銀パイ伝 〜銀河パイロット伝説〜 作:koshikoshikoshi
「いつでも撃てます。命令を」
回線越しに指示を求めるエリザの冷たい声。ブリュンヒルトの正面、巨大な主砲がブリッジに向いている。戦場の時間が止まる。
……してやられた。
静まりかえる戦場。帝国軍の直衛艦は残り少ないが、いまだ戦意は衰えていない。しかし、この状態では旗艦への誤射をおそれて撃てない。
(戦闘艇は、陽動などではなかった。むしろ、……ヤン艦隊そのものこそが、陽動だったというのか)
ラインハルトは唇を噛む。
陽動に引っかかったのは私だけではない。帝国軍全軍だ。ヤン・ウェンリーは最初からこの戦闘艇を切り札として、帝国軍総旗艦を、……このわたしだけを狙っていたのだ。
ラインハルトは虚空に視線をむける。
ヤン・ウェンリー。帝国軍艦隊を分断し、孤立した本隊に戦闘艇が単騎突入、総旗艦だけを狙う。……思えば、イゼルローン要塞を放棄したのも、同盟領すべてを本拠地としてゲリラ戦をしかけてたのも、最終的にこの状況をつくり出すのが狙いだったのだ。
彼は旗艦の装甲の向こう、さらに宇宙の真空の向こうにいるはずのヤン・ウェンリーを、睨みつける。
そこまで準備万端に待ち構える彼の誘いに乗ってノコノコと孤立してみせた自分の愚かさが腹立たしい。さらに、ミュラーとロイエンタールの二個艦隊の増援があってもなお勝ちきれないとは……。戦争の天才とは、いったい誰の事か。
『ラインハルト様。自分を卑下しすぎることは、時に相手に失礼になりますよ』
キルヒアイスがそう言ったような気がした。
ラインハルトはひとつため息をつく。すくなくとも戦場でこのようなため息をついたことなど、自分の記憶にはない。
……そうだな、キルヒアイス。ヤン・ウェンリーの凄みは、作戦そのものだけではない。それを実行できるだけの兵器を開発し、扱える兵士を養成し、戦術を全軍に浸透させた。事前に敵にそれを悟らせぬよう、あえて何度も何度も陽動を徹底させた。
なによりも、二個艦隊が来援するという困難な状況におかれてもなお練り強く対応し、最終的に作戦を成功させてしまった果敢さと判断力。まさに不敗の魔術師。なんと恐るべき男か。
「……敵パイロットとの通信回線をひらけるか?」
ラインハルトは自分を撃つ者の顔が見たかった。可能ならばヤン・ウェンリーと直接話したかったが、この状況ではそれはかなうまい。
「見事だ。名前を聞かせてもらえるか?」
スクリーンの中、小柄なパイロット。ヘルメット越しにもわかる、こちらの睨みつける瞳。おそらく女性だ。
同盟軍には女性兵士も少なくないことは、ラインハルトも知識としては知っている。だが、それを実際に目の前にすると、……自分をまさに追い詰めている兵士が女性であることに、しょうしょう戸惑う。
「……え、エリザベート・キャゼルヌ少尉です」
パイロットがヘルメットをとる。コックピットの中、さらさらとこぼれ落ちる豪華な金髪。
エリザベート?
さすがのラインハルトも、それが記憶の中の人物と結びつくまで幾ばくかの時間がかかった。
まだ少女と言ってもいい年頃に見える。整った顔立ち。上目遣いにカメラをみつめる大きな瞳。
それは、何度も何度も見たはずの少女の姿。宮廷で。社交界で。ガイエスブルク要塞で。……門閥貴族に囲まれて、決して顔をあげず、いつもうつむき加減だった少女。
まさか。……ブラウンシュバイク?
その瞬間、ブリッジにいたかつてエリザベート・フォン・ブラウンシュバイクと面識のあった者全員が衝撃を受けた。軍事的にどれほど危機的状況になっても決して顔色ひとつ変えない胆力をもった面々が、あまりにも想像を絶したできごとを前にしてあきらかに狼狽していた。あのオーベルシュタインすらも、唖然としているように見える。
「フロイライン。……なぜあなたが同盟軍にいるのかなど、いまさらきかぬ」
唯一、少なくとも表面上は冷静さを失っていないただひとりの人間、ラインハルトが静かに問う。
「だが、引き金を引く前にひとつだけきかせて欲しい。私を殺すのは、ブラウンシュバイク家を含む門閥貴族をほろぼしたうらみか? それとも、……ヴェスターラントの警告を無視したからか?」
ラインハルトの問いには続きがあった。だが、口の中だけで発せられたそれを聴いた者は居ない。
(わたしはここで、こんなかたちで罰をうけるのか。……キルヒアイスを裏切り、死なせてしまった罰を)
モニタ越しとはいえ、エリザはラインハルトと向き合っている。正面から視線を交わしている。普段あまり他人と視線をあわせることのない少女が、今だけはラインハルトから決して目をそらさない。
だから、きこえた。言葉として発せられない言葉が。そして、みえた。ラインハルトの思考までもが。
(わたしはここで、こんなかたちで罰をうけるのか。……キルヒアイスを裏切り、死なせてしまった罰を)
「ち、ちがいます。私が引き金を引くのは、復讐のためではありません。そして……」
エリザはキルヒアイスという人を詳しくは知らない。いつも金髪の元帥のそばにいた赤毛の男性。しかし、これだけはわかる。
「死者は生者への罰など、望みません」
自分に罰を与えることを望んでいるのは、このひと自身だ。
だからこそエリザは肯定しない。できない。この人がここで死ぬのは、決して死者に与えられる罰のせいではない。
「いまの私は同盟軍の……、ヤン艦隊のいちパイロットです。あなたは、罰を与えられるのではありません。ヤン提督との戦いに敗れるのです」
エリザは自分でもわからない。なぜこの人に、引き金を引く前にわざわざこんなことを告げようと思ったのか。それでも、言わずにはいられなかった。
「わ、わ、私は、戦争を終わらせるために、ここに来ました。これ以上ひとが死なずにすむよう、引き金を引きます。そして、……大切な人を、まもるんです」
なるほど。
ラインハルトが顔をあげる。その表情が劇的に変化していることに気づいたのは、エリザだけだった。
「それならば、本懐だ。……撃て」
ラインハルトは目を閉じなかった。威厳をたもったまま、その瞬間を待ち受ける。
しかし、……数秒たってもビームは発射されない。
今さら、なぜ躊躇するのだ?
状況をいぶかしむのは、ラインハルトだけではない。主君をまもろうとその身を張って立ちはだかるオーベルシュタインも同じだ。
彼は義眼を正面のモニタにむける。
冷たい視線の先、モニタの中のパイロットの少女の顔色が激変したのがわかった。
『えっ? ……も、もういちど言ってください』
少女の声が震えている。同盟軍本隊から通信があったのか? いまさら何を?
『そ、そんなバカな! ここまできて、そんな命令ありえませんっ!!』
ついさきほどまで軍人らしい顔をしていた同盟軍パイロットは、いまあきらかに困惑している。狂乱していると言ってもいい。こちらにはきこえていない同盟軍内の通信先と、激しい口調で会話している。
ブリッジのオペレータが、座席から転げ落ちる勢いで立ち上がり、オーベルシュタインに近づく。ひどく混乱した表情のまま、一枚のメモを手渡した。
メモを一読。オーベルシュタイン自身も数瞬のあいだ身体を硬直させたのち、ラインハルトに向き直る。
「閣下。……同盟軍全軍は戦闘を停止しました。彼らは停戦をもとめています」
ばかな!
帝国軍の中に動揺しない者がいたとしても、それはラインハルトではない。
ラインハルトは、とっさに戦況を映し出すモニタを見る。ヤン・ウェンリーの本隊は、ロイエンタール艦隊に包囲され猛攻をうけているものの、いまだかろうじて生き残っている。旗艦である戦艦ヒューベリオンは、まだ健在だ。
そもそも、たとえ同盟軍全軍が全滅しようとも、ヤン・ウェンリーがあの戦闘艇に戦闘停止を命じる理由がない。少女が引き金を引きさえすれば、同盟軍は実質勝利できるのだ。
「なぜだ! 彼らは勝ちつつある。すでに勝っているではないか」
主君の激情が収まるまで数分間。沈黙を守った後、オーベルシュタインは事情を説明した。
マリーンドルフ伯令嬢の助言をうけたミッターマイヤー提督が、自由惑星同盟首都を強襲したこと。そして、同盟政府をもってヤン艦隊に無条件停戦命令を発出させたこと。
「ヤン・ウェンリーは、自由惑星同盟政府の停戦命令に従ったとのことです。ロイエンタール提督も要請を請け、さきほど前進を停止しました」
「……わたしは勝利を譲られたというわけか」
自由惑星同盟政府による停戦宣言。
それを受け取った帝国軍は大いに困惑した。ロイエンタールやラインハルトも例外ではない。だが、それを帝国軍に要請したヤン艦隊も、同様に困惑していた。当然のごとく、帝国軍以上に混乱していた。
つい今しがたまで、ヤン艦隊本隊はロイエンタール艦隊に追いまくられていた。半包囲され、圧倒されていた。ヒューベリオンがこの戦場から逃げ出すことはもはや絶対に不可能だ。二度と生きて帰ることは出来ないだろうと、司令官をはじめヤン艦隊幕僚はみな覚悟していた。
それでも、時間をかせぐため。ほんのすこしでも時間をかせぐため、かれらは必死に逃げ回っていたのだ。ヒューベリオンさえ健在であるならば、ロイエンタール艦隊はブリュンヒルトの守備にまわることはない。
すべては、敵本隊に突入したスーパースパルタニアンのためだ。彼らがブリュンヒルトにとりつく時間を稼ぐためだ。
そして、まちのぞんだ瞬間。ついにエリザがラインハルトに主砲を突きつけたその瞬間。……ハイネセンからの超光速通信は、まさにその瞬間に届いたのだ。
納得してしない者の代表格は、シェーンコップ中将だ。
「司令官、おはなしがあります!」
ヒューベリオンのブリッジに怒号が響き渡る。
「君の言いたいことはわかっているつもりだ。だから何も言わないでくれ」
ヤンの口調はいつもとかわらない。表情も、すくなくとも外見上はいつもと同じに見えた。
「わかっておいでなら、今一度確認しておきます」
他の幕僚は何も言えない。二人の会話に割り込めない。
「さぁ政府の命令など無視して、戦闘継続を命令なさい! ……我々はここでこのままロイエンタール艦隊に包囲され全滅したっていい。それでも、とにかく戦闘をやめなければいいんです」
シェーンコップはスクリーンを指さす。そこには、ボロボロになりながらやっとのことで敵本隊に肉薄したアッテンボロー分艦隊の生き残りと、そしてブリュンヒルトに主砲を突きつけているスーパースパルタニアンが映っている。
「大きな大きな犠牲を払って敵をおいつめたアッテンボロー提督にさらなる前進を、そして命がけで敵艦隊に突入したエリザに引き金を引けと命令するんです。たったそれだけで、……この戦争はおわるんです」
「……うん。その策もあるね」
ヤンは静かに、ゆっくりと答えた。
「だけど、それじゃあだめなんだ」
ヤンはシェーンコップら幕僚達をみわたしながら、ひとつづつ丁寧に言葉を紡ぎ出す。自分自身に言い聞かせるように。
「たしかにエリザが撃てば目の前の戦いは終わるだろう。だけど、そんな終わり方では、……われわれが戦ってきた目的をはたせないんだ」
シェーンコップも頭の中では理解している。
ロイエンタール艦隊が来援する前ならば、そして同盟政府から停戦命令が発せられる前ならば……。
仮にヤン艦隊が停戦命令を無視、ブリュンヒルト撃沈に成功すれば、帝国艦隊は混乱のすえ帰還していくだろう。
だが、いまエリザが引き金を引けば、間違いなくヤン・ウェンリーもヤン艦隊と共にヴァルハラに召されることになる。ロイエンタール艦隊の手によって。
ヤン提督や艦隊幕僚は、民主主義が生き残れるのならば艦隊の全滅もやむなしと覚悟していた。だがそれは、ハイネセンの同盟政府が機能しているのが前提だ。ヤン艦隊が命がけで稼いだ時間を使って、帝国が混乱している間に政府と軍を再建することを期待してのことだ。
しかし、首都から停戦命令が発せられたということは、ハイネセン政府は帝国軍部隊に屈したのだろう。この状態で帝国軍全軍が同盟をほっぽり出して帰還していったとしたら……。大混乱したまま既に民主政府の体をなしていない同盟政府だけが残されたとしたら……。
さらに最悪なのは、首都に侵攻した帝国艦隊が、停戦命令を無視したヤンによって彼らの主君を殺された報復の矢を、同盟市民に対して向ける可能性を否定できないことだ。それが起こる可能性は決して低くない。そして、それを止められる者は、同盟にも帝国にもいない。
シェーンコップは改めてモニタをみる。いままさに敵総旗艦ブリュンヒルトに主砲を突きつけているスーパースパルタニアンが映っている。
まぁ、大人の理屈はいろいろとあるものの……。
ひとつため息。そして声に出さずにつぶやく。
(もしエリザが引き金を引いてしまえば、……彼女が帰るところが永遠になくなってしまう)
彼女の家であるヤンファミリーは壊滅。一度帝国軍に屈した自由惑星同盟に、停戦命令を無視したエリザの居所があるはずもない。そして、ローエングラム公の部下達は、一度は停戦を請うた上であえて撃ったエリザの行方を追うだろう。銀河系のどこに逃げようと、どこまでも。どれだけ時間がかかろうとも、永遠に、だ。
もっとも避けるべきなのは、その点だろうな。
……シェーンコップはそう思う。そして、それはおそらく彼だけではなくヤン提督も同様だろう、と。彼が敬愛する司令官が、人倫にもとる命令とともに死地へ送り出した未成年の部下を、そんな形で見捨てるはずがない。
そう思い至ることで、シェーンコップは自らを納得させることができたのだ。
「グリーンヒル中佐、全艦に戦闘停止を伝えてくれ。アッテンボローとスーパースパルタニアン小隊にもね」
ヤンの語り口は、まるで小春日和の陽光のように、暖かなものだった。
「そしてロイエンタール提督に戦闘停止を要請するんだ。……たとえ彼が応じなくても、我々は停戦する」
ロイエンタール艦隊。旗艦トリスタン。
ロイエンタール提督は、目の前で不様に逃げ回る宿敵ヤン・ウェンリーからうけとった停戦の申し入れの電文を眺めている。
やってくれたな、ミッターマイヤー。
脳裏に浮かぶのは親友の顔。有能で善人で心の底から信頼できる、彼にとって唯一無二の親友。
奴がやることは常に正しい。絶対に間違いが無い。この停戦も、あの恐るべきヤン・ウェンリーの魔術からローエングラム公を救い、そのうえで帝国軍が勝利するための、おそらく唯一の正しい方策だ。
……もし俺がここで戦闘をやめなかったら、どうなるのだろうな?
宇宙を見上げながら、しばし考える。
我が艦隊は宿敵ヤン・ウェンリーを見事に討ち取ることができる。めでたく帝国軍の敵はいなくなる。そして、俺はちんけな自尊心を満たすことができる。自分はあの金髪の坊やよりも優れていると証明できるというわけだ。
一方で、銀河帝国軍総旗艦は沈む。俺が停戦を拒否したせいでヤン・ウェンリーが敗死したとなれば、敵戦闘艇パイロットも引き金を引くことを躊躇しないだろう。
司令官を失った帝国艦隊は本国に帰還せざるを得なくなり、跡継ぎがいないまま独裁者を失った銀河帝国は大混乱に陥る。ふたたび乱世がかえってくるというなら、俺としては望むところではあるが……。
ロイエンタールは視線を水平にもどす。幕僚達を見渡す。またしても思い詰めた顔の参謀長ベルゲングリューンが、いまにも掴み掛かろうという姿勢で構えている。
ひとつため息。
とはいえ、……ミッターマイヤーの労に報いぬわけにもいくまい。
俺が停戦を拒否したせいでローエングラム公が死んだと知れば、今度こそ親友との仲は決定的に決裂してしまうだろう。今のロイエンタールにとって、それがもっとも避けるべき重要な事に思えた。
「……ヤン・ウェンリーに返信してくれ。停戦をうけいれるとな。全艦に戦闘停止を命じるのだ」
ほっとした顔の参謀長。それを眺めながら、ロイエンタールは独りごちる。
だがな、ミッターマイヤー。おまえの思惑通りヤン・ウェンリーは同盟政府の停戦命令に従った。しかし、この状況であのブラウンシュバイクの娘がどうするかまでは、俺は責任とれないぞ。
ロイエンタールの予感はただしかった。だれもが停戦が成立すると思ったその時、ヤン艦隊の通信回線に声が響いたのだ。
「い、いやです! わたしはやめません! 撃ちます!」
それは、少女の絶叫だった。
「撃たせてください! なんのためにいままで戦ってきたんですか。私が撃てば戦争はおわります! これ以上、人が死ななくて済むんです!」