ノイサイタマの
常に汚染された霧が立ち込めるこの街の空気は、錆びた鉄と腐った生ゴミ、そして安っぽい合成香料の臭いが混ざり合っている。
「……ッ、マズい」
俺――識別コードBP-704、通称ナナは、路地裏の湿ったコンクリートに座り込み、配給されたチューブ入りの昼食を啜っていた。
パッケージには『ストロベリー味』と書かれているが、実際はピンク色に着色された高カロリーの工業用ペーストだ。
舌が痺れるほどの甘ったるさが、喉の奥にへばりつく。
(クソが。なんで俺がこんなガキの離乳食みたいなもんを食わなきゃなんねえんだ。仕事終わりには塩辛いスルメと冷えたビールだろうが……!)
脳内では、かつての中年男性兵士としての人格が悪態をついている。
だが、俺のこの身体――『
酒や脂っこいものを口にすれば、身体が拒絶反応を起こして吐き出してしまう仕様なのだ。
「はあ……。帰りたい。あの狭苦しいロッカーでいいから、横になりたい」
俺がつぶやくと、鈴を転がしたような可憐な溜息が路地裏に響いた。
今の俺の住処は、倉庫街にあるコインロッカー型のアパート『スリープ・ロッカー』だ。
寝返りも打てない棺桶だが、それでもこのクソ甘いジェルを啜る時間よりはマシだった。
その時、脳髄に不快な電子音が突き刺さった。
『――新規オーダー受信。ランクB。種別:PR慈善事業』
無機質なシステム音声と共に、視界に赤い警告ウィンドウがポップアップする。
発令元は、俺の「所有者」であるセラフィム・スタッフィング。
(慈善事業だあ? 武器商人の手先が何の冗談だ)
『ターゲット:下層居住区・第4ブロックの貧困層。目的:企業イメージ向上および在庫処分。BP-704、直ちに変身せよ』
「在庫処分って言っちゃってるじゃねえかよ!」
俺がツッコミを入れた瞬間、頭上からプロペラ音が聞こえた。
見上げれば、この街の空を我が物顔で飛び回る配送ドローン『
「おい待て、ここは屋根が……」
ドローンは俺の都合などお構いなしに、機体下部のハッチを開いた。
ヒュン、という風切り音。
次の瞬間、投下された金属製のコンテナが、俺の後頭部に直撃した。
「あぐッ!?」
火花が散る視界の中で、俺は地面に突っ伏した。
コンテナが展開し、中から「本日の衣装」と「装備」が溢れ出てくる。
「……おい、嘘だろ」
目の前に転がっていたのは、白を基調とした神聖なシスター服……に見える何かだった。
布面積が異常に少ない。肩も背中も剥き出しで、スカートに至っては存在せず、腰回りに半透明の発光ユニットが付いているだけだ。
『装着アイテム:ホログラフィック・セイント。スカート部はホログラム投影により生成されます。バッテリー残量にご注意ください』
(バッテリー切れで全裸になる服を着ろってか!? どんな羞恥プレイだよ!)
「ふざけんな! 俺は着ねえぞ! こんな痴女みたいな格好で……」
『警告。ミッション拒否は契約違反です。ペナルティとして負債額に利子が加算されます』。
「……着ます。着ればいいんでしょ、着れば!」
俺は心の中で血涙を流しながら、パーカーを脱ぎ捨てた。
スラムの汚い路地裏で、美少女が全裸になって着替えるシュールな光景。
だが、ここには誰もいない……はずもない。
俺の視界に『LIVE』のアイコンが点滅している。
この着替含めて俺の仕事風景は、上層の富裕層には「サービスシーン」として配信されているのだ。
「くっ、見んな! ジロジロ見んじゃねえ!」
俺はカメラの向こうの変態どもを罵倒しながら、ホログラムスカートのスイッチを入れた。
ブォン、という音と共に、光の粒子が太ももを覆う聖なる布地を形成する。
だが、その光は心なしか頼りなく明滅していた。
___
第4ブロックの広場には、すでにゾンビのような行列が出来ていた。
全員、飢えたスラムの住人たちだ。
俺の目の前には、セラフィム社のロゴが入った木箱が山積みになっている。
配給するのは『奇跡の水』と名付けられたボトル。
中身は消費期限切れの医療用ナノマシン洗浄液だ。
飲むとハイになる副作用があるらしいが、知ったことではない。
『業務開始。笑顔で、慈悲深く振る舞ってください』
セラフィム社の管理AI『ガブリエル』が、慇懃無礼に告げる。
(へいへい。さっさと終わらせて寝るぞ)
俺はボトルを手に取り、列の先頭にいた薄汚い爺さんに突き出した。
(ほらよ。さっさと持ってけ)
そう念じて、口を開く。
しかし、喉から出たのは、俺の意志とは正反対の言葉だった。
「さあ、どうぞ。神の恵みが、あなたの乾きを癒やしますように……」
鈴を転がすような、慈愛に満ちた声。
首を少し傾け、目を細めて微笑むその仕草は、どこからどう見ても本物の聖女だ。
これが『
俺の殺意や雑な思考を、完璧なアイドルムーブに変換する地獄のシステムだ。
「あ、ああ……聖女様……!」
爺さんは涙を流してボトルを受け取り、拝みながら去っていった。
(気色悪い反応すんな! ただの洗浄液だぞ!)
内心で悪態をつきながらも、俺の身体はテキパキと配給を続ける。
「皆様に幸あれ」「お足元にお気をつけて」「喧嘩はいけませんよ?」
俺の精神は、自分の口から出る甘ったるいセリフの連続にゴリゴリと削られていく。
その時だった。
「おい、ちんたらやってんじゃねえぞ!」
行列の後方で怒号が飛んだ。
武装したモヒカンの男たちが、老人や子供を蹴散らして列に割り込んできたのだ。
スラムのごろつき集団だ。
この街には何人のモヒカンが生息しているのだろうか。
「その箱、全部俺たちのモンだ。よこせよ、ねーちゃん」
リーダー格の大男が、鉄パイプを掌で叩きながら俺に近づいてくる。
(あーあ……。やっぱりこうなるよな。ここがスラムだってこと忘れてんのか、会社のアホどもは)
俺は内心で安堵のため息をついた。
正直、作り笑いで媚びを売るにもの限界だった。
目の前のゴミどもを掃除するほうが、精神衛生上よっぽど健全だ。
「……ねーちゃん? 聞いてんのか?」
男が俺の肩に手を伸ばす。
俺の『超感度』センサーが殺気に反応し、背筋がゾクリと震えた。
(触るんじゃねえ……ぶっ殺すぞ、クソガキが!!)
俺の怒りが頂点に達した瞬間、オートコレクトが戦闘モードへ切り替わった。
「あら……。迷える子羊さんたちが、列を乱してはいけませんね?」
俺は困ったように眉を下げ、足元に置いてあった巨大な『贖罪の香炉』を拾い上げた。
鎖のついた鉄球型モーニングスター。重量は約30キロ。中にはお香の代わりに、軍用催涙ガスが充填されている。
___
「なんだそのおもちゃは。ビビらせようってのか――」
男が言い終わる前に、俺は香炉をフルスイングした。
ブンッ!!
風を切り裂く重低音と共に、鉄球が男の顔面にめり込む。
(オラァッ!! ストライクッ!!)
ドォォォォン!!
男の巨体が دم毬のように吹き飛び、後続の仲間たちをなぎ倒した。
同時に香炉の排気口から、プシューッと
「ぐああああッ! 目が、目がぁぁぁ!」
「なんだこれ!? 煙てぇ!!」
ごろつき達がのたうち回る。
本来なら、鼻血と歯が飛び散る凄惨な光景だ。
だが、今の俺の視界には『
飛び散る鮮血は「キラキラ輝く星屑」に。
吹き飛ぶ歯は「白い花びら」に。
男たちの断末魔は、心地よいハープの音色にフィルタリングされて配信されているはずだ。
「おやおや、悪い子はオシオキが必要ですねぇ」
俺は可憐にステップを踏みながら、遠心力を乗せて香炉を振り回す。
傍から見れば、聖女が舞い踊りながら周囲を浄化しているように見えるだろう。
実際は、遠心力で倍増した打撃力で骨を砕いているだけだが。
(死ね! 死ね! 俺の休憩時間を邪魔する奴は全員地獄へ行け!)
「浄化! 浄化! 悪い心は、神様の光で洗い流しましょうね!」
脳内の罵倒に合わせて、俺の口は狂気的な愛の言葉を叫び続ける。
一撃ごとにガスが撒き散らされ、広場は白い煙に包まれた。
催涙ガスを吸い込んだ住民たちが、ゲホゲホと咳き込みながらも、なぜか恍惚とした表情を浮かべ始める。
「あ、あれ……? なんか、気持ちいい……?」
「後光が……聖女様の後光が見えるぞ……!」
(あ?)
俺は香炉を振り回しながら周囲を見渡した。
どうやら、先ほど配った『
住民たちの目がランランと輝き始め、痛みも恐怖も忘れてトリップ状態に陥っている。
「聖女様だ! 本物の聖女様だ!」
「俺たちを救いに来てくださったんだ!」
ごろつき達ですら、ボコボコにされた顔で地面を這いずりながら、俺に向かって手を合わせている。
いや、お前らは飲んでないよな……
「あー……うー……聖女、サマ……」
(……マジかよ。こいつら全員ラリってやがる)
俺は最後の男を香炉で殴り飛ばし(AR上では、優しくハグして昇天させたことになっている)、残心をとった。
ホログラムのスカートが、激しい戦闘によるエネルギー消費で、ジジ、ジジジ……と危なっかしく明滅している。
「ああっ! 見える! 聖なる
「ありがたや……ありがたや……!」
際どい露出も、彼らの目には「奇跡の啓示」として映っているようだ。
___
暴徒は鎮圧され、広場は奇妙な連帯感と多幸感に包まれていた。
俺は息を整え、香炉を地面に置く。
(終わった……。やっと帰れる)
疲労困憊だ。早くこのふざけた服を脱ぎ捨てて、ロッカーの中で泥のように眠りたい。
そう思った矢先、ガブリエルの冷徹な声が脳内に響いた。
『ミッション・コンプリート。戦闘評価S。視聴者数、および顧客満足度が過去最高値を記録しました』
(おう、そりゃよかったな。じゃあ撤収のドローンを寄越せ。あとボーナスも弾めよ)
『セラフィム本社より、追加オーダーです』
(……は?)
嫌な予感が背筋を走る。
『現在の「聖女モード」に対する支持率が爆発的に上昇しています。この熱狂を維持するため、現地にて【72時間連続・祝福握手会】の開催が決定しました』
「……な、なに?」
『休憩時間は設定されていません。住民および視聴者全員に、その笑顔で癒やしを提供してください。拒否すれば、機体レンタル料の割引は無効となります』
俺の思考が停止した。
72時間?
三日間、不眠不休で?
このラリった群衆の手を握り続けて、笑顔を振りまけと?
(ふ、ふざ……ふざけんじゃねええええええ!!)
脳内で俺の人格がちゃぶ台をひっくり返し、絶叫する。
俺は人間だ! いや、元人間だ! 機械扱いするのもいい加減にしろ!
帰らせろ! ロッカーに帰らせろおおおお!
俺の目から、生理的な涙がポロポロと溢れ出した。
それは、限界を超えたストレスと絶望による涙だった。
しかし、オートコレクトはそれすらも演出として処理する。
「うっ、うぅ……。皆様の信仰心に、わたくし、感動いたしました……」
俺は涙で潤んだ瞳で、集まってきた群衆を見つめた。
その表情は、慈愛と喜びに満ちあふれた「奇跡の聖女」そのものだった。
「さあ、迷える子羊さんたち。朝まで……いえ、三日三晩、語り明かしましょうね……?」
(殺してくれ……もういっそ、誰か俺を殺してくれ……!)
歓声を上げる群衆の波に飲み込まれながら、俺の心は静かに死んだ。
聖なる光を放つホログラムのスカートだけが、俺の終わらない
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