銀パイ伝 〜銀河パイロット伝説〜 作:koshikoshikoshi
目の前には大きな窓。外の宇宙が見える。眩しいほどの天の川。銀色に輝くイゼルローン要塞。訓練のために展開しているアッテンボロー提督麾下の数千隻の艦隊。
エリザとアッテンボローはいま、戦艦トリグラフの展望室にいる。
エリザがもっとも好きな場所、スーパースパルタニアンからも宇宙はみえる。コックピットは全周天モニタだ。360度すべての方向が視認できる。宇宙を見渡せる視野は、ここからよりも遙かに広い。しかし、それはコンピュータが人工的に作り出した映像。戦闘に必要な各種情報が人工的に織り込まれ、逆に関係ない情報は除去された極めて無機的な風景でしかない。
今ここから見えるのは、あるがままの宇宙……。暗黒と光が織りなす生の光景に、エリザはしばし圧倒される。
「……ジュース、飲むだろ?」
いつの間にかサーバーからコーヒーとジュースを用意していたアッテンボローが、片方の紙コップをエリザに手渡した。
「ここは、設計時には士官用のバーになるはずのスペースだったのが、建造時になって予算と時間が不足してただの休憩スペースになったそうだ。この艦の乗員にもまだあまり知られていない場所だから、ひとりで集中して仕事したいときに使ってるんだ」
集中……? 海賊衣装を着て? ていうか、さっき寝ていたような……。
エリザは口に出さずに心の中だけでつっこみをいれたつもりだった。しかし、表情は隠せなかったかもしれない。
「ははは、バレたか。実は昼飯食った後、ちょっとだけのつもり星を眺めてたらいつの間にか昼寝していたらしい。……いいだろ? 昨日は徹夜で書類仕事してたんだし」
必死に言い訳する顔がちょっとかわいい、と思ってしまったのはエリザだけの秘密だ。
その後、とくに話題もなくただボーッと宇宙を眺めるふたり。
無数の星々。私達の家である要塞。味方の艦隊、……見えるのはそれだけではない。目をこらせば、うっすらと漂うガス。大小無数のデブリ。あきらかに人の手で作られ、そして破壊された物体。いまだ漂流している帝国艦隊の残骸とガイエスブルク要塞の破片。
漂流物の中には、まれに至近距離に近づくものもある。強化ガラスのすぐそばを流れていくのは、……コーヒーカップ? 敵要塞の中で暮らしていた人々の日用品だろうか。そして、漂う帝国軍の宇宙服。ヘルメット。……かつて、人だったもの。
エリザは反射的に目をそらす。正視できない。死者の怨念がエリザベートを攻め立てる。しかし、そんなエリザの様子に、隣のアッテンボローは気づかない。
「ガイエスブルク要塞と帝国艦隊の残骸だな。……みんな君のおかげだよ」
アッテンボローにとっては、それはほんの何気ない言葉、だったのだろう。エリザのおかげでガイエスブルク要塞を破壊できたという、単なる事実。エリザにもそれはわかっている。だが……。
(そう。……私が殺した。家族を護るために必死だったとはいえ、何百万人の人々が私を恨みながら死んでいった)
この艦に来て以来、エリザはほとんど寝ていない。恐くて眠れない。死者達の声が、意思が、怨念が、いつまでもエリザを苦しめる。それを指摘したアッテンボローの言葉は、あらためてエリザの心に突き刺さった。するどい刃となってエリザの精神を貫いた。
アッテンボローは、他人の感情を感じる能力などもっていない。ゆえに、気づかない。自分が発した言葉が、エリザの精神に突き刺さっていることを。そして、まったく悪気ないままに、さらにエリザを追い詰めてしまう。
「君も、感じるだろ? みんなの声が、聞こえるだろう?」
そのひとことがどれほどエリザを驚愕させたのか、アッテンボローは想像も出来ない。
感じる? も、もしかして、アッテンボロー提督は、私の能力を知っている?
それは、エリザにとってもっとも恐れていたことだった。
「き、聞こえるって、……なにが、ですか?」
アッテンボローの顔を見ることができないまま、エリザはおそるおそる尋ねる。もし能力を知られていたとしたら、きっと化け物扱いされる。実の父がそうしたように。そして、エリザはキャゼルヌ家にも要塞にもいられなくなってしまう。それはエリザにとって、死者達の恨みの声そのものよりもよっぽど恐怖だった。
だが、海賊衣装にそばかす面の提督は、エリザが感じている恐怖など微塵も気づいていない。半分眠気まなこのまま、あくまでも呑気な口調でこたえる。
「そりゃ、君がまもった人々からの感謝の声さ」
エリザの中で時が止まった。
えっ? えっ? まもった人? 私が? まもった人々からの感謝の声??
それは、エリザにとって思いも寄らない言葉だった。これまでエリザは、殺した敵からの恨み、強烈な呪い、自分に向けられた激しい負の感情しか意識することがなかった。それしか感じることがなかった。自分が他人から正の感情を向けられるなど、思ってもいなかった。
「キャゼルヌ先輩はよく言ってるぜ。要塞をまもってくれた君には家族みんなが感謝してるって」
少将が?
「敵要塞を破壊したことだけじゃなくてさ、家族みんなが新しい家族になった君に感謝している。たとえばシャルロット・フィリスなんかは君が新しいお姉ちゃんになってくれたこと自体をとても喜んでるそうだぞ」
キャゼルヌ家のみなさん。いつも任務から帰って顔を見るだけでほっとした。いっしょにいるだけで心が温かかった。あれは、私が一方的にそう感じているのだと思っていた。キャゼルヌ家のベッドでなら安心して眠ることができるのは、単に戦場から離れているから、要塞の外壁が戦場に漂う呪いを遮ってくれるからだと思い込んでいた。
でも、もしかしたら、……私がキャゼルヌ家なら寝られるのは、家族のみなさんが私にむけてくれている暖かな正の感情のおかげ? 戦場に残る強烈な呪いを打ち消すほどの大きなそれが、私をまもってくれている?
「キャゼルヌ家以外でも、たとえば一緒に飛んでるポプランやコーネフ。あいつら、君に感謝してるだけじゃなく、普段から頼りにしてるぜ。特にポプランの野郎は、決して口は出さないだろうがね」
要塞を撃破した直後、私は死者の声に耳を塞ぐしかなかった。それでも要塞に帰ってこれたのは、隣を飛んでいるお二人がいたから。それは通信機から聞こえる声だけではなくて、……いま振り返ってみれば、たしかに精神で感じていたかもしれない。お二人が私を思ってくれる正の感情が、私の精神を支えてくれていた。
「それだけじゃない、ヤン艦隊、イゼルローン要塞にいる人々すべてが、エリザに感謝しているんだぜ。といっても、生きている人々はみんな生きることに忙しいからな。感謝してばかりというわけにもいかないが。でも、耳を澄ませば感じるだろ?」
恐怖、恨み、憎しみ、……負の感情は強烈だ。ましてや死者のそれは永遠に続く。わたしはそれから逃げるため、耳を塞いでばかりいた。
でも、……ちがうんだ。
エリザはやっと理解できた。世の中にあるのは、負の感情だけじゃない。たとえ普段は感じることがないほど強くはなくても、周囲の人々の暖かい正の感情がエリザの精神をまもってくれているということに。
……どうして私は、いままで気づかなかったのだろう。
アッテンボロー提督は、私の能力をしらない。ただ単純に、多くの人が私に対して感謝してくれていることを伝えたかっただけ。そう、当たり前のことを教えてくれただけ。でも、この人が教えてくれなければ、頭の中に勝手に流れ込んでくる他人の負の感情ばかりに気をとられた私は、永遠に気付かなかったかもしれない……。
大きく目を見開いたまま、正面からアッテンボローの顔をみつめるエリザ。その視線を受け止めるアッテンボローは、僅かに困惑している。
彼にしてみれば、たまたま部下である女性パイロットと話す機会があった。彼女は目の下にくまを作り、かなり疲れているように見えた。そんな少女を少しでも力づけてやろうと、その場で思いついた言葉を伝えてやっただけだ。もちろん伝えた言葉に嘘はないのだが、そんなに真摯な顔で見つめられるようなことを言ったつもりはなかったのだ。
あらためて思い出す。キャゼルヌ先輩によれば、この少女はちょっと浮世離れしているが、本当に真面目で、素直で、なにごとにも一生懸命な少女だそうだが。そんな娘が、なぜ自分の顔を凝視しているのか。それほど特別なことを言ったつもりはないのだが、俺の話のどこがそんなに面白かったのか。
自分を見つめる大きな瞳には一点の曇りもない。輝くような金髪。通った鼻筋。きりりと結ばれた唇。化粧気はないが、正真正銘の美少女……。
やばい! アッテンボローは、自分の中に僅かに生まれつつある感情を大慌てで打ち消す。
「え、えーと、ついでに、もちろん俺も感謝してるぜ。いまこのイゼルローン回廊の真ん中で昼寝していられるのは、エリザのおかげだしな。君がここににきてくれて、本当によかったと思っている」
ちょっと笑いながら、照れながら、なにかをごまかすように、アッテンボローは目をそらした。
えっ? 提督も?
エリザは反射的に覗いてしまった。アッテンボローの心を。
彼女は知りたいと思ったのだ。たった今、とても大切なことを教えてくれた目の前の男性が、自分に対してどんな感情を抱いているのか?
エリザが自分から意識して他人の心を覗くことなど滅多に無い。そんなことをしなくても、自分に向けられる強い感情は勝手にわかってしまうから。幼い頃に自分から覗いてみた両親の心の中にあったもの、それが良い感情だったことが一度もないから。
それなのに、なぜ自分は今、目の前のアッテンボロー提督の心を覗こうとおもったのか。エリザは自分の気持ちがわからない。
……とにかく、一度覗いてしまったものはしかたがない。アッテンボロー提督の感情が自分の中に流れ込んでくるのを止められはしない。
アッテンボロー提督が私に抱いている感情って……。
えっ?
エリザが驚いたのは、もちろんかつての両親のように、アッテンボローが自分に対する悪意しか抱いていなかったから、ではない。
この人の中にあるのは、……パイロットである私への感謝の気持ち、だけ? それと、その気持ちを目の前にいる年下の少女にどうすれば伝えられるのかと悩んでいる。……それだけ?
「まぁ、これからも頼りにしてるぜ」
自分の心が覗かれているとはつゆほども思っていないアッテンボローが、再び笑う。
「は、はい」
自分はなぜちょっとだけがっかりしてしまったのだろう。エリザはますます自分の気持ちがわからなくなった。
「提督! こんなところでなにをやってるんですか? 空戦隊との打ち合わせの時間ですよ!」
部屋に入るなり大声を上げたのは、ずっとアッテンボローを捜していたラオ中佐だ。
「ああ、ごめん。その前に空戦隊のエースパイロットと大事な話があったんだよ」
「別件があるなら事前に連絡くれなきゃ困ります。……なんですかその格好は?」
「海賊だよ。別にいいだろ、俺の艦隊の旗艦の中なんだし」
「コスプレは私室でやってくれと常々いってるでしょ。ほら、いきますよ!」
「はいはい。……エリザ、すまない。こんど要塞に帰ったらキャゼルヌ先輩のうちに遊びに行くよ。話の続きはその時にでも」
「は、はい」
「提督、その格好のまま打ち合わせいくんですか?」「だめか?」「だめにきまってるじゃないですか。ポプラン少佐激怒してますよ」「うへ」
エリザは思わず笑ってしまった。そして、今日はいい夢を見られそうな予感がした。