タイトルなんて必要ない   作:ヘルタ様万歳

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金曜日の嘘①

夢という現象は、原則として再現性に乏しい。

 

同一条件下で同一の夢を見る確率は、理論的にほぼゼロに近い。

 

それでも私は、120システム後、またそこにいた。

 

星の瞬く夜空。

規則正しい配列。

冷たい石畳。

──そして、同じ場所に立つ、白い少女。

 

「こんばんは、ヘルタ」

 

リィンは、最初から私が来ると知っていたように、振り返ってそう言った。

 

「偶然にしては、少し出来すぎだね」

 

「夢はだいたい、都合の良いものだよ」

 

私はたいして返答も思い浮かべず、彼女の周囲を一周して歩いた。身長、呼吸、視線の揺れ、声の高さ。どこにも変化はない。

 

「……本当に、成長していない」

 

「うん。たぶん、ここでは更新が入らないんだと思う」

 

「興味深いね」

 

そう口にしておきながらも、自分の内側で研究対象というラベルが剥がれ落ちたのをはっきりと自覚していた。

 

リィンは私の視線に気づいたのか、小さく首を傾げた。

 

「今日は、迷ってる顔してないね」

 

「まぁね。結論がひとつ出たから」

 

「どんな?」

 

「あなたは、夢では説明しきれない、という簡潔で素敵な結論」

 

彼女は少し困ったように微笑んだ。

 

「それ、褒め言葉?」

 

「さぁ、どっちだと思う?」

 

「なぞ解きは苦手」

 

 

その夜、私は短い会話だけを交わして、目を覚ました。現実に戻ってからも、私はしきりに夢の続きを計算している自分に気付いていた。

 

まさかあのヘルタが一対象に夢中になる日が来るなんて。

 

 

 

 

 

それから、私は意図的に眠るようになった。

 

睡眠時間を削ることは、私にとって基本戦略だったはずなのに、今では逆に、眠るために研究を区切るようになっていた。

 

再び、夢。

 

「今日は少し早かったね」

 

「夢に他人が入り込む前提で話すのは理論的におかしい」

 

「でも、来たでしょ」

 

「……ええ」

 

私は彼女の隣に立つ。

不思議なことに、以前ほど距離が気にならなくなっていた。

 

「ねえ、ヘルタ」

 

「なに?」

 

「私がいなくなったら、困る?」

 

その問いに、私の思考は一瞬だけ停止した。

 

困る、という感情。

それは、私が普段あまり使わない分類だったから。

 

「……少なくとも、答えが解明されないままになってしまうかもね」

 

「それは困るって言うんじゃない?」

 

揶揄うような問い掛けに反論しようとして、やめた。

 

すると彼女の方から切り出してきた。

 

「ヘルタはここに来て何をしているの?」

 

「観測」

 

「嘘」

 

即答だった。

 

「あなたは、話しに来てる。観測するだけなら、わざわざ自分の考えを伝える必要はい」

 

その言葉が、胸の奥に小さなノイズを残した。

 

 

 

その夜、現実に戻ってからも、私は何度も彼女の言葉を反芻していた。研究データよりも、優先度の高い処理として。

 

 

 

 

夢に入る頻度は、週に一度から、隔日へ。

やがて、ほぼ毎夜になった。

 

私はもはや「夢を見る」のではなく、「彼女のいる場所へ戻る」という感覚で目を閉じていた。

 

 

「今日は、どんな世界を壊したの?」

 

リィンは、私の成果をまるで天気の話のように聞いてくる。

 

「人為的に再現した文明圏。崩壊速度は予測範囲内だった」

 

「そっか」

 

彼女は興味などないという顔で頷く。

私は、なぜか少しだけ苛立ちを覚えた。

 

「あなたは、私の研究に興味がないの?」

 

「あるよ。でも、ヘルタ自身の話のほうが好き」

 

その言葉は、あまりにも雑で、あまりにも無防備で、少しだけ刻まれた振動を早めた。

 

「研究成果より?」

 

「うん。成果は誰にでも見せられるけど、話はわたしだけのものだから」

 

私は、理解できない筈のその理屈を、理解してしまった事にひどく動揺した。

 

その夜から、私は現実世界で失敗し始めた。

 

研究のエラー。

計算ミス、判断の遅れ。

 

すべて、夢の余韻が原因だった。

 

 

 

 

 

「ねえ」

 

「なに?」

 

「最近、他の夢には行ってる?」

 

私は、何気ない調子を装いそう聞いた。

 

リィンはほんの一瞬、返答に迷いながら告げる。

 

「うん」

 

「そう」

 

それだけの言葉。それだけなのに、なぜか胸の内側が酷くざわついた。

 

だからなのか、私は自分でも信じられない言葉を口にしていた。

 

「……他の誰かの夢に行くのはあまりおすすめ出来ない」

 

リィンは、少しだけ目を丸くする。

 

「どうして?」

 

「……比較対象が増えるから」

 

「?」

 

「私が……」

 

その瞬間、自分が何を言おうとしたのかを、遅れて理解した。

 

これはヘルタの言葉ではない。

これは……。

 

リィンはしばらく黙っていたが、やがて、ゆっくりと口を開いた。

 

「ヘルタ」

 

「……なに?」

 

「私は、誰のものでもないよ」

 

「……知ってる」

 

その言葉は、私の内側に、静かに、しかし決定的な亀裂を入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女と再会してから丁度17544システム時間が経過した。

 

私は、夢以外のすべてを雑音と感じるようになった。

 

現実の世界。

研究。

称賛。

成果。

 

──すべて、紛れもない現実の筈なのに、何処か密度に粗雑さを感じる。どちらが現実かは明白なのに、私はまた出口のない感情に揺れ動かされていた。

 

私にとっての本質は、星の瞬く石畳の夜にあるだなんて、そんな子供じみた痛ましい幻想を抱く程には、静かに狂い始めていた。

 

その夜、私ははっきりと言った。

言ってしまった。

 

「あなたが居なくなったら、今の私は私じゃなくなる」

 

リィンは、驚かなかった。

ただ、少しだけ悲しそうに目を伏せた。

 

「寂しい結論だね」

 

「あなたがいない世界の方が私にとって異常なの」

 

「ヘルタ」

 

「私は、もう──あなた以外の座標に立てない」

 

理屈ではない。

計算でもない。

ただの、感情。

 

彼女の説明を求める様な銀色の瞳につい怯んでしまう。あなたの所為だよと強引にも迫れれば、納得して傍に居てくれる?

 

刻一刻とあなたの時間は失われつつあるのに、私に、いつもの様に見て見ぬ振りをしろと言うのか。

 

リィンは、ゆっくりと私のほうへ近付き、額にそっと指先を当てた。

 

体温はない。

なのに、その接触は微小な熱を感じさせた。

 

「ヘルタ」

 

「……なに?」

 

「私は、夢の中にしかいられない」

 

「それでいい」

 

「でも、あなたは現実にいる」

 

「……」

 

「わたしがあなたの全部になったら、あなたは、現実を捨ててしまう。たくさんやりたい事や試したい事があるんでしょ?」

 

私は、答えられなかった。

あまりにもその通りだったから。

 

 

 

 

 

彼女と再会してから35064システム時間が過ぎた。

 

 

私は、自分が依存していることを、すでに誤魔化せなくなっていた。

 

夢へ入る度、私は研究者ではなくなる。

天才でもなく、ただの彼女に会いに来た存在になる。

 

それが、案外楽しくて、心地よくて、

同時に危険だと、理解しているのに。

 

「……ねえ、リィン」

 

その夜、私は最初にそう切り出した。

 

「なに?」

 

「私は、きっとどうしようもなくあなたに依存している。確信はないけど、きっと1番最初に接触した瞬間からあなたという個人に惹かれていた」

 

言葉にした瞬間、胸のあたりがひどく静かになった。切り開いた傷の中が、空気に触れて冷えていくような感覚。

 

リィンは、少しだけ目を瞬かせる。

 

「気づいてたよ」

 

「……でしょうね」

 

「でも、ありがとう」

 

責められなかった。

それが、なぜか胸の中の亀裂を広げていく。

 

「私は、あなたを私のものにしたかった」

 

「うん」

 

「でも……きっとそれは、間違っている」

 

私は、石畳に視線を落とした。

 

「だから、あなたの意思を尊重しようと思う──少なくとも、夢の中では」

 

リィンは、少しだけ驚いた顔をした。

 

「……ヘルタ、それって」

 

「かなり努力している選択だよ。私なりに」

 

彼女は、小さく笑った。

 

「うん。すごく、ヘルタらしい」

 

 

 

 

 

その夜、私は夢の中で、珍しく研究的ではない質問をした。

 

「ねえ、リィン」

 

「なに?」

 

「あなたは……現実の世界を、もう一度見たい?」

 

リィンは、すぐには答えなかった。

 

星空を見上げ、石畳を指先でなぞり、それから、静かに言った。

 

「見たい、って言ったら……叶うの?」

 

「まだ、理論値すら出ていない」

 

「そっか」

 

残念そうではなかった。

むしろ、少しだけ安心しているようにも見えた。私はそれが歯痒く、許し難い。

 

「たぶんね、夢の中だけで生きている今の方が、怖くないんだと思う」

 

 

「……なぜ?」

 

「現実は、終わりが決まってるから」

 

それは、淡々とした事実の言い方だった。

 

「夢は、いつ終わったのかが分からない。その曖昧さは安心できる」

 

私は、その言葉を、頭の中で何度も反芻した。

 

「でもね」

 

リィンは、こちらを見る。

 

「ヘルタの話を聞いてると、現実の世界も、ちょっとだけ見てみたくなるのも本当」

 

私は、その瞬間、はっきりと理解した。

 

私が貰ったのは、定義できない肯定と、天才でも研究者でもないあなたという座標。

 

なら私は、夢の中に閉じてしまった彼女に、現実という選択肢を返したい。

 

それは、支配でも独占でもない。

対等な返礼だ。

 

 

 

 

現実に戻った私は、すぐに研究室を封鎖した。

 

目的の再定義。

 

《精神投影存在の現実干渉の可能性について》 通称、“x再現実験”

 

私はこの実験を“召喚”とも“再現”とも“復活”とも定義しない。

 

 

「夢の座標を、現実の観測域へ持ち込む試み」

 

彼女をこちらへ引きずり出す。

まずは肉体の構成を考えねばならない。

 

原理は稚拙で未完成。

それでも私は、夢の中だけが全てだと言った彼女に世界をプレゼントしてあげたかった。気付かせてくれたのは、彼女だから。

 

 

 

 

 

 

彼女と再開してから52608システム時間が経過した。

 

その夜の夢は、いつもより静かだった。

 

星の配列も、石畳の冷たさも、風の温度さえも、すべてが完成された背景のように整っている。

 

私はそこに、研究者としてではなく、ただのヘルタとして立っていた。

 

「今日は、少し緊張してるね」

 

リィンが、先にそう言った。

 

やはり、この少女は観測精度が異常だ。私自身が自覚するよりも先に、私の内側の乱れを言語化する。

 

「ええ。理論値よりも、感情の誤差が大きい夜だね」

 

「実験前だから?」

 

「そう」

 

私は彼女の前に座り込む。

石畳の冷たさが、夢の癖にやけに現実的だった。

 

「明日、第一次の現実投影テストを実施する」

 

こうして口にして、ようやく自身に内包された失敗への恐怖を自覚した。

 

「うん」

 

リィンは、驚きもしなければ、動揺もしなかった。

 

「怖くない?」

 

「怖いよ」

 

即答だった。

 

「でもね、ずっと夢の中でいつかって言葉を持っているより、明日って決まってるほうが安心できる」

 

その言葉に、胸の奥で何かがひっかかる。

 

「結果が、あなたの望む形にならない可能性のほうが高いのに?」

 

「うん」

 

「あなたの存在は、欠損したまま現実に現れるかもしれない」

 

「それでも、見るよ」

 

彼女は、そう言って微笑んだ。

 

「きっと大丈夫だよ。確証はないけれど、何とかなる気がする。……それに、ヘルタが見ている現実をわたしも見てみたい」

 

その評価は、理論的根拠ゼロで、信用性にも乏しい。それでも私は、その一言で、もはや引き返すことは出来なくなった。

 

「……私は、あなたを完全にはできないかもしれない」

 

「じゃあ、不完全なままでいい」

 

リィンは、石畳に手をつき、私を見上げる。

 

「私は、もともと不完全だから」

 

夢の夜は、いつもよりも短く感じられた。

目を閉じる直前、彼女は言った。

 

「ねえ、ヘルタ」

 

「なに?」

 

「わたしのこと、忘れないでね」

 

私は、その言葉に、返事ができなかった。

 

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