銀パイ伝 〜銀河パイロット伝説〜 作:koshikoshikoshi
宇宙歴799年 1月 イゼルローン要塞
「全責任は宇宙艦隊司令部がとる。貴官の判断によって最善と信じる行動をとられたし。宇宙艦隊司令長官アレクサンドル・ビュコック」
銀河帝国軍によるフェザーン占領。そしてフェザーン回廊を通過しての同盟領侵攻。同盟軍がまったく想定していなかった事態が発生したことをうけ、首都ハイネセンの宇宙艦隊司令部がイゼルローン要塞司令官ヤン・ウェンリーに対して下した命令が、これだ。
「もつべきものは、話のわかる上司だな」
命令を受け取った瞬間、ヤンは確かに嬉しそうな顔をした。すくなくともフレデリカにはそう見えた。だが、すぐに眉をしかめる。いつもの顔に戻る。託されてしまった責任は果たさねばならない。
「……やれやれ。くえない親父さんだ。給料以上に働かせようって言うんだな」
ビュコック司令長官は、ヤンにとって同盟軍の中でも数少ない決して頭があがらない相手である。そのビュコックに対し、ヤンは声を出して毒づく。
さらに「敵の戦艦一隻が年金いくら分になるんだ?」と口の中だけでつぶやいた後、さすがに自分自身の言葉のレベルの低さに気付いてひとつため息をつく。そして、ゆっくりと顔をあげた。
「グリーンヒル大尉。幕僚達をあつめてくれないか」
ヤンの副官であるフレデリカ・グリーンヒル大尉は気付いていた。ため息をつく前のヤンは、いつもの顔だった。ちょっと頼りなげだが飄々として見る者を安心させてくれるいつものヤン。しかし、いま彼がフレデリカに向けた顔は違う。あきらかにこわばっている。
ヤン本人としては、必死にいつも通りの表情にしようと務めているのだろう。だが、フレデリカからみて、ヤンの企みは失敗しているように見えた。
「イゼルローン要塞を放棄する」
イゼルローン要塞会議室。ヤンは幕僚達の顔を見回して一息つく。そして静かに、しかしはっきりとした口調で宣言した。
幕僚達の多くは驚き、そして反対の声をあげた。
「イゼルローン要塞を確保することの戦略的な意義が薄れたことは理解できます。しかし、ヤン提督がイゼルローン要塞を放棄したとなれば、同盟市民のうける衝撃は大きい。場合によっては後日の再戦すらおぼつかなくなりますぞ」
いつもの通り、ムライ参謀長が正論によって議論の幕をあける。ムライは、ヤンの作戦に対しあえて常識論をとなえ反対し、議論のきっかけとすることを自分の役割だと自認している。
「どうせなら政府首脳が血相変えて『イゼルローンを捨てて助けに来い』とわめきたててから腰を上げた方が、よいのはないですかね?」
そう言うのは要塞防御司令官シェーンコップだ。
彼は彼で、ムライとは逆にあえて過激な意見を唱えることを信条としている。結果として、ヤンの案こそが的確だと幕僚に認識させることに繋がることが多いのだが、今回はヤンを煽ろうとただの本音を言っているようにもみえる。
「それでは遅い。帝国軍に対する唯一の勝機を失ってしまう」
「ほう、勝機? すると司令官殿は勝てると思っているいらっしゃるのですか」
「うん」
「いったいどうやって? もし問題なければ、聞かせていただけますか?」
ますます煽りをヒートアップさせるシェーンコップに対し、ヤンはあくまで冷静に答える。まるでこの問答を予想していたように、極めて簡潔に。
「ローエングラム公は独身だ。そこがこの際はねらいさ」
そして、ヤンはここで初めて自らの幕僚達に明らかにしたのだ。彼がたったひとりであたためていた構想を。イゼルローン要塞放棄の目的と、その後の戦術についてを。
帝国軍は強大だ。そして、ラインハルト・フォン・ローエングラム公は戦争の天才だ。いま残されている同盟軍の戦力で、彼に率いられた帝国の全戦力を相手にして勝つことは不可能だろう。しかし、唯一にして最大の弱点はそのラインハルトである、と。
帝国軍にラインハルトにかわる指揮官はいない。銀河帝国にラインハルトにかわる君主はいない。彼ひとりを排除できれば、目の前の帝国軍は大きく混乱し侵略どころではなくなるだろう。それこそが軍組織として、あるいは国家としての根本的な欠陥であり弱点といえるのだ、と。
そう、同盟軍が為すべきことは、帝国軍全軍を打ち負かすことではない。帝国軍唯一最大の弱点であるラインハルト公を打倒することだ、と。
イゼルローン要塞を放棄することにより、われわれは同盟領そのものを最大限に利用し、正規軍によるゲリラ戦に移行することが可能となる。我々は可能な限り戦力を温存しながら帝国艦隊を翻弄し、その戦力を分断することに専念する。最終的に公の本隊だけを相手に決戦に臨むために。
ここまでヤンは、一言一言ゆっくりと、自分で噛みしめるように説明をつづけた。そして最後、もういちど皆の顔を見回してから、きっぱりと言い放つ。
「そして敵本隊との決戦においては、敵司令官を集中的に狙う。全艦隊総力を結集し、……空戦隊をふくむあらゆる手段を用いて、総旗艦ブリュンヒルトだけをピンポイントで狙う」
ぴくり。
ピンポイントという単語に、キャゼルヌとアッテンボローがわずかに反応したようにみえた。
「……これが、私が最善と信じる作戦だ。ビュコック司令長官から託されたとおり、すべて私の責任で実行する。みんなにも協力してほしい」
何度目になるだろう。ヤンはあらためて幕僚達の顔を見回す。
(我ながら、非道い作戦だ……)
われわれは全軍をあげて個人の命を狙う、とヤンは明言したのだ。そのためにヤン艦隊は総力を尽くす。直接言及はしなかったものの、状況によっては単座戦闘艇を駆る少女に対して敵旗艦への突入を命じることも厭わない。……ヤンはそう言ったのだ。その意図は正確に幕僚達に伝わっているはずだ。
この作戦になんら恥じるところはない。戦場にのこのこ出てきた敵司令官を優先的に狙うなど、戦術的には大昔から常識と言ってもいい。
少なくとも民間人を巻き込むことはないし、成功しても失敗しても両軍の被害はおそらく最小限ですむはずだ。万が一成功すれば、後世の歴史家達も賞賛こそすれ決して非難はしないだろう。
そもそもヤンの感性においては、ラインハルトのもつ『勝利よりも勝ち方あるいは戦いそのものを好む軍事的ロマンシズム』こそが、バカバカしいものであるはずだ。はずだった。
……だが、だが、理性でそれはわかっていても、どうしても本能の部分で忌避感はさけられない。
「もう一度くりかえすが、この作戦の責任はすべて私にある。協力してほしい」
地獄に墜ちるのは、自分ひとりで十分だ。
数週間後。
イゼルローン要塞からはるか数万光年。フェザーン回廊から同盟領に侵入しつつある帝国艦隊、その総旗艦ブリュンヒルト。
総司令官であるラインハルト・フォン・ローエングラム元帥に、オーディンを経由して一通の通信がはいった。発信者は、イゼルローン回廊のロイエンタール提督だ。
「われイゼルローン要塞奪還せり」
さらに、要塞を放棄した敵の奇術師ヤン・ウェンリーの艦隊は、そのまま同盟領方面に移動しつつあるとのことだ。
ラインハルトはさして驚いた様子を示さない。予想通りということなのだろう。
そんな主君の様子にこそ驚きを感じている秘書官ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフにたいして、ラインハルトがその端正な唇を開く。
「おそらくヤン・ウェンリーは、同盟が勝利をえる唯一の方法をとるために、麾下の兵力を自由に行動させたいのだ」
「唯一の方法、ですか?」
「わからぬか。戦場でわたしを倒すことだ」
きっぱりと言い切るラインハルト。ヒルダは驚きと困惑を隠すことができない。
「ヤン提督の狙いを見抜いておいでなのに、やはりご自身で陣頭にお立ちになるのですね」
「ヤン・ウェンリーの狙いは見抜けても、それを実行するために彼がどんな魔術を使うつもりなのかまではわからぬ。想像もつかぬ。フロイラインにはわかるか?」
「いえ」
「私もだ。……私はそれが見たいのだ。そのうえで、正面から打ち破りたいのだ」
ヒルダは一瞬だけ逡巡、そして決意した。言わねばならない。たとえ主君の不興を買っても。
「閣下。私は軍事の専門家ではない故、このような言い方しかできないことをどうかお許しください。……敵地奥深く、さらに敵がなんらかの魔術を繰り出すとわかっている状況で、それを正面から迎え撃つのは、閣下といえどもあまりにリスクが高いと愚考いたしますが」
この時、ラインハルトは寛容だった。ヒルダの発言に怒りを示すことなく、会話をたのしむ余裕があった。魔術師が繰り出すであろう未知の戦術を心の底から楽しみにしているのだ。
「はははは。フロイラインは私がヤン・ウェンリーに勝てないと思っているのか?」
「意地悪なおっしゃりようです。閣下」
「すまない、フロイライン。要するに、……私は戦いたいのだ。理解してほしい」
それ以上、ヒルダはなにも言えなかった。