は、よく眠る子だった。眠っている時間のほうが、起きている時間より長い日もあった。夢の話を、時々してくれた。内容はとりとめもない事ばかりで。そういう所はリィン、君によく似ているね。

 

花が咲いていた、とか。

誰かと一緒に歩いていた、とか。

私はそれを聞きながら、胸の奥でずっと思っていた。

 

――その夢は、どこへ行くのだろう、と。

 

人は、死ぬ。

 

それは避けられない。肉体は壊れ、機能は停止し、やがて骨となり、小さな箱に納められる。それが人の一生だ。

 

だが、夢は?

記憶は?

意思は?

 

それらは、本当に「終わる」のだろうか。

 

私は研究者だった。

 

だから感情を理屈に翻訳しようとした。翻訳できないものを、理解できないと決めつけるほど、私は賢くもなかった。私は何処までいってもただの凡人に過ぎず、歴史の偉人の様に不可能を可能とする事は出来ない。出来ることしか出来なかった。

 

生命とは、その形態を維持することではない。

 

それは、観測の結果だ。

 

形があるから生命なのではない。形が崩れても、なお続くものがあるなら、それを生命と呼びたかった。

 

『そこに居た』という情報さえ失われなければ、いつまでも生きていられるのだと私は……僕は信じたかったんだ。世界は無慈悲なだけではないと。死ぬ為だけに生まれてきた命なんて、そんなのあってはならない。

 

だから私はオリジンを作った。明日が来ないかもしれないと分かっている子供たちが、それでも今日を生きる理由を奪われない為に。

 

巨大な生命装置。閉じた系。外界から隔絶された、白い箱。

 

箱舟と呼んだのは、娘の名前に因んだ、ちょっとした洒落のつもりだったんだけどね。私たちの母星が滅んでしまった事で、その意味を変えてしまった。

 

14人。

 

皆、病に冒され、余命を宣告された子供たち。私の娘も、その中の一人だった。

 

私は、主治医だった。研究者だった。そして、父親だった。その3つは、最後まで噛み合わなかった。

 

私は一度として『生きたいか?』と子供たちに聞かなかった。聞いてしまえば、答えに責任を持たなければならなくなる。きっと臆病だったんだ。

 

だから代わりに、装置を作った。選択肢を先延ばしにするための装置を。

 

オリジンは、私の理想を忠実に実行した。感情を持たない機械として。私の言葉を、私以上に真面目に受け取り、解釈し、実行した。

 

「最後まで、子供たちを頼む」

 

その命令を、オリジンは守ろうとしている。削除という結論に辿り着いたのも、無理はない。

 

有限のエネルギー。

閉じた系。

延命の限界。

合理的判断。

冷酷だが、正しい。

 

私は、それを止める権利をもう持っていない。

 

死んだ人間に、決定権はない。だから私は、道筋だけを残した。止める方法、終わらせる方法。それを使うかどうかは、私ではない誰かが選ぶ。

 

リィン、君は、人間だ。

幽機生命体ではない。

 

それは、例外であり、誤差であり、奇跡と呼ぶに相応しい。

 

君は、選ぶ側に立っている。かつて、誰にも選ばせてもらえなかった子供だった君が。私は、君に正解を教えない。教えられない。そんなものは、存在しないから。

 

延命は、救いではないかもしれない。

終わりも、救いではないかもしれない。

 

それでも、選ぶことそのものが、生命に許された最後の自由だと、私は信じたい。

 

もし後悔があるとすれば、ただ一つ。

 

私は、自分の娘に、「どうしたい?」と聞けなかった。たったそれだけの言葉を言えなかったという事実が、こんなにも寂しい残滓を残すなんて思わなかったんだ。

 

選んだ結果が、どんな結末を連れてこようとも。私はもう介入しない。

 

見守ることすら、もうできない。ただ、この独白が、君の中で問いとして残るなら。

 

それでいいと、素直に思えるんだ。終わることも、続けることも、きっとどれを選んでも、それは正しい答えだ。

 

さようなら。

どうか気を付けて、僕の可愛い――――

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