ゲヘナ学園、午後6時。
万魔殿のメンバーは大体帰った後、見送ってから書類と格闘しているマコトはため息をついていた。
「随分多いな」
定規で測っておおよそ八センチもある書類の束と格闘するのはいくらトップといえど骨がおれる。
そんなに書類が多いのは、純粋にゲヘナが巨大な学園であることに起因した。
大きいということはそれだけ権力者や組織のトップなどが多く、それらを統括する必要がある生徒会である万魔殿は冗談抜きで書類仕事に追われるのだ。
ティーパーティーはその必要はないかもしれない、全員部下がやるから。ただし曲がりなりにも貴族ではなく民衆の信頼ありきで成り立っているこの組織だけはそう言ったことさえ自分でやる必要がある。
マコトは書類の山にこそ辟易していたが、このシステムをある種の愛を持って接していたので愛おしくもあった。
「雷帝はともかく、他のメンバーもこうやって追われていたのだろうな」
そう思うと、やる気だって出てくる。
なんだかんだ痛い目を見たりいい目を見たり、そう言った波を常に味わえる刺激的な学園、ゲヘナが好き。
一度背伸びをして作業に戻ろうとした時。
「ハ〜イ♪私に会いたかった?」
「……誰かと思ったがサツキか。帰ったんじゃなかったのか?」
「本当は帰るつもりだったんだけど色々寄ってたの」
「難儀だな。仕事が嫌にならないか?」
「まさか!楽しいわよ、先生が居なかったらここまで楽しい仕事になるとも思わなかったから」
「どいつもこいつも口を開けば先生先生、私に対する敬意はどこ行った」
「ちゃんと持ってるわよ。じゃなきゃ先生がいる時しか仕事しないわ」
それを堂々と言うなよ!と突っ込みたい気持ちを抑えて、筆を走らせる彼女。
サツキも呆れ顔で書類を半分、彼女の机から自分の方へと移した。
「だからこうしてお手伝いをしにきたんじゃない?」
「あのなあ……」
「それとも抱きしめたほうが良かった?」
「いや、いい。減ってくれたほうが助かる」
その言葉を区切りに、互いに書類仕事に没頭した。
この前イロハに話したゲヘナ・トリニティの境界線付近における開発関連の書類に関してはマコトがどうにかするしかない。が、それ以外なら他のメンバーが考えて許可出すこともできる。
ただそれでも、さっきまでの彼女は”最高権力者である自分”が出す事にこだわっていたのだ。それはもちろん、実際に行動する人間が不安に駆られる事なく
無論、ほとんどの書類を引き受けるなんて無茶は一人では無理だ。正直潰れかねない。
それを理解していても、当人に助けを許すくらいの仕事人であったのが、今来た少女であった。
「全く、もう少し私を頼ってくれてもいいのに」
「みんなのことは十分に頼ってるつもりなんだがな。なにしろ量が多くて頼ってるのかどうか分かんなくなる」
「那由多の彼方まで紙の山、みたいなのならともかくこれだけなら手分けしたほうが早いわ」
「多いからな、やってたら催眠術のコツを忘れるぞ」
「ちょっとそれどう言う意味」
「忘れろ」
また、書類に没頭する。
ゲヘナで一番多い書類といえば、やはり補填関連だろうか。
この学園は血の気の多い悪魔がいくつもいる。むしろ悪魔が人間社会の何割かを奪っているのがゲヘナとも言っていいかもしれない。
そんな奴らは当然暴れるのだが、それをなんとかするのが風紀委員会。万魔殿とは犬猿の仲とも言っていい組織だが、仕事上はちゃんと連携している。互いに一般生徒のために出来ることをやっているのだから、当たり前だ。
もっともその当たり前さえ大人は守れない時があるが……そこはまだ思春期故だろうか。自分の、自分たちの信念に反しなければ協力するという"美学"を貫ける年頃だからか。
「これ殆ど補填に関する内容じゃない!なんで任せないの!」
「計算とかは他のメンバーに任せているからな、読んでハンコ押すまで他人に任せるわけにはいかないだろう。曰く人間には一日で適切に判断できる数が決まっているらしい。判断くらいは自分が引き受けないと」
「それで自分の判断限界超えたら意味ないわよ」
流石のマコトも言い返せないようだ。
流石に八センチが四センチになった影響は大きい。気分が楽になった分進むし、的確に減っているという感覚は仕事の終わりを実感させて尚のこと集中できる。
補填に関する申請書類も、辺境開発も、その他細々した書類もこの時間に残っている書類は
二人で終わらせるには簡単な量だった。
午後7時。
書類は全て片付いた。
「ふぅ、これで終わりだな」
「簡単だったじゃない。やっぱりこういうのは手分けするべきよ」
「そうだな」
二人で宛先を書いて封筒に入れ、発送用のボックスに入れる。
宛先そのものはあらかた決まってるからさして時間も掛からない。
「お疲れ様」
「サツキもな」
部下も労わるマコト。
だが、どうやら労った相手はまだ何かあるらしい。
彼女に近づいて……
「ん?」
抱きしめた。
胸に埋まりかねないくらい強く、押し付けられるようにマコトを抱き寄せる。
「最近頑張りすぎじゃない?」
「そんなことはないはずだ。しっかり頼っているからな」
「いつもだったら暑いって離れるのに」
「……」
マコトは反論を失った。
「実は先生がここに来てから、忙しそうにしているのは知っているの。ろくに相談せずアリウスに内通したのも、本当に大丈夫かって心配してしまうくらいの暴挙だったのよ。みんな呆れてたけど、それ以上にね」
「そんなに小さい女だったか、私は?」
「そうやってカッコつけるくらいには」
「敵わんな」
己の虚勢さえ見抜かれると恥ずかしいのか、目線隠しにサツキの胸へと顔を埋める。
「いい匂いだ」
「どう?ちょっとは眠くなった?」
「それは全く」
「その状態がどれだけ気を張ってるかって話よ」
サツキが人間の状態をどれだけ見ているか、と言うのを理解できた瞬間だった。
催眠するにしても環境や本人の状態の確認が必須だろう、己の催眠術と相手の評価を改めねばと自省。
「痛くないか?私のツノも割と鋭いから」
「全然。気にしないでちょうだい、その程度で拒むような仲じゃないでしょう?」
「全く」
呆れたようにも、安心したようにも聞こえた声。
だが、ずっとこうしているわけにもいかないだろう。マコトは立ち上がる前に、少しだけ動く。
「サツキ」
「なーに?」
「私からのプレゼントだ」
ゆっくり立ち上がりながら、サツキの身体を這うように頭を上げる。
「どうした、の」
彼女の喉に、冷たく、柔らかい感触がした。
マコトの唇が触れたである。
「あ……」
気がついた刹那には、すでに二人の目線は合っている。
「あまり、こう言ったことを知り合い以外にしないようにな」
「……もう」
お互いに微笑み合って、離れてから部屋から出る。
「この後はどうするの?」
「一人で晩飯を食べてから、帰って寝る。明日もまだ書類が来るからな」
「大変ね」
「一緒に行くか?」
「晩ごはんまではご一緒しようかしら」
「じゃあ、行くか」
「ええ」
二人揃って、廊下を歩き始めた。
なにしろ年の瀬はどんなところも忙しくなるだろう。師走は師さえ忙しくなる、と言う意味であるがそもそもが教えたり責任者が忙しいのは当たり前、本当のことを言えば末端でさえ大掃除やさまざまな作業をするといった作業が多く回ってくるレベルで忙しくなる。
互いに大変だ、あれしなきゃ、そんなぼやきを口に出し、苦笑いして今日の夕飯をどうするか下町を歩く。
この時は、誰しもが幸せなのだろう。