それはヘルタさんがステーションから長期に席を外している隙を縫う様に起きた出来事だった。
最初に感じたのは、立っていられなくなるくらいの強い衝撃。
轟音、足元から突き上げてくる振動。
見た事もない様な尖った黒い塊が、研究施設の頑丈な床を突き破って生えてきた。
運が良いのか悪いのか。私はギリギリの所でそれらを避けることが出来ていた。
赤い警告灯。
次々と防壁が閉じる音。
私は、いつものように、反射的に端末を抱えた。
壊滅の造物。そう呼ばれる存在がステーションを襲っていると知らされたのは、その少し後のことだった。
メインシステムがダウンしたのか。研究区画の照明が殆ど落ちており、今の今までデータ整理をしていた私だけが逃げ遅れてしまった。
非常灯が赤く光り、低い振動音が、ステーションの床を震わせた。
「……また、振動」
そう思った瞬間。
背筋が、ぞくり、と冷たくなる。
赤い警告の中を、何かが這う影が見えたからだ。
細長い。
人ではない。
関節が多すぎる。
カサ……カサリ。
床を擦る音が近い。
「……壊滅の、贓物……?」
息が浅くなる。
影は、ゆっくりとこちらを向いた。
赤い眼孔が二つ。
その奥で、なにかが蠢く。
それを視界として向けられた瞬間、本能が警鐘を鳴らした。
「……っ」
私は、資料端末を抱えて廊下に飛び出した。
光が少ない。
緊急灯がぼんやり赤く、空間を染める。
背後で金属が軋むような、蠢くような音が響く。
(追ってきてる……!)
階段へ向かう。
でも研究区画は、メインシステムがダウンしている関係で多くの扉がロックされている。
通路は細く、逃げ道もない。
息が切れる。
心臓が、耳の奥で痛いほど鳴る。
曲がった先、非常用シャッターが降りていた。
「……そん、な……」
背後の影が、近づいてくる。
赤い光に照らされたその姿は人の身体を模しているようで、関節が足りない部分と、逆に多すぎる部分が混在し、腕なのか脚なのか判別できない。
その癖、動作だけは正しい速度で迫ってくる。
壊滅の贓物。
人を形作りながら、人ではないもの。
私は、壁に背を押しつけた。
「……っ……!」
声が出ない。
震えが止まらない。
贓物の影が、腕のようなものを掲げた。
よく見ればその腕には、沿うように刃が張り付いていた。
「……ぁ、……へる、たさん」
──空気が裂けた。
金属音。
鋭い衝突音が振動が床を震わせる。
次の瞬間、私の目の前にはよく見慣れた姿があった。
見知った女性よりも背が低く、魔女の様な特徴的な衣装の代わりにゴシック調の服に身を包んだ───
ヘルタさんの遠隔操作人形。
赤い非常灯が反射する、白い滑らかな陶磁器の肌。
脚部が床を抉るように着地し、伸びた腕に握られた巨大なハンマーが贓物の攻撃を真横から受け止めていた。
衝撃で火花が散る。
贓物が、金属の歪んだ悲鳴を上げている。
「動かないで」
ヘルタさんの声だ。
いつもより声音が高めの、酷く安心する声。
その声は冷静なのに、しかし震えていた。
「……ヘルタ、さん……?」
「すぐに終わらせるから」
次の瞬間、ヘルタさんはハンマーを振り回し、贓物の脚を潰した。
耳障りな金属音が辺りに響く。
反撃する暇など与えず、ヘルタさんは間合いを詰め、鋭い脚部ユニットで地面を這う贓物を、まるで頭蓋を破るみたいに勢いよく踏み潰した。
壊滅の贓物は悲鳴もなく、そのまま力を失い、ネオンの粒子を辺りに散らしながら消えていった。
ヘルタさんはそれを見届けながら、しばらく構えたまま動かない。
残骸が沈黙したあと、人形がゆっくりこちらを向く。
感情の抜け落ちた暗い目がこちらを貫く。
「怪我はない?」
今もっとも聞きたい声だった。
ほっとしたら立っていられず、つい床に座り込んでしまう。
「……助けて、くれて……ありがとうございます……」
声が震える。
本当に死ぬかと思った。
でもそれ以上に、助けに来てくれたことが嬉しかった。
「やっぱり、出かけると碌な事にならないね。危うく貴重な助手を失う所だった」
その言葉が、魔法みたいに瞬いて、私を日常へと帰してくれた。
贓物の残骸が消えていくのを見送ってから、人形の操作端末から手を離した。
自分でもどうかと思うくらい、感情の制御が効かない。
「どうして一人で夜間に残っていたの」
つい叱りつけるような声を出してしまった。
でも、止められなかった。
「危険だと、分かっていたでしょう」
画面を隔てた先のリィンは、申し訳なさそうに視線を落とした。そんな顔をさせたかった訳じゃない。
でも彼女には十分反省してもらわないといけない。だって私は、彼女を失う可能性があることに間違いなく耐えられないし、宇宙でも類を見ない天才の私がそうして潰れてしまうのはどう考えたって世界の損失じゃない?
結論を言うと、騒動は星穹列車の人たちのお陰で事なきを得たらしい。
人形を介して接するヘルタさんと、何処か得意げに笑う彼女をモニター越しに見ていた。
薄灰色の髪にすらっとした身長。子供の様な体型の私からすればつい憧れてしまう様な人はこちらを見るなりにかっと快活に笑った。
星。
その名前を聞いたとき、少しだけ胸がざわついた。
ヘルタさん曰く、この人は普通の人間ではないらしい。身体の中心にとんでもないエネルギーを抱えた人。それは常に爆弾を体に宿す様なもので、私だったら不安で仕方なかったと思う。
それなのに笑顔でヘルタさんと談笑していた。明るい人だなと思った。
星穹列車の人たちの助力で壊滅の造物は退けられたがステーションの被害は未だ甚大で、立ち寄っただけの列車の人たちも暫く手伝ってくれる事になった。
廊下の隅に座っていた開拓者、星さんと偶然出会った。
彼女はロビーの階段に座り込んで、修復中の天井を見上げていた。
「……修理ってさ、なんか生き物の治療っぽくない?」
どう声をかけたものかと考えていると、彼女は唐突に話しかけてきた。他に職員は近くには居ないから、盛大な独り言でなければ、おそらく私に話しかけてきたので間違いない。
「……そう、ですかね」
少し迷ってから、そう答えた。
彼女はこちらをちらりと見て、ふっと笑う。
「やっぱり、変なこと言った?」
「少しだけ」
「よかった。正常だ」
何がよかったのかはよく分からなかった。やっぱり少し不思議な人だなと改めて実感する。
「ねえ、リィン」
彼女は唐突に私の名前を呼んだ。いつの間に知ったのかは分からない。私も彼女の名前を知っているし、同じか。
「私さ、ここに残るか、あの列車に乗るか。悩んでるんだよね」
開拓列車。世界と世界を渡る、旅のための場所。実は言うと私も少しだけ気になって、休憩の合間を縫って研究区画から出てきたのだった。まさかそこで彼女と鉢合わせになるとは思わなかったけど。
「ここにいれば怪我の心配も少ないし、研究の対象としては安全なんだって」
彼女は少しだけ肩をすくめた。
「じゃあ悩む必要なんてないのでは?」
「そなんだけどさ。星を跨ぐ列車、なんて言われたら実際どんなものなのか気になっちゃうのが男の夢ってものでしょ?」
私の目には星さんは女性に見えるけど、きっとツッコんだらいけないんだろうな。
「でもさ、列車に乗ったら次の日に生きてる保証なんて何もない」
私はその言葉を聞いて、なぜか、とてもよく分かる気がしてしまった。
保証のない明日。
いつ終わるか分からない命。
それはかつての私が、病室の中でずっと見つめていたものだったから。
「……それでも、悩んでいるんですね」
「うん」
星は、ゆっくり頷く。
「行きたい気もするし、ここにいたい気もする。どっちも、本音。猛烈に分裂したい気分になる」
私はしばらく考えてから、言った。
「どちらも本音なら。たとえどちらを選んでも、たぶん間違いにはならないと思います」
「え?」
「だって、どちらもあなたが生きる場所だから」
星は、目を瞬かせて。それから、少しだけ真剣な顔になった。
「リィンは?」
「え……」
言いかけて、言葉が少し詰まる。
私は、ヘルタさんの助手だ。それが私の居場所で、座標だ。
でも、夢の中を歩いていた私が胸の奥で、まだ静かに息をしている。どこに行きたいなんて聞かれても、少し困ってしまう。
「私は、たぶん……どこにいても、少しだけ外側の人間なんです」
「外側?」
「世界の中にいるけど、同時に、少しだけ、外から見ている人間というか……」
星は、少し考えてから、にやっと笑った。
「それ、なんか格好良いね」
「……そう、ですかね」
「上手く言えないけど、すごく良い。気に入った」
そして、彼女は、星さんは立ち上がった。
「私、乗るよ。列車に」
その声はさっきまでの迷いを、少しだけ置き去りにしていた。
「怖いけど、たぶん、ここに残ったまま自分が何者なのかを知らないほうが、もっと怖い気がする」
私は、その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなった。
「……あなたは、強いですね」
「いや、弱いから行くんだよ」
星は、そう言って、少し照れたように笑った。
そのあと、私は遠くから、星さんが開拓列車へ向かう背中を見送った。
列車は、世界と世界を繋ぐ道なのだという。
私は、まだ、その道に乗らない。これからもきっと、その切符は受け取らない気がする。
その夜。
私は、いつもより、少しだけ長く星の瞬く夜空の夢を見た。
石畳。
冷たい風。
でも、そこにはもう、微かにしていた誰かの気配はなかった。
代わりに、どこへでも続いてしまいそうな道が広がっている。
私は、まだ、そこへは行かない。
でもいつか、星さんのように、開拓を敷く日が来るような気がした。
理由は、まだ、分からないまま。
星穹列車が発ったあと、ヘルタステーションは少しだけ静かになった。
私は、修復の終わった区画でひとり、端末を整理していた。
「……ああ。あのおこちゃまは行ったのね」
いつの間にか背後にヘルタさん……が遠隔で操っている人形が立っていた。いつもより高い声音、低い背丈で、幼い姿。
「はい。最後まで悩んでいる様子でした」
そう言うと、ヘルタさんはほんの一瞬だけ、目を伏せた。
「そう」
「星さんは、知らないままでいるほうが怖いって言っていました。私も……その通りだと思いました」
その言葉を繰り返すと、ヘルタさんは小さく息を吐いた。
私は、少しだけ勇気を出して聞いた。
「……寂しいですか」
ヘルタさんは迷う事なく即答した。
「研究対象が減った、という意味では」
「それ以外では?」
質問のほうが、先に口から出ていた。
ヘルタさんは、私を見た。
ほんの少しだけ意外そうに。
「……あなた、今日は随分と踏み込むんだね」
「すみません」
「いいえ」
それから、静かに言った。
「私にとってお子ちゃまは現時点ではただの小さな変数に過ぎない。寂しいのはあなたの方。私が自分と同じ気持ちなのか確認したかったんでしょ?」
その指摘が、何処かいつもより暖かさを感じて嬉しくなった。
「……ねぇ、全然理解できないんだけど、どうして笑ってるの」
「何でもありません。……あ、この資料もう出来てたんですね。期日も迫ってますし、持って行きますね」
「ちょっと、リィン。誤魔化さないで、ちゃんと説明して───」
物言いたげな視線から逃げる様に私は研究室を出た。
感情を共有するのを嫌がらなかったこと自体が嬉しかっただけだった。やっぱり私の居場所はここなんだと再確認できた日だった。
その日からヘルタさんは、ほんの少しだけ変わった。
夜遅くまで作業していると、無言で栄養補助ドリンクを置いていったり。
私が疲れていると、「今日はもう帰っていい」と言ってくれたり。
ミスをしても、以前より叱らなくなった……いや、これは元からかな。
私は、それを気遣いだと理解しながら同時に、少しだけ照れてもいた。まるで特別扱いしてくれてる気がしてソワソワしてしまう。
「ヘルタさん、最近、少し優しくないですか」
「……変な指摘だね。あなたを特別扱いしているのは認めるけど、それは研究を円滑に進める為の潤滑油みたいなものだよ。ほら、合理的でしょ?」
「そうですね」
「……」
ヘルタさんは、一瞬だけ言葉に詰まり、
それから、ぷいと視線を逸らした。
「余計な解釈はしないで」
その反応が失礼にも可愛らしく見えてしまった。