パイが焼き終わり、俺はバイト先をあとにする。
「一応、食べられるようにはなったから中野姉妹に渡すか……って、それなら一花に渡せばよかったか」
今から戻っても撮影中だろうしな。
とりあえずこのまま中野家向かうか。
俺は陽が暮れて街頭の灯りの中を歩いて行く。
ふとコーヒーチェーン店に目が行ったのは一花に会ったからだろう。
「え」
しかし、見たその店内の窓際席に五月と中野先生が座っていた。
そして五月が俺に気付き目を見開くと五月を見ていた中野先生の視線がこっちに向いた。
とても気まずいが俺は窓越しに軽く会釈する。
このまま通り過ぎようと思ったが、中野先生が俺に向けて手招きをしていた。
これって……来いって事だよな?
俺はとりあえず店内へ入り二人の元へ。
「やぁ、こんばんは。長尾君」
「どうも。中野先生」
「とりあえず、席を移そうか。長尾君はこれで何か買ってきなさい」
二人が座っているのは二人がけの席な為、俺の座る椅子はない。
すると先生は別の空いている席を探して見つけると移動する。そして俺に一万円札を渡してきた。
「先生、俺は自分で」
「良いから。君への少し遅れたお年玉だと思ってくれ」
「お年玉って」
これまでそんな物もらった事ないのだけど、先生の威圧感に俺は負けてとりあえずコーヒーを買って二人の元へと戻る。
お釣りを渡そうとしたけど「お年玉と言ったろ」と受け取ってはくれなかった。
「丁度今、五月君にある提案をしていてね。君にも関わる事だ」
「家庭教師の件ですか?」
「あぁ、君達の立ち入り禁止を解除し家庭教師を続けてもらう」
「それは!……いや、それだけじゃないんですね」
俺は一瞬、喜んだが先生の顔を見てそれだけじゃない事を察した。
「やはり、君は鋭いな。君達二人はサポートとして回ってもらう。こちらでプロの家庭教師をつけるのでその彼女の補佐として契約しよう」
俺は五月を見る。
五月の反応は顔を伏せて読みにくいが納得していないのはわかる。
「君達二人で五人が厳しいならこの体勢が確実だろ」
先生の言い分はもっともだ。
期末試験、色々あったが俺達二人いて赤点を誰一人回避出来なかったからな。
先生なりに譲歩してくれたんだと思う。
けど、気になる事があった。
「ひとつ、いいですか?」
「何かな?」
「どうして、五月だけに話すんです? 話すなら、この件は姉妹全員いる場で話すべきです」
俺が気になったのは五月だけと話しているこの状況。
前に比べたらだいぶマシになったとは思うけど、それでもこれは姉妹全員に関わること。五月だけに直接伝えるのは違う気がした。
「先生、五月なら物わかりが良いからと思ってたんじゃありませんか?」
「……」
先生はただ俺をジッと見ている。
三玖以上に表情が読めない。
「娘さんと直接会うようになってくれたのは俺も嬉しいです。でも、これはちょっとずるいですよ」
落ち着け。
前みたく感情的になるな。
俺はそう言い聞かせてまた口を開く。
「物わかりが良い五月なら納得して姉妹にも話してくれる。それはずるいし、五月が可哀想だ」
「長尾君………お父さん、私は今の状況で頑張りたいです」
それまで顔を伏せていた五月が顔をあげ、ハッキリと先生にそう伝えた。
「今の状況で四葉君は赤点回避出来ると思うかい?」
四葉?
先生の口からなんで四葉だけを指定するのか俺は首を傾げる。すると先生はさらに言葉を続ける。
「二学期の試験結果も見せてもらったがどうだろう? とてもじゃないが僕には出来るとは思えない」
「それは……」
「待ってください。四葉は」
「やれます!」
俺の言葉はハッキリとした声によって遮られた。
「私たちと上杉さんと長尾さんならやれます」
「四葉」
「なんで」
いつの間にか、四葉が俺達のテーブルの横に立っていた。
そして先生に向けて真っ直ぐな瞳を向ける。
「七人で成し遂げたいんです。だから、信じてください。もう、同じ失敗は繰り返しません」
あぁ、やっぱ姉妹だな。
その力強い瞳を俺はこれまでも何度も見てきた。
「では、失敗したら?」
しかし、先生もそんな四葉の強い意志を聞いても折れる様子はない。
「東京に僕の知人が理事を務める高校がある。あまり大きな声で言えないが無条件で三年からの転入ができるように話をつけているんだ」
中野先生、あなた医者ですよね?
学校関係者とも繋がりあるのか。
もしかして、うちの学校に転入させたのもその繋がりあってのことか?
「もし、次の試験で落ちたらその学校に転校する。プロの家庭教師との体制ならそのリスクは限りなく小さくなると保証しよう」
先生としたらこのまま今の学校で卒業させたいだろうからな。
「それでもやりたいようにやるのなら後は自己責任だ。わかってくれるね?」
ただ、最後の言葉はどう考えても威圧的。
言う事を聞いてくれるね?と言っているように思えた。
案の定、四葉は萎縮してるし五月は黙ってしまっている。
「先生」
「わかりました」
「五月」
「では、こちらで話を進めよう。五月君ならわかってくれると思ってたよ」
「いいえ、もしダメなら転校という条件で構いません。素直で物分かりが良くて賢い子じゃなくて。すみません」
転校という条件は受け入れた。けれど、五月は俺達と姉妹達の七人での選択をした。
笑ってそう告げた五月だが、その笑顔は親に向けるものではなかった。
「そうかい。どうやら子供のわがままを聞くのが親の仕事らしい。そして子供のわがままを叱るのも親の仕事」
話は終わったと先生は立ち上がりその場をあとにしようとする。
「次はないよ」
去り際にそう告げて外へと向かう。
「前の学校の時とは違うから」
四葉も最後にそう告げると先生は「僕も期待してるよ」と店内を出て行った。
「……」
「長尾君?」
俺は先生の後を追うようにして店を出る。
スタスタと歩いている真っ直ぐな背中を見つけ俺は駆け寄る。
「先生!」
「何か言い足りない事でもあるのかな?」
俺の声に足を止めて先生は振り返る。
相変わらず無表情で感情が読めない。けど。
「えっと、その、ごめんなさい」
「何故、謝るんだい?」
俺はあの時と同じように頭を下げる。
「俺、あの時は感情的になりすぎて癇癪起こした子供だったから。まずはあの時は申し訳ありませんでした。他人の家庭の事情をとやかく言うのはあまりにも不躾でした。それにさっきも」
「顔をあげたまえ。君がああいう反応する事情も知っている。むしろ当然の反応だと思うよ」
先生は俺の父親の事も知っている。
葬式にも来てくれたし、何かあればと言ってくれた。
失礼な態度だったのに先生はそれを非難することなくむしろ受け止めてくれていた。
「……俺、もしかしたら勘違いしてるのかなって」
「勘違い?」
「仕方なく娘さん達見てるって思ってたけどさ。逆なんじゃって」
さっきのやり取り。多分中野先生ならもっと強引な手を使えると思う。
それこそアパートごと買い取ったりとか立ち退きさせて無理矢理家に帰すやり方もある。
五月や四葉が俺達と頑張りたいって言葉にはあまり好ましくは思ってなさそうだけど、五月達の意志を今回は受け入れてくれた。
何よりきちんと会って話そうとしてくれた。
五月だけっていうのはやっぱずるい気もするけど、歩み寄ろうとしている証拠なのかもって俺は思った。
「先生は見捨てるつもりはないんですよね?」
俺はこれだけは確認したかった。
「当然だ。僕は彼女達の父親になったのだから」
相変わらず無表情、声に抑揚もない。
でも、真っ直ぐ力強い瞳で俺を見てそう答えてくれた。
「そうですか。やっぱ、先生は俺の憧れです!」
絶対に見捨てない。最後まで諦めない。
俺が憧れた人の姿だ。
「……君の出入り禁止までは僕は考えてはいなかったんだ」
「え?」
先生は俺から視線を外しそう呟く。
ボソリと呟いた声だったけど、それはしっかり俺に届いた。
「ただ、上杉君が君という存在を使って我が家に出入りする可能性も無きにしも非ず。その可能性も潰したかった」
「えー……」
風太郎、どれだけ嫌われてるのさ?
「しかし、結果を残してくれれば少なくとも家庭教師としては出入りを認めよう。励みたまえ」
「あ、はい!」
俺は再度、頭を下げて先生を見送った。
そして俺は五月と四葉の元へと戻るのだが。
「誠司! 俺は俺のやりたいようにやるぞ! こいつらを進級させてこの手で全員揃って笑顔で卒業!」
「えっと、風太郎。いたのか? てか、二乃もいるって事は」
店に戻ると風太郎が俺に気合いに満ちた目で俺に言ってきた。そしてその横には二乃も。
「えぇ、聞いてたわよ」
「その為には誠司。お前の力が必要だ。ここまで来たんだからな。付き合ってもらうぞ」
「あー、ま、生徒が俺達にって言ってくれたからな。当然だ」
そうして俺達は進級と転校を掛けた期末試験に向けて気合いを入れ直すのだった。
「ところで、長尾君」
「ん?」
その帰り道、特売で買った米を何故か俺が持たされ中野家まで同行する事になった。
ちなみにパイは五月が持ってくれたのだが、その五月が俺の隣に来て声を掛けてきた。
「お父さんとは家庭教師になる以前から知り合いで? なんだかお父さんも長尾君を知っているような感じでしたから」
「あー、妹のあれでな」
「あ」
「謝るなよ」
五月の表情がまたやってしまったと言わんばかりの表情になった為、俺は先にそう伝える。
「ま、色々世話になってさ。まさか五月達のお父さんだったなんて最初は気付かなかった。というか、気付いたのは家庭教師として直接会った時で本当に最近」
家庭教師辞める事と放任している父親に文句を言いに会ってみたら中野先生とかどんなネタばらしだよ。
いや、あっちはウソついてた訳じゃないけどさ。
「……もしかして、その時何か言いました?」
「は?」
「いえ、こうして直接会って話すなんて珍しいので。いつもは大体電話で一方的にで」
「……五月は嫌だった?」
もし、アレだったら俺は余計な事を言ってしまった事になる。
そうなら申し訳ない事をしてしまったなと思って五月に聞くと彼女は少し考えたあとに口を開いた。
「苦手っていうのは正直なところあります。ですが、嫌ではありません。声だけでは何を考えてるのかわかりませんから」
「顔を見ても俺には先生が何考えてるかわからないけど」
「それは私もです。けれど、見てくれているのはわかりますから」
「……そっか」
先生も頑張ってくださいねと俺は先生に向けて心の中でエールを送った。