青山の部屋から出て、二階の階段を降りる空太が見たのは、玄関で靴を脱いでいる千石千尋だった。空太は彼女にとりあえずおかえりなさいと会釈して、赤坂からの返信があるかどうか確認する為に部屋へ戻ろうとする。
だが、そんな空太の背後から千石千尋は話しかけた。
「待ちなさい神田」
「…………なんですか?」
「うん……心底面倒臭そうな顔しないでくれる?」
引き攣った表情を浮かべながら、彼女は空太に一枚の手紙を差し出した。外国からの手紙特有の便箋、エアメールという奴である。空太はそれを受け取って、すぐにましろ宛てだと理解した。このさくら荘で外国に手紙をやりとりする相手がいるのはましろ位だからだ。
そして、差出人の名前を見る。そこには、アデル・エインズワースと書かれていた。外国の名前で、『男性』に付ける名前。空太は若干眉を潜める。
「神田、それましろに渡しておいてね」
「………了解」
「ふふふ、神田……アンタも高校生らしいトコあるじゃない、頑張んなさいよー」
千尋はそう言って、悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべながらリビングへ姿を消して行った。空太は手紙を眺めながら様々な思考を働かせる。面倒、考えなければいいと思いながら、どうしても思考してしまう。
アデル・エインズワース
まず真っ先に考え付くとすれば、親族か外国の友人。年齢は分からないが、男性であるなら空太的にはあまりよろしくない手紙だ。内容は大体予想がつく、ましろの体調や近況を気にかけた手紙、もしくは彼女の絵の才能をまだ諦めていない手紙、あとは……恋文。
ましろの過去は空太もまだあまり多くは知らない。外国に恋人がいた、好きな人がいた、告白してきた男がいた、という話は聞いたことはない、ないが、あり得ない話ではない。
ましろが空太達にあまり恋愛的興味を持たないのは、恋愛感情が希薄なのではなく、他に好きな相手がいたからかもしれない。そう考えてしまうのは、やはり空太も男子高校生で子供だからだ。
「……ましろに聞けば、分かるか」
聞いて、もしもそうだったらどうするのか。空太にはまだ判断がつかない。もう一度階段を上がって、ましろの部屋の扉の前に立つ。少しためらいながらもノックをした。
「入るぞ」
空太はノックをしても返答が無いことは分かっているので、そのまま部屋に入った。するとそこにはスケッチブックに何かを書きこんでいるましろの姿があった。
ましろは空太の方を向くと、スケッチブックを一旦置いて立ち上がる。
「七海は?」
「ああ、取り敢えず寝かせてきた」
「そう……」
「はいこれ、お前宛てに手紙だ」
「……うん」
「……誰なんだ、その人?」
「特別な人」
「………どういう意味だ?」
空太の問いに、ましろはびっくりした様な表情を浮かべた。
何故なら、空太が自分の発言に対して意味を問うてきたのは初めてのことだったからだ。今まで、自分の言葉を聞いて、勘違いせずにちゃんと理解してきた空太が、初めて自分の言葉の意味を汲み取れなかったのが驚きだったのだ。
「……好きな人」
「……そう、か」
空太は数秒眼を閉じて、諦めた様な表情を浮かべたあと部屋を出ていく。後ろ手で扉を閉め、そのまま茫然としながら自分の部屋に戻ってきた。パソコンを立ち上げると、赤坂からメールが届いている。
空太は無感情に、でも確認はしなければならないと思いながらメールのアイコンをクリックする。
『読了した。僕の貸し与えた本を良く読んでいるみたいだな。絵は勿論だが、内容としては悪くない、今言えるのは、相当の事が無ければ一次審査程度なら通過することは難しくない出来だということだな。コンセプトやターゲットをしっかり捉えているし、僕としても中々興味深い内容だった。
ただ、神田の考えるゲーム内容ではコストや考えられる人材費の面で、新人の考えるゲームに投資するものとして中々難儀しそうな部分も見られる。二次審査のプレゼンの結果次第だが、もし仮に二次審査も通過出来たとすれば、その点はスポンサーやプロと話し合うことになるだろう。その際は、僕も多少は助力しよう。』
評価は上々、一次審査は突破出来る可能性のある作品だと認められた。それも、プログラマーとして天才的な才能を持つ赤坂龍之介に。今の空太であればそれなりに嬉しい事実である筈なのに、何故か今は何も感じない。ああ、そうかと思う位だった。
頭の中が真っ白だった。取り敢えず今は何も考えたくはなかった。
ゲームのデータを纏めて、天才のお墨付きをもらった内容で『ゲーム作ろうぜ!』の参加エントリーをクリック。これで、後は一次審査の結果が届くのを待つのみだ。
空太は椅子から立ち上がり、ベッドにその身を埋めた。
『好きな人』
ましろの言葉が頭の中でぼんやりと浮いては消えていく。
「あーあ、面倒臭い……やめた」
空太は枕に顔を埋めて、そう呟いた。
空太に9999のダメージ! 神田空太は思考を放棄した。