無事に椎名ましろをさくら荘に連れ帰って来た空太は、椎名ましろがさくら荘に馴染めるかどうかの心配を全くしていなかった。何故なら、あの千石千尋の親族であるからだ。
空太としても、親族だからというだけでそんな偏見を持つつもりはないが、この少女はこの道中だけでその特性を垣間見せていたのだ。それは、こちら側の干渉に全くと言って良い程感情表現が薄い事。つまりは無表情で無感情な返答しかしてこないのだ。
この分ならば、さくら荘の面々が干渉して来てもペースに巻き込む事はあるだろうが巻き込まれる事は無いだろう。寧ろ流されるままに動きそうだ。
また、空太の経験則から、才能人と才能人は同種の才能でない限り高確率で上手くやっていけるのだ。
「椎名、とりあえず入ってくれ」
「分かったわ」
空太はそう言って椎名ましろをさくら荘へと引き入れた。当然、彼女が此処に入ってくる事は千石千尋からさくら荘全体に言われているだろうから、空太は上井草美咲が何もしないわけがないと予想していたので、玄関に入って急に鳴らされたクラッカーの音には対して反応しなかった。
「美咲先輩。クラッカーを鳴らすなら不意打ちは止めてください」
「こーはい君はいつもいつも反応が薄いなぁ! そんなんじゃ厳しい社会は生き抜いていけないぞ!」
「ははは、そんな社会を生き抜いていくには俺には才能やら気力やらが足りていないので心配せずとも大丈夫ですよ」
「さくら荘一の才能人が何を言ってるのかね! 気力に関しては私がこーはい君に分けてあげよう! 受け取るが良い~!」
びびび~、と言いながら空太に両手を向けて気力を送ってくる美咲。それに対して空太は少しだけ呻き声を上げて、若さを吸い取られていく~……と斜め上の反応を返して美咲を困らせたのだった。
「ま、とりあえず少しは気力が出ましたよ。っと椎名、女子の部屋は2階だから美咲先輩に案内してもらうと良いよ」
「そうするわ」
「じゃ美咲先輩。椎名の事頼みましたよ」
「任せたまえこーはい君! ささっ、ましろんこっちだよ~!」
美咲はそう言って二階にとてててて~っと登って行き、椎名ましろはその美咲に付いていく様にゆっくりと階段をトテトテ登って行った。空太はその様子を苦笑しつつ見送り、自分も靴を脱いで部屋へ戻ろうとした。
すると、背後の扉が開く音がしたので、振り返る。そこには駅で何時の間にかどこかへ消えていた三鷹仁と椎名ましろの事を空太に任せた千石千尋が死人の様な顔色で立っていた。その手にはイベントでもするのかと思わせる鍋の材料やお菓子などが詰まったビニール袋がぶら下がっていた。
「先生、仁さん。お帰りなさい。その様子だと合コンは失敗したみたいですね」
「うっ……神田に言われて化粧もやり直して言ったんだけどねぇ……」
「その結果がそれですか……ご愁傷様です」
「くっそ~……今度は絶対素敵な彼氏をゲットしてやる……」
ぶつぶつと呟く千尋を放って、仁は靴を脱いで玄関に上がった。空太は三鷹仁の持つビニール袋に眼を向けて、話し掛けた。
「仁さん。それは?」
「ああ、椎名ましろの歓迎パーティの材料だよ。必要だろ?」
「あぁ……いい考えですね。面白いですよ、ソレ」
空太はそう言って、仁の両手にぶら下がるビニール袋を一つ持った。
「一つ、もちますよ」
「おう、健気な後輩を持ったもんだ」
「そう思うならその後輩を労わってください」
「気が向いたらな」
そう言いつつ、笑う空太と仁。その光景を見た千石千尋は、だるそうな表情を浮かべて靴を脱いだ。玄関に上がって空太達に近づいて言う。
「アンタらも程々に仲良いわねぇ」
「まぁ、仁さんにはお世話になってますし」
「空太には随分と助けられてるからね」
「げぇ~、男同士の友情って奴? アタシには分かんないわ」
千尋はそう言って、リビングへふらふらと歩いていく。空太はその千尋を見て仁と苦笑した。そして千尋の後を付いていく様にリビングへ向かう。その途中で、階段上の2階をちらりと見た。
「椎名ましろ……ね。真っ白なましろ、なんちゃって」
「面白くないな、それ」
「俺もそう思います」
◇ ◇ ◇
翌日、神田空太はいつも通りに眼を覚まして最低限身支度を終えて部屋を出る。すると、昨日の夜椎名ましろ歓迎パーティをしていた一人である上井草美咲が元気に玄関を飛び出ていくのが見えた。その勢いにひらりとスカートが揺れたが、空太は別段美咲に性的な眼を向けている訳ではないのですぐに視線を切って欠伸を漏らした。
「よっ、空太。随分と眠そうだな」
「ええ……あ、昨日は美咲先輩が寝かせてくれなかったので」
「ゲームの話だよな?」
「そうだったら苦労しません」
「え? まじで? マジの話なのか? やったのか、ヤッたのか!?」
空太はそんな仁の慌て様にくすりと笑って嘘を証明した。それを見た仁はほっと肩を落として空太に恨みの籠った視線を向ける。空太はその視線を物ともせずに笑った。
「はぁ、全く……朝から変な冗談止めてくれよ」
仁は空太の笑顔に毒を抜かれた様にため息を履いてダイニングへと入って行った。
入れ替わりの様に千尋が出て来て、玄関へ向かう。空太はそんな千尋に話し掛けた。
「今日は早いですね。先生」
「まぁね……ああ、神田。ましろの事頼んでいい? 職員室まで連れて来て頂戴」
「まぁ、昨日の今日だし良いですよ」
「頼んだわね」
そう言って、千石千尋は玄関を出て行った。
「さて、それじゃあ椎名を起こすとしよう。あの天然の事だ、退屈しないだろうな」
空太はそう呟いて二階へ上がる。椎名ましろの部屋の扉には、上井草美咲が作ったであろうネームプレートが掛かっていた。
「……そういえば女子の部屋に入るのは初めてだったっけ? 結構緊張するもんだなぁ」
そんな事を言いつつ、躊躇なく空太は部屋に踏み行った。中に入ると、そこには大嵐でも遭ったかのような惨状になっている椎名ましろの部屋。服はばら撒かれ、部屋に有った小物やシーツなんかもそこらじゅうに散らかっていた。
そして、ベッドに椎名ましろの姿は無かった。
「……退屈しないとは言った物の……こんなのは想定外だぜ」
とりあえず中に入って椎名ましろの姿を探すと、その姿は案外簡単に見つかった。椎名ましろの机の下、パソコンが置かれた机と少し離れた位置にある椅子の間に詰め込まれたシーツやタオルの山の中に、椎名ましろは寝息を立てていた。
「やっぱり、この子もさくら荘に入っただけあるな。ほら、椎名起きろ」
「むぅ……」
「朝だ、起きろ」
「……朝はもう来ないわ」
「人が朝と認識したらソレはもう朝だ。夜だろうと朝だ。朝は眼を覚まして一日を始める時間だ。だから起きろ」
「………おはよう、空太」
空太の言葉に、椎名ましろは眼を擦りつつ起き上がった。のそのそと机の下から出て来て立ち上がる。それに準じて椎名ましろに纏わり付いていたシーツがはらはらと地面に落ちて行った。
その下から出て来たのは、椎名ましろの白く柔らかい肌。下着なんか一切身に着けておらず、全くの裸。その透き通るような肌が、空太の眼に入り、日差しが更にその肌を白く見せた。
「……何故裸何ですかね、椎名さん」
「……どうしてかしら」
「俺が知る訳が無い」
空太の言葉に、少し視線を上に向けて何かを考えた後、椎名ましろは昨日の行動を順に答え始めた。
「昨日お風呂で」
「うん」
「服を出して」
「コレ全部?」
「そうよ」
「お前白くなりたいとか言ってたけど、もうなってるよ。頭ん中真っ白だ」
空太はそう言って、頭を抱えた。第一印象で白い子だなぁとは思ったけれど、ここまで真っ白だとは思ってなかったからだ。
「失礼ね」
「そう思えるのなら、まずは服を着てくれよ。ほら、制服」
「分かったわ」
「うん、待て。順を追って服を着ようか。いきなりブレザーを着るな」
「?」
空太はまた頭を抱えた。仁や美咲、千尋といった面々に口八丁で上回る空太だが、こんなのは初めてだった。言葉自体が通用しない、そんな相手。
空太にとっては、まさしく天敵と言って良い程に常識知らずな女の子であった。
「はぁ……ほら、とりあえずこのパンツ履いて」
「履いたわ」
「じゃあ次はブラ着けて」
「……どうやってつけるの?」
「……マジかよ」
パンツ自体は履かせた者の、椎名ましろはブラジャーの着け方を知らなかった。空太はいままでどうしていたのか、昨日まで着けていたであろうブラジャーはどうやってつけたのか、疑問に思った。
だが、遅刻するのは避けたいし、ずっと彼女の裸を見ているのも目の毒だし恥ずかしくなってきたので四苦八苦しながら彼女にブラジャーを着けてやった。
「(女の子にブラジャーを着けさせる、なんて経験したことある奴いるのか……男の中で)」
空太はそんな事を思いながら、若干泣けてきたので早々に着替えさせることにした。
「ほら、次はブラウス着てくれ」
「うん」
椎名は手渡されたブラウスに手を通し、そのまま動かなくなった。
「……いやボタン留めなさいよ!」
空太はそう言って、椎名のボタンを全部上から留めてやる。着るという行為に此処までシビアな感情を持ったのは初めてだった。
「ほら、次はスカートだ」
「うん」
椎名はパンツやスカートといったただ履くだけの簡単な物は着る事が出来た。まぁ、それが着れない様なら空太は既に匙を放り投げている。
「とりあえずそのまま顔を洗うぞ、こっち来い」
「空太」
「なんだ」
「遅刻するわ」
「そうなったら間違い無くお前のせいだよね」
空太はそう言って、やってきた洗面台に水を流して椎名ましろの顔を濡らしたタオルで拭いてやる。此処までのやり取りから、椎名ましろに顔を洗うなんていう高度な行為が出来るとは思えなかったからだ。
「よし、はいブレザー」
「着れたわ」
「はいじゃあ顔を上に上げてくれ」
「分かったわ」
顔を上に向けた椎名ましろの首に、ネクタイを巻いてやり、そのまま洗面台に有ったブラシで寝癖を直してやった。
「……最後に、ほら靴下」
「空太が履かせて」
「……右足、上げろ」
空太はそう言って靴下を履かせる。自分で履かせようとすれば時間がかかるだろうと瞬時に判断したからだ。足を上げてバランスを取る為に空太の頭に手を乗せる椎名だが、空太はそんなの気にしている暇は無かった
「はぁ……ほら、行くぞ」
「どこに?」
「学校だよ!」
空太は思った。千石千尋に任せられた椎名ましろを学校に連れていくという仕事。そんなの簡単に受けなければ良かったと。
だが、その反面。こうも思っていた。
―――また面白くなってきた、と。