ノイサイタマの
銀色のパウチから絞り出されるのは、毒々しいピンク色の粘体。『高カロリー・ジェル(ストロベリー風味)』だ。
チューブを咥え、ちゅーちゅーと吸い込む。舌の上に広がるのは、化学調味料と人工甘味料をこれでもかとぶち込んだような、暴力的な甘さ。
(……不味い。死ぬほど不味い)
脳髄の奥底で、俺の人格——かつて歴戦の傭兵と呼ばれた「おっさん」の部分——が絶叫する。
俺が食いたいのはこんな子供騙しの駄菓子じゃねえ。
場末の居酒屋で出てくる、塩の結晶が浮いたような塩辛だ。
それを肴に、安酒の熱燗をキューッとやる。それが俺の魂の燃料だ。
だが、今の俺の身体は『
味覚センサーは「14歳の少女が好むもの」以外を拒絶するようハードウェアレベルでロックされている。塩辛なんぞ食おうものなら、即座に
「……んぅ〜、おいしぃ〜っ♡」
口から出たのは、そんな甘ったるい独り言だった。
俺の意志じゃない。脳内の『
(クソが。いつかこのセラフィム社の本社ビルごと爆破してやる)
心の中で毒づいたその時、脳内に無機質なアラートが鳴り響いた。
『——
視界の端に、赤いウィンドウがポップアップする。担当AI「ガブリエル」の、慇懃無礼なテキストだ。
場所は……中央広場?
(おいおい、今は休憩時間だぞ。それにランクAって、重武装テロリストか何かか?)
『対象:廃棄バイオ・スライムの群れ。地下下水道から溢れ出し、市民へ危害を加えています』
(スライムだぁ? そんなもん、清掃局に投げろよ!)
『君は清掃局よりも安上がりなのです、アセットBP-704。——さあ、ショーの時間ですよ』
拒否権はない。拒否すれば、ただでさえ天文学的な借金に、さらに違約金が上乗せされるだけだ。
俺はため息をつき、ブカブカのパーカーのフードを目深にかぶると、猫背で路地裏を駆け出した。
___
中央広場は地獄絵図……にはなっていなかった。
いや、状況は深刻だ。マンホールから噴き出した緑色の粘液状生物が、悲鳴を上げて逃げ惑う市民たちを追いかけ回している。触手が看板をへし折り、アスファルトを溶かす酸を撒き散らしている。
だが、ノイサイタマの住民は逞しい。遠巻きにスマホを構え、「うわ、マジでヤバい」「映え動画撮れるぞ」と騒いでいる野次馬の壁が出来上がっていた。
(この人混みの中でやるのかよ……)
現場に到着した俺は、建物の陰に隠れて息を整えた。
いつもの手順なら、ここで上空からドローンが来て、段ボール箱に入った武器と衣装を投下するはずだ。俺は空を見上げる。
ブォォォォン……
重苦しいローター音と共に、配送ドローン『ストーク』が飛来した。だが、今日はコンテナを持っていない。代わりに、ドローンの腹部に搭載された散布装置がこちらを向き——。
『——ミッション開始。AR空間拡張機能「メルヘン・レイヤー」、起動』
ガブリエルのアナウンスと同時に、俺の周囲の世界が一変した。
灰色の空が、ホログラムによって「パステルカラーの青空」に塗り替えられる。腐敗臭漂う空気には、電子的な花の香りが合成され、BGMとしてアップテンポなアイドルソングが広場全体に轟音で流れ始めた。
「は……?」
呆気にとられる俺の頭上から、ドローンがピンク色の「霧」を噴射した。
ナノマシンだ。高密度の被服形成用ナノマシンが、俺のパーカーにまとわりつく。
『装着率低下。ターゲット、所定の「変身ポーズ」をとってください。ポーズをとらなければ、ナノマシンが定着せず、全裸で戦うことになります』
(ふざけんな! なんで俺が!)
『カウントダウン。3、2……』
全裸か、社会的死か。
究極の二択を迫られ、俺の「おっさんとしての尊厳」はコンマ1秒で敗北した。
身体が勝手に動く。いや、俺が無理やり動かしているのだが、オートコレクトの補正で動きのキレが異常に良い。
右手を高く掲げ、左足でつま先立ち。腰をくねらせながら、その場でくるりと一回転。
「プリズム・パワー、メイクアップ☆」
(殺せ……! いっそ殺してくれぇぇぇ!!)
俺の口から飛び出した可憐な叫び(と、脳内の断末魔)に合わせて、ナノマシンが急速に硬化する。
ボロボロのパーカーが分解され、代わりに形成されたのは——
重力に逆らうように広がったフリル全開のミニスカート。背中には羽のようなリボン。胸元には大きなハートの宝石。そして、頭には天使の羽を模したヘッドドレス。
極めつけは、ドローンから射出され、空中でキャッチした武器だ。
ピンク色のプラスチック製ステッキ。先端には星型の飾り。どう見ても玩具屋で500円で売っているアレだ。
『換装完了。コードネーム:マジカル・トルーパー・ナナ。——殲滅を開始してください』
広場の大型ビジョンに、俺のアップが映し出される。
野次馬たちから「おおーっ!」「新作か!?」「カワイイー!」という歓声が上がる。
俺の頬は、羞恥心で真っ赤に染まっていた。だが、観衆にはそれすら「気合十分な紅潮」に見えているだろう。
___
目の前には、ヘドロの塊のようなスライムが迫っていた。
悪臭が鼻をつく。下水道の汚泥と、腐った生ゴミを煮詰めたような臭いだ。
(
俺は反射的にステッキを構えた。
トリガーは、持ち手の部分にあるハート型のボタンだ。
(――消え失せろ!)
俺の殺意に呼応し、オートコレクトが機能する。
「悪い子には、お仕置きしちゃうぞ☆ ラブ・バーニング!」
俺は満面の笑みでウインクを決めながら、トリガーを引き絞った。
ボゥゥッ!!
玩具のステッキの先端から噴出したのは、魔法の光ではない。
軍用仕様の高粘度ナパーム火炎だ。
摂氏1200度の「愛の炎」が、スライムの群れを呑み込む。
『ギャアアアアッ!』
『うわあああ!』
スライムの体液が瞬時に沸騰し、爆ぜる。本来なら、焦げた肉の臭いと断末魔が響き渡る凄惨な光景だ。
だが、今の戦場には『メルヘン・レイヤー』が展開されている。
俺の視界には地獄が見えているが、観客やカメラ越しに見ている人間には、全く別の映像が映し出されているはずだ。
——炎は「ピンク色のキラキラした波動」に。
——飛び散るスライムの肉片は「星やキャンディの幻影」に。
——断末魔は「バイバ〜イ!」という可愛い音声に。
これは、グロテスクな現実を「カワイイ」という包装紙で包み隠す、狂った検閲システムだ。
『ナナちゃん、上手、上手!』
ふと、横から甲高い声がした。
見れば、配送ドローン『ストーク』が上空へ去らず、俺の周りをプカプカと浮いている。ホログラムで「羽の生えた丸い妖精」の姿に偽装されている。
(なんだこのイラつく浮遊物は……邪魔だ!)
『マスコット・ドローンですキュッ。今の放射で燃料費が予算オーバーだキュ。
妖精(中身はガブリエル)が、空中に半透明のウィンドウを表示する。
そこには『利息トイチ』の文字。
(足元見やがって……! 承諾するしかねえだろ!契約する! 早くよこせ! )
「わぁっ、妖精さんと契約して、もっと強くなるねっ☆」
オートコレクトされた俺のセリフと共に、ドローンからガシャンと新品のナパーム・タンクが排出された。
俺はそれを空中で掴み、ステッキにリロードする。
(らぁぁぁぁっ!!)
「ミラクル・ファイヤー・ストーム!」
俺はステッキを乱暴に振り回した。
放射される炎が、広場を焼き尽くす。ベンチも、植木も、スライムごと灰になっていく。
熱い。熱風でスカートが捲れそうになるのを、内股になって必死に抑える。
その仕草すら「恥じらう乙女」として演出されるのが憎い。
残るは、広場の中央に鎮座する巨大なボス・スライムだけだ。
自動車サイズの粘液の塊が、触手を振り上げて襲いかかってくる。
(炎じゃ時間がかかる……なら、物理だ!)
俺は噴射をやめ、スライムの懐へと飛び込んだ。
サイボーグ化された脚力がアスファルトを砕く。一瞬で距離を詰め、俺はステッキを逆手に持ち替えた。
このステッキ『マジカル・インシネレーター』は、耐熱セラミックと超硬合金でできている。つまり、鈍器としても一流だ。
(脳天かち割ってやるよオラァッ!)
「えいっ、えいっ、痛いの痛いの、飛んでけ〜☆」
ドゴォッ! バキィッ! グシャァッ!
愛らしい掛け声とは裏腹に、重い打撃音が響く。
俺はスライムのコアがあると思しき部分を、親の敵のように殴打し続けた。
返り血が顔にかかる。ARフィルター越しには「光の粒を浴びている」ように見えているだろうが、俺には生臭い感触しかない。
(あーもう、しつけぇな! 死ね! 死んで楽になれ!)
「あきらめないで! 明日はきっと晴れるよっ! ハッピー・エンド!」
最後の一撃。
俺はステッキをゴルフスイングの要領でフルスイングした。
ボスの核が粉砕され、巨体が弾け飛ぶ。
静寂。
そして、爆発的な歓声。
『ミッション・コンプリート。脅威の排除を確認』
妖精ドローンが事務的なトーンで告げた。
終わった……
俺は肩で息をしながら、ステッキを垂らした。全身、汗と粘液でベトベトだ。早く帰ってシャワーを浴びたい。できれば度数の高い酒を飲んで寝たい。
「……おい、ガブリエル。さっさとパーカーを返せ。着替えて帰る」
小声でドローンに呼びかける。
しかし、ドローンは空中でくるりと宙返りをすると、ふざけた電子音を鳴らした。
『あ、言い忘れていましたキュッ。今回のナノマシン衣装は「試供品」のため、変身解除コードの発行には別途オプション料金が発生します』
「え?」
(……は?)
『ですが、報酬は弾薬費と演出費で相殺されてゼロです。つまり、解除できません』
「……え?」
(……はぁ?)
『それでは、次回の出動までそのままで待機してください。さようなら〜』
言うが早いか、ドローンは猛スピードで上空へと上昇し、雲の向こうへ消えていった。
(ま……待て! 待てコラァッ! 俺を置いてくな!)
俺の心の絶叫は、オートコレクトによって「バイバ〜イ! またね〜っ!」という可愛らしい挨拶に変換され、広場に響き渡った。
取り残されたのは、フリフリの魔法少女姿の俺一人。
そして、周囲を取り囲む数百人の観光客と市民たち。
「すげえ! 本物のマジカル・トルーパーだ!」
「ねえねえ、一緒に写真撮って!」
「握手してください! こっち向いて!」
スマホを構えた群衆が、ゾンビのように押し寄せてくる。
逃げ場はない。
ここで拒否して「可愛くない態度」を取れば、SNSで炎上し、セラフィム社の株価に影響し、俺の借金が増える。
俺は、引きつった頬の筋肉を無理やり持ち上げた。
目尻には涙が浮かんでいるが、それすら「感動の涙」に見えるだろう。
(殺せ……誰か、俺を殺してくれ……)
「み、みんな〜! 応援ありがと〜っ! 大好きだよ〜っ! ブイッ☆」
俺は満面の笑みでダブルピースを作り、フラッシュの嵐の中に身を投げ出した。
ノイサイタマの曇天の下、俺の心は死んだ魚のように冷たく沈んでいった。
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