神田空太がましろ当番になってからという物、椎名ましろの奇行は空太に様々な気苦労を掛けていた。
生活能力皆無な所から始まり、コンビニに行けば売り物のバームクーヘンをもしゃもしゃと食べ始め、学校ではちょくちょく空太の教室へやって来ておやつや弁当を
いくら神田空太が面白い事が好きだと言っても、椎名ましろの非常識さはとてもじゃないが空太の許容量を軽く超えていた。
そんな中、空太にもさくら荘以外の付き合いがある訳で、学校に通学してましろと普通科と美術科の教室で離れた後は、自身の教室で友人と共に駄弁ったり授業を受けたりする。
そして、現在午前10時40分。空太の学校では二時限目が終わった後の休み時間。空太の席の近くに座る女生徒、青山七海が神田空太に話し掛けた。
「神田君」
「ん? ああ、青山か。どうした?」
「いや、何でもないんだけど。ひかり達は元気?」
「ああ、元気だよ。まぁ、引き取り手が見つからないのがちょいとネックなんだけどね」
ひかり達、とは空太が拾って来た計七匹の猫達である。現在、空太がなんとなく掲げた『脱・さくら荘!』を実現させようとしていると見せかけるために上辺だけは猫の引き取り手探しをしている。
普通寮に行くには猫は連れていけないからだ。それに青山七海は手伝ってくれている。
「あ、そういえば……青山。美咲先輩が新作出来たって言ってたぞ」
「え? そうなんだ」
「……なんか歯切れ悪いな。いやなら断っても良いんだぜ?」
「いや、やるよ。やりたい」
「ならいいけど」
何をやるか、と問われれば美咲の作ったアニメーションの吹き替えだ。何を隠そうこの青山七海の将来の夢は声優になる事、演技力はかなり高い。なにせ、アニメーションの天才上井草美咲が指名して頼みたいという位なのだ。
この青山七海もまた、才能に恵まれた一人であった。一応、生粋の天才という訳ではないのだが、彼女の努力あってこその才能だろう。謂わば、後天的に生まれた秀才。それが青山七海。
そして、神田空太が性懲りもなく嫉妬した人物の一人であり、神田空太に自分とは比べ物にならない位の才能があると勘違いしている人物でもある。
神田空太もまた、後天的な才能を目覚めさせた一人であるのだが、やはり誰一人として気付く事は無いのだった。
「まぁ、頑張れ」
「神田君に言われると皮肉に聞こえる」
「そうか。そいつはまごうことなく錯覚だよ」
空太は苦笑して七海にそう言った。七海はそんな空太に仏頂面を浮かべ、次の瞬間にはため息を吐いた。
「ねぇ、新しい子……来たんだよね?」
「椎名ましろ。絵画の天才だよ……全くもって羨ましいねぇ、そんな才能俺も欲しいぜ」
「……神田君には必要ないよ。私が羨ましい位の才能を持ってるじゃない」
「―――そう、だったらいいんだけどね」
青山七海の言葉に、空太は苦笑しつつそう言った。ただ、なんとなく胸がじくりと傷んだのだが、空太は開き直る事でその痛みを切り捨てた。
そこへ、神田空太に声が掛かる。
「神田ー! お客さんだぞ~」
「ん、ああ。……って、椎名じゃないか。どうしたんだ?」
空太は呼ばれたので教室のドアに向かって行ったのだが、そこに居たのは件の椎名ましろ。
「空太、バームクーヘンが食べたいわ」
「ああ、なるほど。それを言う為だけに此処に来たのか」
「そうよ」
「はぁ……青山ぁ」
「な、なに?」
椎名ましろから視線を切ってクラスの方へと視線を向けると、全員が空太と椎名の両名を見ていた。その視線に含まれるのは、9割の好奇と1割の嫉妬。非常に居辛くなる視線だった。
だが、空太はそんな視線を気にせずに青山七海に言った。
「ちょっと椎名に餌上げてくる。先生に適当な言い訳をしておいてくれ」
「ちょ……そんなの私に頼まないでよ!」
「頼んだ。青山だけが頼りだ」
「ぐっ……むぅ……仕方ないわね」
青山がそう言った瞬間、空太はましろの手を取って教室を出る。
「空太、バームクーヘン」
「はいはい、今から買いに行くんだ。つべこべ言わずに付いておいで」
「分かったわ」
空太は椎名を連れて、教室を離れていった。
◇ ◇ ◇
さて、それから時間が経ち、空太はさくら荘へと帰って来ていた。ましろはすでに部屋へと戻り、原稿を書き始めている。無論、漫画の新人賞に応募するためだ。
空太は特にやる事は無いので自由に過ごしていた。ゲーム作りがしたいと、今でも思っているのだが、いかんせん空太はやる気が起きていなかった。
落選が怖いからだ。開き直った空太は何もしないのだ。敗北から逃げ、勝てる様な勝負しかしない。
「……部屋に戻るか」
空太は部屋へと戻る。それ以外にやる事は一切なかったのだった。
―――そしてこれから、椎名ましろと神田空太を中心とした騒動が始まる。