さくら荘の空太君が開き直った様です。《完結》   作:こいし

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別名、椎名ましろの言葉


神田空太の才能

 神田空太は改めて椎名ましろという存在の非常識さに頭を抱えつつ、内心で歓喜していた。

 それと言うのも、無事に身支度を整えてさくら荘を出た後の事だ。思ったより時間を喰ってしまった事から、用意できなかった昼食を買う為にコンビニに寄ったのだが、椎名ましろは空太が目を話したほんの一瞬に置いてあった売り物のバームクーヘンを開封してもそもそと食べ始めたのだ。

 空太がそれに関して言及すれば、好きだから、という答えが返ってきた。

 

 まぁ、コンビニの件はなんとかお金を払う事で店長に許して貰い、昼食も一緒に買ってようやく登校することが出来た。

 

 だが、空太は後悔後に立たず、また過去の後悔後を濁さずという自前の心構えを持っているので、過ぎた事は気にしていなかった。

 そして、そんな事よりも気になっていた事があった。コンビニでなんとなく聞いてしまった質問。お前は今まで何をして来たんだ、という質問に椎名ましろはシンプルに答えた。

 

『絵を描いてきたの』

 

 椎名ましろはただ、そう答えた。簡単に、単純に、安直に、平凡に、愚直に、当然の様に答えて見せた。そして、その言葉はぐさりと空太の心を揺らした。

 何故なら、一番の才能人であると思っていた少女の生涯は絵を描く事全てに費やされてきたと知ったからだ。最高の才能は、最大の経験と努力によって生まれた物だった。

 

 無論、空太だって才能だけで椎名ましろの様な功績が得られるとは思っていない。それ相応の努力が必要と言う事は百も承知だ。

 だが、それでも椎名ましろの努力は規格外だった。才能人になるには、ここまでの努力が必要なのかと空太に衝撃を与えた。

 また、その努力を日常と思って過ごしてきた椎名ましろは神田空太にとってとてつもなく眩しく、とてつもなく遠い存在に見えた。何故なら空太と真反対に位置した存在だったからだ、

 

 特筆した才能を持たず、努力を諦め開き直った臆病者と卓越した才能を持ち、呼吸する様に努力してきた天才。

 

 反対にも程がある。だが、それでも二人は出会ってしまった。この出会いはやり直せない。この関係は消すことが出来ない。

 

 

 だが

 

 

 今の神田空太にそんな事は関係無かった。開き直った神田空太に椎名ましろは衝撃を与えた、が……それだけだ。

 神田空太は衝撃を受けただけでなんら変わりは無かった。何時もの通り、心の中で笑って言葉に出すのだ。

 

 

「面倒臭い。やーめた」

 

 

 その言葉と同時、神田空太は考える事を止めた。

 

 

 

 そんな椎名ましろの状況をさくら荘会議で一応報告した神田空太。そこには千石千尋を初め、三鷹仁、上井草美咲、椎名ましろが在席していた。

 だが、結局皆がその報告を聞き流して椎名ましろの世話役掛かり……『ましろ当番』の役目には神田空太が就く事になった。

 

「まぁ良いですが……何れ俺は此処を出ていく予定らしいので」

 

 空太は誰も聞いていない中、そう呟いた。

 

「空太」

 

「なんだ?」

 

「仲良くしてね」

 

「ああ、むしろこっちからお願いしたい位だ」

 

 空太はましろのそんな言葉に笑みを浮かべてそう言った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 神田空太の朝は早い。此処二日程は皆と同様の時間で起床していたが、元々空太の起床時間は朝の5時だ。

 では、そんな時間に起きて何をやっているのか? 答えは簡単だ。神田空太は起床してから7時までの2時間、自身の研磨に費やしている。特に意味は無いのだが、最初は面白そうだなぁという理由から初め、最近では惰性で続けている。

 

 だが、そんな日課も中学時代から続けてもう3年。随分と身体は鍛えられ、喧嘩なら随分と強くなっていた。

 やっている事は、ジョギングとシャドーボクシングの真似事。自身の手をどう動かせば効率的に打撃を与えられるのか、どうすればよりダメージを与えられるのかを思考し、研鑽してきたのだ。

 

 これが、他の誰も、神田空太自身ですら気付かない神田空太の誇るべき努力だった。神田空太はこの日課こそ、椎名ましろの日常の様な努力と同種の行為だと気付いていなかった。それも、3年というけして人の人生の中で短くない時間の中で行なって来た行為。

 

 

 ―――『継続する才能』

 

 

 それが神田空太の持ち得る才能に他ならなかった。だが、気付かない。この行為が齎している事実には誰も気づかない。これまでも、そしてこれからも。

 

「ふぅ……こんなこと続けてても意味ないんだけどなっ……!」

 

 空太は脱力した状態から最高速の速度まで瞬時に加速させて左拳を振り抜き、反対に作った右手刀を左拳の振り抜きの勢いを利用した回転で下から上に切り上げた。

 その動きは、もはや中学上がり立ての高校一年生というには随分と熟練されていた。速さは並のボクサーの拳より(はや)く、威力も成人した男性なら一撃で意識を狩りとれる位には大きかった。

 

「―――ふぅ……さて、それじゃあそろそろ準備しないとな」

 

 空太は置いておいたタオルを使って汗を拭く。空太の身体からは尋常じゃない位汗が流れていた。

 それだけ空太が集中していたという事。なんとなく行なう何百回の素振りより、最大限集中し、どうすればいいのか思考して行なう最高の素振り一回の方が何倍もの価値があるのだ。

 とどのつまり、そういう事。空太の行なって来た行為は、プロボクサーの行なう様な数のある長い特訓ではなく、質ある短い特訓。

 

 故に、空太の特訓はプロの行なう訓練と同じ位の成果を上げる事が出来ていた。ルール無用ならプロボクサーともやりあえるのだ。ボクシングでやった場合は一撃でやられてしまうが。

 

「ましろ当番、か………おもしろいね、さくら荘は」

 

 空太はそう言って、自分の部屋へと戻り、シャワーを浴びた。

 

「時間は……6時30分か。そろそろ椎名を起こさないとまた遅刻するな」

 

 空太は制服に着替えて、自分の身支度を終える。そしてキッチンで昨晩の内に準備しておいた弁当の材料をささっと料理して弁当を作る。無論、椎名ましろの分もだ。

 そして、空太は弁当を作ったら2階に上ってなんの許可も取らずに椎名ましろの部屋へと踏み入る。マナー違反と言われるかもしれないが、最早空太に椎名ましろに対するマナーは存在していなかった。

 

「椎名、起きろ」

 

「………」

 

「……はぁ……ん?」

 

 若干大きめの声量で起こしたのだが、起きない。かといって、美咲の様に乱暴に起こすにはまだ知り合って間もなかった。どうしたものかと思考錯誤するなか、空太は机の上に置かれた物に視線を向けた。

 それは、椎名ましろの書いた漫画。手に取ってみれば、上手い。絵はとてつもなく上手かった。流石と言うしかない。

 

 だが、反対に物語はとんでもなくつまらなかった。

 

「つまらない」

 

「……おはよう」

 

「ああ、おはよう椎名。色々疑問はあるけど服を着ようか」

 

 空太は視線をましろへ移す。そこにはやはりというかなんというか、裸のましろがのそのそと出て来ていた。

 ちなみに、何故空太がましろの裸を見て反応が薄いのかというと、もう見せてんだし見て良くね? という開き直りから来ている。いやまぁそんな理屈が通るほど世間は甘くは無いのだが、これがさくら荘という物であった。

 

 

「眠いわ」

 

「それは錯覚だ」

 

 

 空太は椎名ましろがやってきた翌々日もまた、こうしてましろ当番の役目を果たすのだった。

 

 

 


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