さくら荘の空太君が開き直った様です。《完結》   作:こいし

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空太君が更に擦れ違います。


神田空太の失敗

 暗い部屋の中で、空太は目を覚ました。電気は付いておらず、早朝の薄暗いぼんやりとした光がカーテンで遮られた窓から、微かに差しこんでいる。空太の朝は早い、日課故か頭は不思議なほど鮮明に回り、直ぐに朝だと理解出来た。

 ベッドの温もりから身体を離し、ふらふらと立ちあがる。そしてカーテンを開け、窓を開き、朝のひんやりとした心地良い空気を全身に受けて、思い出す。

 

「……好きな、人」

 

 椎名ましろに届いた、椎名ましろが好きな人からの手紙。空太の恋心には、一筋の罅が入りこんでいた。少し前まではこの胸を締め付ける様な感触が心地良かった、椎名ましろとの会話もやりとりも、何もかもが密かに楽しかった。

 

 なのに、

 

 今は全く無感動だ。胸をギリギリと締めあげる様な苦しさと、椎名ましろを好きだという気持ちが無価値であったことの衝撃が、空太を精神的に追い詰めていた。

 喉が渇く、目の前の光景が酷く色褪せて見える。空太は思った、

 

 

 ―――ああ、これは見たことがある景色だ

 

 

 と。全てを諦めて、投げ出して、開き直った自分が今まで見ていた景色だ。無感動で無意味な世界と自分。気が付けば椎名ましろのせいで色が付いていたらしい。彼女に会った瞬間、彼女自身が灰色の世界に鮮やかな色を塗ったのだ。

 だが、それはもう色褪せて灰色になった。元に戻った。色を付けられた空太の恋心に罅が入り、そこから全部の色が抜け落ちてしまったから。

 

「……なるほど、失恋……恋を、失うと書いて、失恋……言い得て妙だな」

 

 確かに、今までの何もかもを失った気分だった。ゲーム作りも、全力を出すという約束も、どうでもいいと思えるほど、気持ちが重く、久しぶりの感覚。

 

 

 ―――何かを諦める感覚

 

 

 諦める、なんていつ以来だろうか。小学生のころ以来だろうか。それくらいから、空太は諦められる場所に立とうとしなくなった。

 改めて、椎名ましろは凄い奴だと理解する。気が付かない内に世界に色を付けられ、気が付かない内に挑戦者の立場に追いやられていたらしい。なんて奴だ、凄すぎて嫉妬すら湧かない。

 

 

「……日課、やるか」

 

 空太は時計を見る。時刻は午前4時30分ちょい、いつもよりも早いが空太にとってはそれがありがたかった。今はとにかく、少しでも長く自分だけの世界に没頭していたかった。

 部屋を出て、手際良く準備を済ませると……空太はベランダで身体を動かし始めた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ―――どれくらい経っただろうか?

 

 

 止まらない。作りあげた拳も、限界まで伸ばした蹴りも、空気を切って動く。汗が全身を濡らして、服が汗を吸いこんで重い。心臓が破裂しそうなほどポンプして、体力なんてもう限界を超えている。でも、身体は止まらない。

 俺自身がそう思ってるのか、それとももう意識なんて遠くへぶっ飛んじまってるのかもしれない。それでも、空気を身体が切る度に感覚が研ぎ澄まされていく。自分だけの世界が広がっていく、此処は俺の、俺だけの、俺一人だけの世界だ。ここには夢も、才能も、誰もいらない、俺が自由でいられる最高の世界だ。

 

 ずっとこの世界にいたい。いつだったか、この世界を見つけた時に心からそう思った。色の無い世界が常な俺の、もう一つの世界。俺だけが存在する色も才能も人も関係無い世界。ここなら誰も俺を傷付けない、俺が誰かに嫉妬して諦める事も無い、最高じゃないか。

 

 

「―――……っはぁ……!」

 

 

 汗が伝い落ちる、血液が血管を凄い勢いで通って行くのが分かる。心臓の鼓動の音が大きく響いて、筋肉が軋む音が時折体内から聞こえた。限界を超えている、だが止まりたくなかった。

 しかし、身体はどんどん動きを止めていく。足が止まり、拳が思った場所へ届かず空振る。そしてそのまま体勢が崩れて倒れる。咄嗟に足を出して持ちなおそうとした、だが足が前に出ない。酸素が足りていないのか、視界が真っ白だ。

 

 真っ白で、まっしろで………ましろを思い出す

 

「く……っそ………!!」

 

 歯噛みする。なんで俺じゃない、俺ではだめなのか、何が不足なのか、どうすればよかったのか、こんな思いをするのならば……ましろになんて……!

 

「ましろになんて………会いたく……なかった……!」

 

 倒れる身体を、何かが支えた。その瞬間、自分の世界が崩壊し、灰色の世界が戻ってきた。

 

「……空太……」

 

 最悪の声が、頭上から聞こえた。動かない筈だったのに、無意識なのか顔が上を見た。

 

 そして、そこには俺を支える人がいた。白く細い身体で、俺の力の入らない身体を支える奴がいた。

 

 

「ましろ………!?」

 

 

 俺が今、一番会いたくない奴が、そこにいた。そして、ましろに聞かれた。

 

「空太……今、なんて……」

「あ……ぁ……ま、しろ……!?」

 

 ましろが今まで見せた事のない表情を浮かべていた。感情の起伏が少ないましろ、なのに何だその顔は、

 

 

 ―――なんでそんな、泣きそうな顔をしてるんだ……?

 

 

 ましろは俯き、俺を縁側に座らせると用意しておいた水筒を俺の手に持たせて、去って行った。手を伸ばそうにも、力が入らない。ましろの背中がリビングから消えて、階段を上る音が静かに聞こえた。

 

 思ってもいないことを口走って、一番聞かれたくない人に言ってしまった。

 

「ああ………これは、どうしたものかな……」

 

 俺は灰色の世界を見つめながら、そう呟いた。身体が動くようになったのは、それから一時間後くらい……時計が8時を回った頃だった。

 

 




空太とましろの関係に罅が入った。

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