銀パイ伝 〜銀河パイロット伝説〜 作:koshikoshikoshi
「イゼルローン要塞を放棄する」
司令官ヤン・ウェンリーがその決定をくだし命令を発した数日後のこと。
要塞放棄とひと言で言っても、軍民あわせて数百万にのぼる人間と数万隻の艦艇、そして要塞内の莫大な資産や物資の移送。さらに軍事機密の消去や後始末。とにかくとてつもない労力が必要だ。イゼルローン要塞はいま、軍民あげてその準備に奔走している。
一方で、ロイエンタール提督麾下の艦隊による要塞への嫌がらせは、あいかわらずにつづいている。それに対応しつつ、さらに敵に悟られることなく撤退の準備を行うのは、至難の業だ。作戦の実質的責任者である要塞事務監のキャゼルヌ少将などは、官舎に帰る暇もない。
ヤンとしては、ロイエンタールによる嫌がらせには構いたくない。きたるべき帝国軍との決戦に備えて、こんなところで戦力を浪費したくはない。だが、嫌がらせといってもただ放っておいては被害がばかにならないのも事実だ。なにせ敵はあの帝国軍の双璧。油断していると、本当に要塞失陥に繋がりかねない。ヤンは心底から辟易していた。
アッテンボロー提督がヤンにひとつの作戦案を提示したのは、そんな時だった。
「私にひとつ考えがあります。責任は私がとりますから、ぜひ一戦の許可をねがいます」
「だめ」
だが、ヤンはその作戦案を一蹴した。
ヤンはそのような言い方、ものの考え方が嫌いだった。ほんの数日前、彼は自分の作戦を「すべて責任は自分にある」と幕僚達の前で宣言し、命令した。そうせざるを得ない事情があったのだが、彼はそれにより強烈な自己嫌悪を感じていた。だからこそ、自分の部下のこのような言い様を嫌ったのだ。
しかし、それでもアッテンボローはあきらめない。ヤンの部下の中でももっとも陽気で楽天的な男は、今度は言い方だけを変えて、ふたたび作戦案を提示してきた。
「かなり楽して勝てる策を思いつきました。試させていただけませんか?」
ヤンはおもわず笑ってしまった。
伊達に付き合いが長いわけではない。上官であり先輩であるヤンの思いなど、アッテンボローにはお見通しというわけだ。
私は部下に恵まれている。
結局、二三の修正を加え、ヤンはアッテンボローの作戦を許可したのだ。
約400隻の輸送艦とその数倍の護衛艦隊が要塞を出航。同盟領へむけて逃走を始めた。
それを発見した帝国軍のレンネンカンプ大将は直ちに司令部に連絡したものの、司令官の指示を待つことなく自分の艦隊をもって追跡を開始した。
「さて、お手並み拝見といこうか」
あきらかに功を焦っているレンネンカンプの行動を、司令官であるロイエンタールは黙認した。
レンネンカンプは、まるでロイエンタールに見せつけるかのように、自らの艦隊を二つに分けた。一方で鈍重な輸送艦の進路を塞ぎ、もう一方で後ろから包囲する作戦だ。その艦隊運用は、たしかに凡庸な艦隊司令官のそれではなかった。それぞれの艦隊のとるコースは絶妙であり、包囲は完成するかに思えた。
だが、帝国軍がそうすることは、アッテンボローとヤンにとって予想の範囲内だった。そもそも、この狭い回廊でこんな状況をつくりだせば、帝国艦隊がとれる選択肢はそれほど多くはない。ロイエンタールが黙認することまでふくめて、帝国軍は初めから同盟軍の罠にはまっていたのだ。
輸送艦隊を逃走させれば、帝国軍はそれを看過することなどできない。その前提の元にアッテンボローがたてた作戦は、輸送艦隊追跡のためにおそらく二つに分けられるに違いない帝国艦隊のうち、まず後ろの分艦隊を要塞砲で横撃しようというものだった。
当たり前だが、イゼルローン回廊を攻略しようという指揮官ならば、とうぜん要塞砲の射程距離は理解している、はずだ。要塞から脱出しようという艦隊を追撃する際にも、射程外ぎりぎりを通過するに決まっている、……はずだ。レンネンカンプもそのようなコースで艦隊をすすめるつもりで作戦をたてた。
ところが、回廊は狭い。小惑星やデブリなど障害物も多い。……単座戦闘艇が隠れる場所など、いくらでもあるのだ。
それは、レンネンカンプ艦隊による輸送船団の包囲挟み撃ちが完成するかに見えた、その直前のことだ。
敵を後方から追う分艦隊は、回廊の端、要塞主砲の射程距離ぎりぎりのコースをとっていた。そこに、突然現れた小型の何かが、猛スピードで艦隊につっこんだのだ。
ひらりひらりと対空砲火をかわし、艦隊の鼻ずらを悠々と横断していく小型の何かの編隊。それはそのままデブリの影に消えていったかと思うと、また別方向から突入を繰り返す。
敵が何かわからない。どこから来たのかわからない。被害は極小であるものの、艦隊は大いに混乱し統制を失い始める。気づいた時には、艦隊の大部分が要塞砲の射程内に迷い込んでいた。
「撃て!」
ヤンの命令。あっと思う間もなく、要塞から放たれた無数の光の矢に艦隊全体が打ち据えられる。白い光の渦に巻き込まれていく。
ロイエンタールは、後方からそれを見ていた。レンネンカンプの包囲網が完成しかけた時は、内心で舌打ちしつつそれを隠すためにそれなりの労力が必要だった。だが、いまやそれは必要なくなった。レンネンカンプの艦隊は、敵を包囲どころか大混乱の末に潰走しつつある。
「なんだ? なぜ、包囲直前の艦隊が自ら要塞砲の射程内に自ら迷いこむような混乱に陥ったのだ?」
「わかりません。少数の戦闘艇編隊が艦隊をかすめたとの情報もありますが、確認できていません」
もしや、またしても例の戦闘艇なのか? まんまとヤン・ウェンリーの陽動に引っかかったということなのか?
「どういたしますか?」
「……見殺しにもできまい。援護せよ」
ロイエンタール本隊が要塞に対して牽制の砲撃を開始。潰走中の艦隊は辛くも救出された。
一方、前方に回ったレンネンカンプ本隊は、いまだ健在である。包囲網は瓦解したとはいえ、それでもなお正面に迫る同盟の輸送船と護衛艦隊より優勢である。怒りに燃えたレンネンカンプは、輸送船団にせまる。
それを遠方から眺める位置に、三機のスーパースパルタニアン編隊がいた。
「ふん。オレ達による後方の艦隊の陽動と攪乱はうまくいったようだな」
つい先ほど翻弄してやった背後の敵艦隊は、要塞砲の生贄となった。彼らが与えられた陽動の任務は、無事完遂されたということだ。
「しかし、陽動だけというのは楽ではあるが物足りないのもたしかだな」
任務はすでに終了、あとは要塞に帰るだけとなったポプランだ。軽口にも余裕がある。
「任務が楽であるのに越したことはないだろう」
それを諫めるコーネフも、その口調に特に深刻さは感じられない。
「あ、アッテンボロー提督は大丈夫でしょうか?」
編隊の中でただひとり、深刻そうな口調のエリザ。彼女の視線の先には、アッテンボロー提督率いる小規模な護衛艦隊とそれが守る輸送船団がいる。そして、いままさにレンネンカンプの本隊が襲い掛かろうとしている。
「心配いらんだろ。あのそばかす提督、逃げるふりだけは銀河一らしいからな」
「で、でも、私達がこのまま前方の敵艦隊に突入して敵旗艦の司令官を狙えば、アッテンボロー提督のお手伝いになるのでは?」
……エリザの奴、変わってきたな。いつのまに自分からこんなことを言うようになったんだ?
そう思いつつ、ポプランはエリザへの解説をはじめた。たまには編隊長らしいところを見せてやろう。戦略的な大局観というやつをかっこよく解説してやろうという気持ちが、その口調からありありとわかる。
「エリザ。これはオレの想像なんだが、オレ達が敵艦隊に突っ込んで旗艦を狙えと命じられることは、……今後は敵の親玉を相手にする最後の決戦までないだろうな」
えっ?
実際、彼らスーパースパルタニアン編隊の面々は、彼らの任務は敵艦隊に突入し敵司令官を直接狙うことだと司令部から直接明言されたことはいまだにない。ないが、エリザも含めた三人は、それが当然だと思っていた。ミュラー提督やロイエンタール提督は紙一重で取り逃がしたものの、あのような作戦こそが自分達の存在意義だと思い込んでいた。それで戦争が終わるのならば、やってやろうと決意を固めていた。
だが、ポプランは言う。敵司令官を直接狙うよう命じられることは、最終決戦までないだろうと。
「自分でいうのもなんだが、オレ達はいわば切り札だ。ヤン提督やアッテンボロー提督としては、切り札をきるその時まで、オレ達はあくまでも陽動や偵察が目的の小隊と敵に思わせ油断させておきたい、……じゃないかなぁと俺は思う。もし俺がヤン提督の立場ならそうする」
「……オレもそう思っていた。おそらく敵司令官を狙うのは、本当の最後の最後の決戦の時になるだろう。それまではスーパースパルタニアンの速度や航続距離を最大限にいかした、今回のような陽動が主任務になると思うね」
大先輩ふたりにこう言われては、エリザも納得するしかない。とりあえず、余計な事を考えるのをやめる。目の前のアッテンボロー提督の戦いに意識を向ける。
「ふん、同盟軍め。司令官の薫陶が行き届いていると見える。逃げるのを恥とも思っておらんようだ」
接近しただけで輸送船団をおいて逃げ去った同盟艦隊をみて、レンネンカンプは罵倒の言葉を吐き出した。
後方の分艦隊を失った彼は、いま怒りに震えている。はるか後ろで眺めているロイエンタールが笑っている姿を想像している。敵輸送船団の回廊脱出を阻止した程度では、名誉の回復は難しい。いっそ怒りにまかせて敵護衛艦隊を追跡し撃滅してやりたいところだが、さすがにレンネンカンプの艦隊指揮官としての良識がそれを許さない。この状況では、彼は輸送船団を優先せざるを得ないのだ。その焦りが、アッテンボローのしかけた罠に気付かせない。
同盟艦隊は、一度は輸送船団をみすてたものの、未練たらたらという体で輸送船団からなかなか離れようとしない。それを見たレンネンカンプは、意地になって全艦隊で輸送船団を包囲する。そして、動きの鈍重な同盟軍輸送船団を中心に密集する。
無人輸送船団が自爆したのは、その時だ。レンネンカンプ艦隊は閃光につつまれ大混乱におちいった。すかさず、一度は逃げ去ったはずのアッテンボロー艦隊が逆撃に転じる。見事なタイミング。あざやかな逆撃。レンネンカンプの本隊は、一方的に包囲され蹂躙されつつある。
アッテンボローの必殺技『逃げるふり』。たしかにそれは銀河一かもしれない。遠目にみるエリザにさえ、それは本気で逃げているように見えた。
「アッテンボロー提督、……凄い」
エリザによる素直な賞賛。それは、まったく自然に、無意識のうちに口から漏れだしたものだ。
「ふん。まぁ、艦隊運用がそれなりにできるのは認めよう。だがな、エリザ。奴が上手いのは逃げるふりだけだ。だいたいいい歳をして独身主義なんて、俺から言わせれば男としてちょっと情けない提督様だがね」
だが、ポプランはアッテンボローを認めたくないようだ。まったく艦隊指揮とは関係ないことで、アッテンボローを蔑しはじめた。
戦闘艇のパイロットは、艦隊同士の乱戦の渦中で敵味方入り乱れて戦うことが普通だ。数万隻単位の艦隊運動や敵味方の駆け引きなどを、戦場遠くから俯瞰的に眺める機会など滅多にない。アッテンボローによる見事な艦隊運用を目にしたポプランは、心の中では感嘆していた。
なるほど。過去英雄と呼ばれる人間が提督ばかりなのも道理かもしれないな。
しかし、彼は生粋のパイロットである。いつかパイロットの英雄になってやると公言しているポプランとしては、そんなことを口に出して認めるわけにはいかない。ついでに、自分の部下であるエリザが無邪気に若い提督を誉めるのがちょっと面白くなかった、ということもある。
「ポプランおまえ、どの口がそんなことを言ってるんだ? まぁ、確かに見た目はちょっと頼りないが、あんなんでも一応は提督閣下だぞ」
コーネフの言いようも、なかなか非道い。しかし、ふたりとも本心から貶しているわけではないし、ちゃんと若き提督に敬意をはらっている。
それが理解できているエリザがヘルメットの中で嬉しそうにしていることに、ポプランは気づかなかった。
這々の体で逃げ帰ってきたレンネンカンプに対し、ロイエンタールはそれ見たことかと口には出さず、慰労の言葉さえかけた。
(なに、それほど赤字の決算でもない)
司令官として、彼は目の前の戦いだけを見ているわけではない。
戦術的にはたしかに一歩譲ったが、同盟軍があのような策を弄したのは、実際に要塞を脱出するための布石であろう。そうでなければ意味がない。ヤン・ウェンリーならばそうであるはずだ。
ロイエンタールに気になる点があるとすれば、それは例の戦闘艇の使い方だ。
ヤン・ウェンリーは、今回はあの戦闘艇に艦隊指揮官であるレンネンカンプを狙わせなかった。単なる陽動だったというのか? たしかにそれは見事に成功したが、他に思惑があるのではないのか?
そこまで考えてロイエンタールは気づいた。
……自分は、ヤン・ウェンリーとあの戦闘艇を気にしすぎなのではないか?
そして頭を大きく振る。
いかん、いかん。病に対抗するには全員が共同であたるべきだ。我が艦隊だけが感染の危険をおかすことはない。ヤン・ウェンリーが我々の知らない恐るべき戦術を構想しているとしても、我が艦隊がまっさきにそれに対抗する必要は無いのだ。
ロイエンタールは副官ベルゲングリューンに命令する。
「同盟軍は近くイゼルローン要塞を放棄するだろう。だが、彼らを追う必要はない。まずは要塞への進駐の準備をすすめるのだ」
……どうせ奴の最終目標はわかっている。我が艦隊の出番は、ヤン・ウェンリーが最終的な目標である我が主君を補足し、手の内を見せてからで十分だろう。