銀パイ伝 〜銀河パイロット伝説〜 作:koshikoshikoshi
ブリュンヒルトを発艦した二人乗りの小型シャトルの中、エリザベートは特別製の豪華なシートに深く座り込んでいる。膝の上で両手を固く握ったまま、うつむき、口を開かない。死にゆくヴェスターラントの人々から叩きつけられた激しい恨みの感情は、彼女の頭の中にまだ残っている。吐き気がとまらない。
それに加えて、エリザベートは自分を恥じていた。自分の力で戦いを止めさせることができるかもしれないと、ほんの少しでも思ってしまった自分自身の甘さ、幼さを自覚すると、死んでしまいたくなる。
「……結局、エリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイクという人間の価値は、皇統の血統しかないのですね」
誰に向けるでもなしに、エリザベートはぽつりとつぶやく。そして、ため息をひとつつく。
「それを価値と認めない者にとっては、私はただの小賢しい子どもでしかないのです」
誰の目からみてもションボリと落ち込んでいる彼女の前の座席、操縦席につくシュナイダー少佐。正面のモニタから目をはなさないまま、返事を返した。
「フロイライン。その年齢でそれが理解できるのなら、まだ望みはありますよ」
エリザベートは、ハッと顔をあげる。そして、シュナイダー少佐の後ろ姿をまじまじと見る。
彼女に対してこのような親しげな口をきく人間は、ほとんどいない。シュナイダー少佐は、メルカッツ提督の副官と聞いているが、遠くから顔を数回見た程度の仲のはずだ。この行程においても、ガイエスブルグ要塞を出航して以来ほとんど口をきいていない。
「失礼。高貴な方々に対する口のきき方を知らないと、上官にはよくしかられます。故に、貴族の前では口を開かないように気をつけていたのですが、あなたとは話す価値がありそうだ」
シュナイダー少佐は振り向き、エリザベートに微笑みかける。改めて少佐の顔を至近距離からみると、ドキッとするほどハンサムだ。エリザベートは、あわてて涙をふき、姿勢を正す。
「……シュナイダー少佐。あなたは、私がローエングラム公に追い返されることを、事前に予測できていたのではないですか? ガイエスブルグ要塞を出る前に止めてくれればよろしかったのに」
シュナイダーは、苦笑いを浮かべながらふたたび正面を向く。エリザベートに背を向け、シャトルの操縦桿を握ったまま答える。
「私がメルカッツ提督とアンスバッハ准将からうけた命令は、あなたの命を守る事です。あの時点でもっとも安全なのは、ローエングラム公の懐にみずから飛び込み、その身を彼にあずけることでした。戦いを止めさせるために単身敵陣に乗り込んできたお嬢さんを、彼が害するとは思えませんからね」
シュナイダーの目的は、とにかくエリザベートをガイエスブルグ要塞から、いや、ブラウンシュバイク公から引き離すことだったのだ。だが、さすがに主君の娘を力づくで誘拐するような真似はできなかった。そのような状況で、彼女自身がローエングラム公に結婚を申し込みに行くと言い出したのだ。シュナイダーにとって、これは渡りに船以外のなにものでもなかった。
「でっ、でも、結局、私は追い返されてしまいました。私のやったことは、……無駄だったのです」
「そうでもありません。正直に言いますと、あなたの求婚作戦が上手くいくとは、私も思ってはいませんでした。しかし、おかげで時間を稼ぐことができましたし、なによりローエングラム公から帰りの安全は保障すると言質をとることが出来ました」
シュナイダーは、正面のモニターを切り替える。
「ごらんなさい、ガイエスブルグ要塞から貴族連合軍が出撃してゆきます。これが最後の戦いになるでしょう」
エリザベートは立ち上がり、背伸びをしてモニタをのぞき込む。そこには、要塞から出撃する堂々たる艦隊のすがたが映っている。だがそれは、リップシュタットの盟約によって結成された当初の門閥貴族連合軍艦隊と比較して、大幅に数を減らしている。ローエングラム公の大艦隊とは比べようもない。
シュナイダーはパイロット席から立ち上がる。そして、エリザベートの正面に膝をついてひざまずき、彼女と視線の高さを合わせた。家族以外の男性と、これほど近い距離で見つめ合ったことはない。端正な顔が、正面からまっすぐに見つめている。エリザベートはおもわず目をそらす。顔が赤くなったかもしれない。シュナイダーは少女の左右の手をとり、体の前で合わせると、手のひらで優しく包み込む。大きな温かい手。エリザベートの動悸が早鐘のように高鳴る。どうしてよいかわからない。
だが、シュナイダーの口から出た言葉は、少女にとって残酷なものだった。
「お嬢様。この戦いは負けます。いかにメルカッツ提督が奮戦しようとも、全体としてはおそらく一方的な追撃戦になります。ローエングラム公や彼の部下達の目が最終的な目的であるガイエスブルグ要塞、そしてブラウンシュバイク公に引きつけられているうちならば、私たちが逃げることも可能かもしれません」
「……そっ、それでは、お父様は」
「ローエングラム公は、要塞内にいるブラウンシュバイク家の人間を絶対に逃がしはしません。さらに、敵はローエングラム公だけではありません。この状況で要塞内にいれば、敗戦のどさくさにまぎれて味方の平民達になぶり殺しにされる可能性さえあります。リッテンハイム候のようにね」
エリザベートは絶句する。シュナイダーは、彼女の家族は既に死んだも同然だと言っているのだ。そして、彼女ひとりだけ、家族を捨てて逃げろと言っているのだ。ブラウンシュバイク家の命運が既につきていることは、エリザベートにも薄々わかっていた。だが、味方の口からはっきりとそれを指摘されると、やはり平静ではいられない。
「お嬢様。あなたがブラウンシュバイク公や門閥貴族達と運命を共にしたいというのならば、ガイエスブルグ要塞までお送りします。しかし、ブラウンシュバイク家と運命を共にする決意をしているメルカッツ提督やアンスバッハ准将の、あなただけでもお救いしたいという気持ちを、どうかご理解ください」
両親とはもう会えない。エリザベートの瞳からは、ふたたび涙がこぼれおちる。いかに両親から酷い扱いをされてきたとはいえ、彼女はまだ14歳の少女なのだ。
シュナイダーは、エリザベートの手を握る力をこめる。そして、正面から顔をのぞき込む。エリザベートの中に、シュナイダーの感情が流れ込んでくる。そこには、皇帝の孫に対する妬みも、貴族に対する反感も、あるいは小生意気な少女に対する嘲りもない。恐れも、下心も、媚びへつらいもない。さらに、ほんのわずかに期待した、自分を女として意識する感情もない。軍人である彼は、エリザベートという少女を守るという任務を果たそうとしているだけなのだ。
心の中のわずかな部分で失望を感じつつも、エリザベートは、シュナイダーを信頼することが出来た。この男は、他の貴族達とは異なる。
「わっ、……わかりました。私を、安全なところまで、連れて行ってください」
エリザベートは涙をこらえる。そして、まっすぐに前をむいてこたえた。
ブリュンヒルト
門閥貴族連合軍は完全に統制を失い、崩壊しつつあった。もともと、指揮官の能力や兵士の練度は、ラインハルトの艦隊とは比較にならない。そのうえ、ヴェスターラントの虐殺により、兵士達の士気が地の底まで一気に下がったことが決定的だった。すべての戦線において、ラインハルト麾下の艦隊は門閥貴族艦隊を撃破した。辺境から帰還したキルヒアイス艦隊も加わり、いまや完全にガイエスブルグ要塞は包囲されている。
「フロイライン・マリーンドルフが言ったものだ。貴族の士官に対する平民兵士の反感が、私の勝因のひとつになるだろう、とな。みごとに的中したな」
ラインハルトが、ブリッジの中でつぶやく。
「正直なところ、今年中に終わるとは思っていませんでしたが、案外、はやく決着がついたものです」
横に控えるオーベルシュタイン参謀長がしずかに応える。そして、思い出したように告げる。
「閣下。エリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイクは、ガイエスブルグ要塞には帰還せず、逃走中です。味方の高速艇が追跡していますが、いかがいたしますか?」
ラインハルトは宙を見上げる。しばらく考えた後、こたえた。
「放っておけ。いまさら何も出来まい」
エリザベートをブリュンヒルトから追い返す際、彼女の安全は保障するとラインハルト自身が告げたのだ。
「しかし閣下。フリードリヒ4世の血を引き、門閥貴族の盟主であるブラウンシュバイク家の娘である者を生かしておいては、大きな禍根を残すことになるでしょう。しかも、彼女はヴェスターラントの虐殺を我々が見逃したことを知っております。彼女がオーディンでこの事実を喧伝すれば、リヒテンラーデ侯に利用される可能性もあります」
ヴェスターラント……。ブラウンシュバイク公による虐殺が行われることを、ラインハルトは事前に知っていた。知っていてあえて見逃したのだ。結果として、彼と参謀長の狙い通り一気に民心は門閥貴族連合から離れ、戦争集結は大幅に早まり、多くの人命が救われた。
だが、盟友キルヒアイスは、やるべきことをやらなかったラインハルトを責めた。ラインハルトの覇権は、ゴールデンバウム王朝にはない公正さによるべきであると、キルヒアイスは悲しい顔で訴えた。
ラインハルトがものごころついて以来、キルヒアイスはつねに彼と共にあった。ラインハルトにとって、姉と共にこの宇宙でもっとも重要な人間である。ラインハルトは、自ら決断したヴェスターラントの件で、自らの半身といってもよいキルヒアイスとの間に大きな溝をつくってしまった。溝はまだうまってはいない。より多くの人々の命を救うためとはいえ、キルヒアイスの信頼を裏切ってまで実行した策が、ブラウンシュバイクの娘ごときのために無駄になることなど、絶対にあってはならない。
毒を食らわば皿まで、……だ。
「わかった。ブラウンシュバイクの娘の件は、卿にまかせる」
「御意」
オーベルシュタイン参謀長が、義眼を光らせ頷いた。