珱嗄さんにはしばらく休んでて貰いましょう。代わりに今まで働かないでダラダラゲーム作ってた覚醒空太君、頑張って!
雨の降った七夕の翌日のこと。椎名ましろは部屋に籠ったきり出て来ず、また空太もゲーム作りを続けますと言ったきり姿を見せなかった。
仁達が考える限り、二人の行動は取り敢えず人の心理状況からして理に適っていた。真剣に打ち込んで挑戦した新人賞に、落ちた―――真剣に打ち込んだからこそ、その衝撃はあまりに重い。一人になって心の整理を付ける時間を欲する心境は、真剣に何かに打ち込んだことのある仁達夢追い人からすれば、重々理解出来るものだった。
神田空太はあの時言った。
―――椎名ましろは……この程度で諦めるほど普通な奴じゃない
それは今までずっと夢から、才能から、成功から、失敗から、敗北から逃げて来た空太の言う言葉だからこそ、何の信憑性も無い軽はずみな発言だと思った。だがしかし、その言葉には何故か……嘘だとは思えない確信的な何かがあった。
「空太の奴、出てこないな……」
「ましろんもだよ……大丈夫かなぁ、二人とも」
問題児ばかり、でも才能の塊が集まったさくら荘。そのリビングのテーブルを挟んで座っているのは、三鷹仁と上井草美咲の二人。お互い、頑張っている後輩達が沈んでいることを心配し、表情は何処か暗い。自分達のことでもいっぱいいっぱいな仁や、こういった事態には滅法弱い美咲は他人の心配などしている場合ではないというのに、こうして思い悩んでいる所を見れば、その人柄の良さが窺えるだろう。
「おはようございます」
「! 空太、大丈夫なのか?」
「何がですか?」
そこへ起きて来たのは、話の中心である神田空太である。仁は心配そうにそう言うが、空太は何を言っているのか分からないという顔を浮かべて聞き返す。その様子を見て、仁は空太は大丈夫かと判断した。
だが、まだましろのことが気がかりだった。
「取り敢えず、作業をしてたから日課をこなす時間も無いし………ましろを起こして来ます」
「あ、ああ……」
空太はそう言って、リビングを去りながら二階へと階段を上がって行った。
◇
「ましろー、起きろー」
二階に上がった空太はましろの部屋の扉を叩きながら呼び掛ける。だが、返答はない。恐らくは寝ているのだろうが、このままではマジな意味で遅刻してしまう。空太は頭を掻きながら溜め息を吐き、一つ決めた様な表情を浮かべる。そして、一つ手を合わせてから扉を開けた。椎名ましろに、鍵を掛けるなんて高尚なことは出来ないので、普段この扉は常時オープン状態なのだ。
「あーあー……こりゃまた散らかってんなぁ」
踏み場もないほどの散らかり様、バツ印が大きく漫画の上から描かれた原稿用紙が所狭しと散らばっており、その中で普段同様大量の服や下着、小物類が床を埋め尽くしていた。
空太はそんな部屋の中で、珍しく机に突っ伏した形で寝ているましろに近づく。机の上には、描きかけの漫画原稿が数枚ある。
「へぇ、やっぱり凄い奴だなましろは……それでこそましろだ」
それを見れば、直ぐに分かった。
やはり、椎名ましろは諦めていなかった。落選したことでショックは受けた、だが次が無いわけではない。何度でも挑戦出来る。描けなくなったわけではない、何せまだ絵を描く為の二本の腕があるのだから。元々、椎名ましろの選んだ道というのはそういう道だ。必ず成功を約束された絵画の世界から抜け出して、漫画家への道を進む決意をした時から失敗は覚悟しているのだ。
たった一度、失敗した程度で諦めるほど椎名ましろは弱くない。
「……ん……空太?」
「おはよう、ましろ。良い夢見たか?」
「……眠いわ」
「遅くまで描いてりゃ眠くもなるだろ」
「……落ちたから、描くの」
「そうか」
「空太……」
「なんだ?」
「次は……通るわ」
「そりゃ楽しみだ、通ったら何でも一個言うこと聞いてやるよ」
空太がそう言うと、ましろはキリッとした表情になった。
「絶対取るわ」
「お前俺に何させるつもりだ……ったく、ほら準備して学校行くぞ」
「眠いわ」
「お互いにな」
「空太……隈が出来てる」
「俺も徹夜だよ。ゲーム作りに熱中し過ぎた……正直眠い」
空太が欠伸を漏らして苦笑すると、ましろはふっと小さく笑みを浮かべた。かなり感情の起伏が薄い彼女だが、その時ばかりは空太もましろも、疲れて動きたくも無い状態なのに反して……
―――気分は良かった。
「じゃあ寝るわ」
「サボりか?」
「空太も」
「あー……そうだな、俺も正直眠い。学校サボるか、一緒に」
「………良いの?」
「なんだその信じられない、みたいな顔は」
空太はそう言いながら苦笑する。今までの日常の中で、空太はましろに結構厳しかった。朝は遅刻を許さず、着替えはパンツ位なら穿けるようにさせ、ご飯は好き嫌いを許さない。故に、学校をサボることを空太が承諾したことが予想外だったのだろう。
「ま、こんな日があっても良いだろ」
「………そう」
ましろは小さく返すと、ふらふらと頭を揺らして空太の方へと倒れた。空太はそれを片手で受け止める。
見れば、ましろはすやすやと寝ていた。そしてその手は空太の服をしっかりとつかんでいる。
「全く……ここまで逃げ道を封じられるなんて、困ったもんだ」
諦めたように笑う空太。
ここでましろが当選していたのなら、空太はまだ言い訳が出来ただろう。椎名ましろが前を向かせた神田空太、取り敢えず本気は出そうと約束した。だが、まだ逃げ道を諦めていなかったかと言われれば否だ。
空太は、本気でましろの当選を願っていた。そうなれば、空太は一つの逃げ道を作れたから。
ましろはこれまでの人生で、つまり絵画の世界での人生で、失敗を味わった事などない。周囲から多大な期待を寄せられ、それに幾度となく応えて来た。だから、漫画の世界に入って成功したのなら……空太はこう言っただろう。格好悪く、悪足掻きで、負け犬みたいに、
『お前みたいに誰も彼もが成功する訳じゃない、他人に自分の意思を押し付けんな』
逃げる為に、そう言っただろう。負け犬上等、逃げるが勝ち、楽して生きるならば、幾らでも地面に這い蹲って格好悪く言い訳してやる。開き直ってヘラヘラ笑って、努力している奴を嘲笑おう。
だというのに、椎名ましろは悉く逃げ道を封じてくる。成功して欲しいと思っていたのに、失敗してくる。空太の逃げ道の可能性を、全て潰してくる。惚れた弱みもあるのだろうが、椎名ましろは本当に……神田空太の天敵だった。相性が良いというか、悪いというか、空太からしても良く分からない。
「……っと……?」
空太はましろを抱き上げ、ベッドに下ろす。そしてそのまま自分の部屋へ戻ろうとして、止められた。ましろが空太の服を掴んで放さなかったのだ。
「………はぁ……面倒臭い奴」
空太はそう言いながら、ましろのベッドに座る。そして、ましろの頬を人差し指を突っつきながら苦笑した。
「お前には一生敵わないかもな……こんにゃろう」
空太の指の攻撃に、そう言われたましろはくすぐったそうに身じろぎした。
ましろと空太の関係
空太=主人、ましろ=ペットなのに、空太<ましろ