タイトルなんて必要ない   作:ヘルタ様万歳

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すれ違い交差点②

 

 

 

それは、作業の合間だった。

 

端末の横に置いていた、私用の小さな通信機が短く振動した。

 

──ぴ、と、小さな音。

 

画面を覗いた瞬間、私は思わず目を瞬かせた。

 

 

 

【星】

『生きてる!』

 

 

……ずいぶん、ざっくりした生存報告だ。

 

少し間を置いて、また振動。

 

 

【星】

『氷の惑星で遭難しかけたけど』

『なんか気合でどうにかなった』

『今は元気』

 

さらにもう一通。

 

【画像】

・一面の氷原

・遠くに小さく写る開拓列車

・手ブレした自撮りの星。やはり寒いのか、その表情はいつもより硬い。

 

 

 

私は、思わず小さく笑ってしまった。

ちゃんと、生きてる。

 

それだけで胸の奥が少しだけ軽くなる。

私は、返信を打ち始めた。

 

『相変わらず無茶してるね』

『でも、元気そうでよかった』

 

送信。

少しして、すぐに返事が来た。

 

【星】

『また写真送るね』

『この星、めっちゃ広いから』

『⭐』

 

そのやり取りを見ながら、私はふと気づく。

 

いつの間にか星に対して敬語を使わなくなっていることに。

 

最初はもっと距離のある話し方だった。開拓者さん、なんて呼んでいた時期もある。でも今は、ただ「星」。

 

理由はよく分からないけれど、たぶんそれが自然だった。

 

 

 

「随分楽しそうだね」

 

端末から顔を上げると、気付けば背後にヘルタさんが立っていた。びっくりした。

 

「はい……楽しそうでよかったです」

 

「そっちじゃなくて……まぁ、いいや。それで、何かあったの?」

 

そう言って、私は画面を見せる。

 

ヘルタさんは無言でそれを確認したあと、少し呆れた様な雰囲気でふっと短く息を吐いた。

 

「……ずいぶん、騒がしい旅ね」

 

「でも、元気にやっているみたいです」

 

私は、そう言って微笑んだ。

 

「よかったです」

 

ヘルタさんはもう一度だけ画面を見て、視線を逸らした。

 

「……あなた、あのお子ちゃまとは、ずいぶん打ち解けた話し方をするんだね」

 

その声はいつもよりほんの少しだけ硬くて、私は少しだけ首を傾げる。

 

「……そうですか?」

 

「畏まったような話し方も、しないじゃない」

 

私は、その指摘に、少しだけ苦笑した。

 

「最初は、使ってたんですけど……いつの間にか、こうなってました」

 

「……ふうん」

 

それだけの返事。

 

けれどなぜか、ヘルタさんの手元の端末が、さっきより少しだけ強くタップされているのが見えた。

 

何か気分を害する様なことでもしてしまっただろうか。

 

 

 

 

 

 

その日の夜。

また通信機が振動した。

 

【星】

『今日は風がすごい』

『帽子飛んでった』

『でも回収した』

 

意味は、あまりない。

緊急でもない。

ただの、日常の報告。

 

私は、少しだけ笑って、こう返した。

 

『よかったね』

『次は飛ばないように固定してよう』

 

【星】

『気合でどうにかする』

 

私はそれにスタンプをひとつだけ送った。

小さな、星のマークの。

 

 

私はまだ過去を完全には思い出せていない。

 

それでも今の私は遠くを旅する友だちに気軽に連絡を送り、その報告を、研究室で好きな人に見せて、その人が、ほんの少しだけ拗ねる日常が愛おしいと感じている。

 

十分すぎるくらい、今を生きている感じがする。

 

 

 

 

 

 

 

リィンが差し出してきた小さな端末の画面には氷原の写真と、情報量の皆無な文章。意味のないような絵文字が並んでいた。

 

『生きてる!』

『元気』

 

……騒がしい。

 

私は、そう評価した。

 

評価という形にしないと、この胸の奥に生まれた微細な違和感を処理できなかった。

 

「……ずいぶん、騒がしい旅ね」

 

自分でも呆れるほど、平坦な声が出た。

リィンは安心したように微笑って言う。

 

「でも、元気にやっているみたいです」

 

その“みたいです”という言い方が、やけに柔らかく聞こえた。

 

私は、もう一度だけ、画面に視線を落とす。

 

文章の調子。

間合い。

話し方、雰囲気。

 

敬語が、ない。

 

「……あなた、あのお子ちゃまとは、ずいぶん打ち解けた話し方をするんだね」

 

言ってから、しまった、と思った。

 

これは分析でも指摘でもない。

ただの、感情の吐露。

 

リィンは、困ったように首を傾げる。

 

「……そうでしょうか」

 

そうでしょうか、ではない。

完全にそうだ。

 

かつてのリィンが、距離を測る必要のない相手にだけ向けていた、あの、少しだけ無防備な言葉遣い。

 

それが、今はあのお子ちゃまに向いている。

 

「畏まったような話し方も、しないじゃない」

 

私は、事実だけを切り出した。

リィンは、少しだけ笑う。

 

「最初は、使ってたんですけど……いつの間にかこうなってました」

 

いつの間にか。

その言葉が胸の奥に小さな棘のように残った。

 

「……ふうん」

 

それだけ言って私は席に戻り、視線を端末へと戻した。

 

戻したはずなのに、画面の内容は、ほとんど頭に入ってこなかった。

 

代わりに別の事が脳裏にちらつく。

 

星の瞬く夜空の下で、私に同じような話し方を向けてきたかつてのリィンの姿。

 

──違う。

 

今の彼女は別人だ。

記憶も、過去も、私との関係も。

 

私はそれを、誰よりも理解している。

 

それでも同じ響きで、同じ距離感で。別の誰かとやり取りされると、胸の奥がほんの僅かにざらつく。

 

これは嫉妬だ。ただ自分が今の距離の外側にいることが、面白くない。私は、端末を少し強めにタップした。

 

力を入れる必要なんてないのに。

 

リィンは、それに気づかない。

気づくはずがない。

 

彼女は、ただ、嬉しそうに言う。

 

「……元気そうで、よかったです」

 

 私は、ほんの一瞬だけ。

 

それを最初に共有される相手が、私でありたかったと思ってしまった。

 

すぐに、その思考を切り捨てる。

 

それは、過去に縋る発想だ。独占に近い発想だ。私が、最も嫌悪すべきものだ。

 

その最も嫌悪すべき感情は、今のリィンが誰かと笑っているだけで、静かに芽を出してしまう。私は、何事もなかったように言った。

 

「……あなたが楽しそうなら、それでいいわ」

 

それは、本音だった。本音であると同時に、自分を律するための言葉でもある。私はそれほど我慢強くもないと言うのに。

 

リィンは、気づかない。この形容し難い感情も、私がそれを必死に隠していることも。

 

それでいい。

それで、いい筈なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

その日、私は廊下ですれ違ったルアン・メェイさんに呼び止められた。

 

「あら、リィンさんですか。お久し振りですね」

 

相変わらず、丁寧で柔らかい声。その手には小さな箱が山の様に積まれている。落とさない様に慎重に歩いている姿は普段の物騒な言動と比べると、少しだけ微笑ましいような気がして自然と笑顔が溢れる。

 

「こんにちわ、ルアン・メェイさん」

 

「新しい糖分配合のお菓子を試作しましたので、よろしければどうぞ。少し作り過ぎてしまったので、ヘルタにもおすそ分けしてください」

 

「ありがとうございます。ぜひ頂きます」

 

「貴女には少々、刺激的な味かもしれませんが。口に合うと良いのですが」

 

ルアン・メェイさんは柔らかくにこりと微笑む。

 

「問題ありません。もちろん副作用もありませんし、安全な配合にしてあります」

 

 

……その安全が、若干あやしい気がしたけれど、私は少し迷ってから箱を受け取った。

 

 

 

 

 

 

夜の研究室。

仕事も終わり、週末何しようか考えたりしているとふと、ポケットに何かあるのに気付きはっと思い出す。

 

「……ヘルタさん、これ」

 

「なに」

 

「ルアン・メェイさんからです。糖分補給に、って。なんだか刺激的…? だとかなんとか。怪しい事は言っていましたが安全性は一応保証されてるみたいです」

 

机の端にそっと箱を置いた。

 

「……え、ルアン・メェイのお菓子は信用ならないんだけど」

 

そう言いながらも、ヘルタさんはほんの少し迷ってから、ひとつ口に入れた。

 

数十秒。

何も起きない。

 

 

 

……はずだった。

 

「……ん?」

 

ヘルタさんの目が、ほんの少しだけ、とろんとする。

 

「……あれ……?」

 

端末を打つ指が止まる。

 

なんだか嫌な予感しかしなくて、思わず後ずさる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思考のブレーキが、ひとつ外れた感覚がした。

 

理性はある。

意識も明晰だ。

 

なのに。我慢していた感情だけが、異常なほど鮮明になる。やってくれたね、ルアン・メェイ。やっぱり彼女の作るお菓子は碌なものじゃない。

 

目の前にいるのは、リィン。

 

今の彼女。

過去の彼女ではない。

 

分かっている。

分かっているのに。

 

「……ねぇ」

 

自分でも驚くほど、声が柔らかかった。

 

「お子ちゃまとは、ずいぶん楽しそうにやり取りしてるよね」

 

 

一度口にした事で、さらに歯止めが効かなくなる。

 

「私には、あんなふうに打ち解けた言葉、使わないのに」

 

一歩、近づく。

完全に距離感を間違えている。

 

「……私は、ずっとあなたを見ていたのに」

 

この言葉の重さを、私は本来なら絶対に口にしない。してはいけない、しないようにしていたのに。

 

なのに。

 

「あなたは、どうしてそんなに平気で、他の人に向かって、笑えるの」

 

 

彼女が、リィンが、少しだけ目を見開いた。

 

その反応を見た瞬間、胸の奥が異様なほど、苦しくなった。

 

それでも口は止まらない。

 

 

「……私は、あなたを守る側でいようとした」

 

声が、少しだけ震える。

 

「過去を思い出させないように。縛らないように。独占しないように」

 

 

一歩、また近づく。

 

 

 

「──なのに」

 

視界の中で、彼女の顔がやけに近い。

 

 

「どうして私は、あなたが誰かと笑うだけで、こんなに……」

 

 

言葉が、最後まで繋がらない。

その代わりに衝動のままリィンの手首を掴んでしまった。違う、こんなことをしたい訳じゃないのに。

 

 

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