銀パイ伝 〜銀河パイロット伝説〜 作:koshikoshikoshi
行け行け行け!
ブリッジの床を踏みならしつつ部下を叱咤しながら、アッテンボローは分艦隊を走らせる。帝国軍はいま、完全に分断された。囮に食いついた前衛分艦隊とラインハルトの直衛艦隊の間、がら空きとなった宙域をアッテンボロー艦隊が疾走する。
戦況は、一気に動いたのだ。
もっとも、たとえラインハルトが囮に引っかからず、ヤン艦隊主力に傾注したとしても、結果はそう変わらなかっただろう。ヤン艦隊と正面からぶつかっている最中に、背後から囮艦隊により多数の小惑星を撃ち込まれ、多大な被害を被ったはずだ。
ラインハルトは前進するべきではなかった。たとえ状況が変わっても、自分で構築した盤面を維持すべきだった。ヤンが自軍の前進を止めた時点で、自軍も一旦停止して様子を見るべきだったのだ。
ヤン・ウェンリーの脳細胞は、いまやフル活動している。ヤン本人も自覚していることだが、このように激しく変化する状況においてこそ、ヤン艦隊は強い。
ヤンの指示の下、その意図を極めて正確に艦隊運動として戦場に反映させることができるフィッシャーやアッテンボロー、メルカッツ。彼らが指揮するヤン艦隊は、こちらから状況を動的に変化させられる戦場においては、おそらく銀河一強い。だからこそ、ヤンはあえて艦隊を分散させてまで、状況に変化を生じさせたのだ。
逆に、周到に時間をかけ、自分で状況をつくりだし、その戦場において戦う分には、ラインハルトが銀河一だろう。だが、勝ちが確定した後の単調作業を、ラインハルトは退屈だと感じることがある。自分が用意した舞台が引っくり返ってしまったとき、怒りのあまり我を忘れることがある。かつてキルヒアイスが存命だったときは、彼がカバーしてくれた。だが、いまはいない。
混乱した帝国軍は一気に押しまくられる。開戦当初は重厚な防御網を構成していた前衛の各分艦隊は、いまや完全に分断され、包囲され、あげく各個撃破の標的となっている。壊滅するまでには幾ばくかの時間が必要だが、ラインハルトの直掩という意味では完全に無力化されたと言える。
いま、ブリュンヒルトの周囲には、直衛の艦しかいない。そこにむけて、アッテンボローが迫る。
「閣下、すでにシャトルの用意ができております。脱出の用意を」
旗艦ブリッジ。副官のシュトライトは若い主君の前に歩み寄った。
「ですぎたマネをするな。ここでヤン・ウェンリーに殺されるとしたら、わたしはその程度の男だ」
聡明なはずの主君が駄々をこねる。
シュトライトは、親衛隊長のキスリング大佐と視線を交わす。出立前にミュラー提督に警告されたのは、敵の単座戦闘艇が艦隊に突入する脅威についてだった。現在の状況はそれとはかなり異なるが、艦隊が危機に陥っても主君が逃げようとしない点において、ミュラー提督の洞察は正しかった。ここは、たとえ主君の命に背くことになっても、力尽くで脱出させるべきだ。
キスリング大佐がうごく。ラインハルトを後ろから羽交い締めにしようと。
その瞬間、ブリュンヒルトに迫る砲火、その直前に滑り込み盾となった一艦が爆発した。大きな衝撃。一瞬、砲火が止む。戦場に沈黙がはしる。
ラインハルトは気付いた。盾になったのは、ラインハルト直衛の艦ではない。さらに、ブリッジのモニタに、他にも見慣れない艦が映っている。
いつのまに戦場に乱入したのか。同盟軍ではない。みなれない帝国軍の戦艦。しかも、一艦ではない。艦隊規模の戦艦が、同盟軍とブリュンヒルトの間に強引に割り込む。
……なんだ? 何が起こっている?
そして、オペレータが叫んだ。
「ミュラー艦隊です! ミュラー艦隊が来援しました。……助かった」
かつて自らロイエンタールに語ったとおり、ミュラーは主君の命令を放棄、まっさきに進路を反転し主君を助けに駆けつけたのだ。戦況は、またしても反転した。
「この期に及んで敵の増援だと? ……一個艦隊の加勢がついたくらいで逃げ出すほど、うちの司令官は負けっぷりはよくはないはずだぞ」
アッテンボローは知っている。自分の敬愛する先輩が、……普段はぐうたらしている先輩が、状況が危機に瀕したときこそその天才の真価を発揮することを。
「前進を止めるな! 増援といっても、敵本隊の守備陣形を固めるにはまだ時間がかかる。その前に、後方のヤン先輩がきっとなんとかしてくれる。すすめ!」
彼が信頼するとおり、この時ヤンの指揮はきれまくっていた。ミュラー艦隊来援の報をうけ、さらにテンションがあがった。一気にゾーンに入っていたと言ってもいい。その鬼気迫る采配は、横でみまもるメルカッツが目を見張るほど冴え渡る。
ミュラーがたどり着く前から、ラインハルト直属の前衛分艦隊、トゥルナイゼン、グリューネマン、カルナップの各艦隊は、既に完全包囲され壊滅は時間の問題だった。
ミュラー艦隊来援の報をうけた瞬間、ヤンはわずかに眉毛をつりあげた。それだけだ。そして、いつものように命令を下す。いつものように落ち着いた声。だが、命令の中身は凄まじいものだった。
ヤンは、あえて包囲網を一部を崩した。そして敵に逃げ道をあけたのだ。
それは、包囲の外側、ミュラー艦隊からもよく見える位置だった。包囲された艦隊は、当然のように逃げ道に殺到する。さらに外側のミュラー艦隊も、味方を助けるためにそこを目指した。狭い空間に、一個艦隊以上の帝国艦隊が密集する。ヤンは、そこを狙った。得意の一点集中砲火。帝国軍は大混乱に陥った。
戦局はまたもや反転した。しかも、今度こそ決定的なほどに。
ミュラーはラインハルトを助けるため、彼に与えられた任務を放棄して引き返してきた。
彼の主君が一個艦隊同士の闘いで負けるとは思っていなかったが、ランテマリオ星域会戦で同盟艦隊の生き残りを取り逃がして以来、帝国軍はヤン艦隊の艦艇の総数を把握できていない。一個艦隊を大幅にこえる艦艇が待ち構えている可能性が否定しきれなかった。さらに、例の非常識な戦闘艇の存在……。
ミュラーはそれを排除するため任務途中で反転、満を持して戦場におどり込んだ、……はずだった。
であるにもかかわらず、戦場にたどりついた直後から彼は凄まじい砲火に晒されつづけている。いつの間にか半包囲におかれている。あっという間に彼の戦力は半減し、完全に圧倒されている。たった一個艦隊を相手に、だ。
「ヤ、ヤン・ウェンリーとは、これほどまでに……」
まったく意識せぬまま、ミュラーの口から敵への恐れと賞賛のいりまじった言葉がこぼれ落ちる。
とはいっても、ヤン本人もヤン艦隊の面子にしても、自分達がミュラーの賞賛に値する存在であるとはまったく思っていない。たしかに味方の司令官に対する信頼はある。しかしこの期に及んでも、追い詰められているのはこちら、という意識しかない。ただただ負けないために必死な状況であり、これがいつものことなので麻痺しているのだ……。
「我が艦隊は何割、……何隻がのこっているか?」
ミュラーが問う。
「正確な数はわかりませんが、……2割ほどかと」
一般的には壊滅、あるいは全滅、とされる状況だ。彼は主君を救うため、主君の命に背いて反転してきた。あまりに性急な機動により味方の数割が脱落したとはいえ、それでも数千隻単位の艦が戦場に乱入したはずだ。それが、あっというまに壊滅だと?
しかも、かろうじて生き残っている艦艇も、すでに敵の分艦隊との乱戦で押しまくられている。さらにその外側には、魔術師ヤンの本隊が迫る。通常の艦隊戦なら、とうの昔に降伏、あるいは撤退を選択している状況だ。ミュラー自身が生きていることが不思議といえるかもしれない。
いまミュラーが旗艦としているのは、戦艦ヘルテン。当初の旗艦リューベックは既に撃沈された。その後、司令部を生き残っている戦艦に移動することを繰り返し、これが四艦目の旗艦だ。だが、この艦もすでにエンジンは半壊。武装もほとんど破壊されている。かろうじて生きているのは、ブリッジの指揮機能だけだ。
ただひとりの人間が、これほど静かな果敢さと傑出した判断力によって戦いをリードし、幾度かの危機を切り抜けて勝利の尾を掴もうとしたか。ヤンの伝記作家達は後に強調してやまない。ヤンはミュラー参戦という危険きわまる要素を排し、あらたな計算を元に戦いを構築し、完成させつつあった。
ヤン艦隊の中でもっとも敵本隊のそばにいるのは、アッテンボローの分艦隊だ。
「敵総旗艦ブリュンヒルト確認! 正面です!」
オペレータが叫ぶ。トリグラフのブリッジが沸く。文字通り、敵総旗艦を指呼の間に望んだのだ。
……いける!
アッテンボローは声を出してさけんだ。激戦、あるいは敗戦を何度も重ねて培われた艦隊指揮官としての彼の勘が、そう叫ばせる。叫ばずにはいられない。
ミュラー艦隊はもうすぐ突破できる。間違いなく。そうすれば、……エリザに危ない橋を渡らせるまでもない。オレの腕が! この手が! ブリュンヒルトに、直接とどく!
敵の総旗艦ブリュンヒルトをついに確認したとの報は、ヤンのヒューベリオンにも届いた。
「わかった。アッテンボローの分艦隊を向かわせてくれ。それから、……星系外縁で待機しているポプラン中佐にも位置を伝えるんだ。そこにむけ、スーパースパルタニアン小隊を敵艦隊に突入させよ、と」
アッテンボローが割り込む。
「まってくださいヤン先輩! エリザを使わなくても、オレの艦隊で行けます!」
「アッテンボロー。切り札を使わなければそれに越したことはないが、おそらくこれは唯一にして最後の機会だ。絶対に逃すわけにはいかないんだ。……すまない」
「……わかりました。でも、その前に俺がこの手で片をつけますよ」
アッテンボローは突進する。ヤン艦隊の猛攻により崩壊しつつあるミュラー艦隊を蹴散らしながら、ラインハルト本隊をひたすら目指す。
彼が座乗する分艦隊旗艦トリグラフは、同盟軍の建艦ノウハウを結集した最新鋭戦艦だ。その建造と運用のコストは、財政悪化した同盟政府により同形艦の建造が中止されてしまうほど高価だが、それに見合うだけの性能は確実に持っている。強化された前面の砲門火力と機関出力、そして指揮能力をフルに活かし、両軍入り乱れた戦場を味方を引き連れて疾走する。
オレがこの手で決めてやる。エリザが撃たなくても、これで戦争を終わらせてやる!
「目標は敵総旗艦だ。他の雑魚には目をくれるな! ……いくぞ」
同盟軍最新鋭最強の戦艦トリグラフが咆哮する。