タイトルなんて必要ない   作:ヘルタ様万歳

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夢の中のわたし②

 

 

私は、基本的に夢という現象を信用していない。

 

脳が勝手に垂れ流したログを、物語だとか意味だとか呼び出すのは、人類特有の悪い癖だと思う。もっとも、その「悪い癖」に付き合わされるのは、たいてい私のほうなのだけれど。

 

研究区画の照明は、いまも一定の周期で明滅している。

 

船体の振動は安定、生命維持装置は正常稼働、システムログも問題なし。そして、私のほうはといえば、連続稼働時間が少しばかり限界値に近づいていた。

 

 

「ふぁ……」

 

つい欠伸が出てしまう。

椅子にもたれ、端末のホログラムを一度閉じる。数字と式が残像のように視界に張り付き、しばらく消えそうにない。

 

ここ最近の私は、宇宙の再構築にほとんどの稼働時間を割いている。サンプル数を増やし、変数をいじり、結果を観測し、気に入らなければ全部壊す。

 

簡単な話ね。世界を作って、飽きたら捨てる。子どもの頃からやっている遊びの、スケールだけが大きくなっただけ。

 

「……子どもの頃、ね」

 

その言葉に、思考が引っかかる。

 

子どもの頃、一度だけ奇妙な夢を見た。

いや、正確には数回。あまり回数は多くない。

 

それでも、データとしては十分に“異常値”に分類される。

 

煌く星空。

硬い石畳。

あの世界にだけ存在していた少女。

 

リィン、と名乗った。

 

余命いくばくかで、病弱で、夢の中にしかまともな自由がないくせに、変に達観していて、やけに言葉の選び方が丁寧で。

 

私の夢に勝手に入り込んできては、私の迷いを、当たり前みたいな顔で「疲れるね」と言ってきた侵入者。

 

統計的には、脳が勝手に作り上げた虚構人格。

理屈としては、その説明で足りる。

 

足りるのだけれど。

 

「……まあいいわ。判断は、あとで」

 

私は自分のこめかみを押さえた。作業台の上には、片付けられなかったデータの山と、空になったカップ。

 

睡眠時間の確保は、効率的な研究の前提条件。そう定義したのも私。ならば、従わない理由はない。

 

椅子を少し倒し、目を閉じる。

照明の光がまぶた越しに赤く滲む。船内の機械音が一定のリズムで耳に届き、それが次第に遠ざかっていく。

 

息を吐く。

それから、落ちる。

 

 

──次に目を開いたとき、そこは見慣れた研究区画ではなかった。

 

夜だった。

空には星々が規則正しい配列で瞬いていて、まるで誰かが綺麗に並べ直した宇宙模型みたいだった。

 

地面は冷たい石畳で、靴音がよく響く。

ここに来るのは、何年ぶりだろう。

 

「……データの保存期間を、甘く見積もっていたかな」

 

小さく呟いて、自分で苦笑する。

忘却というゴミ箱に放り込んだつもりの記憶が、こんなに鮮明な形で再構成されているなんて。脳は案外、物持ちがいい。

 

私は歩き出す。

かつてと同じように、石畳の上に、自分の足音を落としていく。

 

夢の中の私は、相変わらず疲れ知らずで、息も切れない。現実の身体機能に縛られないのは、評価してもいい仕様だ。

 

少し歩いた先で、視界の端に見慣れた背中があった。

 

ああ、と、思う。

やっぱりそういうことになるのね、と。

 

「久しぶり」

 

私が声をかけるより先に、彼女が振り向いた。

 

腰まで届く白髪を風に靡かせた少女。

リィン・エファ。

 

あのときと変わらない年齢、変わらない背丈、変わらない銀色の目。優しげで、少し眠たげな雰囲気。

 

増えたのは、きっと、私の方だけだ。

 

「大きくなったね、ヘルタ」

 

「成長とは、基本的に勝手に進行する仕様だからね。成長した私も美人でしょ?」

 

口が自然に、昔と同じ調子で動く。

彼女はそれを聞いて、少しだけ笑った。相変わらず、騒がない笑い方。

 

「相変わらず、小難しいね」

 

「褒め言葉として受理しておく。……あなたは、まったく変化が観測されないけど」

 

「わたしの方は、あんまりバージョンアップの余地がないからね」

 

リィンはそう言って、石柱を指先でとん、と軽く叩いた。

 

「ここ、覚えてる?」

 

「忘れるほど鈍い脳じゃない。自己投影型仮想空間。あなたと最初に接触した、あの夢と同じ構造」

 

「うん。言ったでしょ。壊さず保存しておくって」

 

私は少しだけ、息を止める。

あれがただの夢ではなく、「彼女側の意思によって保存された座標」だという証拠を、いまさら突きつけられた形だ。

 

「……となると、ますます説明が面倒になるね。外部からの夢への侵入能力を持つ観測者が、そのまま構造を保持し続けていた、ということになる」

 

「難しい言い方をすると、現実味が増す?」

 

「逆よ。嘘っぽさが増す。けれど、否定し難くもある」

 

私は、彼女の真正面に立つ。

距離が近い。彼女の顔が、もうあの頃と同じ高さにない事が妙に胸をざわつかせる。

 

「現実でのあなたはどう? まだ……」

 

問いかけかけて、やめた。

代わりに、少しだけ言い換える。

 

「──まだ、生きてる?」

 

リィンは、空を見上げた。

星々が、その瞳に映って揺れる。

 

「どうだろうね。わたし自身も、そこはよく分かってない」

 

淡々とした口調だった。諦めでも、悲観でもなく、ただの事実報告。

 

「わたしの意識は夢の中のまま、もう何年も現実に帰ってない。病室の時間は、とっくに終わった気もするし、まだ続いている気もする。延命装置が止まったのかどうかも、こっちからは見えないしね」

 

「生死を本人が観測できない状態。シュレーディンガーの患者、とでも呼ぶべき?」

 

「どことなく間抜けな響きだね」

 

リィンはくすりと笑ったあと、こちらを見た。

 

「ヘルタは? 天才の行き着く先は、どんな景色だった?」

 

その問いは、妙に真っ直ぐだった。

私は、ほんの少しだけ視線をそらす。夜空ではなく、自分の足元を見る。

 

「相変わらず、誰も私のいる場所には立てないみたい」

 

言いながら、自分でも驚くくらい、昔と同じ言葉が口から出た。

 

「研究成果は山ほどある。世界はいくつも観測したし、いくつも壊した。評価も、称賛も、恐怖も、だいたい予想通りに獲得した。統計的に見れば、かなり成功した人生に分類されるはず。でも……」

 

「でも?」

 

リィンが、続きを促す。

私は、ほんの少しだけ肩をすくめた。

 

「それでも、居場所というラベルを貼れる座標は、未だに見つからない」

 

石畳に、私の靴音がひとつ落ちる。

さっきまで聞こえなかった鼓動が、妙にうるさい。

 

「同年代の子どもたちなんて、もうとっくに同年代という括りから外れている年齢になった。それでも、私はずっと、『天才』というラベルの下に展示されている。展示品自身の感想は、誰も気にしていない」

 

「そっか」

 

短い相槌が不思議と心地良い。

 

「だから、たまに思うの。あの時、あなたが言った言葉、覚えてる?」

 

リィンが首をかしげる。

私は、彼女の目を見て言う。

 

「『天才でも、普通でも、あなたはあなたでしょ』」

 

「ああ……」

 

彼女は目を細める。

 

「そんなことも言ったね、わたし」

 

「根拠に乏しくて、統計的裏付けもなくて、論理的にも甘い。でも、妙にデータに残り続けるタイプの言葉」

 

それをずっと保持したまま、大人になった。

認めるのは少し癪だけど、私は彼女にだいぶ影響されている。

 

「あなたが居なかったら、私はもっと雑に自分を切り捨ててたと思う。『天才である私』以外の部分を、全部誤差として」

 

「それは、寂しいね」

 

リィンが即答した。

 

「だって、天才であるヘルタと、迷ってるヘルタは、両方が本物なんだから」

 

「……あの頃と言ってること、ほとんど変わってないわね、あなた」

 

「成長の余地がないって、言ったでしょ?」

 

ふふ、と笑う。

私は、思わず少しだけ息を吐く。緊張が、ほんの少し抜けていく。

 

「あなたは?」と、今度は私から問う。

 

「夢の侵入者としての生活は、どうだったの?」

 

「うーん……」

 

リィンは少し考える仕草をした。

 

「たくさんの夢に入ったよ。泣いている子の夢、怒っている大人の夢、怖くて隠れてる人の夢。皆、様々な形で迷ってて、逃げてた」

 

「あなたは、何をしたの?」

 

「何もしなかった」

 

あっさりとした答えだった。

 

「ただ話して、ただ聞いて、ただ一緒にいるだけ。私にできるのは、それくらいだしね」

 

「それで、彼らはどうなったの?」

 

「さあ。目が覚めた後のことは、こっちからは見えないから」

 

それは、少しだけ私に似ていた。

私は世界を観測して、結果を保存する。でも、その世界の“その後”を、いちいち追跡しない。

 

「ただ、一つだけ言えるのはね」

 

リィンが、小さく指を一本立てる。

 

「わたしの中には、たくさんの迷ってる誰かの重さが残ってる。宇宙よりは小さいけど、わたし一人で抱えるには、ちょっとだけ重たいぐらい」

 

「それは、苦痛?」

 

「ううん。不思議と、悪くない重さ」

 

ああ、と私は思う。

昔、彼女が別れ際に言った言葉と、今のそれが綺麗に重なった。

 

「ねえ、ヘルタ」

 

今度はリィンの方が、私を真っ直ぐ見る。

 

「また、来る?」

 

聞き慣れた質問。

違うのは、私の方がもう「子ども」ではないという点だけ。私は少しだけ考えてから、答える。

 

「来るわよ。たぶん、以前より頻度は低くなるでしょうけど」

 

「どうして?」

 

「忙しいから。世界を作って壊す作業は、思っているより時間がかかるの」

 

「ふふ、そうだろうね」

 

リィンが嬉しそうに笑う。

それが、妙に心に引っかかる。

 

「……ただし」

 

私は、付け加える。

 

「あなたのほうが先に終わる可能性も高い」

 

「うん、知ってる」

 

あっさりとした返事だった。

 

「だからね、今日こうしてもう一度会えただけで、わたしとしてはかなりの大収穫なんだ。観測者としても、夢泥棒としても」

 

「夢泥棒を自称するの、やめる気はないのね」

 

「今さら看板は変えられないよ」

 

リィンが肩をすくめる。

その仕草が、どうしようもなく生きている人間のものに見えて、私は視線を少しだけ逸らした。

 

「……ヘルタ」

 

「何?」

 

「最後に、ひとつだけ、わがまま言ってもいい?」

 

その言い方は、とても静かで、けれどとても真剣だった。

 

「この夢を、あなたの中にも、少しだけ残しておいてほしい」

 

「保存しておいて、ってこと?」

 

「うん。忘れてもいいけど、あったっていう記録だけ、どこかに」

 

私は、ほんの一瞬だけ黙り込む。

それから、小さく頷いた。

 

「いいよ。私の貴重な研究記録の中に、ひとつ項目を増やしてあげてもいい」

 

「どんな項目?」

 

「『観測不能の夢侵入者についての断片的ログ』」

 

「名前、長いね」

 

「タイトルは長いほうがそれっぽいの」

 

リィンがまた、笑う。

その笑い声と、星の光が、同時に強く瞬いた。

 

世界が、少しずつ崩れはじめる。

石畳が遠ざかり、星が線になり、音が水に沈む。

 

「ヘルタ」

 

崩れゆく視界の中で、リィンの声だけがはっきり聞こえた。

 

「天才でも、展示品でも、研究者でも、どれでもいいけどさ……ちゃんと、あなたをやってね」

 

返事をするより早く、意識が引き戻される。

 

──目を開けると、天井だった。

今度は金属と配線でできた、船内の天井。機械音が、さっきより少しうるさく聞こえる。

 

私は、ゆっくりと上体を起こし、端末を呼び出す。そこに新しい記録ファイルを一つ作る。

 

タイトル欄に、少しだけ迷ってから、こう入力した。

 

《観測ログ:友人、リィン・エファについて》

 

虚構か現実か、証明はできない。

する必要も、あまり感じない。

 

「……まあ、いいか」

 

私はファイルの本文を一先ず白紙のまま保存し、椅子から立ち上がる。

 

世界を作っては破壊する。その合間に、たぶんまた、眠る。

 

その時、あの石畳の夜空に誰が立っているのか。それはまだ、観測されていない未来だ。

 

だからこそ少しだけ、楽しみにしておいてもいい。そう思えた

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