いつぶりだろうか。
こんな朝から参考書を開くなんて。
けど、こうでもしないと武田に勝てないからな。
風太郎が順位落としたといえ、常に二位をキープしてたなら生半可な勉強じゃ勝てない。
「なんか懐かしいわね。この感じ」
母さんはどこか楽しそうに俺の勉強姿を見ていた。
「て、誠司。大変よ」
「なんだよ」
「テレビに一花ちゃん」
「あ?」
俺は視線を参考書からテレビへと移す。
そこには『試写会でまさかのハプニング』なんてテロップと共にその様子が映されていた。数人のキャストの中に確かに見覚えのある顔があった。
「えー、なに? 一花ちゃん映画出てるの?」
母親はすっかりテレビに釘付け、俺はまた参考書へと目を通す。
「あー、新人女優だからな」
「なに? 誠司知ってたの?」
「さてと、そろそろいってくる」
「あ、ちょっと。ご飯きちんと食べなさい」
「これ食べながら行く」
ロールパンを手にし、質問攻めにあう前に俺は家を出る。
そして口にそれを詰め込みながら登校中も簡単な暗記帳を持ち歩き、頭の中に入れていく。
「セージ君、前を見ないと危ないよ」
「ん」
気付けばいつものコーヒーチェーン店の前。
「おっはー」
そこにはいつものように甘い飲み物を持った一花がいた。
けど、いつもと様子が違う。メガネ掛けてるが視力悪かったか?
そして手にはもう一つ飲み物を持っていた。
「はい、セージ君への差し入れ」
そう言って持っていた飲み物を俺に差し出した。
おそらく昨日の先生と武田の襲来と家庭教師続投を掛けた全国模試の件も聞いているだろう。
その差し入れという感じか?
「甘いのは」
「コーヒーだから」
「そっか。ありがとうな」
俺は単語帳をしまってそれを受け取る。
「でも、頭使うなら糖分も大事じゃない?」
「そうだけど、俺の気分の問題。朝からはどうもな」
そうして受け取った飲み物を一口。口に広がる苦みで詰め込んでいた頭がスッキリするような感覚がした。
「皆から聞いたよ。お父さんとまたひと悶着あったみたいだね」
「俺は完全に巻き込まれだけどな」
いつものように学校へと向かいながら昨日の事を一花は聞いてきた。
「あー、聞いた話だと最初はフータロー君だけだったみたいだもんね。それでセージ君は武田君に売られた喧嘩を買っちゃったって」
「まぁな」
「なんか意外。セージ君、そういうの上手く受け流しそうだけど」
「そのつもりだったよ。けど、感情がぶわっと来るとダメなんだよな。俺」
冷静になれず感情のまま。
中野先生の前だとこれで二度目だ。
「大丈夫? あの武田君でしょ?」
一花も武田の実力は知っているから当然の反応を見せてきた。
「負けるつもりはない。あいつに一花達を任せるわけにはいかねえよ」
「……どうしたの? 前は家庭教師降りるって自分から言うくらいだったのに」
「自分の生徒をバカ呼ばわりされたんだ。黙ってられるか」
「あ」
今思い返しても腹が立って俺は思わず手にしているカップを強く握ろうとしたが寸前で中身が熱いコーヒーだと思い出した。
「だから、これから模試まで勉強漬けだ。あと、姉妹の成績も落とさないって話しだからな。風太郎の事だ。今まで以上に厳しくなるから覚悟しとけよ」
「あー、私たちもかぁ。これじゃ、風太郎君の誕生日プレゼント考える余裕なさそうだね」
一花から深いため息が出る。
試験の度にプレッシャー感じるようになってきてるな。
「でも、一花はこれまでだって仕事しながら勉強して結果も残してきたからな。一花に関しちゃ心配はしてない」
「!」
少しでもそれを和らげる為もあるが、素直に今の一花なら問題なくやれると思っている。
問題は他の姉妹達だ。
バイト始めて慣れない中での勉強。うまくやれると良いんだけどな。
「それに風太郎の誕生日プレゼントはギフト券でもあげておけ」
「それ、現金と大差ないんじゃない?」
「まだマシだろ。てか、それが無難だと思うけど」
「そうかもだけど。うーん」
さて、それはそれとして。
「てか、そのメガネはなんだ?」
会った時から気になっていた物を指摘する。
「今、気付く?」
「いや、最初から気付いてたけど聞くタイミングがな」
すると一花はメガネをアピールするようにポーズを決める。
「少しは知的に見えるんじゃない? ま、一応変装なんだけど」
「変装って」
「昨日、私が出た映画の完成試写会があって……そこそこテレビとかで取り上げられたみたいでさ」
「あー、朝の番組で見たやつか」
「え、見たの?!」
一花は意外とばかりに目を見開いて俺を見た。
「母さんが騒いでた。多分、そのうち連絡」
「あ、早速」
一花はスマホを取り出して画面を見ると俺にも見せてきた。先ほどのテンションがそのまま文字に現れている。
「チケット、あげた方がいいかな」
「そういう気遣い無用だから。しかし、それで変装と。いつの間にか大女優だな」
少し前までの事を考えると大躍進では?
女優なんて知られてなんぼってやつだろうし。
「あー、もう楽しんでるでしょ! 顔がにやけてる!」
「いやいや、喜びの笑顔だ」
一花は恥ずかしいのか顔を紅くしている。
「変装なんて中野姉妹の得意中の得意だろ」
「あ、アイテムはいつも常備してるよ。三玖はすぐにいけるかな」
カバンにはすでにその道具が入っている様子。
「でも、変装しなきゃならないほどになったらもっと忙しくなって放課後なんて……」
ふと放課後で思い出す。
昨日、毛利さんとまた時間作ってカメラについて教えると話したばかり。
「やべ、毛利さんに謝らないと」
「え? 明里ちゃん?」
とりあえず全国模試終わるまでは時間取れないこと伝えておくか。
「えっと、毛利、毛利」
スマホを取り出してメッセージを打ち込む。
「……ねぇ、明里ちゃんと交換したの?」
「ん? あぁ、ちょっとな」
いや、教室で話せばいいか?
どうせ隣の席だし。
俺は途中まで打っていた文字を消し、スマホをポケットにしまった。
「珍しいね。セージ君が誰かと交換するなんて」
「あー、毛利さんだからかもな」
確かに女子の連絡先は少ない。
というか交換する機会があまりなかったからな。
「彼女、話しやすいからな。そりゃ男女に人気なのも納得」
「……そうだね」
「風太郎も彼女となら少しはって。噂をすれば今日も追いついたな」
「え」
いつもの場所で姉妹と風太郎が見えた。
「さすがに勉強の邪魔になるから二乃と三玖も風太郎にはまとわりつかないか。五月は相変わらずまた食べてるし、四葉の声はここまで聞こえるな」
そういえば、四葉は大丈夫なのか?
俺はあの時の四葉の表情を思い出す。
「なぁ、一花」
「うん? 何々?」
声を掛けると一花は俺との距離を詰めてきた。
「えっと、四葉、どうだ?」
「え?」
「あー、いや、なんか変わった事なかったかなって。ちょっと、昨日気になったから」
あの後、家庭教師の時間に様子を伺おうと思ったがあんな事があってそれどころじゃなかったからな。
「……いつも通りだったと思うよ。ほら、今だって元気な声がこっちまで聞こえてる」
一花から見ても変化ないって事は俺があまり気にすることでもないか。
「そっか。よし、風太郎達に追いつくか」
あいつらと合流するかと残り少ないコーヒーを流し込み、大きく一歩を踏み出そうとした時だった。
「待って」
「ん?」
コーヒーを持っていない手を引っ張られる感覚と共に聞こえた一花の声。それに反応して俺は立ち止まり振り返る。
「ねぇ、このまま二人でサボっちゃおうよ」
そんな言葉が一花から出てくるとは思っていなかった俺は一瞬言葉が出なかった。
「……いや、何言ってんだよ。模試があるって話しさっきしたばっかだろ」
「一限目、体育だよ!」
「体育なら……って、そういう訳にはいかないだろうが」
たく、一体何でこんな事を急に。
「セージ君だって言ってたでしょ。適度な休息も大事って」
「それはそうだが」
「だったら」
一花がこんなに強情になるのは珍しい。
大体こういう時って一花にとって大事な何かを決めた時なんだけど、これまでの流れでそんなのあったようには思えない。
「……」
思い当たる変化としたら俺と武田の勝負くらい。
もしかして俺の為?
そんなにあれな感じだったか? 今日の俺。
自分の言動を思い返すけど、そもそも自分でも気付かないほどあれだったのでは?と考える。
いや、もしくは一花自身があまり行きたくないのか?
試写会がテレビで取り上げられた訳だし、学校に行くのがあれとか。
でも、どっちにしろ学校行かなきゃならないし、これからそういうのどんどん増えるだろし。
そうなると結局は学校に行くしかない。
「はぁ」
「……ごめん。やっぱり」
そんな事をしてる場合じゃないのはわかってはいるんだけどな。
「腹減った」
「え」
「朝から勉強なんて久しぶりだからな。いつもの量じゃ足りなかったみたいだ」
五月に証明する時でもここまでガッツリと勉強に集中はしてなかったしな。
とか言い訳を俺は並べる。
「ファミレスとか入って飯食うか。一花はどうする?」
「行く!」
若干食い気味に返事する一花に思わず吹き出す。
「もう、笑わないでよ」
「はいはい。ほら、行くぞ。てか、手」
「あ……そうだね」
ずっと握られている手。さすがにこの状況はと思って一花に言うとゆっくりと手が離れた。
「……ありがとうね」
「朝飯食ったら学校行くからな」
「はーい。あ、お姉さんが奢ろうか?」
「結構だ」
調子を戻した一花に少しだけ安心し、俺達は適当なファミレスに入る。
制服姿なのもあって店員に怪しく思われたのか不審な視線を向けられつつ、席に案内されボックス席へ俺と一花は対面で座る。
「モーニングセット、色々あるんだな」
「本当だ。私はどうしようかな」
「無理に頼まなくてもいいぞ。俺に付き合ってる訳だし。あれなら俺が二品食えばいいし」
腹が減ったと適当な理由を口にしたけど、体はやっぱりそれなりに朝からエネルギー使ってたのか今はガツンとした物も食える。
「大丈夫。それじゃ、私はこれ」
一花はタブレットでそのメニューを入れる。
サラダとアサイーヨーグルトというやつだ。
こんだけで腹一杯になるか?と思いながら俺は割と定番なトーストとスクランブルエッグやベーコンのあるそれを選択し確定する。
あとは運ばれるのを待つだけ。
「本当にいいのか? 無理そうなら俺が食うぞ」
俺はもう再度一花に確認すると一花は首を横に振った。
「大丈夫って言ったでしょ。それに今朝、口にしたのさっきのアレだけだし」
「アレだけって。アレもカロリーすごいけど」
だけど、アレで満たされるとは思えない。結局飲み物だしな。
「いやー、起きたら家出ないといけない時間で」
「あのな。睡眠大事もだけど飯は食えよ。ん? でも、あの時間なら学校に着くの余裕じゃ」
いつも一花と会うあの時間なら余裕あるくらいだ。
なのに急ぐ必要なんてないはず。
それを考えると違和感が生まれる。
「それは! えっと……」
視線を泳がせる一花。なんか隠しているなと思っていると泳いでいた視線は真っ直ぐ俺に向けられた。
「セージ君を待つため」
「……は?」
俺を待つためにわざわざ早く家出てるって事か?
そんな事なんで。
「ふふ」
俺が色々と思考を巡らせていると聞こえてきた笑い声に意識を一花へと向けると笑っていた。
「からかったな?」
「そんな事ないよ? セージ君と一緒に登校したいから待ってたんだよ」
顔を少し傾けて笑みを浮かべて俺を見る一花。
「どうだか」
ニヤけた顔のまま言われても信用出来ないっての。
てか、仮に本当だとして毎度俺を待つために早く出て待ってたのかよ。
「ちなみに今後も待ってくれる訳?」
「へ? あ、うん」
「なら、時間決めるぞ。大体あの時間でいいよな。だからそんな早く来て待ってなくていい。しっかり飯食ってからこい」
「え?」
そこでようやくニヤけた一花の表情が崩れる。
「遅れてもギリギリまで待っててやるから」
「……良いの?」
「なーに驚いてんだよ」
さっきまで俺をからかっていた笑みはすっかり消えて驚いている表情へと変わった一花。
これはやり返せたのではと俺の表情が緩む。
「だ、だって」
「さてと、俺は勉強するか」
仕返し出来た事に満足して俺はカバンからノートと問題集を取り出す。
「もう……また勉強?」
「飯食うとは言ったけど、勉強しないとは言ってないからな」
「まぁ、家庭教師下ろされたら困るもんね。それじゃ、私もやるかな」
一花もカバンから課題として出したプリントを取り出す。
「サボろうと誘った割には真面目だな」
「サボりたかったっていうか」
「ん?」
「べっつにー。大事な話が私抜きで進んでたのが嫌でちょっと困らせようと思っただけ」
「大事な話って。それは仕方ないだろう。一花は仕事で」
「わかってる。わかってるけど」
これも乙女心ってやつか?
難しすぎるだろ。
てか、それにふてくされてサボりたかったって。
「サボりたい気持ちになるのはわかるからな」
気持ちがどうにもならず、気付けば体もそれに引っ張られる感覚。
「セージ君は経験者だもんね」
「俺からしたら一限だけサボるなんて可愛らしいもんだ」
「誇らしげに言う事じゃないよ」
結局、一花には父親の事とか中学時代の事も知られてしまっているからこういう冗談も言えてしまう。
「へいへい。ほら、手を動かせ。わからない所は聞けよ」
「はーい、先生」
そうして頼んだものが来るまで俺達はペンを走らせる。
そんな俺達を見て入店時に不審な目を向けていた店員の目も少しは変わっていた気がする。
それから運ばれてきたモーニングセットを食べて腹が満たされた所で俺達は学校へと向かう。
「ごめんね。ワガママ聞いてくれて」
昇降口に着いて上履きに履き替えた時に一花から改まってそう言われた。
ワガママだった自覚はさすがにあったか。
「べ」
「あー! 一花ちゃん!」
「!」
「朝のニュース見たよ!」
丁度体育終わりで戻ってきたクラスの連中と鉢合わせ、一気に一花は囲まれ俺は一花の隣から退かざる得ない状況に。
「女優ってマジ!?」
「同じクラスにこんなスターがいるなんて!」
「えっと、とりあえず教室に行こう? 目立っちゃうから」
一花が動くとクラスの連中も続いて動く。
合鴨の雛かよ。
「んで、二人して何してたわけ?」
置き去りになった俺に声を掛けてきたのは二乃。そして他の姉妹も俺を囲む。
「朝飯食ってきた」
「はぁ?」
俺は事実をそのまま伝えて教室へと向かおうとするが、そこに体育で体力持ってかれている風太郎を見て足を止める。
手には小さなノート。体育の時間も少しでも勉強の時間に充てようとしてた感じか。
「朝からへろへろだな」
「セージ……何もなさそうだな」
どこか安心した様子の風太郎。
あぁ、そうか。
風太郎からしたらあの時を思い出させる事だもんな。
俺がサボる事で余計な心配かけたようだな。
「悪い。ちょっとな」
「問題ないならいい」
そして教室に入ると一花の席は人で溢れている。
この状況、またか。
去年以上だし流石に助けてやらないとあれか。
この間は裏切り者って言われたからな。
しかし、どう切り込むよ。
俺が悩んでいるとさっと俺の横を通ってその集団へと向かう人物がいた。
「ほらほら、一花ちゃんを質問攻めしない。答えられない事だってあるだろうし、私含めた周りの席の子達に迷惑だし、次とかうるさいあいつの授業だよ」
そう言って囲んでる連中をかき分け自分の席に着いた毛利さんが注意すると彼女の人望からか。
「やべ、そうだ。次の授業」
「そうだよな」
「ごめんね。いきなり」
囲んでいた連中はバタバタと席へと戻った事で俺もようやく席に着ける。
「あれ? 長尾君も来てたんだ」
「あ、あぁ」
すっかり一花のおかげで俺の存在は消えていたようだ。余計な詮索されないから助かるが。
「明里ちゃん。ごめんね」
「気にしないで。けど、女優とかすごいね。一花ちゃん」
「あ、ありがとう」
二人のやり取りを見ていてふとそういや、改めて言ってなかった事に気付く。
俺はちらりと後ろを見る。
「よかったな。一花」
「あ」
こりゃ、一気に駆け上がるかもしれないな。
クラスメイトの反応に俺が思っている以上に一花はしっかりと目指したものになっている気配を感じた。
「眩しいな」
そんな一花がとてつもなく眩しくて。
「俺は……」
そして逆に投げ出した自分を思い出す。